3. change②


 それから二週間、放課後の時間は特別教室棟の探索に費やされた。

 場所ごとのアクマの発生量、三つ眼のアクマの割合など、携帯端末のマップにデータを記録しながら、歩き慣れない特別教室棟の構造を把握する。

と言っても、直線状に、通常教室よりもやや広い部屋が五つほど並んでいる普通の校舎だった。いつも使っている教室棟との違いといえば、廊下や階段が狭いことくらいだ。特に階段は、人がギリギリすれ違うことができるくらいの幅しかなかった。

 これが厄介で、一度だけ二階の探索を目指して階段を登ったが、踊り場までも辿り着けず引き返すことになった。

 元々、階段は高低差によって見通しが悪いのだ。踏み外す危険もあるので、アクマが湧くと足元に気を配りながら戦う必要がある。さらにこの幅は、魔法を使うには狭すぎるのだ。ナガレがビームソードを振った際には、壁に肘を強打して痛い目にあった。

 実体を持たないハロやオージンを送り込んだこともあったが、二階に辿り着いてからしばらくすると魔法が消失したらしい。原因はわからないままだが、とにかく失敗に終わった。

 結局、探索ができた場所は特別教室棟の外周と、一階だけである。


 「日によって発生量にバラつきがあるのだよね。」

 下校前、マドカが携帯端末に今日のデータを打ち込みながら、そう呟いた。場所ごとのアクマの発生量を表す折れ線グラフは、激しい波線を作っている。ナガレにデータを分析する能力はないが、体感でも分かる程に、日によって違いがあった。

 「ええ。このデータを基に、アクマの少ない日を狙って二階まで探索をしようと思うの。」

 なるほど、そのためのデータか。さすが魔法科学部の部員。やり方が研究者っぽい。

そう言いながらクルミが、ポケットからジャラジャラと金属音のなるものを取り出した。大量のストラップに埋もれていたものは、大きめの鍵である。

 「ミロク君から預かった、特別教室棟と渡り廊下を繋ぐ扉の鍵よ。内側からしか開けられないけれど、一度開けてしまえば、それ以降は二階から校舎に入れるわ。」

 そういえば、教室棟と特別教室棟を繋ぐ渡り廊下が、各階の東と西に設置されている。全く利用する機会が無いので忘れていた。

 「ハロなら扉までは行けそうっすけど、実体のあるものには触れないんすよね。」

 リカが残念そうに言う。実体を持たないからこそのデメリットだ。クーロンを頼れないとなると、誰かがこの鍵を差しに二階まで進むしかない。五人で行動してもいいが、階段が狭すぎて、多人数であるメリットが無いことも事実である。

