3. change③
重たい体で、
校舎にもたれかかりながら、携帯端末をいじる。任務失敗を報告しなければいけなかった。
横で眠っているナガレを医務室に連れて行きたいので、その人手も欲しいところだ。
「もしもし、リカちゃん。」
「ナガレさん、じゃないっすね。ワドさん、どうかしました。」
ああそっか、ナガレの端末から通話しているので驚かれる。
「ごめん、鍵を開けるのは無理だった。図書室から逃げたんだ。アクマには噛まれてない筈だけど、ナガレの様子がおかしいからテツ君に運んでもらいたくて。」
「わかりました。急ぎテツを向かわせるっす。リーダーとマドカさんにはあたしから連絡しておくんで、ワドさんも休んでいてください。」
気の回る子だ。僕も単純みたいで、そう言われると身体中の力が抜ける。
***
夢を見た。
小学三年生くらいの頃の、遠い昔の記憶。
思い出すことが奇跡だと思えるくらい、何の変哲もない日常の一部だった。
その日、僕は教室の掃除当番で、僕が真面目に掃除をしている傍ら、同じ班の人たちは箒とちりとりでカーリングごっこをして遊んでいたんだっけ。
「なんで自分だけは真面目に掃除してたって言わないんだよ。」
先生に怒られた後、ナガレにも怒られた。
「止めなかったんだもん。共犯だよ。」
この時から僕は他人に優しすぎたのだと思う。損ばかりしていたし、こんな自分が情けなかった。ナガレの、嫌なことは嫌だと言える性格が羨ましかった。
「僕もナガレみたいに、自分の気持ちに自信を持ちたいな。」
「そうか?俺は今のワドみたいに、優しい方がいいと思うよ。」
恥ずかしげもなく、よくそんなことを言えたと思う。
「僕たち、反対だった方が幸せだったかもね。」
例え話だ。まさか本当に替われるわけがないとわかっていた。小学生の戯言だ。
「本で読んだんだ。友だちと体が入れ替わる魔法。ねぇ、魔法の呪文を唱えてみようぜ。」
ナガレは本気みたいだ。先生が、本に書いてあることは正しいって教えていたから、ファンタジー小説も信じたのかもしれない。馬鹿なやつだ。
でもそんなナガレを見て、僕もつられて希望を持ってしまったのだと思う。
二人で両手を握って、魔法の呪文を唱えた。
「change」
呪文なんて知らなかったので、唱えたのは使い道のない、学校で習った異国語だった。
僕たちにはそれで充分だったのだ。
次の瞬間、僕はナガレになっていた。目の前にはワドがいた。
「すげぇ、ワドになってる。」
「ワドはすげぇ、なんて言わないぜ。」
ナガレを真似て、そんな言葉使いをしてみる。驚く程しっくりきた。
ワドは目を丸くしながら
「ああ、そうだね。」
と答えた。
この時、すぐに戻ればよかったんだと思う。しかし当時のナガレたちは、そんなことを微塵も考えていなかったのだ。
「ねぇ、僕がワドの家に帰ればいいんだよね。ワドのお母さん、美人だし、家大きいし、羨ましかったんだ。」
それまでナガレだった者が、そう言った。ナガレには止められなかった。ワドもまた、ナガレの家族に憧れを抱いていたからだ。
その日ナガレは、それまで
実母も、イチゴ夫婦も、ぎこちない笑顔で受け入れてくれた。
見た目は完璧に替わっていたはずなのに、今思えばバレていたのだろう。科霊学園の関係者ばかりの家系だったからかもしれない。
しかしその関係も長くは続かなかった。
受け入れるフリに限界がきたのだろう。僕の関わり方が悪かったのかもしれない。
実母はある日突然姿を消し、正式にナガレはイチゴの養子になったが、その後すぐに義理の父は海外赴任になった。
イチゴも、ミロクも、誰も何も言わなかった。
ナガレだけが、ワドであったことを忘れ、のうのうと過ごしていた。
***
次に気がついた時には、マドカの背中だった。
「あ、ワドさん起きましたね。」
隣を歩くリカが真っ先に気が付く。ワド、と呼び慣れない名前で呼ばれて我に返った。ナガレはテツに背負われていて、相変わらず意識は無さそうだ。
この子たちは、僕とナガレが入れ替わっていることを知らない。正確には、僕とナガレがずっと入れ替わっていたことを知らない、だ。
小学生の頃から、僕たちは魔法で入れ替わっていた。学園の外でも魔法が存在することもわかっている。長年、無意識にかかっていた魔法が、図書室に入ったことで解かれただけ。
「マドカちゃん、重たいでしょ。降ろしていいよ。」
中庭を横断して、教室棟に入るところだった。医務室に運んでほしいと言ったのは僕だ。
「大丈夫さ。大変だったのだろう、少し休むといい。」
ほとんど説明できていないのに、マドカは状況から把握してそう言った。
「クルミ君の魔法のおかげで、重さなんて感じないからね。」
