⑤
デビュタントの式典ホールは、阿鼻叫喚の嵐だった。
使用人も貴族も、皆が悲鳴を上げて王座を凝視している。当然だろう。そこにいるのは、美しく着飾ったメイデンス皇后陛下などではない、醜く変形し、痛みと苦しみにのたうちまわる、魔女の形をした呪いなのだから。
「どうなっている!? おい、あそこにいる魔女を引きずり降ろせ!」
「ああ、王女! ご無事でしたか!?」
「いったい何がどうなっているの、わたくしたちは何を!? 女王陛下! 女王陛下はどこに!?」
「ワタシは女王陛下の葬儀に参列したのか!? この記憶は何だ!?」
メイデンスの呪いや魔法が解かれた貴族や使用人たちが、動揺して泣き叫ぶ。
彼らの記憶は、改ざんされているだけで、失ったワケじゃない。突然の事態に混乱し、半狂乱になるのも無理はなかった。
師匠の側近だった使用人達が、エラの姿に気がついて、慌てて寄り添い頭を垂れる。彼女は戸惑って僕の腕に縋り、それを宥めつついれば、人々を掻き分けてキルジットが走り寄った。
「エラ!」
「お兄様……!」
僕と同じく正装を身に纏った彼は、エラを抱きしめ頬擦りし、大きく長い息を吐く。彼女をここへ無事に連れてくるまで、生きた心地もしなかっただろう。
彼は最愛の妹からゆっくりと腕を放し、僕に視線を向けた。目尻を緩ませ頷くと、彼はグッと言葉を堪えて、王座に向き直る。
「王座に巣くうのは、我らのリアリタ女王陛下とジョージ公を亡き者にし、我が妹、エラの命を脅かした反逆者だ! 捕らえよ!」
第一王子であり、騎士団総隊長の一声に、警備にあたっていた騎士達は即座に我に返り、王座を取り囲んだ。そして騒ぎを聞きつけてやってきた他の騎士は、貴族達を避難させるべく、誘導を開始する。
よく統率が取れた動きに感心しながら、僕は王座を見上げた。
呪いを全て返されたメイデンスの横で、僕の親友の弟君が、真っ青な顔ですくみ上がっている。彼は魔女の呪いにかかっていない共犯者だ。捉えて裁判にかける必要がある。
僕が言葉を発するより先に、魔女が金切り声を上げた。
「あぁあああッ!! 嘘よ、嘘よ、嘘嘘嘘! デイル、デェイル! どういうこと、ワタクシは全て上手くいくのではなかったのッ!」
音を立て、白い煙を上げながら変化していく姿は、黒い骸骨のようだ。貴族の令嬢達が悲鳴をあげ、中には腰を抜かして倒れ込む人もいる。
隣でエラが息を呑んだ。無意識に抱き寄せると、彼女は僕に寄り添いつつも、両手を強く握り締める。
「ああッああッ、くそ、くそ、くそ、あんな女さえいなければ、あの女が、あの女がっ、何もカモ持っていたアノオんながぁああッ」
言葉が徐々に歪んでいく。何か魔法を使おうとしているのか、時折呪文を叫ぶが、辺りには何も起こらない。
魂を悪魔に売り払い、人間でなくなったメイデンスは、呪いそのもの。新たな魔法など使えるはずもない。
メイデンスは気が付かなかったのだ。魔法の使えなくなったただの女に、教会が金バッジなど授与するはずもないことを。
それほどにあの魔女は、王座という権力に座る自分に、酔いしれてしまったのだろう。
王座に上がった騎士が、震えて泡を垂らす弟君を拘束し、魔女に剣を向ける。
弟君はある意味で、心の弱さの隙を疲れ、甘言で唆された被害者だろうけれど、彼には僕の親友の殺害に関わった容疑がある。しっかり罪を吐いてもらうまで、拘束するしかない。
抵抗する気力も湧かず、へたり込んだ男の横で、黒い骸骨のように骨と皮ばかりになった魔女は、ギョロリと浮き出た目玉を回し、エラを視界に入れた。
「羨ましい、妬まシい、うつクしイ、シいたゲたい、苦シめたい、殺したい、殺したい、殺したい、お前さえいなければ、お前さえイナケレバァアアアッ!」
騎士の剣を弾き飛ばし、魔女の体が浮き上がる。術者に返り、呪いという思念体になった彼女はただ、エラを殺すことを目的に飛び掛かってきた。
そこには人としての理性はもう、一欠片もない。
僕は杖を出現させると、一瞬で床に魔法陣を張った。僕らの後ろで光が差し、マリアが白い長髪をなびかせ、殺意ある双眸で黒い骸骨を見つめる。
僕が込めるのは、力を与えるための、魔法だ。
「ワタクシが、ネームドウィザードをあたえラレタんだ、ワタクシが“オヴィゴース”になるんだぁあああああああああッ!!」
かつん、と、ガラスの靴が床を踏み鳴らす。魔法は白く気高き渦となって、彼女の怒りに合わせて足元を照らす。
燃えるように輝く瞳は呪いを射抜き、エラは喉を嗄らさんばかりに怒号を上げた。
「あなたのような化け物が、わたしとお母様の名前に傷をつけるな━━━━ッ!!!!」
