1. 軌跡と領域①

 魔法を人一倍扱える生徒は数少ない。それでも全く心当たりがないわけではなかった。

 クルミの提案に賛同する保証は無いが、総当たりで誘ってみればひとりくらいは集まるのではないか。

 「というわけなんだけど、委員長どう?」

 翌日の昼休み、真っ先に当たったのは学級委員長だ。

 この学園には基本的に委員会というものは存在しないが、唯一存在するのが学級委員である。

得意教科ごとにクラス分けされるのが、この科霊学園の特色であるが、その中でも首席をとった生徒で学級委員は構成される。仕事内容はクラスの仕切りと、下校時の安全確保。七限目が終わってから校門を通るまで、アクマから守ってくれる心強い人たちだ。

 「僕にそんな暇があると思うのかい。」

 ボーイッシュな三つ編みにされた青髪に低身長、我らが委員長、亀島かめじまマドカはそう答えた。数学が得意な生徒が集まるA組の委員長、つまり数学首席の成績をもつ生徒である。

 「と言いたいところだけどね。」

 ナガレの予想に反して、前髪を触りながらマドカはそう続けた。

 「オカルト部を名乗るのなら是非解明してほしいことがあるのだよ。僕が納得した暁には名前くらい貸しても構わないさ。」

 人目があるから、と詳しくは言わなかった。

 「放課後、他の生徒たちが帰った頃に昇降口で待っていてくれ。」


***


 放課後、ナガレはクルミと共に、昇降口で生徒たちの下校が完了するのを待っていた。

 放課後にはアクマを狩りに中庭へ行くのが日課だったので、このように人が行き交う昇降口の姿を見ることは珍しい。友達と待ち合わせる者、一人で帰る者、友達と別れる者。全員が下校を完了するまでには、しばらく時間がかかりそうだった。

 昇降口から校門までの約五十メートルの一本道に、アクマを侵入させないことが学級委員たちの仕事らしい。しかしながら、こうも人の多い場所に近づこうとするアクマはいない。委員長たちは暇なのか、数十メートル先に黒色の球体を見つけては走って倒しに行っていた。

 ナガレとクルミはやることもなく、ぼんやりとその様子を見ていた。

 「毎日これやってるのか。委員長も大変だな。」

 「学園を守るには必要なことでしょ。かつての科霊学園の姉妹校は、生徒の大半がアクマに食われてしまって廃校になったそうよ。」

 ナガレも知らない噂話だった。なぜ編入して間もないクルミが、そんな話を知っているのか。女子特有のコミュニティでもあるのだろうか。

 そんな話をしている内に、学園内に生徒の姿はなくなった。マドカの姿を探すと、木陰で長身の女子生徒と話をしていて、しばらくすると手を振って別れた。B組の学級委員長、亀島かめじまアスク、マドカの友人だ。大方、いつも一緒に帰宅しているところを断っていたのだろう。

 友人と話をつけたマドカは、やっとこちらに来た。

 「君が噂のクルミ君だね。はじめまして。A組の亀島かめじまマドカだ。」

 そう言いながら初対面の相手に握手を求める。

 「はじめまして、亀島かめじまさん。男の子だと思って接した方が嬉しいのかしら。」

 マドカの手を取ったクルミは、ナガレが二年以上経っても聞けなかったことにあっさりと触れてみせた。

 「何だって構わないよ。確かなのは、僕が亀島かめじまマドカという人間であるということだけさ。性別なんてものには端から従う気が無いのでね。ああ、でも恋愛対象にはしない方がいい。僕が君に恋をする筈が無いのだから。」

