1. 軌跡と領域②
「ってことがあったんだけど、イチゴさん何か知らない?」
その日の夕食どき、ナガレは母にそんなことを聞いた。
イチゴは科霊学園理事長の実の姉であり、二十年ほど前までは教師として通っていたらしい。ナガレの知る人物の中で、理事長の次くらいには学園について詳しいはずだ。
「物理講義室なら、魔法科学部の部室として使われていたよ。私が顧問をしていたけれど、問題児の集まりだったな。」
部活動の盛んな科霊学園なんて想像もつかない。放課後はいつだって静かなのだ。
「その名の通り、魔法について研究する部活でね。アクマに片っ端から薬品をかけたり、魔法で備品を壊したりしていて、勘弁して欲しかったね。」
イチゴが懐かしむように言う。魔法やアクマについて研究する部活。クルミのやりたがっているオカルト部と同じような活動をしていたらしい。
「物理講義室から新種のアクマねぇ。なんとなく想像はつくけれど、ここは大人の出る幕じゃねぇな。」
そう言ってイチゴは、それ以上のヒントを与えなかった。
***
翌日。放課後にナガレは特別教室棟の南側へ回った。端から二つ目の教室が、例の物理講義室らしい。
「おや、早いね。」
マドカはもう着いていた。
「今日は学級委員の仕事はよかったのか。」
「当番制なんだよ。僕の当番は三日に一回。」
そう言いながら、マドカはストレッチを始めた。クルミは少し遅れて来ると聞いている。
「僕、ここ初めて来たよ。ジャージで来れば良かったかな。」
マドカがそう言うのも納得なほどに、特別教室棟の麓は雑草で荒れ放題だった。膝下まで伸びた雑草がくすぐったい。季節の影響もあるのだろう。ナガレが以前訪れた時は、冬だったので雑草も気にならなかった。
ナガレもストレッチを始めたところで、いくつかの円形の影が地面に映り始める。同心円的に徐々に大きくなるそれは、落下するアクマがつくるものだった。
「くるぞ。」
「わかってら。」
ナガレがポケットから木製の柄を取り出す前に、マドカが手のひらを空に構えて魔法を発動する。
「 x^2 + y^2 < 1 」
そう呪文を唱えると、手のひらから半透明の円盤が出て、飛びかかる一つ眼のアクマたちを跳ね返した。想定外の軌道に制御を失ったアクマたちを、ナガレのビームソードが一掃する。
「いい腕じゃないか。」
マドカは褒めながら上開きの放物線を展開する。物干しのように引っかかったアクマを、またナガレが切りつけた。
「おまえ、自分で攻撃しないのかよ。」
「うるさいなぁ、僕は守りの方が得意なのさ。」
そんな無駄話をしていると切り損ねた一匹のアクマを、マドカの正接曲線が貫いた。
「すごい軌道。」
「タンジェントの基本形だよ、勉強不足。」
そこで散ったアクマが最後だったらしい。周りには黒色の水溜まりだけが残るのであった。
「その戦い方、攻撃できる人と協力しないと消耗戦だろ。誰かとバディを組んだりしないのか。」
というのも、ナガレのように一匹狼で戦う生徒の方が珍しいのだ。定期試験後の時期には、結果が残念だったであろう生徒の姿が散見されるが、大抵の生徒は気の知れた友人とバディを組んで、攻守を分担して戦う。その方が安全で効率が良いからだ。
しかしマドカは昨日の学級委員の仕事を見ても、フォローに回ることはあるが、常に行動を共にする生徒はいなかった。
「そんな友だちがいたらいいのだけどね。」
とマドカは返した。
意外な返答である。友だちのいないナガレとは違い、マドカはクラスメイトからの信頼もあるし、休み時間を常に一緒に過ごすような友人もいるのだ。
「B組のアスクとか、仲良いだろ。」
3年B組学級委員長、国語科首席。
「残念ながら、大切な友だちを危険な目に合わせる度胸は、僕には無いのさ。バディなんて言葉で縛ったら、アスクは無理をしてでも僕を助けるだろうしね。」
マドカがため息混じりに言った。
「そういうものなのか。」
ナガレにはそんな友だちがいないので、ピンとこない話である。小学生の頃に幼馴染と関係を悪くしたきり、人との距離感を掴むのが苦手なのだ。
「そうだよ。僕はずっとアスクと一緒にいたい。退学なんて嫌だし、一緒の大学に行くのさ。」
「文系なのに?」
数学科首席と国語科首席。似ているようで全く異なる。
「東京の総合大学に行くのさ。僕の家だと奨学金が必要だけれど、今の成績なら夢じゃないからね。」
奨学金狙いの学級委員長。ぼんやりと噂は耳にしていたが、本当だったらしい。
「それにしてもすごいね。二人だとすぐ終わっ」
見上げたマドカの挙動が止まる。つられるようにナガレも特別教室棟の三階を見た。
窓の奥に人影がある。
こちらをじっと睨んでいるようだ。
「逃げるぞ。」
嫌な予感がして、ナガレがマドカの手首を掴んだ瞬間、まわりの地面から囲むようにアクマが湧き出す。アクマの持つ三つの目玉がバラバラに動いて気持ち悪い。三つ眼のアクマをみるのは、マドカが連れているもの以外では初めてだ。それでいて、群れで現れたのだから、ただごとではないのだろう。
二人はそのまま特別教室棟から離れるように、校庭に向かって走り出した。
「倒した方が良くないかい?」
「キリがねぇ、まずあいつから離れた方がいい。」
こちらを見ていた謎の人影。こちらを見つめた冷たい視線が、味方ではないことを予感させていた。
アクマたちは手を伸ばしたら触れてしまいそうな距離まで迫っている。ナガレはマドカを掴んだ手を前に引き、乱暴にそのまま投げた。
「ちょっ」
