情けなくフラフラになりつつ、ジャネットと共に城下街へ馬を走らせる。

 ある程度痩せてから、乗馬の練習もしておいてよかった。尻が痛くて爆発しそうだし、意識も何度か飛びかけるけれど、何とか前を行く親友を追いかける。

 街外れにある教会の裏に馬を止め、正門に立てば、神妙な面持ちの司教が僕らを出迎えた。


「首尾は」

「この支部を通して魔法使いが数名、城へ召喚されました。おそらく、自己の権威を高める為に侍らせるのかと」

「うん、好都合ですね。魔法石は渡せましたか?」

「もちろんです」

「では、奴が城から逃げ出す事のないよう、見張らせてください」

「仰せの通りに」

「……王女殿下は?」


 僕は早る気持ちを抑えつつ、出来るだけゆっくりとした声音で彼女の様子を窺った。司教は頷き、彼女の部屋へと案内する。

 簡素な木製の扉を叩くと、室内からマウエラの声がした。僕は司教に代わり、扉を引き開ける。


 ちょうどその時、山の向こうに西日が沈んだ。薄暗くなる空間の中、室内灯の下で彼女は立ち上がる。


 微かな光も輝くシルバーブロンドの長髪。透き通る肌に、深い海色の瞳。柔らかな唇と、すらりと伸びた背筋。眼差しは静けさを湛えて、僕らをまっすぐに見つめている。


 背後でジャネットが息をのむ。僕は前に進み出ると、エラ王女の後ろにいる、マウエラとラトリアを一瞥した。侍女二人は両手を胸の前で組み、目元を腫らしつつも僕に微笑む。

 エラ王女は大きく息を吸い込んだ後、両腕を広げて僕に飛び込んできた。


「パームキン!!」


 悲鳴に近い声を上げて抱きつく彼女を、何とかその場を一回転して受け止める。ボロボロと泣いてしゃくりあげるエラ王女に、僕は片手でゆっくりと背中を撫でた。


「お待たせしましたね、エラ王女殿下」

「ぜ、っ全然、あなたが、きてくれなくてっ、っ、わ、っわたし」

「すみません、心配をかけました。もう大丈夫」


 あやすように撫でながら、僕はゆっくりと上体を離し、彼女の顔を覗き込む。泣き腫らした痕で、微かに目元が赤かった。マウエラとラトリアを控えさせてはいたけれど、待ち続ける時間はきっと心細かったのだろう。


 指先でなぞりながら目尻を緩ませ、僕はこつ、と軽く床を鳴らした。

 簡単に着替えてきたシャツやスラックスが、式典用に王族の正装へと魔法によって形を変えていく。


 首から提げているペンダントを、片手で持ち上げた。青く光るそれに、彼女も僕に習って、胸元のペンダントを持ち上げる。


「……魔法をかけますよ、エラ王女」


 彼女の唇から吐息が溢れた。足元に魔法陣が広がり、呼吸が白く烟る。

 彼女は顔を上げて僕を見つめた。唇が震えて、けれど音にならずに首を振って、僕の首に再度腕を回す。

 僅かに半歩後ろへ下がって受け入れ、そのまま彼女を抱きしめ返した。


 真っ白に世界を輝かせて、彼女の姿はへと変貌する。


 波打ち際から、揺蕩う海を思わせるグラデーションのドレス。女性らしさの中に除く、無垢な少女を思わせるフリル。洋品店で見たさまざまなドレスや装飾品の中から、彼女が心惹かれた、複数のデザインを組み合わせたものだ。

 髪は高く結い上がり、輝く宝石が彩られる。僕らの間にある二つのペンダントは一つに重なり、ドレスの胸元を彩るブローチとなって、揺れるたびに違う輝きを織りなす。


 視線を交えて、僕は年甲斐もなく少しドキドキして、口角を緩やかに上げた。


「……綺麗だなぁ。こんな綺麗な人をエスコート出来るなんて、僕は役得だ」

「パームキン……」

「参りましょう。僕には貴女の力が必要だ」


 彼女の手を引いて歩き出す。足が少し震えるが、それでも前を向いて進めるのは、ひとえに体を鍛えていた恩恵だろう。

 シスターに手伝ってもらい、ドレスの裾に注意しながら、教会の裏側に回った。背後から遅れてやってきたジャネットが、両手に抱えるほどの大きなカボチャを持ってくる。


「他に何かなかったのかい?」

「これが一番それらしいんだから、仕方がねーだろ」


 彼は地面にそれをおき、二頭の馬の手綱を引いた。王女殿下が不思議そうに、カボチャと馬を見比べる。


「何をするの?」

「城にお連れする馬車の用意を」


 疑問符を飛ばす彼女に笑って、僕はマウエラとラトリアに目配せする。侍女二人は優雅に一礼し、その赤い双眸を緩やかに細めた。


 僕がカボチャに触れれば、それはみるみる大きくなり、ツタや葉は形を変え、車輪が出現する。

 白く神聖でありながら、どこか可愛らしさがある馬車に、僕の隣でエラ王女が目を丸くした。


「カボチャの馬車?」

「はい。馬車を移動させてくる方法も考えたのですが、ちょっと今の僕の体力では、保ちそうになくて」


 僕が第三王子として使用している馬車を、魔法で持ってくることはできる。けれど、体力的に厳しいのと、せっかくのデビュタントだ。妃殿下には新しい馬車に乗ってもらいたかった。


