第28話

 香楽からく町は、五年前まではただ畑が広がっていた町だった。


 しかし、ティーガル社によって開発が一気に進んだ町はたった五年で広大な都市へと姿を変えた。


 ティーガル社がどうしてこの地を開発したのかはわからない。けれど、その周囲を囲うように五つの町が出来上がり、その地にはダンジョンが出来ている。


 そのおかげなのか、流通もよく香楽町の名は全国に轟き、日本で一番住みやすい町として多くの人が引っ越すことを夢見る程であった。


 そんな大人気香楽町に、巨大な狂気が歩く。


 彼が一歩進む度に、周囲に圧倒的な絶望を振りまく。


 大人気だからこそ、柄の悪い人々が多い香楽町だが、普通の人よりも危険を先に感知できる彼らは暗闇の底に逃げ込んだ。


 大勢の人が得体の知れない恐怖に逃げ惑う。


 ゆっくりと歩き続けた絶望は――――探索ギルドの正面に立った。


「ここにいるのか?」


 男が肩の上に乗っている大根に語り掛ける。


 言葉は聞こえてこないが、男は頷いて中に入って行った。




「…………」


 入口では多くの探索者が武器を持って冷や汗を流しながら、入口から入って来た絶望に震え始める。


「お兄ちゃん!?」


 正面に立つ人々の中に、一際可愛らしい少女が驚いたように声をあげる。


「…………」


「ど、どうしたの!? お兄ちゃん……どうしてそんなに怒っているの!?」


 彼の目が彼女を睨む。睨んだだけでその場にいる全員に凄まじいプレッシャーが放たれる。


 中にはその場で崩れて苦しそうに息を吐く者もいる。


「ふざけるなあああああああああああああああ!」


 男の咆哮に周囲に強烈な風圧が広がって、窓が一斉に割れ、紙類から軽い機器までもが吹き飛んでいく。


「お前たちが……野菜たちにしたことをどうしただと!? ふざけるのも大概たいがいにしろ! その女……その女のせいでクラが死んだぞ!? その女を寄越せ!」


 男が指差した場所には黒い装束で震え上がっている女が一人。男を宥めるために声を掛けている神崎千聖の親友であり、パーティーメンバーである木村未来である。


「ま、待って! どういうことなのかわからないよ! 事情を説明してくれないと、一方的に怒ってばかりじゃわからないよ!」


「その女が僕の家に侵入してクラを殺したんだ! これから開くつもりだった食堂のために集めた野菜も全て踏みつけて……許せない。絶対に許せないいいいいいいい!」


 男が女に向かって飛びかかる。


 それを止めるために何人かの探索者が飛び込んだが、男の突撃に吹き飛ばされる。


「ち、千聖!」


「未来ちゃん。お兄ちゃんが言っていたこと、本当?」


「わ、私……千聖を守るために……」


「本当なのね……」


「ごめんなさい……こんなことになるとは思わなくて……奪われたくなくて……」


 その場に崩れてこちらに向かってやってくる絶望に大粒の涙を流す女は、自分が仕出かしたことの大きさを知る。


「退けええええ!」


 男が振り落とす腕が少女を襲う。


「――発動〖鉄壁〗」


 鞘に入ったままの刀で男の殴りを受け止める。


 凄まじい轟音と共に、周囲に爆風が広がっていく。特殊素材で作られたはずの建物に無数の亀裂が走った。


「僕は……君を信じていたのにっ!」


 今度は左腕が叩きつけられる。


「君が休める場所になって欲しいと思ったから……!」


 三度目の攻撃で右腕が叩きつけられる。


 彼女の口の左側に一滴の血が流れ出る。


「僕を弄んで楽しかったか!」


 三度目の左腕が叩きつけられる。


 今度は口の右側からも血が吐き出される。


「どうして僕の前に現れたんだ!」


 四度目の右腕が叩きつけられると、今度は鼻血が噴き出る。


「どうして僕にまた人を信じさせたんだ!」


 五度目の左腕が叩きつけられ、左目から血の涙が流れる。


「人間なんて――――大嫌いだあああああ!」


 六度目の攻撃に右目からも血の涙が流れる。


 言葉一つ出さず、彼女はじっと男の目を見つめた。


 彼が感じた悲しみを、世界で一番近くで感じているから。


「もう二度と僕達の前に現れるな」


 男は大きな涙を流して、そう言い残しその場を後にした。




「千聖!?」


 崩れ落ちる彼女を女が抱き締める。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 私なんかのために!」


 何も言わず女に向かって笑顔を浮かべて首を横に振った彼女は――――気を失った。




 ◆




 三日後。


 香楽町に大雨が降る。


 町に流れているニュースの音は、暫く香楽町は大雨だと知らせる。


 そんな中、男の家の前。


 全身包帯の姿となった少女と、制服姿の女が敷地前で土下座をしている。


 二人を支えるかのように大男が傘を差しているが、少女と女が水浸しになるのは言うまでもない。


 それから次の日も、その次の日も三人はやってきては何も言わず、ただただ目の前の家に向かって謝り続けた。

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