2.机上のクーロン②
光波や音波を操ることで幻覚として現れる、魔法によって作られたクラスメイト。
「脳波とかも再現することで自律型にもつくれるのよ。私は生物はサッパリだし、そう器用でもないから姿を見せるので精一杯なんだけどね。」
次の日の昼休み、クルミが実演しながらそんな話をした。ナガレはテツに用事があったのだが、本人不在のためクルミの相手をしながら待っているという次第だった。
クルミは美味しそうな弁当を食べながら、ナガレとの間に赤毛の少女を映し出す。本物そっくりだが、幻覚らしい。手を伸ばすとそこに質感はなく、プロジェクターに手をかざしたように、ナガレの手の甲が色づくだけだった。
「喋ったりしないのか。」
「波の分野の理解が深い人なら、不可能ではないわね。音も波だから。」
そう言いながら、クルミは
「クルミって物理得意だろ。そんなに難しいのか、これ。」
理科を得意とするC組の所属なのだし、重力を操るクルミが、物理が苦手な筈がない。しかし赤毛の少女は、一向に口を開く気配がないのである。
「私が得意なのは物理の中でも力学。波は管轄外なのよ。数学だって、方程式と図形の問題は全然違うでしょ。」
クルミが不機嫌な声でそう言った。
方程式はグラフになるし、グラフは図形になるけどな。
心の中で反論しつつ、黙っておく。
周りの生徒たちは突然現れた
「お前、友だちいないの?」
「突然の編入生が魔法を使える状態で入ってきたのよ。気味が悪くて当然じゃない。」
「正体バラした方が友だちできるんじゃねぇの。」
「ミロク君に釘を刺されているのよ。あんまり問題を起こすなってね。」
ひそひそとそんな話をする。オカルト部は十分に厄介な問題だと思うのだが、理事長の判断基準は謎である。
「クルミ、理事長と仲良いのか。」
ふとそんな疑問が湧いた。あまり気にしていなかったが、クルミは理事長のことをミロク君と呼ぶのだ。ナガレにとっては、家で母が使っている呼び方なので気にしていなかったが、よくよく考えれば不思議な距離感だ。
「あら、言っていなかったかしら。同級生よ。部活も一緒だったわ、幽霊部員だったけど。」
問題児だらけの例の魔法科学部である。妙に納得した。昔から、何を考えているのかよくわからない叔父である。高校の入学祝いは、当時用途のわからなかった木製の柄だった。今となってはビームソードの柄として大活躍だが、入学当初では謎の十字架である。
この話を長引かせるつもりはないらしく、それで、とクルミは話を戻した。
「テツ君の存在は
名簿上に存在しない生徒。たしかに、誰かが魔法で作り出した幻だとしたら説明がつく。しかしクルミがつくったダンマリ人形とは、性能に差がありすぎるのだ。そしてもう一つ、決定的にその仮説を否定できる事実があった。
「昨日、テツと学園外で会ったぜ。」
学園の敷地を出た、魔法が存在しない世界。そこにいるということは、魔法そのものではないということになる。
「嘘。何か変わったところは無かった?」
クルミはよほど自分の仮説に自信があったのか、ナガレの話を信用していないらしい。目を丸くして、そんなことを聞く。
変わったところ。変なところ。なぜか不登校児・
「あるにはあるけど、本人がいないところでは話さない方がいいことだ。そのことを聞きに来たんだけど、いないんだな。」
「あの子、午後の授業はサボりがちなのよね。学級委員の仕事だけは真面目にやっているから、放課後なら見つかるかもしれないわ。」
クルミの予想通り、結局昼休みの間にテツが現れることはなく、ナガレは諦めて教室へ戻った。
放課後すぐにC組の教室へ向かおうと考えたが、今日は学級委員長の集まりがあるらしい。テツも参加する筈だ。その会合が終わるまで、アクマ討伐でもして待つことにする。
***
そういうわけで放課後、アクマを探して学園内を歩いていると、
中庭の隅、教室棟の日陰で読書をしている。大きさからして文庫本だ。
おーい、と声をかけると、すぐに顔を上げて手を振りかえしてきた。
「何やってんの?」
「読書っすね。人を待ってるので、暇潰し的な。」
「俺も人待ち。」
そう答えると、リカが手の平を掲げてきたので、なぜかハイタッチ。爽やかな音が響いた。
ここ一帯はアクマが頻出するエリアだが、今日は少ないらしい。そういう日もある。人工生物のくせに気まぐれだ。アクマ狩りにとっては、困ったものである。
「あたしの妖精ちゃんに見回りさせてるので安全っすよ。あ、向こうに一体出ました。」
リカが指を指した方向に、確かに一匹のサッカーボール大のアクマが浮いているのが見えた。
「斬っていいか。」
「あたしも成績カツカツなんで。横取り禁止っす。」
リカが得意げに笑う。
「ハロ!」
リカの呼びかけに応じるように、何もないところからツインテールの少女が現れた。青白い光を纏った少女の現れ方は、昼休みに見た魔法にそっくりだ。
彼女は身軽な動きでアクマに近づき、踊るように手を伸ばすと、ポンっと音が鳴って、アクマもろとも爆発し、少女は姿を消した。
「ふふん、どうっすか。私の魔法。机上のクーロン。」
リカが自慢げに魔法の解説を始めた。名前まであるその魔法は、相当な自信作らしい。
「ハロは水素を擬人化した魔法っす。爆発します。」