 二年と少しの間見てきた亀島かめじまマドカという人間を圧縮したようなセリフだと、ナガレは思った。

 亀島かめじまマドカは普通じゃない。

 それは見ていれば、なんとなくわかる。そして彼女自身が、普通ではないことを自覚しているのだ。

特別であることを当然のこととして受け入れている。


 「で、委員長の相談は?」

 ナガレが本題に進める。みんなから頼られる学級委員長。そんなマドカが何を依頼したいのか、全く予想がつかなかったのだ。

 「ああ、これさ。」

 そう言いながらマドカは、肩から下げたスクールバッグに片手を入れた。

 おいで、と小声で何かを呼び、手のひらに乗せて取り出したのはテニスボール大の黒色スライム、アクマだった。

 声が出そうになるのを抑えて、ナガレはアクマを観察する。色やシルエットに変わりはないが、三つの眼を持っていて、それぞれ違う方向を向いているのだから気持ち悪かった。大きさは小さめ。一般的にはサッカーボール程のアクマが多く、大きいものだとバランスボールくらいだ。片手に乗るサイズは珍しい。

 「どうしたんだ、これ。」

 見たところマドカに懐いているように見える。アクマはペットのように指に擦り寄ったり、手のひらで転がったりしていた。

 「さぁね。最近、気付いたらカバンの中にいるのさ。学園から出ると忽然と消えていて、朝登校してから見るとまた入っているという具合にね。」

 アクマを撫でながらマドカは言った。ふうん、とクルミも観察する。手をパタパタと仰ぐ、その観察の仕方は理科の実験みたいだ。クルミがC組、得意科目が理科の生徒が集まるクラスに所属しているからかもしれない。

 「最近って、具体的にいつ頃かしら。」

 今度は診察のように尋ねた。

 「ちょうど一週間くらいじゃないかな。テストが終わった頃さ。」

 「噛まれたことは?」

 「甘噛みのようなものは時々されるね。」

 「何か変わったことは?」

 うーん、と前髪を触りながら考え込んだ後に

 「特に無いかな。」

 とマドカは答えた。


 アクマに噛まれると退学になる。


 有名な噂だった。教師から辞めさせられるのか、勉強を続けられない症状が起こるのか。詳しいことはわかっていないが、とにかくアクマに噛まれた生徒は自主退学をするんだとか。

 しかしマドカが今も学園に通っているということは、

「噂が事実ではないか、三つ眼のアクマが例外か。」

 可能性は二つ。

 「対照実験をしたいところだけれど、試すにはリスクが高いわね。誰か退学希望者がいればいいけれど。」

 ナガレが口にしないようにしていたことを、クルミは当然のように声に出した。せっかく高校に入学しておいて、退学したい人間などそうそういないのである。いたとしても、背中は押したくない。高校中退という事実は、方向性の良し悪しはさておき、今後に与える影響が大きすぎる。

害があるのか無いのかもわからないアクマ一匹を調べるために、赤の他人の人生を左右する度胸はナガレには無いのである。

 「アクマについては図書室の書庫に資料があったはずよ。一度行って見ましょうか。」

 クルミが過去の記憶を遡るように、そう言った。


 図書室。

 教育機関にあって当然のものだが、この科霊学園にはあって無いようなものだった。

 放課後に居残る生徒がいないのだから、図書室があったところで、利用する時間がないのだ。利用方法の説明も当然受けていない。本を借りられるのかすら怪しいものだ。

 特別教室棟の端、一、二階にまたがって存在している大きな部屋だ。雑草に囲まれた特別教室棟だが、図書室の入り口だけは獣道のようなものができていて、入れないことはない。

 「管理人が毎日出入りしているそうだよ。」

 マドカがそんなことを言った。ナガレも噂程度には聞いたことがある。誰も訪れることのない図書館を管理する幽霊。実際には人間だろうが、その姿を見たことがあるひとはいない。

 実にオカルト部らしい案件である。いつか調べる日も来るのかもしれない。

 「開けるわよ。」

 緊張気味のナガレをよそに、クルミは図書室の扉に手をかける。おう、と返事をするとクルミは扉を横に引いた。

 「うわ」

 カビ臭いのか、気分が悪い。見た目は思ったよりも綺麗だった。本棚にはぎっしり本が詰まっていたし、自習スペースらしい机も整備されている。

 しかしながら、ここには足を踏み入れてはいけない気がした。軽度に抱えている、ハウスダストアレルギーが反応しているのかもしれない。本能のようなものが拒否していた。

 「亀島かめじまさんは問題なさそうかしら。」

 ナガレが無理なのは、聞くまでもないらしい。

 「ああ、僕は入れるよ。ナガレは、ここで待っていた方が良さそうだがね。」

 不思議そうにマドカが答えた。

 「図書室は不戦場。アクマが入れないように細工が施されているのだけど、代わりに一切の魔法も扱えないようになっているの。無意識に防御魔法なんかを纏っていると、こういった拒絶反応を起こすこともあるわ。」

