2.机上のクーロン③
「テツ、話があるんだけど。」
校門より少し手前、昇降口を出たところで待ち伏せし、帰宅前のテツを引き止める。
「俺も用事あるんだけど。」
そう言うテツの視線は、校門で誰かを待つリカに届いていた。昨日のことについて、隠す気も弁明する気もないらしい。
「リカには安心のボディガードをつけておいたから、心配いらないぜ。ゆっくり話そう。」
「ボディガードって、お前が仲良くしてる女の子たちだろ。リカに何かあったら」
そう言いかけたところで、のこのことリカに近づいていく男子生徒がいた。用意したボディガードである。
テツはクルミかマドカに任せたと思っていたのだろう。そんな女子に女子を守らせるなんて、鴨に葱を持たせるようなことはしないのだ。
「君が
女子生徒に人気な童顔と緑髪を持つ、E組の学級委員長。
ナガレがクソ程嫌いな幼馴染でもある。あのクソ女たらしが女子のピンチと聞いて動かないわけがない。クソみたいな性格だが、時には役立ってもらわないと。
連絡先は知らなかったのでマドカに伝言を頼んでしまったことは、申し訳ないと思っている。しかし女子に頼まれて尚更断れなかっただろう、結果オーライだ。マドカには今度お礼にジュースでも奢ろう。
「昨日聞き損ねたんだけど、どうしてストーカーなんてやってんだ?」
リカの方はワドに任せ、ナガレが改めてテツに聞く。
「昨日も言っただろ。リカを守るためだって。」
テツが当然のように言った。ストーカーの厄介なところだ。迷惑をかけている自覚が無いのだ。自分が正しいと思っている。
「じゃ、俺は二人を追うから。」
そう言ってテツが校門の方へ向かおうとするので、ナガレがテツの手首を掴んで制止する。
鉄みたいに硬くて冷たい体だった。
テクスチャを貼ったみたいに、見た目に合わないツルツルな感触。モノを触っているみたいだ。
実体はあるけれど、この感触は人間ではない。リカが話していた粒子の集合体、机上のクーロン。化学元素を擬人化する魔法。元素番号なんて知らないが、たしかに鉄も化学元素のひとつだ。さすがの
そんなはずはない。
テツの片足は校門を越えて、学園の敷地を跨いでいるのだから。その先は学園外。魔法なんて存在しない世界だ。
「
「リカがつくった魔法なんだろ。」
ナガレの問いに、テツの力が緩む。
「わかってるなら話が早い。俺は鉄のクーロン。特徴は延性と展性。」
「そんなことどうでもいい。どうして学園外で魔法が成立してるんだ。」
「知らん。」
いちばん知りたかったことは、何もわからなかった。
「リカ自身もわかっていない。」
テツがそう言い加える。そんなこと、ナガレにはどうでもよかった。どうせクルミかイチゴか、理事長あたりに聞けばわかるようなことだ。
「手を離せ
「どういうこと?」
「今のリカに俺たちを制御する術が無いってことだ。制御できない魔法で生まれた爆弾魔を、一体誰が止めるんだ。」
そう言ってテツがナガレの手を振り解いた。振り向きもせず、学園の外の歩道を早足で進む。その姿は人間そのものだ。
魔法で生まれた爆弾魔。
ハロのことだ。
まさか学園外で能力を使うなんて、そんなことがあるだろうか。誰かに迷惑をかけるとは思えない。人当たりの良い性格だと思った。リカとの関係も良好に見えた。それとも、あの性格はリカが制御して作っていたものだったとでもいうのだろうか。
「待て。俺も行く。」
ナガレは慌てて、姿が見えなくなったテツの後を追った。手には木製の柄を握りしめておく。リカの魔法がなぜ学園外でも発現しているのかは謎だが、いざとなればナガレも魔法を使えるかもしれない。そう思うだけで、ほんの少し心が軽くなる気がするのだ。
物覚えが悪いナガレでも、昨日通ったばかりの道は覚えていた。記憶を頼りに道を選んでテツの後を追う。
いくつか曲がり角を曲がった先に、やっと人影が見えた。風になびく水色のツインテールが、夕陽をきらきらと反射させる。
「ハロ。」
ここにいないはずの人影が、こちらを見てニッと笑う。
ここは川沿いにある、閑静な住宅街だ。もう学園からは、校舎が見えないくらい距離が離れた場所である。登下校の時間を除けば、人に会う方が難しいような静かな場所。
そこに今は、騒がしいほどの人数が集まっていた。ナガレとテツ、ハロ、そしてハロに足止めされているリカとワドである。
「あんまり大ごとにはしたくなかったんだけどなぁ。」
ハロが高い声で、嬉しそうに言った。ハロの前方にはワドとリカ、後方にはナガレとテツが身構えているというのに、余裕の表情だ。魔法が使えない生徒など、脅威ではないのだろう。
「みぃんな殺さないといけなくなっちゃう。ワド君、その子を渡してくれればいいんだよ。」
「言う通りにして無事に済むとは思えないけど。」
