幕間

Intermission




 僕は妻に、永遠を誓って生きてきた。



 大きな掃き出し窓によって月に照らされた部屋は、ロウソクの灯火が不要なほど、明るい。

 天蓋付きのベッドに座り、ヘッドボードに背中を預ける妻の片手を、優しく握り込んだ。そうすれば彼女は緩やかに目蓋を押し上げ、美しい海色の瞳に僕を映す。


「……パームキンさま」

「やぁ、オヴィゴース。気分はどうだい」

「……大丈夫です。あなたが居ますから……」


 そう言いながら柔らかく笑う顔に、年齢を重ねた皺が寄った。

 互いに歳を重ねて、僕はすっかりおじさんになってしまった。それでも妻は、━━オヴィゴースは、今も変わらずに美しい。


 僕は中空に杖を出現させると、緩やかに振って光の雫を溢れさせた。それはオヴィゴースの体に吸い込まれ、彼女は安堵の息を吐き出す。


 彼女は今、自身の身に宿るの暴走に苦しめられている。


 オヴィゴースは、マリアの奇跡を強く受け継いだ長子だ。

 今より若い時は、身体に何の影響も出なかったが、歳を重ねて体内器官が衰えるにつれ、徐々に強すぎる力が蝕み始めたのである。

 最初は軽い目眩程度だったが、次第に身体を害する症状が現れ、今では杖をつかないと歩くことが出来ない。


 マリアと共に尽力したが、そもそも医者では太刀打ちできず、僕がマリアから引き出した奇跡をもってしてでも、オヴィゴースの症状を改善させることは出来なかった。


 今の僕ができる精一杯は、彼女の痛みや苦しみを和らげること。彼女の側に一秒でも長く寄り添うこと。

 ただ、それだけだった。


「……パームキンさま。ご公務がお忙しいでしょう? わたしは大丈夫ですから」

「何を言っているんだ。君の傍に居ないと、僕がダメなんだよ。知ってるかい? 今日も上の空で、大事な書類にインクを零して叱られたんだよ? 傷心の僕を慰めて」


 僕が芝居がかった動作で鳴き真似をして見せれば、オヴィゴースは可笑しそうに笑って、肩を震わせる。

 その朗らかな笑顔に僕も心が軽くなり、妻の細い体を抱きしめた。


 月明かりの室内で、取り止めもない会話を楽しめば、時間はあっという間に過ぎていく。抱きしめたままの彼女が、外の様子を気にした後、僕の腕を優しく撫でて視線を交えた。

 何事かを言いかけ、しかし何も言えず、僅かに瞳が潤む。唇を噛み締めたオヴィゴースに、僕は苦く笑って啄むように口付けた。


「申し訳、ございません。……わたしがこんな、体でなければ」

「……君が気に病む必要はないんだよ、オヴィ。君は体調を万全にすることに集中するんだ」


 僕が忙しいのは、事実だ。


 これまでオヴィゴースが王妃として担っていたことを、王である僕が引き継ぎ、僕らの子供たちと分担し職務にあたっている。

 彼女の規格外の奇跡は、それこそ僕が行使できるマリアの力に匹敵するほどで、その役割も大きかった。子供たちではそこまで及ばず、必然的に僕が代行することが多いのだ。

 マリアがいるので、身体的な苦痛、疲労はそれほどないが、時間を取られてしまう事に変わりはない。

 休息を全て、オヴィゴースの傍にいる時間にあてているので、彼女も思ところがあるのだろう。


 夫として出来ることなど、限られているのだ。睡眠時間を削ってでも、オヴィゴースの安寧を守るくらいの矜持は、持ちたいつもりである。


 オヴィゴースは僕の目を見つめ、暫し無言であったものの、細く息を吐き出した。


「……パームキンさま。もし、……もし、わたしが死んでも、後を追うような真似は、駄目ですよ」

「っ……縁起でもないことを言わないでくれ。君は死なない。大丈夫だから」


 突然の言葉に動揺し、上手く笑顔を取り繕えず、声が揺れる。彼女は顔を左右に振り、目蓋を閉じて俯いた。


「自分の体のことは、分かっているつもりです。……きっと、ながくないでしょう」

「オヴィゴース……!」

「っだって、わたしの体は、もう、思うように動かないんです……!」


 透明な雫が頬を流れて、寝巻きを濡らす。

 オヴィゴースは僕から離れ、両手で顔を覆い、再び頭を左右に振った。


 彼女がどれほど毎日を怯えているか、僕も分かってはいるつもりだ。

 朝目が覚めて、自分は生きているのか。妻は呼吸をしているか。食事をして咀嚼できるか。妻は最後まで食べ切ることができるのか。足を動かして倒れることはないか。妻はいつまで僕の隣を歩けるのか。


 眠る時、互いに明日は来ないのではないか、と。


 僕らはいつだって、先の見えない闇に晒されている。


「パームキンさま。わたしは、あなたに愛される日々が好きです。あなたを愛しています。だからどれほど苦痛でも、この命にしがみつきたいのです。……でも、自分の体ですもの。分かっています……」


 泣き腫らすオヴィゴースの目元は赤く、皺の寄る肌はそれでも輝きを失わない。

 姿形を損なわずとも、闇は刻一刻と、僕らの距離を離していく。


「……いつか来る、永遠の離別の時も、わたしはあなたを思います」


 必死に涙を拭いて、緩く笑うオヴィゴースの目に、僕はどのように映っているのだろう。きっと情けなく鼻を赤くし、子供と同じく追い縋る目で、最愛の妻を見つめている。

 その証拠に彼女は、僕に再度腕を伸ばして抱きしめ、肩口に顔を埋めた。


「わたしの偉大な王、ヴァンプロポス・ナイ・キリオス陛下。……例え二度と会えない日が来ても、体温を分け合った日々を、わたしは決して忘れません」

「オヴィゴース」

「……ああでも、……嫌だなぁ……。パームキンさま……また、あなたに愛される人に、わたしは生まれ変わりたい……」


 ほろほろと崩れるように、妻は涙する。

 体温はいつの間にか低く、呼吸はゆっくりと歪で。触れる肌も髪も徐々に油分を失い、骨と皮ばかりになっていく妻。


 見えないふりをしている僕を、許して欲しい。それでも手放せない熱があるのだ、と。


 僕らはその晩、声を上げて泣いたのだ。

 

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