③
情けなくフラフラになりつつ、ジャネットと共に城下街へ馬を走らせる。
ある程度痩せてから、乗馬の練習もしておいてよかった。尻が痛くて爆発しそうだし、意識も何度か飛びかけるけれど、何とか前を行く親友を追いかける。
街外れにある教会の裏に馬を止め、正門に立てば、神妙な面持ちの司教が僕らを出迎えた。
「首尾は」
「この支部を通して魔法使いが数名、城へ召喚されました。おそらく、自己の権威を高める為に侍らせるのかと」
「うん、好都合ですね。魔法石は渡せましたか?」
「もちろんです」
「では、奴が城から逃げ出す事のないよう、見張らせてください」
「仰せの通りに」
「……王女殿下は?」
僕は早る気持ちを抑えつつ、出来るだけゆっくりとした声音で彼女の様子を窺った。司教は頷き、彼女の部屋へと案内する。
簡素な木製の扉を叩くと、室内からマウエラの声がした。僕は司教に代わり、扉を引き開ける。
ちょうどその時、山の向こうに西日が沈んだ。薄暗くなる空間の中、室内灯の下で彼女は立ち上がる。
微かな光も輝くシルバーブロンドの長髪。透き通る肌に、深い海色の瞳。柔らかな唇と、すらりと伸びた背筋。眼差しは静けさを湛えて、僕らをまっすぐに見つめている。
背後でジャネットが息をのむ。僕は前に進み出ると、エラ王女の後ろにいる、マウエラとラトリアを一瞥した。侍女二人は両手を胸の前で組み、目元を腫らしつつも僕に微笑む。
エラ王女は大きく息を吸い込んだ後、両腕を広げて僕に飛び込んできた。
「パームキン!!」
悲鳴に近い声を上げて抱きつく彼女を、何とかその場を一回転して受け止める。ボロボロと泣いてしゃくりあげるエラ王女に、僕は片手でゆっくりと背中を撫でた。
「お待たせしましたね、エラ王女殿下」
「ぜ、っ全然、あなたが、きてくれなくてっ、っ、わ、っわたし」
「すみません、心配をかけました。もう大丈夫」
あやすように撫でながら、僕はゆっくりと上体を離し、彼女の顔を覗き込む。泣き腫らした痕で、微かに目元が赤かった。マウエラとラトリアを控えさせてはいたけれど、待ち続ける時間はきっと心細かったのだろう。
指先でなぞりながら目尻を緩ませ、僕はこつ、と軽く床を鳴らした。
簡単に着替えてきたシャツやスラックスが、式典用に王族の正装へと魔法によって形を変えていく。
首から提げているペンダントを、片手で持ち上げた。青く光るそれに、彼女も僕に習って、胸元のペンダントを持ち上げる。
「……魔法をかけますよ、エラ王女」
彼女の唇から吐息が溢れた。足元に魔法陣が広がり、呼吸が白く烟る。
彼女は顔を上げて僕を見つめた。唇が震えて、けれど音にならずに首を振って、僕の首に再度腕を回す。
僅かに半歩後ろへ下がって受け入れ、そのまま彼女を抱きしめ返した。
真っ白に世界を輝かせて、彼女の姿は女王へと変貌する。
波打ち際から、揺蕩う海を思わせるグラデーションのドレス。女性らしさの中に除く、無垢な少女を思わせるフリル。洋品店で見たさまざまなドレスや装飾品の中から、彼女が心惹かれた、複数のデザインを組み合わせたものだ。
髪は高く結い上がり、輝く宝石が彩られる。僕らの間にある二つのペンダントは一つに重なり、ドレスの胸元を彩るブローチとなって、揺れるたびに違う輝きを織りなす。
視線を交えて、僕は年甲斐もなく少しドキドキして、口角を緩やかに上げた。
「……綺麗だなぁ。こんな綺麗な人をエスコート出来るなんて、僕は役得だ」
「パームキン……」
「参りましょう。僕には貴女の力が必要だ」
彼女の手を引いて歩き出す。足が少し震えるが、それでも前を向いて進めるのは、ひとえに体を鍛えていた恩恵だろう。
シスターに手伝ってもらい、ドレスの裾に注意しながら、教会の裏側に回った。背後から遅れてやってきたジャネットが、両手に抱えるほどの大きなカボチャを持ってくる。
「他に何かなかったのかい?」
「これが一番それらしいんだから、仕方がねーだろ」
彼は地面にそれをおき、二頭の馬の手綱を引いた。王女殿下が不思議そうに、カボチャと馬を見比べる。
「何をするの?」
「城にお連れする馬車の用意を」
疑問符を飛ばす彼女に笑って、僕はマウエラとラトリアに目配せする。侍女二人は優雅に一礼し、その赤い双眸を緩やかに細めた。
僕がカボチャに触れれば、それはみるみる大きくなり、ツタや葉は形を変え、車輪が出現する。
白く神聖でありながら、どこか可愛らしさがある馬車に、僕の隣でエラ王女が目を丸くした。
「カボチャの馬車?」
「はい。馬車を移動させてくる方法も考えたのですが、ちょっと今の僕の体力では、保ちそうになくて」
僕が第三王子として使用している馬車を、魔法で持ってくることはできる。けれど、体力的に厳しいのと、せっかくのデビュタントだ。妃殿下には新しい馬車に乗ってもらいたかった。
司教を乗せる後続車も用意し、馬は初めの二頭を複製する。オリジナルには劣るけれど、城へ戻るくらいであれば事足りるだろう。
