愛の行方

 自信がないわけじゃない。


 息を切らして惚けた表情に、後ろめたく微笑んだ。

 不満なのか照れているのか、曖昧な目つきで俺を睨む。

 

 なのに、俺は目を逸らしてしまう。


 会話がないまま衣服を整えた後は名残惜しさもなく扉がそっと閉まっていく。

 数秒もない合間、左手の薬指に目線が動いた――。



 ――翌日。


 常連客で賑わう午前中。

 モーニングセットで腹を満たすテーブル席から会話が聞こえてくる。


小夏こなつちゃん帰ってきたって?」

「おぉうちの孫も言うとった。もう何年振りかね」

「今じゃ結婚して立派な奥さん、けどまだ子供がおらんとか青原あおはらのやつ愚痴こぼしとったぞ……旦那が下手か?」

「最近のレスってやつだな。ふひひもうちょっと若けりゃ相手してやるのにのぉー」


 朝から元気なことで。

 正直帰ってくるとは思わなかった。心のどこかで願望ならあったかもしれないが……。

 

大河たいが、大河」

「は、はい」


 振り返れば店長の父さんが不思議そうな表情で傾げていた。


「ボォーっとしてどうした? これ3番テーブルに運んでくれ」

「すみません」


 情けなく呟いてしまう。


「お待たせしました、モーニングセットです」


 顔も見ずにモーニングセットを並べると、


「ありがとう大河!」


 元気の良い優しい声が聞こえた。

 目を少し上に動かせば、高校から付き合いがある親友勇人ゆうとと、その妻であり俺と中学から付き合いのある眞奈まなが座っていた。

 眞奈はスマホを操作したまま目を合わせない。


「おはよう、勇人、眞奈」

「おはよう!」

「……おはよう」


 屈託のない笑顔が眩しすぎて、怯みそうになる。

 後ろめたさを含めて微笑んだ。


「ねぇ大河! 小夏が帰ってきたんだよ! 知ってる?!」

「あー、近所の人達がずっと話題にしてる」

「もう10年経つのかな、久しぶりにみんなで食事会開こうよ!」

「あー……うん、いいんじゃないか?」


 純粋に、この中で開きたいと思っているのは勇人だけだ。

 眞奈は全くの無反応で会話に参加してこない。

 青原さんは……どうなんだろうか。


「じゃあ今度俺の家で食事会しよう! 眞奈ちゃんもそれでいい?」


 スマホからようやく目線を外した眞奈は、


「何言ってもやるでしょ」


 好きにすればと同じニュアンスで言う。


「うん、分かった! また連絡するね大河!」


 勇人のメンタルは硬度の高い金属でカチカチになっているのかもしれない、もしくは全てを肯定と認識する変換機でもついているのか。


「ありがとな。じゃあごゆっくり」


 田舎といえば田舎、辺りが田んぼか公民館しかない、離れ小島のような場所にある喫茶店。

 こんなところに帰ってくるなんて……――。





 ――閉店1時間前、19時。


「そろそろ閉めようか」


 父さんはにっこりと優しい笑みを浮かべた。

 あと30分くらい待ってもいいんじゃないか? と毎回思ってしまうがお客さんが来る見込みもない。

 店長が終わり、と言えば終わりだ。


「後のことはしとく」

「そうかい? じゃあお願いしようかな。その間に美味しい夕食を作っておくから」

「うん、お疲れさま」

「おつかれさま」


 父さんは裏口から繋がる我が家に帰っていく。

 軽く掃除と、戸締り確認、それからレジ締め。

 念のため冷蔵庫の中身も覗く。

 手作りのベイクドチーズケーキが数切れ残っていた。

 明日の商品には出せないし、父さんの分と、あとは勇人達にあげるか、それか……。


「……」


 暗い辺りを白く照らす光と、道路に擦れるタイヤの音。

 小さな駐車場で音と光が消えた。

 やっぱり見込みがなくても待つべきだったな、父さん。

 施錠した店のガラス扉をもう一度鍵を開ける。

