第二幕





 わたしが知っているお母様の姿はいつも、わたしの知らない綺麗な女の人だった。


 月の光とみんなが言う、綺麗な長い髪に、意志の強い海色の瞳。光にあたり透き通る白い肌。

 偶像を象った幾何学模様が浮かぶ杖を手に、青空の下で魔法を見せる姿は、この世界に魔法をもたらした女神様みたいだった。


『エラ様。あの方が、リアリタ・シルダー様。あなたのお母様ですよ』


 司教様がわたしの横に立ち、優しい声で教えて下さる。おずおずと見上げれば、声と同じく優しい目が、わたしを見下ろしていた。


 小さなわたしは、両手でぎゅっと衣服を握りしめ、もう一度真っ直ぐに、母だと教えてもらったリアリタ様を見つめる。

 綺麗な人だな、と思う。本当に本当に、綺麗な人だ。


 でも同時に、とても悲しかった事を覚えている。


 綺麗なリアリタ様は、堂々とみんなの前に立っている。でもわたしの方はちっとも見てくれない。

 リアリタ様は王族の後ろで、王家に使える魔法使い達と一緒にいて、時々、ちょっとだけ笑って城下の人たちに手を振っている。でもわたしの方には、ちっとも笑いかけてくれない。


 見える位置にいるのに、触れられるかもしれないのに、お母様の目はけしてわたしを映さない。

 あの綺麗な女神様が、わたしのお母様である実感が、ほんのひと匙だって湧かなかった。


 だってリアリタ様の娘だというわたしは、ひどい有様なのだ。


 食べても食べても肉の付かない貧相な体に、落ち窪んだ海色の目。いつもシスターが清潔にしてくれるのに、ボサボサと水分の足りない長い白髪。肌は白く色素が抜けて、カサカサと乾燥し皮膚はボロボロ。


 みんながわたしを指差し笑う。


 “灰かぶり”のエラ。


 それがわたし、エラ・シルダーだった。




『……どうして、おかあさまは、わたしにあいにきて、くれないの? あそこにいるのに、どうして、おかあさまに、あいにいっちゃいけないの?』


 司教様は、リアリタ様がわたしのお母様だと言うことを皮切りに、いろんな事を一緒に教えてくれた。


 わたしたち家族には呪いがかけられていて、その呪いの進行が少しでも遅れるように、わたしを教会で保護しているという事。

 お母様は本当は、この国の女王様であること。

 けれど悪い魔女と、悪い魔女に加担したお父様の弟に、王配であるお父様が殺され、わたしとお兄様を守るために、お城に残って戦っていると言う事。


 お母様は、わたしとお兄様を、心から愛しているという事を。


 司教様はいつも、わたしに正しいことを教えてくれる。なのに、わたしがいくら外でこの話をしても、誰も信じてくれなかった。

 国王様も皇后様も、初めから同じだと、みんなが言う。

 王家の名にシルダーなど無く、初めからお父様の生家、チャールストン一族が担っていると、怪訝な顔をされる。

 でもわたしが暮らす教会ではみんな、わたしが姫であることを知っていた。司教様に教えてもらった事をシスターに聞けば、その通りだと頷いてくれた。


 初めは恐ろしかった。


 教会がおかしいのか、わたしがおかしいのか、外のみんながおかしいのか、判断がつかなかった。


 でも司教様が、悪い魔女の魔法によって、教会の外ではみんな魔法にかけられてしまっているのだと、辛抱強くわたしに説いてくれた。




 そして、わたしが6歳の誕生日を迎える前に、お母様が亡くなった。


 あの綺麗な人がお母様である実感がなかったわたしは、呪いの影響でお城にもいけない。ただ教会の三角窓から、遠くで行われる、お母様の葬儀らしき様子を眺めているだけだった。

 本当に、わたしのお母様は死んだのだろうか。

 あそこにいるのは、赤の他人なのではないだろうか。

 教会のみんなが泣いていた。いつも優しく微笑んでいる司教様も、部屋で一人、本当に悲しそうに泣いていた。


 でもわたしにはまだ、なんの実感も湧けなかった。




 わたしが自分の出自を信じるきっかけになったのは、7歳の誕生日に、お兄様が会いに来てくれたことだ。


 この国の第一王子、キルジット・チャールストン……いえ、キルジット・シルダーお兄様は、綺麗な花束と美味しいお菓子を持って、悪い魔女の監視をかいくぐって会いにきてくれたのだ。

 キルジットお兄様の事は、もちろん司教様に聞いて知っている。でも、いつも人形のように無表情で、ただ呆然と、国民に手を振っている姿しか知らないわたしは、お兄様という存在が薄気味悪くて仕方がなかった。


 でも、初めて会ったお兄様は、わたしに笑いかけてくれた。


 醜さが体を蝕んでいくわたしを、躊躇うことなく優しく抱きしめて、エラ、エラ、と涙するキットお兄様に、わたしは嬉しくて嬉しくて、声を上げて泣いてしまった。


『誕生日おめでとう、エラ』


 お菓子はすごく甘くて、美味しくて、やっぱりポロポロ泣いてしまったわたしを、お兄様は何度も優しく撫でてくれた。

 お兄様は、信頼できる偉大な魔法使いが呪いを妨害してくださり、やっと正気に戻れたのだという。

 首から提げる、小指の指先大の宝石がついたペンダントを見せながら、そう教えてくれた。


 お兄様はいわゆる、人質だったのだ。


 悪い魔女と悪い王様が、お母様が強い魔法を使えないように。そして悪い魔女と悪い王様の実子だと、お兄様に暗示をかけ、お母様やわたしから引き離したのだと言う。


『この先、お前の安全を考えると、そう何度も会いにくることはできない。……だが、エラ。偉大な魔法使いが、必ず私たちを救ってくれる』

『魔法使いさまが?』

『そうだ。だから、どうかその時がくるまで、待っていて欲しい』


 わたしはお兄様の言葉を信じて、祈るように毎日を過ごした。

 キットお兄様とはほとんど会えないけれど、忙しい合間を縫って、綺麗な花と甘いお菓子を届けてくれた。

 だからわたしは頑張れる。

 歳を重ねるごとに、ますます廃かぶりになっても。お母様が亡くなった後、ボロボロの体が痛むようになって、苦しくて、恐ろしい夜を過ごしても。


 だから、わたしは頑張れた──のに。



 わたしに会いにきたのだと言った肉の塊に、悲鳴に近い声を上げて、持っていた掃除用バケツの中身を振りかぶっていた。


「あなたの施しを受けに、わたしは待っていたわけじゃない!」


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