「……夫……?」


 わたしは二人の言葉を反芻し、愕然と目を見開く。彼女たちは頷いて、僅かに目を伏せた。

 自分が許容できる範囲を超えた話に、頭が痛みを訴える。待ってほしい。神話に登場する統一国家の王であるなら、気が遠くなるほど古き人という事になる。けれど彼の容姿はどう見ても、わたしより少し年上の男の人だ。


 それに一番衝撃的なのは、女神の娘、オヴィゴースの夫。それは一体。


 混乱に二の句が継げないわたしに、マウエラが息を吐く。


「パームキン様は、生物学上は人間に間違いありませんわ。しかしながら、あの方が行使する魔法は、神と同じにございます。……わたくしの“オヴィゴース”が天寿をまっとうした後、あの方は自らの魂に強い魔法を込めましたの」

「その魔法は、あの方の死後発動し、時間を逆行させ、体を赤子まで戻す魔法にございますわ」


 パームキンという魔法使いは、マリア・トリジアの魔法を自らにかけ、死んでは赤子に戻ることを、今この時まで永遠と繰り返しているのだという。赤子に戻った彼は、秘密裏に教会内で乳母によって育てられ、自力で動けるようになったら、再び同じ人間として生をまっとうする。


「そ、……っそんな、魔法、可能なの?」

「人間では不可能にございます。だから死後に発動するのですわ。魂の重さが抜けた瞬間から、その死体は人間にございませんから」


 わたしは続く言葉を音に出来ず、ゆっくりと顔を俯かせる。


 理解が出来ない。なぜそんな途方もない事を繰り返しているのだろう。例えば今も彼が一国の王様として、権力に固執しているなら納得もいく。

 けれど彼は、どう見てもそんな要素はない。権力を行使すると言っても、せいぜい美味しい物を食べ、洋品店を貸し切ってくれるくらいだ。


 それなら、どうして。


「パームキン様は、わたくしの“オヴィゴース”に、再び会いまみえたかったのですわ」

「……彼の、妻に?」


 呟いた言葉が、みっともなく擦れる。両手で口を覆い隠し、口から飛び出してしまいそうな感情を押し留めた。涙が目蓋の下を潤ませ、小さく首を左右に振る。

 違う。泣きたいわけじゃない。でも、心が揺さぶられて息が詰まる。


「エラ王女殿下。昨今の魔法使いや魔女が欲しがる、『ネームドウィザード』が何であるか、ご存じでしょうか」


 突然の話題転換に、わたしは少しだけ顔を上げる。ラトリアが微かに眉尻を下げた。


「わたくしの8人の子供たちが亡くなった、のちの時代。同じように強き魔法を扱える人間が、何度か生まれました。わたくしは子供たちの面影を、その魔力の中に見い出したのです。それは先祖返りと言って差し支えないほど、近しい魔力でしたわ。そしてわたくしは新たな我が子達に、名前を授けたのです」


 『ネームドウィザード』を与えられる人間は、必ずしも8人の子供たちと同じ容姿ではなかったという。彼ら、彼女たちは先祖返りとして、魔法の力を受け継いでいるだけにすぎなかった。

 二人は一度言葉を切って、わたしを見つめる。


「しかしながら“オヴィゴース”だけは、ずっと、ずっと、姿を現さなかったのです」


 わたしのお母様が名を授かるまで、“オヴィゴース”は一度たりとも現れなかった。他7人の子供たちが過ぎ去る時代の中で、代わる代わる現れても、彼女の先祖返りだけは、ずっと消え失せたままだったという。

 そしてお母様がわたしを身籠もった日、マリア・トリジアはやっと、“オヴィゴース”に出会えたと言うのだ。


 二人の瞳は柔らかな光を帯びて、母なる眼差しに変化していく。わたしは両手を胸の前で強く握りしめた。


「リアリタ・シルダーは、わたくしの“オヴィゴース”の生き写しでございますわ。まるで我が子が生き返ったかのように、同じ顔だったのでございます」


 それはマリア・トリジアの傍に居た、パームキンにも衝撃を与えたことは、想像に難くない。

 彼は待っていたのだと、女神は語った。

 幾星霜の時代の中、もう一度最愛の妻に会いたくて。その為に自ら魔法を施し、マリア・トリジアと各地で生まれる『ネームドウィザード』に会い、何度も挫けてはひたすらに、また会える事を信じ続けた。


