第五幕




 夢を、見た。

 忘れないようにと願った、あの日の夢を。


「ジョージ……!」


 僕が駆け付けた時には、僕の敬愛する親友の顔には、柔らかな布がかけられた状態だった。花瓶に生けられた白い花は首を垂れて、使用人たちも皆、信じられないという顔で時を止めている。

 僕は悲しくて寂しくて、冷たい手を取って、年甲斐もなく涙に声を震わせた。


 事故にあったと聞いた。視察に訪れていた地方の領地で、特産品の鉄砲について説明を受けていた際に、誤爆したのだと。けれど、彼に近しい城内の者たちは、誰も事故などと思っていなかった。


 僕の親友は以前より、命を狙われているという噂があったのだ。暗殺を企てているのが、弟君だと。


 今回の視察だって、身重の妻を一人置いて、愛妻家の親友が出ていくはずがなかった。けれど、どういう巡り合わせか、どうしても視察の予定を外せなかった。

 弟君が測ったのだと、みんなが噂した。

 けれど確たる証拠もなく、今まで具体的な対策が出来ていなかった。


 僕は涙を拭いて、親友の片手を掛布の上へ静かに置く。そして顔を見つめて、──その違和感に、気がついたのだ。


「……っこれは……」


 首の下にある、アザのような丸い模様。太古の者達が使用していた魔法陣だ。しかもこれは、単なる魔法陣ではない。かなり強力な呪いを生成する物だった。

 僕が指先で触れると、ピリピリと電流が走るような熱を持っている。もう完成された呪いだった。

 現在の魔法使いや魔女は、魔法陣を用いて魔法を使用出来ない。つまりこれはか、神様か悪魔の仕業だと言うことになる。


 すぐに解除しようと、マリアに呼びかけるべく振り返り、僕は初めて、室内にその子が居ることに気がついた。


「……キルジット」


 ぼんやりとした瞳で、キルジットは父親を見つめていた。


 僕は彼の前に膝をつき、腕に抱き上げて背中を撫でる。話を聞くと彼は、目の前で父親を失ったらしい。

 僕が名を呼びながら撫でていれば、彼は一つ瞬いた。


「……だれ?」

「パームキンですよ、久しぶりだから忘れちゃったかな。君の父上の親友です」

「……ちちうぇはどこ?」


 虚な様相で呟く彼を、逡巡した後に親友の元に連れていく。子供は相変わらず何の感慨もない顔をしていた。僕が躊躇いながら布を外すと、キルジットは再び目を瞬かせて首を傾げる。

 その動作に、強い違和感があった。父親の死から心を守ろうとしているのなら、理屈として分からなくもないが、あまりに行動が自然すぎる。まるで父親と認識していなく、他人を見下ろしているかのようにも見えた。

