今度はジャネットを供に教会を訪れた僕に、王女が脇目も振らずに飛び込んできた。慌てて受け止め、ひっくり返りそうになるのを、なんとかその場を一回転する事で凌ぐ。


「パームキン! すごいわ、本当に体調がよくなってきてるの!」

「それは良かった。貴女が頑張っている成果ですよ」


 嬉しそうにはしゃぐ彼女の肌は、確かに最初に見た時より良くなってきていた。まだ荒れて赤らんでいるところも多く、双眸も窪んだままだが、それでも触れる肌は徐々に改善を見せている。

 片手を頬に当てて覗き込めば、顔色も随分良くなった。顔色の悪さは、それまでの痛みを伴う呪いに、塞ぎ込む事が多かったせいだろう。自分の肌が良くなっていくこの状況に、気分が上向いている証しだ。


 よしよしと頭を撫でて励ましていれば、後方で呆気にとられて硬直しているジャネットの横で、司教が少し涙を滲ませ微笑んだ。


 ようやく興奮が治ったエラ妃殿下は、ジャネットの存在に気がついたようで、真っ青な顔で僕から離れて後退する。

 そして前髪で顔を隠すと、柔らかな紺色のワンピースの裾を持ち上げ、まだぎこちないカーテシーを披露して見せた。


「おっ、お見苦しいところを申し訳ありません、騎士団員様」

「い、いえ」

「王女殿下。上に立つ者が、むやみに頭を下げるのはよくありませんわ」


 王女殿下という単語に、ジャネットが再び硬直した。

 彼女の教育係をお願いしたマウエラとラトリアが、微笑ましげに姿を見せる。侍女二人は深く一礼すると、エラ妃殿下に寄り添った。妃殿下は眉尻を下げて二人を交互に見る。


「で、ですがマリ……」

、王女殿下。堂々となさいまし。ねぇ、マウス」

「ええ。大丈夫ですわ、王女殿下。トゥーベル様は心強い味方ですの。ねぇ、ラット」


 完全に状況に付いていけず、一人置いてけぼりのジャネットが、説明を求めて僕に視線を向けた。

 まったく、ジャネットには暫く秘密を通す予定だったのだが、早々にネタバラしされてしまったようだ。

 僕は素知らぬ顔をする侍女二人を軽く睨め付け、嘆息しつつジャネットを見上げる。


「何も話さずごめん、ジャネット。この方はエラ王女。キルジット義兄上の妹君で、のちにこの国の女王となるお方だ。どうか最大限の敬意を」

「っ……!? ごっ、ご無礼を……! イーベゼイ子爵カルト・トゥーベルが第三子、ジャネット・トゥーベルと申します!」


 慌てて膝を折った彼に、エラ王女は、おろおろと視線を彷徨わせる。まぁ今までの境遇を考えれば、当然の反応だろう。しかし彼女には、少しずつでも慣れてもらわないといけない。

 僕が視線を向けて笑みを見せれば、エラ王女は胸の前で手を組み、僅かに顎を引いた。


「……新しき月の光は騎士と供に。第一王位継承者、エラ・シルダーと申します」

「……シルダー……?」


 彼女の性に、ジャネットが怪訝な表情で呟いた。説明を求める強い視線を向けられれば、僕は肩をすくめる。


 彼女の正体が割れた時は、身分を隠さなくて良いと伝えたのは僕である。呪いの解除を進める以上、メイデンスに僕らの動向を勘付かれない事は不可能だ。だから少しでも状況が有利になるよう、彼女の事は周知していた方が良いと判断したのである。

 けれど今の王家は、チャールストン家という事になっている。ジャネットが混乱するのも無理はない。


 百面相するジャネットを宥めつつ、後で簡単に説明することを約束し、僕はエラ王女に向き直った。


「エラ王女。今日はデートのお誘いに参りました」

「デート?」

「はい。デビュタントの時にお召しになる、ドレスや宝石を見に行きましょう」


 僕の提案に、王女は青い顔で視線を逸らす。そうしながら前髪を気にして指先で触れた。何かを伝えたいと口を動かすが、声にならずに俯いてしまう。


 彼女は必要以上、外部との接触を嫌っていた。顔を見れば後ろ指をさされ、“廃かぶり”と笑われる日常を経験しているのだ。その感情も無理はない。僕に誘われたからと言って、ホイホイ着いていけるような心構えもないだろう。