瞬間。
僕らの前に躍り出たジャネットが、剣を振るう。
括り付けられた魔法石が、目を焼くほどの赤い輝きを放つ。
僕の魔法によって、マリア・トリジアの魔力と、エラの魔力を注がれたそれはまさしく、英雄の名に相応しい一閃だった。
凄まじい音を立てて空気を震わせた衝撃が、城の壁を突き破り、呪いの集合体を木っ端微塵に破壊する。
城の一角を粉々に崩した後、僕らの足元にある魔法陣が立ち消えた。
あまりの威力に、ポカンと口を開けたのは、周りの貴族や騎士団のみならず、ジャネット本人もだ。彼はぎこちない動作で僕に振り返り、剣を握る利き手を震わせる。
僕は口角を上げ、パチンと片目を閉じて見せた。
「知ってるだろ? 『ネームドウィザード』の名前は、他人が名乗れば天罰が下るんだよ。わぁお、英雄だね、ジャネット」
静寂の後、式場内は歓声に包まれた。
長きに渡る呪いから解放された、戸惑いや、安堵、不安や展望など、様々な感情が、人々の口をついて出た。
突然湧きあがった魔力に腰を抜かし、倒れ込んだエラを助け起こして、僕はキルジットと共に王座に連れていく。
エラは不安そうに双方を見ていたけれど、王座に上がったところで、司教が笑顔で迎えてくれて、目を丸くした。
背後には、ジャネットが吹き飛ばした壁が崩れ、白い満月が覗いている。
「──皆のもの、聞いてほしい」
キルジットの声に、式場内が静まり返った。皆が王座を見上げ、次の言葉を待っている。
「我が父、ジョージ公が亡くなった後より、我らの王国は、まがい物の国王と、醜悪な呪いに蝕まれていた。国政を安定させるまで暫し、世界魔法教会の預かりとなり、立て直そうと考えている」
響く彼の声に、皆が同意し、頷く。呪いという人知を越えた力に蝕まれた国だ、世界魔法教会の介入があった方が安全だ、という意見が多いだろう。
実際、世界魔法教会は、様々な国の魔法使いや魔女が所属する、世界で最も中立な組織なのだ。
「我が国には私の妹である、エラ・シルダーがいる。エラが女王となり、この国は再び、実り多き良き国となるだろう。それまでどうか、私たちを信じて、待っていてほしい」
僕が徐々に後方へ下がるのに合わせて、司教が前に進み出た。そして兄妹の隣で、穏やかに微笑む。エラは司教を見上げて頷き、両手でドレスの裾を持ち上げ、綺麗なカーテシーを披露した。そして顔を上げ、淡く色づいた唇を緩ませる。
月の光と同じシルバーブロンドに、宝石のように輝く海色の瞳。この先きっと、傾国の美女と謳われる姿。
それは彼女の母と同じ、見惚れるように優美な仕草だった。
「……白き月の光は、我が王国と共に。第一王位継承者エラ・シルダー。ここで皆様と再び会い見えること、必ずお約束いたします」
僕が杖を振り上げれば、マリアが式場内に空いた切れ目の向こうまで飛び、両腕を広げる。そうすれば白く輝く花びらが、国中に降り注いだ。
拍手と歓声は鳴り止まない。熱狂は波となって、人々を伝わり広がっていく。
エラが辺りを見渡し、振り返って僕と視線を合わせた。そして笑顔から一転し、クシャクシャに表情を歪めて泣きそうな顔をすると、唇を戦慄かせる。
僕は目を瞬かせ、杖を消してから、遠慮なく両腕を広げた。
飛び込んできた彼女を抱きとめ、支えきれずに後に倒れても、歓喜に沸く城内は誰も僕らに気がつかない。
泣き出した彼女の頬を撫でれば、エラは両手で僕の頬を挟んで唇を重ねる。
「おぅっと、エラ……! お転婆だなぁ」
こんな積極性は、オヴィゴースやリアリタにはなかったなぁと照れながら言えば、彼女は顔を赤くしながら目尻を下げた。
「パームキン、……パームキン、ありがとう」
「……いいえ」
「わたし、あなたが好きよ。大好きなの。あなたに愛される人に、わたしはなりたいわ……!」
僕は瞠目して、呼吸も止まるほど驚いて、唇を震わせる。
こんな格好の悪い怪物など、好きになってはいけないよと、そう言いたいのに、脳裏に言葉が反響する。
──あなたに愛される人に、わたしは生まれ変わりたい。
情けなく表情が歪んで、視界は涙で滲んで、それでも手放せない熱がある。
彼女の髪に指を通し、僕は祈るように目蓋を閉じた。
「……っ……エラ、僕も、君に愛される人になりたいな。……僕はきっと、君に会うために、……長い時間を、生きてきたんだ」
それは後に、この国で最も喜ばしき日として祝祭となる日。
白い満月が祝福する、そんな夜だった。
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