 人間の生を逸脱した自分が、この先、もはや何者になれなくとも。


 わたしの瞳から、涙が一粒滑り落ちた。ひくりと喉が震え、片手で目元を拭う。

 胸が苦しい理由に、名前をつけてしまいたくなかった。彼の事を思うと、ますます涙が溢れてきてしまう衝動に、気がついてしまいたくなかった。


 二人が、優しくわたしの髪を撫でてくれる。

 目を開ければ、お母様と同じ、月の光が見えた。


「っ……、っならパームキンが、……お母様を、助けたのは……」


 彼がわたしに優しいのは、命をかけてくれるのは、最愛の人の面影をただ、追いかけているだけなのだろうか。


 お母様が、古き“導き”の魔女と同じ魔力でなかったら。お母様の容姿が似ていなかったら、わたしがリアリタ・シルダーの娘でなかったら。

 彼はわたしをまっすぐに見つめてなど、くれなかったのだろうか。


 わたしにはお母様のように、パームキンの妻を思い起こす要素なんて、ない。


 その事実が酷く心を傷つけて、同時に、わたしという人間が酷く醜悪に思えた。こんな事を思うべきではないのに、こんな願いを授かるべきではないのに、涙と共に溢れてしまう。


「わたしを助けてくれるのは、彼の妻の代わりだからなの……ッ!?」


 名付ける事を放棄したい想いは、ますます確かな輪郭を持つ。振り解いてしまいたいのに、指先が震えるばかりで、弱い呼吸音だけが溢れて消えていくようだった。


「……その感情はパームキン様のものですわ。わたくしでは、何も申し上げられませんの」


 子供のように泣きじゃくるわたしに、ですが、と彼女は言葉を切る。そして数拍の後、優しくわたしを抱きしめた。

 二人分の暖かな抱擁に、喉をひくつかせながら顔を上げれば、見惚れるほどの笑みと視線が合う。


「全てを悲観する必要はないのですわ、わたくしの美しき新月」


 何も答えられないわたしに、彼女は笑みを深めて、わたしが座る椅子の前に両膝をついた。そして片方ずつわたしの手を、強く握りしめる。


「わたくしがリアリタ・シルダーと出会ったのは、彼女があなたを身籠もる前なのですわ」

「……え?」

「知っていましたの、彼女のこと。あなたが生まれる、ずっと前より。ですが先ほど申しました通り、わたくしが名前を授けるのは、容姿が似ているからではございません。魔力が近しい、同じだからですわ」


 彼女の瞳が三日月に細められた。意地悪な双眸だ。わたしは更に混乱し、涙も引っ込んでしまう。


 お母様を以前より知っていたなら、とっくに名前を授けていてもおかしくないはずだ。だって幼い頃から強い魔法を扱う人だったと、司教様やシスターから聞いている。

 けれどマリア・トリジアは、お母様に天啓を与える事をしなかった。

 容姿が生き写しなだけで、魔力が似ていたわけではないからと。


「わたくしは、思いもよらなかったのです。“オヴィゴース”の強すぎる魔力が、なんて」


 彼女はどこか芝居がかった様子で、悩ましげに息を吐く。呆けた顔を戻せないままのわたしに、彼女は腕を伸ばし、涙の跡を優しく指先で撫でた。


 わたしのお母様が、女神に“オヴィゴース”を授けられたのは、わたしを身籠もった日。

 パームキンが初めて教会に来たあの日、彼は確かにこう言った。


 ── いいえ。あなたにはあるのです。どうか僕に力をお貸しください。貴女と、貴女の兄君から幸福を奪い取った、あのクソみたいな魔女を殺す力を。


「エラ・“オヴィゴース”・シルダー。あなたは、わたくしの“オヴィゴース”の魔力を受け継いだ、その片割れなのですのよ」


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