仮面の下に隠すのは

 

 ポーン、と音が鳴る。伏せていた顔をあげれば、見覚えのある景色が広がっていた。


 そこは《階層都市》テサウルムの上中階層に位置していたルーツ養成学園とは全くの別物。


 あの場所が、全ての者に対して《楽園》に現実的に一番近い場所だと例えるのなら、ここは《楽園》から最も遠い階層。


「最下階層に到着しました。お疲れ様でした」


 ガコン、と扉が閉まる。

 

 無機質な音が辺りに反響し終わるのを待たずに、昇降板は上へと昇っていく。ユツキは暫しの間、その様子を眺めた後、行動するべく歩き出す。


「これでリスタート、か」


 ルーツ養成学園に通っている間は、学校がある中階層の居住権が与えられていた。

しかし、退学したのならその効力はもう無くなっている。


 例え、在学中は飛びぬけた成績であったとしても、卒業までいれば中位階層以上の居住権が与えられるという学園の規約も、その学園を辞めたのなら空疎と同義だった。


 最下位階層。


 文字通り、階層都市内で一番下にある階層。ユツキとしても、いつまでも留まっているつもりは毛頭無い。必要な物を持ったら、すぐに目的地に行くつもりだった。


 とは言え、学校に入学するまでは人生の中心だった場所。少しだけ懐かしむくらいであれば罰は当たらないだろう、とユツキはゆっくりと歩きながら辺りを見渡す。


 半年しか経っていないというのもあるが、こんな場所は上層部からも手が加えられることは早々無い。暮らしていた時と全く変わっていない景色に、多少の安堵が胸に広がった。


「……ただいま」


 装飾も、窓も無い。ただ単に、木と木をつぎ合わせただけのような家の扉を開く。


 ギィィ、と建付けの悪い音を立てて開かれた先に広がるたった一つの部屋は、すっかり埃を被っていた。


 施錠してもしなくても、変わらないような家。ユツキとしても、家主としては物取りの心配は少しあったが、こんなボロ小屋に入るモノ好きは流石にいないようだった。至る所に蜘蛛の巣が張られているところを見るに、この半年間、誰も入ってこなかったのだろう。


 ———世話好きだったはずの、ご近所さんですら。


「まぁ、こんな見るからに価値の無い所に興味は無いか。……まずは、掃除しよう」


 ちら、と部屋の有様に目をやった後、ユツキはそいっ、と扉を開け放つ。窓などが無いため、汚れた空気や塵なんかは玄関から出て行ってもらうしかないからだ。


 少し長い、白い髪を適当に後ろで一つにまとめ、ゴーグルを着用して掃除を開始する。


 一部屋しかない分、掃除は楽である。


 まずははたきで張り付いている蜘蛛の巣と、固まっている埃を床へと落としていく。かさかさ、と動く蜘蛛をうまく拾って外に出した後、床の掃き掃除へと入る。


 それが終われば、そのまま数少ない家具にも同様のことを行い、水拭きと乾拭きで完了。


 一息つき、カバンからカロリーバーと水を取り出し、簡単な昼食にする。もさもさと口から失われていく水分をつぎ足しながら、ユツキは今後の行動について思考を巡らせる。


 十二歳の時に父親を亡くしてから、学校に入学するまでの五年間はこの家で一人暮らしをしていた。友人などは何人かはいたわけだが、今は会おうとする気にはならない。


 ご近所さんなどは多少の面倒を見てくれてはいたが、基本は自分一人で何とかしてきた。


 さらに言えば、この最下位階層で他人の面倒を全て見られる余裕は、誰にも無い。


 だから、幼馴染であるコートニーに声をかけて階層決戦に臨み、学校への入学権を手にした。家族がいないことは恩恵の対象外ではあるが、それでも学校に入学すれば、将来も少しは安泰するはずだった。


「マシになると思っていたけれど、人生ってどうなるか分からないものだなぁ」


 と、思えば今はまた最下位階層に戻って、部屋の掃除をしているわけである。ここには物を取りに来ただけで、それ以外の用事は無いわけだが。


 しかし、昔からの言葉で〝立つ鳥、跡を濁さず〟というものがある。


 鳥という概念は遥か昔に無くなったことから、姿は書物などでしか見ることが出来ないが、意味を理解するのにはそれで十分。


 ある期間を過ごした場所を去るものは、汚さないよう綺麗に立ち去れ、という意味。別にその言葉がユツキにとっての大切な言葉などでは無いが、要はそういう事である。


「もう一生ここには帰ってこないつもりだし。少しは綺麗にしていかないと、か」


 そうして家に別れを告げ、ユツキはコートをその身に巻くようにして着る。


 埃っぽい臭いがしてくしゃみが出るが、これからそれ以上の埃まみれになることは確定している。然程気にすることでも無い、と商店街の方へと足を向けた。


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