わずかに声を震わせながら、ワドは反抗する姿勢をとった。ハロから庇うように前に出て、リカの手を握る。さすが女たらし。頼りになるやつだ。これだからワドに任せてよかった。
「ふうん」とハロは冷たい声で、その態度を受ける。
「
テツがそう叫ぶと同時に、ハロの方へ突っ込んだ。溶けたようにその体が変形し、ハロとリカの間に壁を作る。展性だか延性だか知らないが、テツの能力なのだろう。その隙にワドはリカの手を引っ張り、ハロと距離を離す。
ナガレも加勢しようと、ハロに手を伸ばす。しかしその掌は虚しく、空を掴んだ。
「学園外でも実体は無いのかよ。」
「当たり前でしょ。私はクーロンなんだから。」
テツの能力も健在だったので、当然といえば当然か。
「
テツが何かを予感したように指示を出す。ワドがついているので、あまり心配はしていないが。ハロ相手にできることは無さそうなので、この場はテツに任せることにする。テツの脇を抜けて、前に出た。その瞬間、遠くでワドが地面に倒れるのが見えた。
何が起こったのか分からず、とにかく加速してリカに追いつく。
「ワド」
ワドはアスファルトに膝をついて咳き込んでいるだけだった。喘息などは患っていなかったはずだ。顔を上げたワドは、涙目で口をぱくぱくしながらリカをナガレに向かって押す。
逃げて。
音にならない声で、そう聞こえた。
ナガレはリカの腕をつかんで、振り向かずに前へ進む。
「あーあ、逃しちゃった。もう少しで、僕たちは自由になれたのになぁ。」
後ろから聞こえた声は、酸素のクーロン、オージンのものだった。
息が切れた頃に、やっとリカの家に着いた。
「この先は安全なのか。」
「もう大丈夫っす。」
そう答えるリカの手は震えていた。嘘である。本当に安全なら、このような反応はしない。
「どうすればいい。あいつらはどうすれば消える?」
クーロンたちのマスターはリカなのだ。ナガレには何も分からない。
「わかんないっす。」
感覚で魔法を使っていたリカに、今の状況がわかるわけがなかった。
「学園の外では、あたしはあの子たちを制御できないっす。あの子たちの目的は、きっとあたしを二度と学園に入れないことっす。そうすれば、制御もされず、自由にいられる。あの子たちには、あたしが邪魔なんだ。」
震える声でそう言いながら、リカはふらふらと力なく歩き始めた。
「あたしが消えれば、みんな消える。オージンの魔法でワドさんが死んじゃったら、あたしのせいっす。あたしがいるから、みんな苦しいんだ。テツも、ハロもオージンも、あたしが作ったから。」
そう言いながら進むのは、川が流れている方向だ。リカの視線の先は、もう見えている川の底だった。このまま止まらずに、静かに落ちてしまいそうだった。
いつだっけ。ナガレも、同じように自分のことを責めたことがある気がする。自分のことが嫌いで、生きるのが辛くなって。それで、どうしたっけ。
「魔法の呪文を唱えてみようぜ。」
頭の中で、幼い声がした。
誰の声かは分からない。聞いたことはある気がする。そんなことはどうでもよかった。
「魔法だ。」
ナガレがそう叫んで、リカの腕をつかむ。もう片方の手には、木製の柄が握られている。今はビームソードは出ていないが、魔法が使えるかもしれないと思って持っていたのだ。原理は分からないが、リカの魔法は学園外でも健在だった。ナガレだって、できるかもしれない。
「できるか分からないことに挑戦するのは、得意なんだ。」
ナガレは自分に言い聞かせるように、そう言って柄を構えた。
息を吐いて、呪文を唱える。
「y = ax」
シンプルな比例式。
「出た。魔法。」
学園の中と同じ感覚だ。リカも信じられないというように、目を丸くしていた。
「魔法なら、クーロンも斬れるかもしれない。あいつら斬っていいか。」
マスターの了解を得ておく。リカはこくりと頷いた。
「お願いします。」
もうリカは大丈夫だろう。ナガレの魔法を見れば、リカだって制御できるようになるかもしれない。ナガレはリカから手を離し、走ってきた道を逆走した。
まずはワドを助けよう。あんな嫌いなやつでも、リカのために体を張ったのだ。見殺しにするほど、ナガレも鬼ではない。
走り始めてから、すぐにオージンの姿が見えた。ワドをいたぶって遊んでいたのか、足止めをしていたのか、理由は定かではないが、移動していなかった。オージンはこちらに気がつくと、目を見開いた。ナガレのビームソードにも気付いて退こうとするが、もう遅い。ナガレの振ったビームソードは、一瞬だけクンと伸びてオージンの体を縦に斬る。
オージンは何か言いたげな表情をして、しかし声にならないまま、空気に溶けていった。
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