第4話 安息の眠り
「それは出来ない」
そう言いたかった。
答える前に巨犬が襲ってきた。三頭が同時に、前に立つアントニーに向かって跳ぶ。
アントニーはどこからともなく、白い杖を取り出した。身を支えるように地面に切っ先を置く。杖は細く、何かの骨に精緻な浮き彫りを施した物だ。
何かの骨。ウィルトンは不吉なものを感じた。まさか人骨ではないだろうと思いたい。
でも仮に人骨を用いているのだとしても、きっと何かのわけがあるのだろう。戦いが終わったら訊いてみたい気がした。
今はそれどころではない。
杖の先から地面のひび割れが三本走る。巨大な黒い犬のうち、二頭までがそこに飲み込まれた。
あれは村の若者だった。
ウィルトンはアントニーの傍らに進み出た。
残る一頭に向けて光の刃を放とうと槍を構える。
「無理をしなくていいんですよ」
「いや、俺はやらなくてはならない」
光の刃は犬を撃った。今度こそ黒い巨犬は額を割られて絶命した。
「ジュエーヌ、もうこんなことは止めろ」
三頭の黒い巨大な犬が倒されて、ジュエーヌは明らかに動揺していた。
「お前、お前がウィルトンを誘惑したのね!」
ジュエーヌは再び宙に浮かび、アントニーに飛び掛かる。
アントニーは、右手で香木の杭を、左手で杖を構えた。
ジュエーヌの手には三日月型の光輪が現れる。次の瞬間、アントニーの首筋から青い血が流れた。
アントニーの足がふらつく。彼は杖で身体(からだ)を支えた。
ジュエーヌは黒いドレスから伸びる白い足で、容赦なくアントニーの頭部を蹴りつける。頭上からの、身体の重みを乗せた一撃だ。
アントニーは後ろに倒れ、杖を離して地面に手を着いた。さらに一撃をジュエーヌが加えようとした時、
「止めろ」
ウィルトンは槍でジュエーヌの足を払った。刺す気にはなれなかった。今はまだ。
「この男を滅する。そうすれば貴方は私のものになってくれる」
狂気じみたまなざしを注ぐジュエーヌに、ウィルトンは懇願した。心からの懇願だった。
「ジュエーヌ、お願いだ。止めてくれ。どうしてこんなことになったんだ」
ウィルトンはまだ立ち上がれないでいるアントニーの前に立ってかばった。ジュエーヌは嫉妬に満ちたまなざしで荒い息をついている。
「貴方が私のもとに来てくれるなら、その男を滅するのは止めるわ」
「それは」
ウィルトンはうつむいた。しばし時間が止まるように、息を詰めて二人はウィルトンを見つめた。
「ウィルトン、駄目です」
「そうだ、それは出来ない!」
ウィルトンは槍をジュエーヌの胸に刺した。青い血が流れ、ジュエーヌの背から槍の穂先が飛び出す。
「何故、何故なの」
ジュエーヌはがっしりと槍を手で持った。
「何故なの!」
アントニーが立ち上がるのを気配と音で察した。
「これがとどめです」
香木の宿り木の杭を青年は掲げた。
「俺がやる」
「しかし」
「いや、俺がやらなければならないんだ」
「では、こちらを」
ウィルトンはアントニーから杭を受け取った。
「やめて、やめてよ、ウィルトン」
ウィルトンは何も言わず槍を引き抜き、うめくジュエーヌの青い血が流れる生々しい傷口に杭を差し込んだ。
辺りに絶叫が響き渡る。
「ジュエーヌ、許してくれ。いや、それほ甘い願いか」
ジュエーヌの全身から力が抜け、だらりと地面に落ちた。翡翠の瞳をひたすらにウィルトンに向けて一言、
「愛していたわ」
と言って事切れた。目は見開かれたまま。
呆然として立ちすくむウィルトンの側から、アントニーはそっと傍らにかがみ込んでジュエーヌの目を閉じてやった。
「安息の眠りを」
アントニーのささやきが風に乗って流れる。
ウィルトンは両膝と両の手のひらを地面に着いた。そのままじっとして何も言わない。
「ウィルトン、あなたが悪いのではありません」
「そうなのかも知れない。だが俺は割り切れない」
「ウィルトン、顔を上げてください」
ウィルトンはゆっくりと手を地面から離して、膝を着いたまま腰から上を起こした。
傍らにかがみ込んだままだったアントニーが、《血の契約》の時に交わした《血の口づけ》をもう一度ウィルトンの唇に与えた。
「これで少しは楽になりましたか?」
不意を突かれたように驚くウィルトンを、優しく見つめながら青年の姿をしたヴァンパイアは言った。
「アントニー……」
「私の方は大丈夫です。ご心配なく」
首筋からの青い血の流れは止まっていた。
「今日は偵察のつもりでしたが、大変なことになりましたね」
「彼女らが戻らないなら、城主デネブルは気が付くだろう。報復に来ると思うか」
「自分の力を知らしめるためならばやるでしょう。彼には、配下に対する思いなどはありません。彼女らのために報復するのではないのです」
「ああ、そうだろうな」
ウィルトンは重いため息をついた。
銀細工とルビーの月明かりがまだ辺りを照らし出していた。暗黒城の見える、暗い林の中での出来事だった。
離れた場所からフクロウの鳴き声が聞こえる。何処かで鳥の羽ばたきも聞こえる。何もかもが永の夜に閉ざされていた。
暗黒城の城主を倒すまでは、夜が開ける日は来ない。
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