 クルミがそう説明するが、ナガレには一切心当たりがなかった。

 ナガレの戦闘スタイルはビームソードでひたすら切る。防御魔法なんてレパートリーに無いのだ。

 「アクマは入れないのか。この子を頼めるかい。」

 マドカがナガレにスクールバッグを手渡す。例の三つ眼アクマが住み着いているバッグだ。ナガレがバッグを受け取ったのを確認すると、クルミは先頭を切って図書室の中へ入っていった。


***


 「この中にアクマがいるんだよな…」

 ひとり残されて暇なナガレは、小声で呟いてみる。

 「うぅ」

 と件のアクマが返事をした。不細工な猫のようなうめき声である。

 「案外、しゃべれたりして。」

 期待せずにそう言ってみると

 「んん、きこえる?」

 とゆっくりとした返事が返ってきた。

 「まじか。」

 会話ができるアクマなんて初めてだ。あれは不気味な謎の生き物で、呻き声すら聞いたことがなかったのに。ナガレはカバンのファスナーを少しだけ開き、手のひらを入れてみる。しばらくすると、ひんやりとしたゲルの感触があり、手を引くとしっかりとアクマが乗っていた。

 「なんだか、ぼくとにてるきがする。きみ、あくまのなかま?」

 それは無い、とナガレはすぐに否定した。人間に育てられた人間の子なのだ。この学園の外にも出られるし。アクマなどと一緒にされては困る。

 話題に困ったナガレは、

 「お前どこから来たの?」

 と聞いてみた。

 「ぶつりこうぎしつ。」

 とアクマは答える。物理講義室。ナガレの知らない教室だった。名前からして、特別教室棟のどこかにあるのだろう。

 「ぼくたちはね、すきなものをたべるんだよ。」

 アクマが教えてくれる。身のない会話だった。

 「好き嫌いは良くないぞ。」

 「ちがうよ。ぼくたちは、たべるものをじぶんでえらべないんだから。」

 「それで好きなものしか食べられないのか。都合のいい仕組みで羨ましいな。」

 「ちがうちがう。そうじゃなくって。」

 アクマがうまく説明できないというように、困ったような顔で慌てる。三つの眼がキョロキョロと違う動きをして、とても気持ち悪かった。

 「ナガレ、誰と話しているんだい。」

 ちょうど図書室の探索を終えたらしいマドカが、扉から顔だけを出しながら、ナガレの様子を見て聞く。

 「このアクマと。委員長にもアクマの声、聞こえるのか。」

 「きこえるのか。」

 ナガレの質問に、マドカは困ったような反応をした。こいつ何言ってんの、とでも言いたげな表情である。

 「いいや。君には聞こえるのかい。」

 本当に、全く聞こえていないらしい。アクマがナガレの手の上で悲しそうな顔をした。

 しばらくするとクルミも戻ってきて、収穫無しの報告を聞かされた。目星の資料はなかったらしい。そうなると、唯一の手がかりは

 「物理講義室。」

 アクマの口から出た、未知の教室のみというわけだ。

 「物理講義室ね。この特別教室棟の三階、図書館とは反対側の端から二つ目の教室よ。そこがどうかしたの。」

 不思議そうな顔をするクルミに、ナガレは一部始終を説明した。

 「調べてみる価値はありそうね。」

 深刻そうな顔でクルミがそう言う。早く行動に移したかったが、空が赤くなり始めていたので、明日に持ち越すことにした。今日はこれで解散になったが、クルミは校門をくぐって、その姿が見えなくなるまで、何か考え込むような顔をしていたのだった。

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