「いいかい、リアリタ。君自身と、君の子供達を護る為には、必要なことだよ」 


 僕はベッドから立ち上がり、背丈以上ある杖を手に出現させた。魔法陣が足元から部屋全体に広がり、吐き出す息が白く烟る。

 眩い光と共に姿を変えたマリアを見上げ、僕は目尻を下げた。マリアは少し戸惑った顔をした後、両手を胸の前で組み顎を引いて頷く。


「僕の魂を半分あげるよ。そうすれば、僕の魂を消費して、魔法や呪いを一時的に受け止められると思う。根本的な解決にはならないけど、少なくとも、出産中に命を落とす事はないはずだ」

「そんな……! 魂を半分渡すなんて、そんな無茶苦茶な魔法、いくらあなただって……!」

「うん。今の僕は生物学上人間だからね。人間にはそんな事できない」


 僕の言葉に、リアリタは更に顔を青くし、僕の衣服の裾を引っ張った。


 僕は腰に下げていた模造刀を手に取る。見た目は精巧な短剣だが、切っ先に触れても皮膚が傷つく事はない。躊躇わずそれに魔法を施し、本物に変化させる。ずっしりとした重さに苦笑しながら、ひとまずサイドテーブルに置いた。


「人間でないなら、出来るよ。時間逆行魔法と同じようにね」

「パームキン!!」

「君は母親として、諦めるわけにはいかないんだろう!」


 僕を呼ぶ声に被せ、声を張り上げる。ベッドに座り身を寄せて、両手で血の気の引いた顔を挟み込んだ。


「君たちは今、複雑な呪いをかけられているって事を忘れないでくれ。正攻法で立ち向かえば、最悪、全員死ぬんだよ、リアリタ!」

「っ……!」

「君たち親子には、一生は一回きりだ。だけど僕には差し出せる命がある。次に君に会う時だって、記憶も形状もそのままだ。……大丈夫、たった一回死ぬだけだよ」


 親指の腹で頬を撫で、あやすように額に口付ける。リアリタは歪めた表情で、唇を噛み締めた。

 数拍、見つめあって、彼女が僕の手に自らの両手を重ねる。


「……わたしは、あなたの妻じゃないのよ」


 その言葉に僕は目を丸くし、すぐに破顔して優しく彼女の頬を撫でた。


「知ってるよ? 君は容姿と、魔力の半分が同じなだけで、僕の妻とはこれっぽっちも同じじゃない。君は強くて逞しいけど、僕の妻はお淑やかで、泣き虫だったしね」

「ならそんな、命を張るようなこと」

「僕は、同じじゃない君を愛してた」


 リアリタの双眸が微かに揺れる。照れたり憤ったりしないのは、二人の間にあるのが、もう愛ではないからだ。


 彼女とデビュタントで出会った頃から、親友と共に彼女を見てきた。彼女は確かに僕の妻と同じ容姿だけれど、性格は真逆と言ったっていい。僕の妻はマリアから最も強大な魔力を受け継ぎ、それに怯えて泣いてばかりだったけれど、リアリタは天真爛漫で、自分が強き魔女だと心得ていた。

 だから僕は、リアリタ・シルダーという女性を知っていく中で、認めざるを得なかった。


 僕が幾星霜、再び出会うことを待ち望んだオヴィゴースは、もうこの世のどこにも居ないのだということを。


 額を合わせて視線を交える。美しい容姿だ。透き通る肌に、月の光と称されたシルバーブロンド。誰をも魅了する海色の瞳。その全てが僕の妻と同じで、──その全てが、僕の妻と違っていた。


「愛してたんだ、リアリタ。君を一人の女性として。だから、さ。好きだった人に命をかけるなんて、男のロマンだと思わないかい?」


 わざと戯けて鼻先を擦り合わせて、僕は名残惜しげに手を離す。リアリタも両手をさげ、この手を追いかけることはなかった。


 僕らの間にある感情に、男女の愛情はもはやない。

 僕は確かに彼女を愛していたけれど、もしかしたら厳密には、男としての愛ではなかったのかもしれない。その証拠に、親友の傍で幸せそうに笑う彼女を見て、心から祝福できたのだから。


 彼女は泣きそうにクシャクシャと顔に皺を寄せ、けれども涙は見せずに目蓋を閉じる。そしてゆっくりと開きながら僕を見据えた。

 光を讃える双眸が、何よりも綺麗だと思えた。


「……なら、パームキン。その前に、この子の魔力を共有できる魔法を、魔法石に施して」

「共有?」

「そうよ。二つの魔法石を繋いで、この子の、──エラの魔力を、共有するの。なるべくエラが苦しむことのないように、この子に降りかかる痛みや苦しみを、わたしが肩代わりする」


