第5話

 空いた腹にみずみずしい大根の旨さが広がっていく。


 育て方によっては辛みが強くなったり、甘みが強くなったりする大根は、野菜の中でも王様と呼ばれるに相応しい代表的な野菜である。


 どんな食べ方にもできて、時には大根ステーキで主役に、時にはおろして付け合わせに、時には鍋の中で存在を表す。


 そんな野菜の王様と称されている大根を僕は今まで何度も味わってきた。もちろん今まで食べてきたどの大根も存在感があり、忘れられない美味しさだった。


 でも、今食べている大根は、今まで食べて来た全ての大根と一線を画すモノになっている。ほんのり辛みの中、どこまでも広がる野菜の甘味は、まさに極上。


 気が付けば根の部分を全て食して、少し緑色になっている茎部分と大きく羽を広げた葉がまるで孔雀くじゃくの飾り羽のように美しく広がっている。


 茎部分をかじる。ほんのり苦みが口に広がった後、根部分とはまた違う甘味が感じられる。根程強い甘味ではないが、癖のない美味しさで、噛めば噛む程旨味が溢れて来る。


 何度も噛みながら食べ終えると次は葉の部分が残る。


 ゆっくりと嚙みしめると、緑野菜の独特な臭みにも似てる味が口の中に広がる。


 人によってはこの味が嫌いだという人もいるが、青臭さすら美味しく感じる。いや、実際に美味しい。


 青臭いのに美味しいという不思議な感覚だ。こう体が緑野菜を求めていたと言わんばかりに、どんどん食べ進める。何という旨さだ…………気が付けばあっという間に僕の両手から大根が消えていた。


「ありがとう。大根モンスター」


 そして、僕は両手を合わせて食材となってくれた大根モンスターに祈りを捧げた。


 絶望から味わった野菜の旨さが体中を巡ると、体の中からものすごい元気が溢れ出て来る。今すぐにでも走り出したいくらいに。


 一度体を起こしてクワを拾ってダンジョンを歩き進める。


 その時、ある視線に気づいた。


「な、なっ!?」


 思わず声をあげてしまった視線の先に、僕を見つめている視線は一つだけでなく無数にあった。そこには――――




「だ、だいこおおおおおおおおおおおおおん!」




 信じられない。


 一面びっしりと並んでいる大根モンスターたちがつぶらな瞳で一斉に僕を見上げていた。


 仕草も僕に食べられた大根モンスターとそっくりで、彼らからも敵意は感じられず、寧ろ羨望せんぼうの眼差しを向けていた。


「こ、ここは天国だ! こんなにも愛くるしい大根たちが住んでいるなんて! 何て幸せな天国なんだあああ!」


 クワを投げ捨てた僕は迷うことなく大根モンスターの群れに向かって走り込んだ。


 大根モンスターたちも僕に向かって一斉に走って来て、僕達は時間を忘れて戯れた。




 ◆




 とある事務所。


「な、何だと!」


 テーブルを強く叩くのは、真っ黒いスーツとサングラスをしている大柄の男で、その前に震えているのは彩弥との契約を取れなかった男だ。


「す、すいません! あの田舎者がいつまでも畑を売らないものでして…………」


「バカ野郎! 売ってもらえるようにあらゆる手を使えと言っただろ!」


「あらゆる手を試したんです! 相場の十倍の額の提示も、タワーマンションに引っ越しの提示も、都会への引っ越しの提示も、女も、何もかも効かなかったんです! もしかしてと思い男も当てて見ましたがやっぱりダメだったんです!」


 男の必死さにサングラスの男が少し驚くが、今までの鬱憤うっぷんを晴らすかのように続けた。


「あいつ本当におかしいんです! 野菜を見ている時、本当に気持ち悪い笑い方をするんです! あんな強面のくせに、今にも野菜をぐちゃぐちゃにして涎を垂らしながら変な笑い方をしそうなんです! 実際していたんです! 大根を引っこ抜いて気持ち悪い笑顔をしていたかと思ったら……近くにあった葉っぱを急に折り始めて、気持ち悪い笑顔をしながら泣き始めてたんです! 今でもあの時の姿が夢に出るんです! お、俺だって頑張ったんだ! あいつがいつまでも……野菜に向かって気持ち悪い顔をして土地を売らないからああああああああ」


 男は悔しいのかその場で大声で泣き始めた。


 サングラスの男も困った「お、怒って悪かった。落ち着け落ち着け」と男に寄り添って肩を優しく叩いてあげた。


 男は知らなかった。


 大根というのは、土から抜いてしまうと長生きさせることができない。そこで成長を遅らせるために普段から栄養を多く吸い取る葉を取ることで大根を土の中で長く生きさせることが出来るのだ。


 彩弥は自分が食べる分しか収穫せず、育った大根が無駄にならないように成長した大根の葉を自らの手で折り、大根の気持ちになって泣いていたのだが、それを知る者は亡くなった彩弥のおばあちゃんのみ。男にとって彩弥は奇行に見えて恐怖の対象になったのだ。

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