 「僕とナガレで行けばいいんじゃない。僕たちなら三つ眼のアクマに噛まれても、魔法使えるし。」

 そう名乗り出たのはワドだった。なぜかナガレも巻き込まれている。確かに、マドカやリカとは違って、勉強嫌いのナガレが好きなものを食われたところで魔法は使えるのだが。

 「噛まれる前提かよ。」

 「もしもの話だよ。魔法が使えなくなったら逃げることもできないでしょ。」

 ワドが当然のように言う。何も間違っていないのだが、

 「お前、俺を盾にする気だろ。」

 「もちろん。僕の魔法は近距離で戦うのは向いてないもん。ナガレなら女の子たちと違って、心置きなく見捨てられるしね。」

 ワドがあざとい笑顔で言う。こいつが悪魔なのかもしれない。

 「私も、魔法はきっと忘れないのだけど。」

 とクルミが控えめに名乗り出た。言い出しっぺのクルミなので、元々自分で行くつもりだったのかもしれない。

 「クルミが魔法科学部のことを忘れたら、オカルト部が目的を見失うだろ。」

 それでは意味がないのだ。クルミだけは三つ眼のアクマから守らなくてはいけない。

 「それに、まだデータが正確とは言い切れないからね。外から異変が無いか見ている人は必要だ。」

 ワドもそう付け加える。クルミは「そうよね。」と少し悲しそうな顔をして引き下がってくれた。


 データの入力が終わり、今日はお開きだ。各々、校門を出てそれぞれの方向へ帰っていった。ナガレもそれに続いて帰路につこうとしたが、

 「クルミ、いつもどこに帰ってるんだ?」

 とふと疑問が湧く。三十年前からタイムスリップしてきた高校生が、寝泊まりできる場所なんてあるのだろうか。

 「後輩の家で居候しているわ。ここの近くで定食屋をやっている子がいるのよ。」

 そういえば、クルミが昼休みに美味しそうな弁当を食べていたのを見た気がする。問題児だらけの魔法科学部でも、真っ当な仕事には就けるものらしい。

 「当時は数学科首席で、数学が大好きな子だったけれど。アクマに食べられて退学したそうよ。」

 短い説明の中で、只者ではないことは垣間見えた。

 「三つ眼のアクマか。」

 大好きな数学を忘れてしまったから、退学を余儀なくされたのだろうか。そういうことなら、「アクマに噛まれたら退学になる」なんて噂は誇張表現である。

 「それは違うわ。当時は一つ眼のアクマしかいなかったから。あれに噛まれると」

 そう言いかけてから、「あ」と何か思いついたように付け足す。

 「その子、ガク君と仲が良かったわ。何か知っているかも。帰ったら聞いてみるわね。」

 「あんまり深掘りするなよ。」

 クルミは人との距離感の掴み方が下手くそなので心配だ。部員に隠し事をしないし、プライベートとパブリックの境目がぐちゃぐちゃなのだ。いくら先輩後輩の関係とはいえ、その人にだって話したくないことはあるのだろう。クルミは放っておくと、どこまでも踏み込みそうなのである。


***


 数日が経って、『渡り廊下鍵開け作戦』が十分に練られた頃に、アクマが減る周期が回ってきた。

 「あまり無理しないでおくれよ。駄目なら作戦を立て直すからね。安全第一だ。」

 マドカが念を押す。撤退できれば何度でも立て直せるが、一つ眼のアクマに噛まれて退学、なんてことになれば戦力が減ってしまうのだ。それは避けないといけない。

 「何かあれば、すぐ連絡しなさい。」

 クルミがそう言って、持ち場の方へ歩いて行った。クルミとマドカは、教室棟から東西の渡り廊下に先回りしておき、逃走経路を確保しておく係だ。

リカは特別教室棟の外周に、クーロンたちを配置して様子を見ている。

久々に見たクーロンたちは、学園外でのことなんてまるで無かったかのように、リカに従順だった。

 しばらく待つと、三人から持ち場についた旨の連絡が届く。

 「行くぞ、ワド。」

 「うん、準備はできてる。」

 緊張もあるが、最悪の場合は窓を蹴破ってでも逃げよう。ナガレとワドは、建物中央の扉から特別教室棟に足を踏み入れた。


 特別教室棟の中は、暗闇だ。照明が壊れているのか、使わないから切ってしまったのか、理由は定かではないが、スイッチを押しても明かりがつかないことは調べ済みだ。

 「bright」

 ワドの呪文で、進行方向が明るくなる。懐中電灯要らずだ。

 「便利な魔法だな。」

 「べつに。そうでもない。」

 この女たらし。女の子がいないと素っ気ないのだ。

 ナガレもビームソードを取り出し、慎重に進む。予想通り、アクマの数はかなり少ない。十体も倒していない内に、二階へと続く階段にたどり着いた。

 ナガレは深呼吸をしてから、目線を上にあげる。

 図書室の手前の、狭い階段。踊り場を介してつづら折りの構造をしており、見通しがかなり悪い。

 ナガレはビームソードの長さを少しだけ短くなるように調整した。これで狭い階段でも振れるはずだ。

 「そんなことできるんだ。」

 「ああ、マドカに教えてもらったんだ。値域がナントカ、あんまりよくわからないけど、長さを変えられるらしい。」

 「よくそれでA組にいられるよね。」

 ワドが呆れたように言う。

 見えているアクマは階段の脇に三体。踊り場に一体。どれも一つ眼だ。それ以上は見えないが、おそらく上階にはまだまだいる。先陣を切って、このアクマたちを蹴散らすのがナガレの仕事だ。

 「行ってくる。」

 ナガレはアクマから目を逸らさずに、階段に足をかけた。

 「tough - healthy - yielding」

 ワドが呪文を唱えると、身体が軽くなるのを感じる。英語の意味はわからないが、かなり自由に動けるのだ。

 ビームソードを振って構え、まずは階段脇のアクマを切る。避けられる前に一体、その切り返しで反対側の二体を斬る。次に飛びかかってきた踊り場のアクマに視線を移し、体をかがめて避けた後に背後から斬った。