 僕は親友に再度布を被せ、少しずつベッドから距離を取りながら、幼いキルジットの顔を覗き込む。


「父上の事は、分かったかい?」

「……あれは、だれ?」


 瞬間。


 彼の瞳の奥に、親友と同じ魔法陣が浮かんで、消えた。


 僕は叫びそうになるのを必死に抑え、キルジットを抱えたまま部屋を飛び出す。そこへ丁度、司教が血相を変えて走り寄ってきた。


「リアリタ様が、っリアリタ様の様子がおかしいのです!」


 真っ青な顔色の司教に、僕は息を呑んで彼女の部屋に急ぐ。長い回廊を抜け、お産に向けて準備をしているはずの室内に、飛び込んだ。


「っリアリタ!」


 そこには、陣痛というにはあり得ない程、半狂乱に叫ぶリアリタの姿があった。


「パームキン様! オヴィが、オヴィが……ッ」

「わたくしたちのオヴィを、どうかお救いください、パームキン様……!」


 マウエラとラトリアが、リアリタを懸命に押さえつけながら泣き叫ぶ。僕はキルジットをメイドに預けると、すぐにベッドへ近寄った。

 彼女たちの腕には引っ掻き傷がいくつも重なり、白い肌にミミズ腫れが走っている。よほど酷く暴れたのだろう。


 僕が両手を前にかざせば、背丈以上ある杖が現れ、足元に魔法陣が広がった。杖の先で空中を叩くと、水晶に似た透明な殻で、室内にある全てを覆い閉じ込める。

 リアリタが激しく咳き込み、身を捩った。汗が飛び散り、口の端が切れたのか血が滲んでいる。マウエラが濡れたタオルで顔を拭くと、苦痛で歪んだ海色の瞳が僕を映した。


「……パーム……」

「大丈夫かい、リアリタ」


 一時的に呪いの効力を鎮めたおかげか、表情は苦痛に歪んではいるものの、少し落ち着いたようだ。


 僕はメイドに預けていたキルジットを抱いて、ベッドに腰を下ろす。リアリタが腕を伸ばしたので、彼女の長子をゆっくりと隣に横たえた。

 母親に抱きしめられ、子供は何も言わず目蓋を閉じる。だけど、どうしても、違和感は拭えなかった。


「リアリタ、さっき、ジョージの様子を見てきたけれど、これは……」

「分かってる。……わたしたちは、呪われたのね」


 呼吸を落ち着かせながら、リアリタが呟く。ラトリアが手を貸し、緩慢な動作で身を起こした彼女は、ヘッドボードに寄りかかりながら唇を噛み締めた。

 もうすぐ生まれる、愛する我が子を抱える彼女の腹は、大きく膨らんでいる。彼女はそこを愛おしげに撫で、片腕に抱いたキルジットの髪を指先で流した。


 僕は徐々に距離を詰め、リアリタの乱れた髪に触れる。そして軽く横に流せば、彼女の周りをまとわりつく、歪な魔法陣が重なって見えた。

 キルジットの瞳の奥に浮かんだ魔法陣も、僕の親友の首元にあるものも、全て同じものだ。複数人に連動する呪いなど、今時分、気が狂っていると言っていいほど、複雑な術式だった。


 これは、確実に相手を死に至らしめる為の、強い殺意がなければ成り立たない。


「……どうしよう、パームキン」


 力無く彼女が呟き、首を左右に振った。そして自らの腹を抱えて、声を震わせる。


「どうやって、この子を助けたら……」


 僕と彼女であれば、呪いの解除は可能だ。けれど、今の状態で母子両方を救うのは、いくら才があっても不可能に近い。

 まだ生まれてもない赤ん坊が、魔法による負荷に耐えられる訳がないのだ。

 ましてや相手は強力な呪い。このまま生んで、リアリタすら無事でいられる保証もなかった。


 魔法や呪いは、行使するための順序がある。それを踏まえ、対人間の呪いを解除するには、解除対象者の魔力に働きかける必要があった。その過程で様々な負荷が、解除者と対象者を襲うのだ。

 通常なら魔法石を用いて、その負荷を跳ね返す事や鎮める事はできる。けれどまだ赤ん坊は、生まれてすらいない胎児だ。魔法石という物理的な道具を、胎児に身につけさせられる訳がない。


 僕は愕然として、リアリタの腹に手を置いた。

 彼女は僕の手を見下ろした後、両手で自らの頬を叩いて奮い立たせる。  


「っ考えていても仕方がないわ。パームキン、力を貸して。あなたの魔法陣で、完璧に呪いを阻害して欲しいの。出来るでしょう?」

「それでどうするんだい?」

「産むのよ」


 言い切ったリアリタに、僕は呆気に取られた後、慌てて首を振った。


「待っ……! リアリタ、落ち着いて。出産中の相手に、そんな強い魔法を使ったら……!」

「分かってるわ、でも、このまま出産しない事はできない」


 僕は視線を彷徨わせ、片手を額に押し付け息を吐く。


 言い分はもちろん理解できる。事実、出産の準備が進んでいる真っ最中だ。このまま分娩しないという選択肢は、母であるリアリタの中に存在しないだろう。

 けれど呪いを阻害する魔法だって、リアリタの魔力に働きかけるのだ。出産中はただでさえ、母体の負担が大きい。そんな事をして、彼女が無事に生き抜ける保証がどこにもなかった。


「パームキン、あなたなら繊細な魔法も得意でしょう? なら、生まれてくる子を守るのに、全力を注いで。わたしはこの子達の母親なの。母親が子供に背中を向けて、諦める事はできないわ」


 強い意志を秘めた海色の瞳が、輝きを増した気がした。


 僕の手の平の内側に響く、生きようともがく胎動。もうすぐ生まれる、輝かしい子。無事に生まれて欲しいと願った、一人の女の子。

 この子はリアリタと共に、“オヴィゴース”の魔力を受け継ぐ、大切な女の子なのだ。


 誰がどのような目的で、シルダー王家を襲ったのか、まだ分からない。僕の親友の弟君は、魔法が使えないはずだ。時間がない事に加え、敵の状態が不鮮明な以上、強力な呪いに対抗するには、正当方での勝ち目はなかった。

 僕たちは今、非合法な方法で立ち向かうしか、道がない。


 僕は数秒の間、沈黙した後、控えている使用人を見渡す。


「……少し、リアリタ女王陛下と時間をください。皆さんは部屋の外に」


 退出を促すと、使用人達が騒めく。出産間近の女王を一人で、と非難が飛ぶが、僕と視線を交じ合わせたリアリタが、片手を上げた。


「良いのです。皆、外に。許可があるまで入らぬよう」


 女王の言葉に、顔を見合わせた使用人達が、振り返りながらも部屋を出ていく。彼女はその様子を最後まで見届け、僕に顔を向けた。


「さぁ、パームキン、お願い。……大丈夫、わたしは死なないわ。この子達を救わず、死んだりなんか……」

「僕の命を半分渡そう」


 リアリタの言葉を遮り、僕は俯き加減だった顔を上げる。意味を理解するまで数秒を要した彼女は、次いで真っ青な顔で息を呑んだ。


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