④
「……でも、新しい恋もしたんだよ」
言葉尻が何かで揺れた。目頭が熱くなって、頬が赤くなって、僕は恥ずかしくて苦しくて、鼻を啜る。
「素敵な恋だったし、楽しい愛だった。でも彼女は、……リアリタは、君の父君と、……っジョージと一緒にいた方が、何億倍も綺麗だったんだよ」
デビュタントの会場で彼女と出会ってから、いつも3人で共に歩んだ。
誕生日は互いに贈り物をして、イベントごとも積極的に企画して、親愛なる二人の結婚式だって、僕が祝辞を読んだ。
民に慕われた、良き女王と王配だった。使用人にも分け隔てなく優しく、他貴族からの信頼も厚く、二人はいつだって輝く世界の中にいた。
リアリタは美しかった。僕の親友の隣にいる時が一番、本当に美しかった。
僕の隣ではダメだったのだ。
自らを殺し時間を逆行させた時、彼女の弟子という立場になったのも、僕では隣に立てる人間になれないからだ。歪な怪物の僕は、彼女の家族にはなれないからだ。
真っ当な人間として振る舞うには、今の僕ではあまりに、一つの生にしがみ付き過ぎた。
それでも。
「……それでも、僕は君のお母様を、愛してた」
彼女の心はいつだって、愛する我が子と共にあって、彼女の全てはいつだって、愛する夫の傍にある。
それが本当は、悔しかった。
思い描いていたのが、男としての愛情じゃないなんて、最期、二人の間にあったのが男女の愛じゃないなんて、嘘だ。
「妻と同じじゃない彼女を、僕はずっと、死ぬまで愛してたんだ」
ぽとりと、水滴が服にシミを作る。
静かに耳を傾けてくれていたエラは、揺れる車内の中、立ち上がって僕の隣に座った。そして細い両腕で僕を抱きしめ、目蓋を閉じる。
暖かな抱擁に涙腺は更に緩んで、僕は流れる水滴を止められないまま、再度鼻を啜った。
こんな話、娘に聞かせるモノではなかっただろう。彼女が師匠と似ているから、つい口を滑らせてしまった。
なんとか口角を上げて、僕は抱きしめ返しながらゆっくりと彼女の背中を叩く。
「……すみ、ません。こんな気持ち悪い話を」
「気持ち悪くなんてないわ」
強く否定して、エラは首を振った。そして上体を起こし、額を合わせて瞳を交える。彼女の小さな手が僕の頬を撫で、ゆっくりと涙を拭われた。
「……わたしね、少し、安心したの」
「安心……?」
「うん。……マリア様にあなたの話を聞いて、わたしたち親子は、ずっとパームキンの奥様の代わりだったのかなって、不安だった。……だから、あなたがちゃんとお母様を愛してくれていて、安心したの」
鼻先が触れ合うほどの至近距離で、彼女は笑う。安堵を滲ませて、それでいて複雑な心境を感じさせる、そんな笑みだった。
僕が同じように手の平で頬に触れると、エラは海色の瞳を滲ませて、少し、言葉を詰まらせる。
そして何かを言う前に、馬車がゆっくりと、その車輪の動きを止めた。
僕は指先で触れたところから魔法をかけ、二人の涙の痕を消すと、扉を開けたジャネットに視線を向けた。
「……いけるか?」
「うん、手筈通りに頼むよジャネット」
親友と頷き合って、先に馬車を降り、エラに片手を差し出す。彼女は一瞬、躊躇う素振りを見せて、僕を見つめた。その双眸に微笑んで、さぁ、と促す。
エラは意を決して踏み出し、ドレスを片手で摘んで、優雅に地面へ降り立った。
波打ち際を揺蕩うドレスは、街灯の光を受けて輝いて見える。
僕は後続車から降り立った司教に、城内にいる教会員達と合流するように伝えた。このまま一緒に会場に向かうと、変に怪しまれてしまう。司教は心配げに表情を曇らせたものの、しっかりと頷いて離れていった。
僕はマウエラとラトリアを傍に寄せ、小声で耳打ちする。
「メイデンスは城から出られないだろうけど、いざと言うときは頼むよ、マウエラ、ラトリア」
「お任せくださいませ、パームキン様。骨も残しませんわ。ねぇ、ラット」
「そうですわ、パームキン様。悲鳴の余韻すら残しませんわ。ねぇ、マウス」
相変わらず殺意高めな侍女二人の頼もしさに、苦笑混じりに笑った。
そして改めてエラに向き直り、彼女を促す。エラは小さく喉を鳴らして唾を飲み込んだ後、しっかりと前を向き、僕に腕を絡ませ歩き出した。
洋品店で彼女が気にいったガラスの靴が、城内の石畳を優美に響かせる。もう式典が始まっているようで、周辺にはあまり貴族の姿は無く、代わりに使用人たちが、惚けた顔で僕らを見つめていた。
ジャネットの先導に従い、デビュタントが開催されている、指定のホールへ向かっていく。
互いに緊張の為か、上手く言葉が出てこない。何か彼女を励さなくてはと思うのに、これっぽっちも気の利いたセリフが思い浮かばなかった。
視線を彷徨わせている僕より先に、沈黙を破ったのはエラだった。
「……わたし、全然、同じじゃないの」
城内の煌びやかな装飾にも負けない、髪飾りが光を反射する。
「お母様のように同じ顔ではないし、わたしも、あなたの奥様の魔力を受け継いでいるって、マリア様に聞いたけれど、魔法なんてよくわからないし、本当に全然、同じところなんかない」
エラの言わんとしている事が、徐々に僕の心に伝わってくる。驚いて、ゆっくりと胸が熱くなる。
僕は、駄目だよ、と。声にならない言葉で、首を左右に振って彼女を遮ろうとした。けれど彼女は、真っ直ぐに行く道を見据えて、決して俯かない。
「それでも、同じじゃないわたしは、あなたに愛されたいわ」
「……エラ」
「今じゃなくたっていい。ううん、今の人生じゃなくたっていい」
彼女の声は、凛として強く、明るい。情けないのは僕の方で、僕に腕を絡ませるエラの手に、そっと自分の手を重ねた。手袋越しでも分かる体温は、いつもより少しだけ高くて、余計に心臓の鼓動を早くする。
僕のような怪物に、心を奪われてはいけない。
そう言いたいのに、年相応の子供を演じきれない、悪い大人の僕は、息を呑んで彼女の横顔を見た。
前を行くジャネットが立ち止まる。僕らも自然と足を止めた。
エラはやっと僕に視線を向けて、頬を赤らめて微笑む。それは今まで見ていたどんな顔より、胸を刺す笑みだった。
「あなたが好きよ、パームキン。大人になったって、お婆さんになったって、生まれ変わったって、いつかあなたと、新しい恋がしたい。……わたしだって待てるわ。わたしの偉大な
絡ませた腕を解いて、彼女の腰に回して引き寄せる。
前を行くジャネットが、案内役の使用人が口を開く前に、広々としたホールに向けて、声を張り上げた。
「エラ・シルダー第一王女、並びにパームキン・チャールストン第三王子! ただいまより入場する!」
悪い大人にしかなれない怪物は、眩いほど綺麗な人の唇を閉じ込める。
彼女の胸元を飾る、海色の宝石が輝いた瞬間。
全ての呪いが解ける鐘の音がした。
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