デビュタントの式典ホールは、阿鼻叫喚の嵐だった。


 使用人も貴族も、皆が悲鳴を上げて王座を凝視している。当然だろう。そこにいるのは、美しく着飾ったメイデンス皇后陛下などではない、醜く変形し、痛みと苦しみにのたうちまわる、魔女の形をした呪いなのだから。


「どうなっている!? おい、あそこにいる魔女を引きずり降ろせ!」

「ああ、王女! ご無事でしたか!?」

「いったい何がどうなっているの、わたくしたちは何を!? 女王陛下! 女王陛下はどこに!?」

「ワタシは女王陛下の葬儀に参列したのか!? この記憶は何だ!?」


 メイデンスの呪いや魔法が解かれた貴族や使用人たちが、動揺して泣き叫ぶ。

 彼らの記憶は、改ざんされているだけで、失ったワケじゃない。突然の事態に混乱し、半狂乱になるのも無理はなかった。


 師匠の側近だった使用人達が、エラの姿に気がついて、慌てて寄り添い頭を垂れる。彼女は戸惑って僕の腕に縋り、それを宥めつついれば、人々を掻き分けてキルジットが走り寄った。


「エラ!」

「お兄様……!」


 僕と同じく正装を身に纏った彼は、エラを抱きしめ頬擦りし、大きく長い息を吐く。彼女をここへ無事に連れてくるまで、生きた心地もしなかっただろう。


 彼は最愛の妹からゆっくりと腕を放し、僕に視線を向けた。目尻を緩ませ頷くと、彼はグッと言葉を堪えて、王座に向き直る。


「王座に巣くうのは、我らのリアリタ女王陛下とジョージ公を亡き者にし、我が妹、エラの命を脅かした反逆者だ! 捕らえよ!」


 第一王子であり、騎士団総隊長の一声に、警備にあたっていた騎士達は即座に我に返り、王座を取り囲んだ。そして騒ぎを聞きつけてやってきた他の騎士は、貴族達を避難させるべく、誘導を開始する。

 よく統率が取れた動きに感心しながら、僕は王座を見上げた。


 呪いを全て返されたメイデンスの横で、僕の親友の弟君が、真っ青な顔ですくみ上がっている。彼は魔女の呪いにかかっていない共犯者だ。捉えて裁判にかける必要がある。

 僕が言葉を発するより先に、魔女が金切り声を上げた。


「あぁあああッ!! 嘘よ、嘘よ、嘘嘘嘘! デイル、デェイル! どういうこと、ワタクシは全て上手くいくのではなかったのッ!」


 音を立て、白い煙を上げながら変化していく姿は、黒い骸骨のようだ。貴族の令嬢達が悲鳴をあげ、中には腰を抜かして倒れ込む人もいる。


 隣でエラが息を呑んだ。無意識に抱き寄せると、彼女は僕に寄り添いつつも、両手を強く握り締める。


「ああッああッ、くそ、くそ、くそ、あんな女さえいなければ、あの女が、あの女がっ、何もカモ持っていたアノオんながぁああッ」


 言葉が徐々に歪んでいく。何か魔法を使おうとしているのか、時折呪文を叫ぶが、辺りには何も起こらない。

 魂を悪魔に売り払い、人間でなくなったメイデンスは、呪いそのもの。新たな魔法など使えるはずもない。

 メイデンスは気が付かなかったのだ。魔法の使えなくなったに、教会が金バッジなど授与するはずもないことを。


 それほどにあの魔女は、王座という権力に座る自分に、酔いしれてしまったのだろう。


 王座に上がった騎士が、震えて泡を垂らす弟君を拘束し、魔女に剣を向ける。

 弟君はある意味で、心の弱さの隙を疲れ、甘言で唆された被害者だろうけれど、彼には僕の親友の殺害に関わった容疑がある。しっかり罪を吐いてもらうまで、拘束するしかない。