踏み台を宙に浮かばせながら、僕が足りない物はないかと考えていれば、エラ王女は目を瞬かせる。
「……パームキンって、すごい魔法使いだけど……何というか……」
ふふ、と彼女は笑った。少し肩の力が抜けた、小さな笑み。それは次第に苦笑まじりに変わり、地面に置かれた踏み台まで視線が下がった。
僕は王女の様子を見つめた後、再び片手を差し出す。彼女は戸惑うことなく僕の手に重ね、馬車に乗り込んだ。優雅にドレスを揺らし、淑やかに座席に腰を落ち着かせる。
僕の視線にエラ王女は再度、今度もやはり力無く笑って、眉尻を下げた。
「練習したの。上手くできてる?」
「……とても」
僕は笑みの形から、なるべく表情を変えないように返事をする。すぐにマウエラとラトリアに、後続車と司教の安全確保を頼み、ジャネットに馬の手綱を願って、僕も馬車に乗り込んだ。
見た目より広い空間にした車内は、思ったより快適そうだ。それに安堵しつつ、妃殿下の斜め前に腰を下ろす。
馬車が出発すれば、少し緊張の糸が緩んで、疲労感に片手で腕をさすった。
ジャネット大魔王とのトレーニングに勤しんでいてよかった。何もしなければ、仮に呪いをくぐり抜けたとしても、こうやって迎えにくることは叶わなかっただろう。やっぱり筋肉は裏切らない。
自己満足に頷いていれば、エラ王女が口を開いた。
「……ねぇ、パームキン」
「何でしょう」
「わたしのお母様は、あなたの奥様に、似ているの?」
暗く沈んだ声に、僕は目を見開く。
侍女二人は、そんなことまで話していたのか。徐々に視線を逸らしながら、指先で頬を掻いた。
ということは、パームキンという男が何者であるのか、エラ王女は、──エラは、理解しているのだろう。
「あっ……ご、ごめんなさい、マウエラとラトリアに、わたしが聞いたの。それに、こんな状況下で聞く事ではないとは、思う。だけど、……だけど……」
煮え切らない思いに、言葉尻が震えていた。
僕が何者かを理解したエラには、きっと僕の行動理由が、酷く歪で不潔なものに思えたはずだ。もしかしたら今この瞬間だって、目の前に座られているのが、不快で仕方がないかもしれない。
僕は膝の上で両手の指先を組み、目蓋を伏せる。
「……、……そうだね」
わざと言葉を崩すと、エラは泣きそうな顔で俯いた。ドレスを両手できつく握りしめ、何かを言いかけては唇を閉ざしてしまう。
「……、……なら、パームキン」
迷いを残しながら呼びかけられた声は、寂しげに揺れる。
「……あなたが、わたしとお母様に良くしてくれるのは、……あなたの奥様の、代わりだからなの?」
問いかけに僕は息を呑んで、暫し、呼吸が止まったような気がした。
違う、と否定しようとする声を飲み込んで、僕は視線を彷徨わせる。
何と答えても、きっと彼女の懸念は事実にしかならない。
僕は確かにオヴィゴースに出会う為に、この生にしがみ付いた。師匠に……リアリタに妻を重ねたし、違う人間であることに何度も愕然とした。
僕はずっと、彼女たち親子に、妻を投影していたのだ。
「……、……そうだね。僕はオヴィゴースを愛していたから、諦めきれなかったんだ」
エラの表情が、やっぱり泣きそうに歪んだ。そんな顔をさせたい訳ではないのに、何を言っても、僕が彼女を傷つけている事に変わりはない。
妻が居なくなった後、僕は寂しくて、悲しくて、どこかに行けば会えるのではないかと、ずっと死と生を繰り返してきた。自分がもはや何者になれなくても、どこかで生まれるオヴィゴースの産声を聞いたら、僕の寂しさや悲しみは、やっとどこかに消えていくんじゃないかと、当てもなく彷徨っていた。
そこで出会ったリアリタに、希望を抱いたことは事実だ。
同じように名前を呼び合えるんじゃないか。
同じように生活できるんじゃないか。
同じように、二人の間にほんの一時あった愛に、生涯を捧げられるんじゃないか。
結局僕は、そんな夢物語に酔い潰れた、ただの矮小な怪物なのだ。
「でも、結局は赤の他人だって、気がついた。マリアにとっては新しい我が子だけれど、僕にとっては、オヴィゴースは生涯、ただ一人しかいない。何度季節が巡っても、オヴィゴースと瓜二つな女性と出会っても、魔力が同じ人間に出会っても、……結局、僕の目の前にいる人は、オヴィゴースじゃなかったんだ」
「……パームキンは、ずっと奥様を愛しているの?」
「そうだよ」
間髪入れずに答えて、エラを見つめる。彼女は気がつくと、一筋の涙を流しながら、真っ直ぐに僕を見つめていた。
互いを隔てるカーテンはないけれど、まるで車内は懺悔室のようだ。
車輪の回る音に消える、城下街の喧騒。デビュタントの浮かれた空気感。これから挑む決戦に向けての緊張感。
そんな浮ついた僕の感情を、ただ受け止めるかのような、エラの瞳が微かに細まる。
僕はその時になって初めて、──自分の喉が震えていることに、気がついたのだ。
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