そう言いながら、先程の少女を出現させる。
「マスター、説明が雑。かわいいかわいいハロちゃんのこと、もっと丁重に扱ってほしいな。」
ハロと呼ばれた幻が、頬を膨らませて怒る。見れば見るほど、クルミの魔法とは桁違いの再現度である。
しかし手を伸ばしてみると、やはり何にも触れることはなく、ナガレは空を掴むのみだった。
「はじめまして、
丁寧な自己紹介だった。
「
確認のつもりで聞いておく。この質問に答えたのはリカだった。
「よく似てるけど、少し違うっす。この子たちは波じゃなくて、粒子の集合体として存在してます。光は波であり粒子でもあるので、やってることは同じなんすけど、考え方の違いっすね。この学園において考え方の違いって大事なんすよ。勉強と同じで、魔法の扱い方にも向き不向きがハッキリ出るので。」
そう早口で説明されるので、ナガレは半分も理解していないと思う。
「クルミは自律型は脳波がどうとかって言っていたけど、こいつらの人格はどうしてるんだ。」
気になることだけ聞いておく。理解できるかはさておき、聞いておくことが大切なのだ。たぶん。
「ああ、それはあたしにもわからないっす。ファンタジーオタクの成せる技っすね。擬人化カルチャーは偉大なので。」
天才肌というやつなのだろう。ナガレには何を言っているのかさっぱりだったが、きっとリカも感覚的にしか理解していない。もう理解するのは諦めた。
「こんな子もいるんすよ。」
そう言う傍ら、ハロの姿が揺らめいて消えた。代わりに現れたのは、黄色の髪を一つに結んだ、中性的な見た目の少年である。
「オージン、自己紹介。」
リカの適当な指示に、オージンと呼ばれたクーロンが笑顔で応えた。
「ボクはオージン。酸素のクーロンだよ。よろしく、
にこ、と無邪気に笑う。しかしアクマを倒す力を持った幻なのだ。ハロが爆発するように、何か恐ろしい能力を持っているに違いない。
「酸素か。燃えるのか。」
予想してみるも、
「燃やせば燃えると思うっすけど、あたしは身体強化に使いますね。息切れ知らずになれるんで。」
予想は虚しく外れた。なかなか汎用性の高い魔法だ。
そういえば、とナガレが話を切り出す。
「クルミが部活を立ち上げようとしてるんだけど、興味ない?オカルト部なんだけど。」
初めて見る魔法に興奮して忘れかけていたが、オカルト部は絶賛部員募集中だ。リカの魔法なら戦力としても申し分ない。
「この学園で起こる超常現象は全て魔法じゃないっすか。」
「幽霊に怯えてた人間がそれ言う?」
リカがむう、と不満げな顔をした。
「あれは学園外の話じゃないっすか。そもそもオカルト部って何するんすか。」
ごもっともな質問だ。サッカー部とか美術部とか、名前だけで活動内容が想像できる部活とは一線を画しているのがオカルト部である。
「今決まってるのは、特別教室棟の探索かな。」
三ツ眼のアクマの調査やら、クルミの同級生との邂逅やら、多くの目的が複雑に絡みつつあるが、それはまだ黙っておく。大事にした暁には、マドカに何を言われるかわからない。
「あの廃校舎を?男子っすね。」
「いや、俺は内申点狙いかな。」
あー、とリカは残念そうな声を漏らした。同情の意である。
「リカは大丈夫なのか。授業出てないって聞いたけど。」
「あたしは化学と国語がズバ抜けてできるんで。他の教科はアクマ倒して補ってるすけど、切羽詰ってはないっすね。」
魔法を見る限り、疑いようのない事実である。二つも得意教科があるなんて、贅沢なやつだ。
そんな話をしていると、午後五時、学級委員長の会議が終わる時間になっていた。テツに聞きたいことが色々あるのだ。楽しい時間も切り上げなくては。
「そういえば、リカも人を待ってるって言ってたよな。いつになるんだ?」
あー、っとリカは少し迷ったような声をしてから、
「ドタキャンされちゃって。今日はすぐ帰ります。」
そう苦笑いをして答えた。嘘が下手。しかしなぜ嘘をついたのかまでは、ナガレにもわからなかった。
ストーカーの件。犯人はわかっているし、今日はナガレがテツを引き止めるつもりなので、おそらく一人で帰っても問題はない。しかし昨日の今日で、リカをひとりにすることに抵抗もあった。
「家まで送るよ。少し待たせることになるけど。」
「今日は大丈夫っす。幽霊さん、無害だし。まだ暗くないし。」
リカは早口でそう言う。昨日は帰れなかったくせに、謎の強気である。
ナガレが分身の術など使えたらよかったのだが、この学園の魔法をもってしてもナガレには無理である。それも学園外のボディガードとなると、夢のまた夢だ。
しかしこの状況はあまり望ましくなかった。無害な幽霊ならよかったのだが、相手は実体のあるストーカーである。用心に越したことはない。
ひとりだけ、面倒事を押し付けられて、頼りになる人物に心当たりがあった。というか、積極的に面倒ごとを押し付けたい人がいるのだ。この状況にぴったりの逸材である。
「ちょっと待って。ボディガード呼ぶから。」
帰りたがるリカを引き止め、ナガレはマドカにチャットを送る。
断られない自信があった。
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