 抵抗する気力も湧かず、へたり込んだ男の横で、黒い骸骨のように骨と皮ばかりになった魔女は、ギョロリと浮き出た目玉を回し、エラを視界に入れた。


 「羨ましい、妬まシい、うつクしイ、シいたゲたい、苦シめたい、殺したい、殺したい、殺したい、お前さえいなければ、お前さえイナケレバァアアアッ!」


 騎士の剣を弾き飛ばし、魔女の体が浮き上がる。術者に返り、呪いという思念体になった彼女はただ、エラを殺すことを目的に飛び掛かってきた。


 そこには人としての理性はもう、一欠片もない。


 僕は杖を出現させると、一瞬で床に魔法陣を張った。僕らの後ろで光が差し、マリアが白い長髪をなびかせ、殺意ある双眸で黒い骸骨を見つめる。

 僕が込めるのは、力を与えるための、魔法だ。


「ワタクシが、ネームドウィザードをあたえラレタんだ、ワタクシが“オヴィゴース”になるんだぁあああああああああッ!!」


 かつん、と、ガラスの靴が床を踏み鳴らす。魔法は白く気高き渦となって、彼女の怒りに合わせて足元を照らす。

 燃えるように輝く瞳は呪いを射抜き、エラは喉を嗄らさんばかりに怒号を上げた。


「あなたのような化け物が、わたしとお母様の名前に傷をつけるな━━━━ッ!!!!」



 瞬間。



 僕らの前に躍り出たジャネットが、剣を振るう。

 括り付けられた魔法石が、目を焼くほどの赤い輝きを放つ。


 僕の魔法によって、マリア・トリジアの魔力と、エラの魔力を注がれたそれはまさしく、英雄の名に相応しい一閃だった。


 凄まじい音を立てて空気を震わせた衝撃が、城の壁を突き破り、呪いの集合体を木っ端微塵に破壊する。

城の一角を粉々に崩した後、僕らの足元にある魔法陣が立ち消えた。


 あまりの威力に、ポカンと口を開けたのは、周りの貴族や騎士団のみならず、ジャネット本人もだ。彼はぎこちない動作で僕に振り返り、剣を握る利き手を震わせる。


 僕は口角を上げ、パチンと片目を閉じて見せた。


「知ってるだろ? 『ネームドウィザード』の名前は、他人が名乗れば天罰が下るんだよ。わぁお、英雄だね、ジャネット」


 静寂の後、式場内は歓声に包まれた。


 長きに渡る呪いから解放された、戸惑いや、安堵、不安や展望など、様々な感情が、人々の口をついて出た。

突然湧きあがった魔力に腰を抜かし、倒れ込んだエラを助け起こして、僕はキルジットと共に王座に連れていく。

 エラは不安そうに双方を見ていたけれど、王座に上がったところで、司教が笑顔で迎えてくれて、目を丸くした。


 背後には、ジャネットが吹き飛ばした壁が崩れ、白い満月が覗いている。


「──皆のもの、聞いてほしい」


 キルジットの声に、式場内が静まり返った。皆が王座を見上げ、次の言葉を待っている。


「我が父、ジョージ公が亡くなった後より、我らの王国は、まがい物の国王と、醜悪な呪いに蝕まれていた。国政を安定させるまで暫し、世界魔法教会の預かりとなり、立て直そうと考えている」


 響く彼の声に、皆が同意し、頷く。呪いという人知を越えた力に蝕まれた国だ、世界魔法教会の介入があった方が安全だ、という意見が多いだろう。

 実際、世界魔法教会は、様々な国の魔法使いや魔女が所属する、世界で最も中立な組織なのだ。


「我が国には私の妹である、エラ・シルダーがいる。エラが女王となり、この国は再び、実り多き良き国となるだろう。それまでどうか、私たちを信じて、待っていてほしい」


 僕が徐々に後方へ下がるのに合わせて、司教が前に進み出た。そして兄妹の隣で、穏やかに微笑む。エラは司教を見上げて頷き、両手でドレスの裾を持ち上げ、綺麗なカーテシーを披露した。そして顔を上げ、淡く色づいた唇を緩ませる。


 月の光と同じシルバーブロンドに、宝石のように輝く海色の瞳。この先きっと、傾国の美女と謳われる姿。

 それは彼女の母と同じ、見惚れるように優美な仕草だった。


「……白き月の光は、我が王国と共に。第一王位継承者エラ・シルダー。ここで皆様と再び会い見えること、必ずお約束いたします」


 僕が杖を振り上げれば、マリアが式場内に空いた切れ目の向こうまで飛び、両腕を広げる。そうすれば白く輝く花びらが、国中に降り注いだ。


 拍手と歓声は鳴り止まない。熱狂は波となって、人々を伝わり広がっていく。


 エラが辺りを見渡し、振り返って僕と視線を合わせた。そして笑顔から一転し、クシャクシャに表情を歪めて泣きそうな顔をすると、唇を戦慄かせる。

 僕は目を瞬かせ、杖を消してから、遠慮なく両腕を広げた。


 飛び込んできた彼女を抱きとめ、支えきれずに後に倒れても、歓喜に沸く城内は誰も僕らに気がつかない。

 泣き出した彼女の頬を撫でれば、エラは両手で僕の頬を挟んで唇を重ねる。


「おぅっと、エラ……! お転婆だなぁ」


 こんな積極性は、オヴィゴースやリアリタにはなかったなぁと照れながら言えば、彼女は顔を赤くしながら目尻を下げた。


「パームキン、……パームキン、ありがとう」

「……いいえ」

「わたし、あなたが好きよ。大好きなの。あなたに愛される人に、わたしはなりたいわ……!」


 僕は瞠目して、呼吸も止まるほど驚いて、唇を震わせる。

 こんな格好の悪い怪物など、好きになってはいけないよと、そう言いたいのに、脳裏に言葉が反響する。



 ──あなたに愛される人に、わたしは生まれ変わりたい。 



情けなく表情が歪んで、視界は涙で滲んで、それでも手放せない熱がある。

 彼女の髪に指を通し、僕は祈るように目蓋を閉じた。


「……っ……エラ、僕も、君に愛される人になりたいな。……僕はきっと、君に会うために、……長い時間を、生きてきたんだ」


 



 それは後に、この国で最も喜ばしき日として祝祭となる日。

 白い満月が祝福する、そんな夜だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る