 司教を乗せる後続車も用意し、馬は初めの二頭を複製する。オリジナルには劣るけれど、城へ戻るくらいであれば事足りるだろう。

 踏み台を宙に浮かばせながら、僕が足りない物はないかと考えていれば、エラ王女は目を瞬かせる。


「……パームキンって、すごい魔法使いだけど……何というか……」


 ふふ、と彼女は笑った。少し肩の力が抜けた、小さな笑み。それは次第に苦笑まじりに変わり、地面に置かれた踏み台まで視線が下がった。


 僕は王女の様子を見つめた後、再び片手を差し出す。彼女は戸惑うことなく僕の手に重ね、馬車に乗り込んだ。優雅にドレスを揺らし、淑やかに座席に腰を落ち着かせる。

 僕の視線にエラ王女は再度、今度もやはり力無く笑って、眉尻を下げた。


「練習したの。上手くできてる?」

「……とても」


 僕は笑みの形から、なるべく表情を変えないように返事をする。すぐにマウエラとラトリアに、後続車と司教の安全確保を頼み、ジャネットに馬の手綱を願って、僕も馬車に乗り込んだ。

 見た目より広い空間にした車内は、思ったより快適そうだ。それに安堵しつつ、妃殿下の斜め前に腰を下ろす。


 馬車が出発すれば、少し緊張の糸が緩んで、疲労感に片手で腕をさすった。

 ジャネット大魔王とのトレーニングに勤しんでいてよかった。何もしなければ、仮に呪いをくぐり抜けたとしても、こうやって迎えにくることは叶わなかっただろう。やっぱり筋肉は裏切らない。

 自己満足に頷いていれば、エラ王女が口を開いた。


「……ねぇ、パームキン」

「何でしょう」

「わたしのお母様は、あなたの奥様に、似ているの?」


 暗く沈んだ声に、僕は目を見開く。

 侍女二人は、そんなことまで話していたのか。徐々に視線を逸らしながら、指先で頬を掻いた。

 ということは、パームキンという男が何者であるのか、エラ王女は、──エラは、理解しているのだろう。


「あっ……ご、ごめんなさい、マウエラとラトリアに、わたしが聞いたの。それに、こんな状況下で聞く事ではないとは、思う。だけど、……だけど……」


 煮え切らない思いに、言葉尻が震えていた。

 僕が何者かを理解したエラには、きっと僕の行動理由が、酷く歪で不潔なものに思えたはずだ。もしかしたら今この瞬間だって、目の前に座られているのが、不快で仕方がないかもしれない。


 僕は膝の上で両手の指先を組み、目蓋を伏せる。


「……、……そうだね」


 わざと言葉を崩すと、エラは泣きそうな顔で俯いた。ドレスを両手できつく握りしめ、何かを言いかけては唇を閉ざしてしまう。


「……、……なら、パームキン」


 迷いを残しながら呼びかけられた声は、寂しげに揺れる。


「……あなたが、わたしとお母様に良くしてくれるのは、……あなたの奥様の、代わりだからなの?」


 問いかけに僕は息を呑んで、暫し、呼吸が止まったような気がした。

 違う、と否定しようとする声を飲み込んで、僕は視線を彷徨わせる。


 何と答えても、きっと彼女の懸念は事実にしかならない。


 僕は確かにオヴィゴースに出会う為に、この生にしがみ付いた。師匠に……リアリタに妻を重ねたし、違う人間であることに何度も愕然とした。

 僕はずっと、彼女たち親子に、妻を投影していたのだ。


「……、……そうだね。僕はオヴィゴースを愛していたから、諦めきれなかったんだ」


 エラの表情が、やっぱり泣きそうに歪んだ。そんな顔をさせたい訳ではないのに、何を言っても、僕が彼女を傷つけている事に変わりはない。


 妻が居なくなった後、僕は寂しくて、悲しくて、どこかに行けば会えるのではないかと、ずっと死と生を繰り返してきた。自分がもはや何者になれなくても、どこかで生まれるオヴィゴースの産声を聞いたら、僕の寂しさや悲しみは、やっとどこかに消えていくんじゃないかと、当てもなく彷徨っていた。


 そこで出会ったリアリタに、希望を抱いたことは事実だ。


 同じように名前を呼び合えるんじゃないか。

 同じように生活できるんじゃないか。

 同じように、二人の間にほんの一時あった愛に、生涯を捧げられるんじゃないか。


 結局僕は、そんな夢物語に酔い潰れた、ただの矮小な怪物なのだ。


「でも、結局は赤の他人だって、気がついた。マリアにとっては新しい我が子だけれど、僕にとっては、オヴィゴースは生涯、ただ一人しかいない。何度季節が巡っても、オヴィゴースと瓜二つな女性と出会っても、魔力が同じ人間に出会っても、……結局、僕の目の前にいる人は、オヴィゴースじゃなかったんだ」

「……パームキンは、ずっと奥様を愛しているの?」

「そうだよ」


 間髪入れずに答えて、エラを見つめる。彼女は気がつくと、一筋の涙を流しながら、真っ直ぐに僕を見つめていた。


 互いを隔てるカーテンはないけれど、まるで車内は懺悔室のようだ。


 車輪の回る音に消える、城下街の喧騒。デビュタントの浮かれた空気感。これから挑む決戦に向けての緊張感。

 そんな浮ついた僕の感情を、ただ受け止めるかのような、エラの瞳が微かに細まる。


 僕はその時になって初めて、──自分の喉が震えていることに、気がついたのだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る