第36話

「どうか……お願いします! お願いします!!」


 声が枯れてもひれ伏せたまま、頼み続ける女に心底苛立ちを覚える。


 野菜やクラちゃん達を踏みにじった。それがどうしても許せない。本当は今すぐに殴ってやりたい。野菜達の復讐をしてあげたい。


 でも…………テンちゃんから伝えられたのは、踏みにじられた野菜達も、生き返ったクラちゃん達も、誰も復讐を望んでいないことだ。


 復讐のために俺が怒るのが悲しいという。


 だから忘れたはずなのに……どうしていまさら…………。


「このままでは千聖がモンスターに殺されてしまうんです! ダンジョンから外に出るモンスターはありえなくて……凄く強くて……あのままでは千聖が踏み潰されて死んでしまいそうなんです! どうか……どうかお願いします! 何でもします。貴方の奴隷だってなりますから!」


 必死に乞い続ける彼女が少しずつ哀れに思え始めた。


 その時、野菜モンスターたちが全員僕の前にやって来た。


【ご主人様……】


「テンちゃん?」


【僕達……みんなのお願いです】


「みんなの……?」


【はい。僕達は…………千聖様が大好きです。ご主人様も大好きです。このまま……千聖様が死んでしまったら、ご主人様はずっと後悔する気がするんです!】


「っ!?」


 テンちゃんの言葉に、心臓が大きく跳ね上がる。


 ぼ、僕は…………千聖なんて…………あんな女……なんて…………。


【僕達はご主人様が大好き。でも優しいご主人様は、もっと大好きです! 久那様達に野菜をたくさんごちそうする優しいご主人様が大好きです!】


「テンちゃん……」


【そんな大好きなご主人様がまた悲しむのは見たくありません! ですから僕達も頑張ります。ご主人様の力になります!】


「み、みんな!?」


【僕達が一緒なら、ご主人様は無敵です! あんなモンスターなんて簡単にやっつけられると思います! やっつけたら…………また千聖様を読んで、ここで野菜を食べましょう! それが僕達のお願いです!」


「っ…………」


 テンちゃん達のお願いに胸の奥が熱くなるのを感じた。


 言葉にできない何かを感じ、それは次第に僕の胸を暖かく染めていった。


 怒っていないと言ったら嘘になる。僕は今でも彼女達に怒っている。

 

 でも…………それ以上に、みんなを守るために奮闘する千聖ちゃんの姿も知っている。


 彼女が野菜達を狙うなんて絶対しないことも知っている。


 ただそこから目を背けて、怒り続けて遠ざけて――――彼女とまた出会うことが怖かった。野菜達の想いを軽んじてしまうんじゃないかと怖かった。


 でも野菜達の想いを伝えられて、僕が悩んでいた全てが吹き飛んだ気がした。


「…………二つだけ条件がある」


「!? な、何でもします!」


 僕は彼女に二つの条件を伝えた。


 彼女はただただ涙を流して「ありがとう」と繰り返し言葉を綴った。




 ◆




 泉町のダンジョン前。


 かつて栄えていたビルは見る影もなく崩れ去り、崩壊した世界のように瓦礫がれきが転がっていた。


「はあはあ…………」


 大勢の探索者が大怪我で姿を消して、残るはたった二人。


 血まみれで今にも倒れそうなゲイボルグチームのリーダーの田中と、千聖だった。


「ち、千聖くん……下がりたまえ…………」


「はあはあ……いえ…………ここで……私が下がったら……田中さんが…………」


 二人とも限界だった。


 今すぐにでも倒れそうなくらい絶望に染まっていても、後ろにいる守りたい人々のために気力だけで立っていた。


 モンスターに無数の傷を付けた武器は、いまやただの杖替わりに成り下がり、二人の体を支えている。


 満身創痍の二人をニヤけた顔で見下ろすモンスター。


「本当……性格悪いわね…………」


「ああ。同感だ……っ…………ずっと……我々をおてあそんで……楽しんでやがる…………」


 言葉は伝わらなくても表情から感情を読み取ったのか、モンスターがゲラゲラ笑い始める。


 風前の灯火に手を握りしめる。


(お兄ちゃん達が……あの子達が笑って過ごせる世界を……)


 一歩ずつ歩いてくる絶望に、二人は歯を食いしばった。




 その時、




 空高くから物体が落ちて来た。


 真っすぐ飛んできた物体はモンスターにぶつかると、頑丈なモンスターの鱗が凹む程の衝撃で吹き飛ばされてダンジョンの中に飛ばされた。


「えっ……?」


 目の前に起きた現実に目を疑った。


 そこに立っていたのは――――


「お……兄ちゃん?」


 忘れるはずもないその後ろ姿に、千聖は涙を流す。


 振り向くことなく、彩弥が続けた。


「あの女が助けてくれと頼んできた…………二つの条件で受け入れた」


「う、うん…………」


「…………終わったら君もだ」


「うん……うん…………お兄ちゃん……………………ありがとう」


 彩弥は何も答えず、モンスターが消えたダンジョンの中に入って行った。


 静かになった世界で、千聖はその場に崩れ、自分を支えていた刀を抱き締めた。


 そして、震える体で「お兄ちゃん……ありがとう……」と何度も感謝を口にした。

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