 踊り場で体を翻し、視線をさらに上にすると、そこには三ツ眼のアクマが五体。想定より多いが、突破はできるだろう。

 「ワド、来ていいぞ。」

 それだけ言って、ナガレは再び足を進めた。先ほどと同じ要領でアクマたちを斬り倒し、先へ進む。

 階段を登った先は未知数だ。ビームソードの長さを戻してから、そっと廊下に顔を出す。

 「様子は。」

 追いついたワドが小声で聞いた。

 「アクマは十体以上いる。まだバレてないはずだ。」

 暗い廊下で、何かがうごめく気配があった。しかしこちらを狙ってくるような動きではなかった。

渡り廊下に続く扉の一つは、廊下を横断した先だ。東西二つの扉を開くのが理想だが、難しいなら一つでいいと言われている。

 行くぞ、とワドと目を合わせようとした時、

 「う」

 と短いうめき声をあげて、ワドは膝をついた。それからすぐに、むせたように咳をする。見覚えのある様子だった。先日、学園の外でオージンと対峙した時によく似ている。

 「あれ、人間だったの。ごめんね、この前の女の子は水になったからさ。」

 三階に続く階段から、音を立てずに人が降りてきた。後ろに五体、三つ眼のアクマを引き連れている。物理講義室にいると思っていた、クルミの後輩だ。五十歳近いはずなのに、三十代くらいに見えるおじさん。理事長然り、この学園で過ごす大人は若く見えるのかもしれない。鮮やかな赤い長髪はボサボサで、首元や白衣の袖の隙間から、無数の眼を黄色に輝かしている。

 「君たちは学園の生徒?今助けてあげるからね。」

 そう言って桜山さくらやまガクは、腰にぶら下げていたフラスコから栓を抜いてひっくり返した。

 黒色の液体が廊下に広がり、シャボン玉のように球体状になって浮き上がる。訳がわからず見ていると、宙に浮いた球体が、三つの眼を開いた。

 「アクマか。」

 ナガレとワドを目掛けて飛んでくるアクマを、ナガレが急ぎビームソードで斬る。真っ直ぐに飛んでくるので、数が多いばかりで難しいことではなかった。こわばっていた体がほぐれる。

 「どうして斬っちゃうの。助けてあげようと思ったのに。」

 もう一つのフラスコに手をかけながら、桜山さくらやまガクは言った。

 「好きなことがたくさんあると疲れるでしょ。好きなものに裏切られると辛いなら、何も好きにならなければいいんだよ。君たちもそう思わない?」

 ナガレは頭には、無数の選択肢が上がっていた。

 この人に聞きたいことはたくさんある。

 でも、今優先すべきは渡り廊下の鍵を開けることだ。

 しかしこれ以上アクマと戦うのなら埒が明かない。

 どうすればいい。

 「ナガレ、逃げるぞ。」

 息を整えたワドが、ナガレの手首を掴む。

 目指すべき扉に背をむけ、登ってきた階段を駆け下りた。

 校舎中央の出入り口よりも近い、図書室の方向へ進路を曲げる。

図書室は不戦場。魔法が使えない、アクマも入れない特別な場所だ。前に入ろうとした時には、息苦しさを感じて断念してしまったが、そんなことを考えている場合ではない。鍵が開いていることも確認済みだった。

 ワドが勢いよく扉を開き、二人で倒れ込むように図書室に逃げ込む。


 図書室に入った途端、体が鉛のように重たくなった。ワドが体にかけていた魔法が、強制的に消えたからだろう。

 追ってくる気配があったアクマは、入り口のところに黒色の水溜りを作っている。魔法が存在しない空間、というのは本当らしい。入ってみると、息苦しさは案外感じないものだ。

 「ワド、無事か。」

 そう問いかけたが返事はない。ナガレは重たい体を起こすが、ワドは床に倒れたままだった。荒い呼吸の音が聞こえる。先程の喘息のせいとも、様子が違う気がした。

 「ワド。ねえ」

 体を揺する。

 彼はぼんやりと目を開いた。弱々しく口を開いて、

 「無事でよかった、ワド。」

 荒い呼吸のまま、それだけ言ってまた瞳を閉じた。その顔は、見慣れた築地口ちくじぐちワドではない。

 整った眉、吊り目がちな瞳。

 顔だけではない。冴えない茶色の短髪も。

 その姿は、岩塚いわつかナガレだった。

 「ねえ」

 反応しなくなった体を起こし、助けを求めようと周りを見渡す。どうしよう。もう頭の中は真っ白だ。

 壁にかかっていた鏡の中の人物と目が合う。

 頼りないタレ目の童顔と緑髪。

 僕は、築地口ちくじぐちワドだった。

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