医務室は教室棟に入ってすぐ、一階の端から二つ目の部屋である。そんな話をしていると、すぐにたどり着いた。
「開いてないっすね。放課後だし、先生帰っちゃったっすかね。」
リカが鍵のかかった扉をガタガタさせながら言う。
「理事長室に行きましょう。ミロク君なら大抵いるはずよ。」
クルミは慣れたように歩きを進め、同じ階の少し先にある部屋の扉をノックした。理事長室。入ったことのない部屋だ。
「ミロク君、私よ。緊急事態なの。」
そう言うと、すぐに理事長から返事があって、クルミは臆せず扉を開けた。
中はカーペットや木製デスクが完備された、いかにも偉い人がいそうな部屋。奥の机に理事長がいた。
僕はふかふかのソファに降ろされて、クルミが状況を説明するところをぼんやりと見ていた。
「状況は大体わかった。
理事長に言われるがまま、マドカとリカが廊下に追い出される。
「私は。」
「ミミはまぁ、部外者とは言えなくもない。聞きたくないなら外に出ていてもいいけど。」
「そう。じゃあ聞いてるわ。」
クルミは即答して、僕の隣に座った。向かいのソファでは、ナガレはまだ目を覚まさない。
「ナガレは大丈夫なんですか。図書室に入ってから、様子がおかしくて。」
気になって理事長に聞いてみる。僕との入れ替わりについても、説明したほうがいいだろうか。
「大丈夫だと思うよ。学園外で魔法が使えることも知っているんでしょ。」
理事長は気楽そうにそう答えた。ポカンとしているのは、隣にいるクルミである。
「魔法っていうものは、本来は誰もがどこでも使えるものだったんだよ。
魔法はイメージだ。理解していなくても、概要を掴めていれば実現できる。だって素数も円周率も、分からないことだらけなのに教師は教えられるだろう。それと同じだ。
それが政治的に問題になって、大昔に存在が抹消された。知らなかったら使うことはできないからね。それを学園内のみで使えると言い聞かせて、独自の体制をつくったのが、この科霊学園というわけだ。わかった?」
理事長がざっくりと説明する。
「わかったけど、その話は魔法科学部にいた時に教えてほしかったわね。」
「俺も理事長に就いてから知ったんだもん。」
それで、と一息ついてから理事長は続けた。
「話は変わるけど、とある一人の男の話をしようか。
「ヒカリ君ね。
クルミが横から口を挟む。例の問題児集団の一人か。
「ヒカリは変わった奴だった。大学を出て、魔法を使うために教師としてこの学園に戻ってきたんだ。
とても生物学に興味があった人で、自分の体から命を産み育てたいと思ったのだろうね。彼は魔法で自身の身体構造を組み替え、ひとりでみごもった。
そして生まれたのがナガレだ。」
突飛な話だった。
「それじゃ、ナガレの存在そのものが魔法じゃないですか。」
魔法で生まれた人間。図書室に入ってから様子がおかしいのは、そのせいだろう。
「その点はグレーだ。確かに、彼は魔法が無いと生まれない人間だった。でも魔法がかかっていたのは、あくまで親の体であって、ナガレ君そのものに何か施されているというわけではない。俺も出産に立ち会ったけれど、人間から生まれた人間の子だよ。」
知らなかった。幼馴染だったのに。何年も
こんな特別な人間が、
僕がナガレじゃなければ、きっともっと素敵な人生を送れたかもしれない。僕が落ちこぼれにさせた。ナガレのお父さんが海外赴任で全然家にいないのも、僕の愛想がないからだ。裏口入学なんて頼らずに、もっといい高校に進学していたかもしれない。
僕がナガレの人生をめちゃくちゃにした。替わったのが僕だったから、ぐちゃぐちゃになった。世界に一人の人間の人生を、何も知らずに僕が使ってしまった。
「ワド君、戻ったんだろう。どうだい、十年ぶりの
見透かしたように、理事長が聞く。どうだい、なんて言われてもわからない。僕は罪悪感に潰されそうだ。
女たらしで気弱で大嫌いだった人間に戻って、ちっとも嬉しくないのに。ナガレにナガレを返してあげられて良かったとも思っている。反吐が出るほどにお人好しだ。
「帰りたくなければ、親御さんには適当に話しておくよ。ナガレと一緒にイチゴの家で暮らせばいい。クラスもA組が良ければ理由をつけて替えておく。」
提示されたアフターケアはばっちりだ。理事長の権限では簡単なことか。
「けっこうです。僕はナガレじゃないから。
「本当に?君たち、無意識に入れ替わるくらい元の生活に不満があったのだよ。」
やっぱり、きっかけはそれなのか。心当たりが全く無かったわけではない。でも正確には、
「不満があったわけではありません。ナガレの生き方が、少し羨ましかっただけです。」
信じたことに迷わず進める行動力とか、血がつながっていなくても仲が良い家族とか、そういうものに憧れていただけだ。全部、