 言い切った彼女の言葉は、あまりにも自己犠牲的だった。


 女神マリア・トリジアの魔法であれば、そんな規格外の魔法であっても、順序さえ間違わなければ、魔法石に施すことは可能だ。

 魔力の共有という事は、例えばリアリタの魔力が封じられても、子供が生きている限り、リアリタは子供からの魔力の供給によって、降り掛かる呪いを引き受けられる。

 魔力は魂に依存するものだ。生きている赤ん坊から、完全に魔力を失くす事はできないし、共有したからといって、魂の違う他人では魔法に変換する事はできない。

 共有した魔力は、呪いをただ一方的な暴力として受け入れる、器にしかならないのだ。


 それでも共有量を調整して、出産さえ乗り越えられれば、赤ん坊の身は守られる。


 僕は沈黙を返し、しかし肩の力を抜いて、苦笑をこぼした。


「なんというか……相変わらず発想がぶっ飛んでるねぇ、リアリタ。さすが僕の師匠」

「ちょっと、師匠はやだって言ったでしょ。わたしの師匠はあなたなんだから」

「でも、僕の人間としての師匠は君だろ?」


 リアリタと僕は顔を見合わせ、互いにクスクスと笑い合う。彼女は自らの腹を撫で、隣で人形のように動かないキルジットを抱きしめた。その上から大きく腕を回し、僕は彼女たち家族を抱きしめる。


 「……準備をするよ。出産に立ち会えないのは残念だなぁ」


 腕の中で、彼女が震えた。僕は汗ばんだ額に頬を擦り寄せ、目蓋を閉じる。


「……パームキン」

「なんだい」


 僕を呼ぶ声に、多大なる親愛が込められていることを、僕は知っている。


 そこに男女の情はもはや無くても、僕が彼女をどんな形であれ愛していた、確たる証拠だと僕は思う。

 初めて会った時から、幾度も彼女に妻の面影を重ねた。その度に愕然として、躊躇って、姿を追いかけては、背中を見つめて立ち止まった。

 もう会えない妻を、いつまでも想う心に嘘はない。


 けれど、僕は願うのだ。


 彼女が歩む幸福の先に、ほんの少し、僕の記憶があることを。


 「……あなたのこと、ジョージの次に、好きだったわ」


 呟かれた言葉を最後に、僕の意識は引き戻された。














「パームキン!!」


 怒号にも似た声で覚醒し、僕はハッとして目を見開く。

 頭上にはベッドの天蓋があり、横からジャネットが焦った様相でこちらを覗き込んでいた。そして僕と目が合うと、一気に安堵混じりの息を吐き出した。


 視線だけで見渡すと、どうやら僕の寝室らしい。キルジット義兄上との会話を最後に倒れた後、どれくらい時間が経っているのだろうか。

 僕は力の入らない体を叱咤し、何とか上体を起こす。動き出した僕に彼は慌てて、倒れそうな背中を支えてくれた。


「……いやぁ……流石に自分で斬首は痛いよね……死ぬかと思った……」

「おっまえ……! 何、夢見てやがる! 全然目を覚まさないから、心配したじゃねーか!!」


 一喝するジャネットの声が、少し震えている。顔面は蒼白で、少し目の下に隈もあった。

 僕を心底心配してくれていたのだと思うと、申し訳なさと共に、希望のような嬉しさもある。彼が僕の親友でよかったなと、心からそう思うのだ。


 僕は寝巻きの袖から見える、骨と皮しかないような腕を見下ろし、口角を緩やかに上げる。

 師匠が打ち勝てなかった呪いに、この体は生き延びた。体は痩せ細り肉もなく、目の前が少し霞んで呼吸も浅いけれど、それでもちゃんと、生き延びたのだ。


「……今はいつ?」


 ジャネットを見上げて問い掛ければ、彼は表情を引き締める。


 彼の服装は、いつもの騎士団服に加えて、肩口から式典用のモールが垂れていた。赤色を織り交ぜた銀色のモールは、三番隊副隊長が身につける物。彼がこの服装という事は、決戦の日という事だ。

 窓の外を見れば、西日が城下街の向こうに沈もうとしている。


「デビュタント当日だ。ずっと意識がなかったんだぞ、お前」

「そうみたいだね」


 時間がない。僕は力の入りづらい体を動かして、ジャネットの手を借りながらベッドから這い降りる。床に素足をつけ、痺れるような痛みに目を細めた。


「……マジで行くのかよ、そんな状態で」


 ジャネットの言葉に頷いて、ベッドのサイドテーブルに置かれた、ペンダントを見る。片手に取って持ち上げれば、金属が冷たく、自分の握力が弱くなったせいでとても重い。

 けれど、青い魔法石が光るそれは、間違いなく僕を導く物だった。


「馬を出してくれ、ジャネット。僕は、僕を信じた大切な女の子に、必ず迎えにいくと約束したんだ」




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