 もちろん、そんな彼女の心情は織り込み済みだ。


「心配には及びません。馬車を手配してあります」

「……で、でも、お店に……入るでしょう……?」

「そうですね。でも大丈夫。店を貸し切ってきましたから」

「へ?」


 予想外の言葉だったのか、王女は目を丸くして顔を上げる。

 僕はニヤリと笑って、人差し指を顔の横に掲げて、軽く回して見せた。


「ご安心を。僕はこの国の第三王子ですからね。権力は正しく使用しませんと。……司教。王女の外出の許可を頂いてもいいですか?」

「もちろんです、どうぞ、エラ様をよろしくお願い致します」


 理解が追いついていないエラ王女を尻目に、僕はさっさと司教に許可をもらい、改めて向き直った。そして指先で軽く彼女の服に触り、魔法をかけた次の瞬間には、白い光の粒が辺りに弾け、衣服を変化させる。


 萌黄色のワンピースに、白いアクセントリボン。裾にはフリルをふんだんにあしらい、踵の低い靴でまとめる。視線が気になるならばと、ツバの広い帽子も空中に出現させた。


「……うん。素敵ですよ。こんな美しい人をエスコートできるなんて、僕は役得だなぁ」

「……っ……は、恥ずかしいわ、こんな綺麗な服なのに、わたしのこんな顔でっ……!」


 驚きに言葉を詰まらせた彼女は、すぐに意識を引き戻して首を横に振った。帽子を手に取り、自分の顔をジャネットから隠すように唾を持つ。

 僕はふむ、とジャネットに目を向けた。彼は相変わらず目を白黒させたまま、僕とエラ王女を交互に見ている。


「大丈夫ですよ。ジャネットは既婚者でね。奥方以外の女性はみんな等しく同じ顔なんです」

「おい!」

「だってそうだろ? 君の奥方は世界一可愛いんだから」

「そりゃそうだが、いきなり俺の評価を微妙に下げようとすんなよ!?」

「そんな自然と惚気る奴いる?」


 ジャネットが奥方とそれはもう仲睦まじいのは、城内でも評判だ。だから僕はこうして、安心して王女の前に彼を連れてこられる。


 彼女は衣服と僕の顔を交互に見つめる。僕は視線を外して頭を掻き、そっと声量を落として耳打ちした。


「……実はね、師匠が良く、貴女に似合う服だと言っていた内容を、少し参考にしました。……いつでも、貴女の母君は、貴女と供にありますよ」


 ハッとして僕の目を凝視したエラ王女は、すぐに顔をクシャクシャにして唇を噛んだ。

 目元に寄る皺が、ああ、そっくりだなと感心して、白い髪を優しく指先ですく。師匠も感情がすぐ顔に出やすい人だった。こういう泣きそうな顔は、本当によく似ている。


 ほろ、と涙が頬を濡らして、僕は親指の腹で雫を拭った。


「……外で待っていますから、殿下。大丈夫」

「……はい……っ」


 少し泣き出してしまった彼女は、マウエラとラトリアに任せた方が良いだろう。僕は失敬して、ひとまずジャネットと供に馬車へ戻る。

 今日はジャネットに手綱を任せているので、余計な心配もいらない。綺麗に手入れされツヤツヤの馬は、彼に良く懐いているから尚更だ。

 馬車の前で待機する僕に、ジャネットが声を顰めつつ教会を見上げた。


「……なぁ、シルダーって、どういうことだ? シルダーって、“導き”の魔女様の……」

「そう。僕の師匠の娘だよ」

「おいおい……嘘だろ、つまり、なんだ、“導き”の魔女様って、国王陛下のお手つきだったってこ……と……」


 ジャネットからすれば、先の会話で行き着く先にある、当然の結論だったのだが、僕は思わず睨み上げてしまった。彼は肩を震わせ、半歩片足を引く。血の気の引いた顔にハッとして、ごめん、と謝罪し息を吐いた。

 危ない。ジャネットを責めるのはお門違いだ。軽く自分の胸を叩き、喉元まで迫り上がった感情を押し殺す。


「……師匠の名誉に誓って、それは違う。エラ王女は、愛ある夫婦の元に生まれた、正当な王位継承者だよ」


 僕の言葉に、ジャネットは青い顔をしたまま、何も言わなかった。いや、言えなかったという方が近いかもしれない。

 彼だって馬鹿じゃない。恐らく僕の会話で察したのだろう。


 王室の家名は、チャールストン。国王陛下の一族だ。エラ王女が正当な第一王位継承者だとすれば、エラ・チャールストンと名乗るのが普通だろう。


 しかし彼女は、そう名乗らなかった。


 この国でシルダーと名乗ったのは、ジャネットの記憶だと師匠だけだ。師匠は近親者を早くに亡くしていて、兄弟も居なかった為、たった一人のシルダー性だと思われている。

 そこに娘だと言う女性が現れ、キルジット義兄上の妹だという情報が入った。

 彼女は正当な王位継承者である。それから事実として残されているのが、現国王陛下の兄が事故で亡くなっているという事。現国王の兄は公式な書面上、未婚という事になっている。

 師匠が現国王陛下の手付きでないなら、つまり。


 片手で口元を押さえ考え込むジャネットに、僕もそれ以上、何も言わなかった。


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