第四幕




 僕はあまりの痛みに呻きながら、ある部屋に向かって城内を進んでいた。


 体中を掻き乱される不快感と、内臓を切り付けられたような痛みに、何度か意識が飛びかける。しかし、鍛えた努力が功を奏しているのか、幸いまだ歩けるのだ。なんとか部屋まで辿りつきたい。

 鉄の味がする口内で奥歯を噛み締めつつ、壁に手をついて廊下を進む。もう夜中に差し掛かってはいるが、誰とも、使用人とすら、すれ違わない。おそらく誘い出されている証拠だった。

 けれど、進まなくちゃならない。そうしなければ、自分の体がデビュタントまで保たなくなってしまう。


 僕は震える膝に鞭打って、目的の扉の前に来ると、ゆっくりと息を吐き出した。


 先日、せっかくエラ王女へ会いに教会を訪れたのに、余計な心配をかけてしまった。

 デビュタントまであと数日だ。流石に身体の苦痛が酷く、まるで自分の物ではないかのようで辛いものがある。ジャネットも僕の不調に気がついたようで、最近はダイエットなど止めろと言ってくるほどだった。

 本来ならこの痛みや苦しみは、王女を襲うモノだった。それをペンダントに宿る効力によって、全て僕が引き受けている。

 強烈な殺意の塊だ。危篤状態一歩手前にならないだけ、まだマシだろう。


 僕は再度息を吐き出し、意を決して扉を開けた。

 そこは大理石が輝く、魔法の効力を高めるために設備された、特別な部屋だった。


 部屋の中央で、黒い影がゆっくりと揺れる。振り返ったソレは、僕に気がつくと鬱蒼と笑った。


「……これはこれは、骨と皮になるのを待つばかりの、第三王子様じゃないか」

「……デイル義兄上」


 光すら吸収しそうな、真っ黒い装いのデイル義兄上は、上機嫌で鼻を鳴らし、コツコツと足先で大理石を叩く。


「こんな場所まで、のこのこ出向いてきて、どうした? 義弟おとうとよ」

「はは……酷い言い草だ……。僕を誘い込んだのは、貴方でしょう」


 扉を閉めれば、室内はぼんやりと浮かぶ魔法石の光で照らされた。

 浮き上がって見える彼の表情は酷く歪で、目を細める。


 デイル義兄上は靴音を鳴らしながらこちらに来ると、遠慮なく僕の腹を蹴り付けた。

 痛みというより衝撃で受け身も満足に取れず、後ろの扉へ強か後頭部を打ち付ける。こっちは冗談抜きで痛い。僕が片手で頭を押さえると、デイル義兄上が大声で笑った。


「そうだよなぁ。お前は私を止めに来るしかない。……ハッ、どうだぁ? 。オレのご主人様の呪いは、イカすだろ?」


 声音が徐々に濁り、下賎な言葉が室内にこだまする。見上げた先にある瞳孔が開いた。肌には発光する鱗が浮かび、先の割れた細い舌が、口端から見え隠れする。

 彼は僕の腹に片足を乗せ、体重を掛けながら顔を覗き込んできた。その不快な瞳を睨み返しながら、僕は冷や汗を肩で拭う。


「メイデンスをそそのかした悪魔は、君だね」

「おいおい、悲しいこと言うなよ。メイデンス様に力を貸してやったんだぜ? 可哀想だよなぁ、あーんなに努力してたのに、だぁーれも評価しちゃくれねぇ。だから、オレが優しく甘えさせてやったのさ。可哀想で可愛い女、オレってば大好物なの」


 メイデンスの呪いの元凶は、このデイルという悪魔だ。この悪魔に唆され、あの魔女は人であることを捨ててしまった。


 今更この悪魔を殺したところで、完成された呪いは自然消滅されない。だけど、この悪魔を押さえつけなければ、今も呪いは渦巻き、この部屋を通して増幅されているのだ。

 そしてメイデンスが行使する洗脳魔法も、おそらくこの部屋の恩恵を受けている。

 この大理石の部屋は、その目的で作られたのだろう。


 シルダーという一族を、完全に根絶やしにするために。メイデンスという魔女が、自分自身の悦楽と栄光を手に入れるために。

 悪魔と一緒に現国王親友の弟をたぶらかして、砂の上に築き上げた虚構の城なのだ。


 僕が呻きつつ睨めば、デイルは心底愉快そうに首を傾けて見せた。


「女神が傍に居ないテメェなんて、なぁーんにも怖くねぇな。やっと殺してやれるぜ」

「魔法が使えないから? 馬鹿にしてもらっちゃ困るよ。僕が彼女の魔法を体に留めておけるのは、君たちなら知っているはずだ」

「いつものように留めておくなんて出来ねぇだろ。魂が空っぽだ」


 心の内側を探ろうとする瞳が、興味深そうにニヤリと笑う。

 なるほど、そんなことまで見通せるらしい。やっぱり古き時代から生きている悪魔相手はやりづらい。

 僕は、僕の腹に乗る足を片手で、皮膚に食い込むほどの強さで掴んだ。


 確かに今の僕では、マリアの魔法を行使は出来ても、魔力のように体へ留めておく事ができない。いつもなら引き出した彼女の力を留めておき、遠く離れても使用できるのだけれど、今は留める為の器が備わっていなかった。


 デイルが僕の腹に乗せる片足に体重をかけながら、ニヤついた顔を一転させ、忌ま忌ましげに舌打つ。


「ったく、使えねぇ国王陛下のせいで、テメェが城に来た時から、胸糞悪いったらねェ。テメェが余計な手を回したせいで、シルダーのガキどもにも、なかなか手出し出来ねェしよ」


 骨が軋んで内臓を傷つけそうだ。体中痛くて仕方がない。

 でも今は、それでいい。


「しっかしせねェな。魂が空っぽなテメェは今、呪いは効かねェはずだ。だのにずいぶん苦しそうじゃねーか。今度はどんな手品をしてんだ?」


 心底不可解だと言わんばかりに、悪魔が目を眇めた。僕は表情を歪ませながら意識的に口角を吊り上げる。


 そう。マリアの魔法を留める器がない僕は、魔力の為にある体内器官が無いと等しい。

 本来ならそもそも、メイデンスの呪いが効かないはずなのだ。


「……どうしてだと思う?」


 僕はわざと挑発的な言葉を選び、首を傾けて見せる。

 ピクリとデイルの眉が動いた、次の瞬間。


 扉が僅かに隙間を空けたかと思えば、銀の剣が、醜悪な悪魔の顔をつらぬいた。


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