「そうか。ならいいんだ。きっとナガレも同じことを言う。何か困ったことがあったら言いなさい。」
ナガレが僕を羨むだろうか。
優柔不断で人たらしで、損ばかりするような人間だ。共働きの親に放置されるような人間だ。何を羨んだんだろう。理事長は教えてくれなかった。
クルミはわけもわからずキョトンと見ていたが、何も聞かなかった。
***
しばらくするとナガレは目を覚ましたし、案外ケロッとしていた。自分の状況も早々に把握して、受け入れたらしい。そういうところが羨ましいんだよなぁ。
「君たちは帰りなさい。ナガレは俺が送って行くから。」
そう言って理事長は僕たちを学園から追い出す。
「ミミ、あまり無茶をするなよ。」
「魔法科学部のとき程じゃないじゃない。」
もっと無茶苦茶だったんだ。聞きたいような、聞きたくないような。聞いたところで、目新しさはあっても共感はできないんだろうなぁと想像できる。
「ワドさん、家の方面同じじゃないっすか。一緒に帰りましょ。」
ぎこちなく笑いながら、そう誘うのはリカだった。
「ワドさん、なんだか様子が変っすよ。何かあったんすか。」
リカの指摘は的確だ。他の部員に比べたら、ワドと一緒にいた時間が長いからかもしれない。
全て話してやろうか、とも頭をよぎった。
でも話してしまったら、僕がナガレだったと伝えてしまったら、リカは僕のことをどう見るのだろうか。僕を
「言えないことだよ。」
「そっすか。」
リカの返答は短かった。
しばらくの沈黙の後、
「ワドさん。」
とリカが言った。真面目な口調で。
「詳しく話せなくても、何か困っていたらあたしを頼ってほしいっす。あたしが困ってたときに助けてくれたのはナガレさんとワドさんなんで。」
なんだそれ。
結局僕じゃん。
「そうだね、困ったら真っ先に君を頼るよ。」
ナガレならジュースの一本でも奢らせていたかもしれないけれど。僕は笑ってそう応えるのが精一杯だった。
***
帰宅して、自宅の扉に手をかける。
そういえば、この家に帰るのも十年ぶりだ。
家にあまりいい思い出はない。
学校から帰ってきても誰もいなくて、寝る支度を始めたころに帰ってくるのがうちの親だった。それでいて僕は馬鹿だから、今日は家にいるかもしれないと期待して、いつも鍵を回す前に扉をひくのだ。しかしやはり施錠された扉がガチャンと鳴るだけで、家の中には誰もいないのである。
そんなことを思い出しながら扉を引くと、あっさりとそれは開いた。その先には、明るい廊下が伸びている。懐かしい間取りだ。
「おかえり。遅かったわね。」
久しぶりに聞く、母の声だった。
「母さんは早いね。」
「いつも通りじゃない。誰かさんが一緒にご飯を食べたいって言うから早く帰ってきてるのに。」
ナガレらしい。あいつは甘えるのが上手だから。仲のいい親戚がたくさんいて、理想的な仲良し家族だった。それがたまらなく羨ましかったんだ。
「これから遅くなるかも。部活に入ることにしたから。」
「ナガレ君と一緒の部活ね。また遊びに呼んでもいいわよ。」
母が嬉しそうに言う。そういえば、時々ナガレを家に呼んで遊んでいたっけ。それもいいね、と僕は適当に返した。
数年ぶりの実家生活は、案外問題なく進むものだった。夕食や入浴を済ませて部屋に戻ると、机の上に英語の教材が散乱している。
そういえば、今日から僕は英語科の首席というわけだ。
日記。
棚の中にそれらしい厚いノートがあるのだが、見てもいいのだろうか。僕が
ええい、僕はノートを開いてみた。恥ずかしいことが書いてあったら、見なかったことにして閉じよう。
「あいうぃる、らいと、あ、だいありー、えぶりでい。」
英語だ。少し考えれば僕でも読める、簡単な英文。
首席はこんなふうに勉強しているらしい。
びこうず、あいきゃんごーとぅーかれいはいすくーる。みすたーかなやま、あどみってぃど、まいあどみっしょん、とぅでい。
あいきゃん、びかむ、あ、はいすくーるすちゅーでんと。
『今日、理事長が僕の入学を認めました。
僕は高校生になれます。』
入試にしては遅すぎる時期だ。それまで進学先が決まっていなかったみたいな文章。理事長が直々に認めた入学。
僕は早々に、授業についていくことは諦めたのに。
2/3ほど埋まったノートをパラパラとめくり、新しいページに英語を綴った。
あい、ばっくど、まいぼでぃ。
時間をかけて書いた英文は、後から調べてみるとaとeが入れ替わっていたり、冠詞がところどころ抜けていて、酷いものだった。それでも、ここから始めようと思う。
僕は英語科首席、
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