第10話

 ボーっと天井を見上げる。


 外は少し暗くなりかけていて、そろそろ夕飯を食べないといけないと思うんだけど、お腹が空いたとか、そういう気持ちよりも、耳元に「お兄ちゃん!」という言葉が残り、自分の心臓の音しか聞こえなくなった。


 何もやる気が起きない。


 そんな僕を心配してか、テンちゃんは心配そうに僕の頬を舐めたり、大根を持ってきてくれたりするが、指一つ動かない。


 自分の年齢の半分の女子おなごにお兄ちゃんと言われて舞い上がってるのは自覚がある。それくらい僕にとっては衝撃的な出来事だった。


 彼女はまた遊びにくると帰って行ったけど、それからずっとリビングで大の字になり天井を見上げ続けている。


 でも少しこの自分が愛おしく思える。


 今日は両親とおばあちゃん以来となる、自分にとっては初めて他人と普通に話して、一緒にご飯まで食べた。この先、二度と訪れないであろう出来事ばかりだ。でも彼女はまた来ると言って帰って行った。


 人に期待しないで生きていくと決めたはずなのに…………人という醜悪しゅうあくな生き物を二度と期待しないと決めたはずなのに…………どうして僕はまた人を期待してしまうのだろう。


 また裏切られるかも知れないのに、彼女の満面の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。


 彼女の満面の笑顔と、あの時の女の醜悪な笑顔が重なる。


 一気に腹の奥から逆流するものを感じて、急いでそこからトイレに駆け込む。


 久しく発作していなかったのに……何故…………いや、理由は知っている。彼女と過ごしたたった数時間が僕にとっては眩しすぎるからだ。


 この寿命が尽きるまで野菜と共に暮らしていくと覚悟したし、そう思っていた。


 でも世界は僕を許してくれなくて畑は焼かれて…………でも野菜のダンジョンが生まれてくれて、テンちゃんが念願の僕のペットとなる従魔になってくれて、そして、彼女に会えた。


 もう一度……もう一度だけ人を……信じてみたく……なった。




 ◆




 次の日。


 神崎さ――――いや、そう呼ぶと怒られてしまう。今は千聖ちゃんと呼ばないといけない。


 彼女からは絶対に二階に入らないように言われている。自分も一緒に入りたいそうなので、新しい野菜との出会いを我慢して、今日も大根モンスターたちと戯れる。


 念のため倉庫に置いている十本の大根を消費したので、補充分だけ収穫して、本日食べる分を家に運ぶ。倉庫に十五本積みあがった。


 テンちゃん曰く、もっと沢山食べて欲しいと言われたけど、大根だけでもこの消費量が限界だ。これ以上は少し厳しい。


 と、丁度運び終わってからダンジョンに向かおうとした時、敷地玄関口でとある人の視線を感じた。


 振り向いたそこには、汚れ一つない綺麗な白いスールに、すらっとした体形、顔も整っていて誰が見ても美男子と思える男性が僕を見つめていた。


 綺麗なブルーサファイアのような瞳と金色に輝く髪から日本人ではなく外国人だと一目で分かる。


「失礼。中に入らせて頂いても?」


「ど、どうぞ」


 返事をすると、どこか優雅さ溢れる歩きでこちらにやってきた。


「初めまして。私はアルフレッド・ティガールと申します。アルと呼んでください」


「アル……さんですね。僕は佐藤彩弥といいます」


「ええ。存じております。報告・・は受けていますので。こちらの用件ばかりで申し訳ございませんが、ダンジョンを見せて頂いても?」


「ど、どうぞ」


 何故か抗うことができず、素直に案内する。


 すっかり黒ばんでしまい元の姿の影も見えなくなった畑。その中央には無骨に地下に続く階段がある。灰は既に掃除を終えているが、死の土地となったここは、ダンジョンを消さない限り、もう二度と作物を育てられない土地となっている。


「なるほど……死の土地…………本当にダンジョンがここになっているのですね。このダンジョンの攻略はなさっていますか?」


「い、いえ」


「ふむ? ダンジョンを消さないと畑はもう戻りませんが、それで良いのですか?」


「え、えっと……このダンジョンから得られるものも多いので」


 そう答えると、一瞬だが彼の顔に怒りの表情が浮かぶ。


 ほんの数秒だったが、彼の顔が印象的だった。


 すぐに顔を緩めた彼は小さく「そうですか……」と呟き、ゆっくりとダンジョンを降りようとした。


「!? ダンジョンに降りれない……なるほど。ここは貴方のダンジョンとなったのですね」


「そ、そうです」


「…………」


 小さく溜息を吐いた彼はそのまま玄関に向かって歩き始めた。


「失礼しました。くれぐれもダンジョンに呑まれないよう気を付けてください。あ~それと、これはお詫びの印です」


 といいながら少し離れた場所にいつの間にか取り出した分からない銀色のアタッシュケースをその場に置いた。


「私の会社の部下が大変失礼をしたようですから。これで許されるとは思いませんが、ここにダンジョンができた以上、全てが終わり・・・です。これはせめてものつぐない――――いや、ただの偽善かも知れませんね」


「す、すいません! 貴方は一体……!?」


「ああ、自己紹介は中途半端でしたね。私は――――――解水不動産にこの一体の開発を任せているティーガル社を営んでいる者です」


「!?」


「本来ならそのダンジョンが生まれない・・・・・ようにしたかったのですが……残念ながら失敗したようですね。いずれ貴方にもダンジョンの意味が分かる日が来るでしょう――――まあ、その時は時すでに遅しでしょうけど。アタッシュケースの中身はご自由にお使いください。では、もう二度と会うこともないでしょう」


 そう言い残した彼は颯爽とその場を後にした。


 不思議な力を感じる彼の言葉に、得体の知れない恐怖を感じて全身から脂汗が出る。


 ポツーンと残されたアタッシュケースを家の中に持っていき、中身を開いた。


「な、なんじゃこりゃああああ!」


 思わず声に出してしまうくらい、アタッシュケースの中には――――、一万円札束がびっしりと詰まっていた。

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