マドカの不満そうな声を背に、ビームソードでアクマたちを切り裂く。何体か切り漏らして、切り返しも間に合わないとわかった時、視界の外から白色のピンポン玉がアクマ目掛けて飛んできた。アクマたちは黒色のスライムを飛散して消え、無理な姿勢で戦おうとしたナガレはそのままバランスを崩して倒れ込む。
「まったく。さっそく部員を失うところだったわ。」
クルミがそんなことを言いながら、茂みに転がるピンポン玉を回収しに来た。
「ありがとう、クルミ。」
クルミは驚いたような顔をしてから、いいのよ、と短く返した。
***
一息ついた後に一部始終を聞いたクルミは、ふむ、と考え込む声を出す。そして
「そろそろ隠すのも限界か。」
と独り言を呟いた。
校庭の砂の上で大の字に寝そべっていたナガレだが、クルミが神妙な顔つきをしているので、空気を読んで上体を起こす。座り込んでいたマドカも何かを察したように、クルミをじっと見ていた。
「すんなり受け入れてもらえるとありがたいのだけど、」
とクルミは前置きを話す。一呼吸置いてから続きをつなげた。
「私、三十年前から魔法でタイムトラベルしてきたのよ。」
タイムトラベル。そんな魔法、聞いたことがない。
「そんなことが可能なのかい。」
とマドカも半信半疑で聞く。
「ええ。そもそも私が得意とする重力操作の魔法は、重力加速度の値を変化させるもの。時間だって加速度と同じ、グラフの軸にしたり値を入れるものでしょ。応用でどうとでもなるわよ。」
魔法の応用。直線しか具現化できないナガレには、耳の痛い話だった。魔法のセンスからわかってはいたが、
「それで、どうして今その話をしたんだ。」
ナガレが話を先に進める。何か意味が無いと、このようなカミングアウトはしないだろう。
「あの人がいると、元の時代にもどれない、とか?」
「違うわよ。技術的には戻れるもの。」
クルミは不満そうに反論した。やはり
「知り合いたちが未来で何をやってるのか、見てから帰ろうと思っていたの。部員みんなに会えるまで帰らないわよ、私は。」
クルミが躍起になって説明する。
「部員って、魔法科学部?」
問題児が集まっていた部活動。クルミが所属していたとしても、驚きはしない。
「ええ、どこで知ったの?」
アタリだった。ナガレは適当に言葉を濁す。イチゴとの関係がバレれば、裏口入学のことまでバレかねない。クルミは納得いかない様子だったが、まぁいいわ、と詮索をやめた。
「あなたたちが物理抗議室で見た人影。おそらく、行方の掴めなかった私の後輩だわ。桜山ガク君。人一倍アクマの研究に夢中だった子。きっと三ツ眼のアクマをつくったのもあいつね。」
「アクマって作れるのかい?」
不意打ち的に出てきたアクマの話題に、マドカが反応する。ええ、とクルミは話を続けた。
「元々人工生物よ。あんなものが自然界に存在しないのは、想像がつくと思うけれど。」
考えたこともなかったので、当たり前のように言わないでほしい。しかしたしかに、あれが自然発生するわけがない。となれば、どこかの誰かがつくったのだ。
「一からつくったのか、他のアクマをベースに進化させたのか。作り方まではわからないけれど、そこは問題じゃないわね。」
クルミが半分独り言のように言う。
「独断で進むには危険かしら。一度、理事長に相談して、そうすれば学級委員長たちも動かせるから」
「待って。」
マドカが口を挟む。
「学級委員を巻き込むのはやめてくれ。元々は僕の問題だ。」
マドカは何かを恐れているようだった。作り笑いをしながら話を進める。
「クルミ君は物理講義室にいた人物と会って話がしたいのだろう。そうだ、それをオカルト部の最初の目標にしよう。僕も力を貸すからさ。」
クルミともナガレとも目を合わせずに、マドカは口を動かす。
「だから学級委員を巻き込むのは、アスクを巻き込むのはやめてくれ。僕が関わっていると知ったら、きっと無理をする奴なんだ。今以上アクマとの戦いに巻き込みたくない。」
マドカはそう畳み掛けるように親友をかばった。親友、なんて関係でも言い表せないくらい、彼女を大切に思っているらしい。
隣で口をつぐんだクルミにも、その熱意のようなものは通じたのだろう。
「わかったわ。これはオカルト部内での問題にしましょう。」
クルミは深堀もせず、意外にもあっさりと承諾した。
「策も無しに三人で方を付けるって話ではないわよ。ちゃんと仲間を集めて、魔法の修練も積んだ上で行くんだからね。」
仲間集めも修練も、元々やるつもりだったのだろう。そのための部活動という形式である。
「もっと急いでいると思ってた。クルミ、この時代に居座る気か。」
ナガレが少しだけ聞いてみる。本当はタイムトラベル事情などあまり知りたくないのだ。面倒ごとには関わらずに生きていきたい。しかしながらクルミの言動は、ナガレの想像を脱するものだ。理解するには、聞くしかなかった。
「会えていない部員はガク君だけじゃないの。だから急いでいるわけではいないし、気長に機会を待つつもりよ。」
クルミがそう説明する。魔法科学部の部員でナガレが把握しているのは、この無鉄砲娘のクルミと、物理講義室でアクマを自作する謎の人物、桜山ガク。校則にのっとって考えれば、部員は最低でも五人いるはずだ。他にも問題児が三人もいると思うと、想像するだけでゾッとする。クルミと再開する場面には遭遇したくないものだ。
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