第3話 永遠の命を
アントニーの手が、宙に浮くジュエーヌの足首をつかみ、引き下ろした。女ヴァンパイアはバランスを失ってよろめく。アントニーの手を振り払おうとするが果たせない。
「離せ、無礼者!」
人間であった時には決して聞かせなかったような、冷たい声で告げる。
ウィルトンに掛けられていた魅了の呪縛は解けた。
「ああ、くそ」
思わずウィルトンは悪態をつく。
「ジュエーヌ、もう元に戻せないのか」
自分の声を聞いて、我ながら悲痛な響きがあると思った。しかし自分にこれを問う資格があるのだろうか。ジュエーヌを助けられなかった自分に。
「今さら、何を。私を見捨てた癖に」
言われるであろうと予想していた。
「ジュエーヌ、俺は君と戦いたくはない」
「戦わなくていいの。その裏切り者の新種のヴァンパイアを滅して、私と共に暗黒城に来て」
「いいや、それは出来ない」
「あら、私よりその男を選ぶと言うの」
その時、アントニーは樅(もみ)の木に寄生する、香りのある宿り木で作られた杭を、ジュエーヌの胸元に突き付けた。
「このまま刺せば君は滅びる」
ヴァンパイアの滅び。第二の死だ。今度こそ本当の死、永遠の死を。
ジュエーヌは背後に飛んだ。一線を書くように真っ直ぐに、素早く退く。
次に手に銀色の三日月型の光を灯した。磨き上げられた刃(やいば)のように見える。
ジュエーヌの手から光が飛ぶ。アントニーに向かって。
文字通りの間一髪、アントニーはかわした。瞳の色と同じ深い紫の髪が、数本切断されて空に舞う。
「やってくれたな」
アントニーは動じず冷静なままだ。ジュエーヌは舌打ちをする。
「ウィルトン、私のもとに来てはくれないの。また私を見捨てるのね」
ジュエーヌの翡翠の目は妖しい輝きに満ちている。狂気を宿したまなざしがただじっとウィルトンを見つめている。
「元に戻せないのか」
ウィルトンは、自分の右斜めの前に立つアントニーに問い掛ける。
「残念ながら、こうなってしまっては私にも手の施しようがありません」
「もし、もし、妹が、オリリエがこうなっていたら」
アントニーは答えなかった。
「貴方の妹がどうなったかを知りたい?」
ウィルトンは、ヴァンパイアと化したかつての村の乙女を見上げた。
「どうなったかを知りたいかしら」
再び視線を合わせそうになって、急いで目を逸らす。同時に、相手の身体(からだ)の動きには注視したままでいた。
どうなったかを知りたいのか、俺は。『本当』に。
ウィルトンは返事が出来ない。
「気を付けて下さい。その女ヴァンパイアが本当のことを言うとは限りません」
三頭の巨犬がまた立ち上がってきた。
「まだ死んでいなかったのか」
巨犬はウィルトンたちに対して扇状に展開した。狙いを付け難(にく)くするためなのは直ぐに分かった。
知能がある、のか。何らかの方法でジュエーヌが指示を出しているのか。
「私は貴方を愛する。そこの男が貴方を愛するよりもずっと。だから私と共に永(なが)の命を生きましょう」
ジュエーヌは、いやかつてジュエーヌであった者は、ゆったりと両腕を広げてウィルトンを招く。ふわり、とドレスの裾が舞い、地面に降り立った。扇状に並ぶ巨大な黒犬たちの後方に。
「それは出来ない」
「何故? 分かったわ。そこの男に何かを吹き込まれたのね」
「いいや、違う。こいつを連れてきたのは俺だ」
「なぜ、私のところには来てくれなかったの」
俺がもっと強くて、早くアントニーと手を組むことが出来ていたなら。ウィルトンは叫びたい気分になる。
「お前を助けに行った三人はどうした?」
「どうしたと思うの?」
三頭の黒犬は低く唸(うな)り声を上げている。地獄からの唸りのようにも聞こえた。
「まさか」
ジュエーヌであった者は赤い唇を歪めてみせた。邪悪な嗤(わら)いに見えた。
アントニーはまだウィルトンの前に立っていて、後ろを振り返らずに首を横に振った。
「そのまさかでしょうね。残念ながら」
ウィルトンは絶叫して喚き、次に雄叫びを上げた。
「ジュエーヌ、お前は何とも思わないのか?!」
「ウィルトン、そのヴァンパイアはもう」
ウィルトンはアントニーの声を遮った。
「なぜだ! なぜ」
ジュエーヌは笑い続けていた。黒いドレスの胸元に手をやり、肩から引き下ろした。白い胸が露(あら)わになる。黒いドレスの下には、真紅の絹の下着が見えた。レースで縁取りされ、青白い肌を引き立てている。
裸の胸は、大き過ぎず小さくもない。形はよく、ただ血の気がない肌は青ざめている。
「私と共に永遠の命を楽しみましょう、ウィルトン」
ジュエーヌは、魔力があるかのような妖しい笑みを見せていた。
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