 せっかくお客さんが来たんだから、本日は終了しましたなんて冷たく追い払うことはできない。

 とはいえ、照明は薄暗めにして、ブラインドをしっかり下ろして閉ざす。

 湯を沸かす。

 ガラス扉が開く。鈴が控えめに鳴る。

 黒いロングヘアの女性はカバンも持たず入ってきた。

 儚さが残る美しい顔立ちと落ち着いた服装、女神か聖女のような全てを包み込む存在感。


 一瞬、怯んでしまった。

 お客さんだ、お客さんだ……。


「……いらっしゃいませ」

「もう閉めるところでしたか?」

「大丈夫ですよ、どうぞお好きな席におかけください」


 左手の薬指が光る。


「じゃあここで」


 女性はカウンター席に腰掛けた。

 メニュー表を見ることなく、


「アイスコーヒー、いいですか?」

「かしこまりました」


 簡単に注文が決まる。

 父さんがこだわってブレンドしたコーヒーをドリップ。

 コーヒー2杯分にカップ1杯分の湯で抽出する。

 氷で急冷させて、新しい氷をグラスに入れて、アイスコーヒーを注ぐ。

 おまけに冷蔵庫から残りのチーズケーキを取り出す。


「お待たせしました。こちらはサービス品ってことで……どうぞ」


 慈しむ微笑みで両手を合わせて驚いている。

 懐かしい表情と仕草。


「ありがとうございます」

「いえいえ」


 1分ほど、沈黙…………――。

 

「久し振りだね」

「うん、久しぶり」


 やっと言葉を交わす。


「さっき勇人と眞奈ちゃんにも会ってきてね、全然変わってなくて驚いちゃった」

「……あの2人はあれでおしどり夫婦扱いだから、不思議だけど」

「ふふ、じゃあ心配ないね」

「まぁ、うん、多分」

「大河君、隣に座ってもう少しお話……してくれる?」


 深く、考えない方がいいか。

 そっと隣に腰掛けた。

 

「旦那さんは? 一緒に来たらよかったのに」

「夫は異動先の歓迎会に行ってます」


 ちょっと調子の良いどや顔で言う。

 旦那さんの異動で引っ越してきたのか……。

 青原さんはアイスコーヒーをストローで軽く吸い、


「それに、夫がいたら話せないこともあるから、ねっ」


 無邪気な瞳。全ての仕草が胸を躍らせる。

 他愛のない学生時代の思い出話が続く。

 あっという間に1時間が過ぎてしまうほど尽きない話題ばかりだった。


「あーごめん、惜しいけどそろそろ閉めないと」

「ホントだ、ごめんなさい結構話し込んじゃったね。えーといくらだっけ」


 ポケットから財布を取り出す。


「お代はいいよ。久しぶりに会えたし、話もできたから」

「そんなの悪いよ……美味しいコーヒーと、ケーキまでご馳走してもらっちゃったし」

「いいから。今度は、旦那さんと」

「あの人と、来なきゃダメ?」


 薬指の光りが、昨日のことを思い出す。



 自信が、ないわけじゃないんだ。


『勝手に決めつけないでよ』


 なのに、俺は目を逸らしてしまう。


「青原さん、今幸せ?」


 正解が欲しくて、俺は青原さんに訊いた。

 なのに、どんな表情をしているのか見ることができない。

 俺の指に絡む温もり。 


 良い香りがする。

 胸に傾く心地いい重みと、柔らかさに両手は彷徨う――。



 ――翌日。


 朝の常連客が帰った頃、父さんが目を丸くさせた。


「珍しい組み合わせだな」

「え……?」


 入れ替わりにガラス扉が開き、鈴の音が控えめに鳴る。


「おはようございます、店長」

「ご無沙汰しています、店長さん、大河君」

「うんうん、おはよう、久しぶりだね。どうぞ好きな席に座って」


 どこを見ればいいのか分からなくなった。

 テーブル席に座る、眞奈と青原さん。

 2人の薬指は……光っていなかった――。

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