真っ青を通り越し真っ白な顔の司教様に、わたしは今までにないほど叱責を受けた。けれど、バケツの中身を放り投げた事に後悔はない。

 それほどわたしは、この男が許せなかった。


 応接室で足の低いテーブルの向こう側に座る、肉の塊。この国の第三王子、パームキン・チャールストン。

 彼はわたしの無礼など当然だと言わんばかりに、魔法で自身の衣服を綺麗にすると、司教様を宥めて目尻を下げた。


「大丈夫です、司教。エラ王女のお心はもっともです。僕は問題ありませんから、どうぞ、王女と二人で話をさせてください」

「しかし……」

「大丈夫。マウエラとラトリアも居りますから」


 パームキン殿下の後ろで、わたしよりも幼く見える少女のような侍女二人が、にこやかに笑う。司教様は渋った後、わたしの様子を気にしながら退出していった。


 応接室に、なんとも言えない緊張感が漂う。わたしはこの男の顔が見られず、唇を引き結んだまま、じっとテーブルに置かれたティーカップを見つめていた。

 テーブルの向こうで、ソーサーとカップが持ち上げられ、ゆっくりと紅茶を飲み込む音がする。


 この男は初めから、わたしをエラ王女と呼ぶ。教会の外に居ながら、悪い魔女の影響を受けない人だ。だからこそ絶望して、怒りが湧いて、感情が頭の中を掻き乱す。

 この男がお兄様が信頼を寄せる、偉大な魔法使いなのだろう。それはきっと間違いない。


 わたしたちのお母様、“導き”の魔女の唯一の弟子。子供ながら無詠唱で魔法を使い、宮廷魔法士顔負けの実力がある。


 だけど、お城から漏れ聞こえる評判は最悪だ。


 確かに魔法使いとして優秀だけれど、王族が依頼したこと以外は、ほとんど何もせず、食べて寝て遊ぶ生活を謳歌しているのだという。顔に肉はつき下瞼を押し上げ、腹回りに脂肪は増え、杖をつかないと歩けないほどの体型で、自堕落的に毎日を消費しているのだと。

 噂で聞いた事と、この男は寸分違わぬ容姿だった。

 そうやってこの約10年、過ごしてきたのだろう。


 


「……エラ王女。誤解がないように伝えますが、僕は貴女に施しを授ける為に来たわけではありません」

「では何をしに? 兄は確かに、魔法使い様を待てと言いました。ですがそれは、あなたなんかじゃない……!」


 わたしは声を震わせ頭を振った。乾いて傷んだ髪が、白く剥けた皮膚に当たるだけで引き攣った痛みが走る。

 あと三ヶ月ほどで15歳になる体は、やはりどんなに食べても、どんなに綺麗で清潔にしても、痩せぎすで醜いままだった。


 無性に悔しかった。無性に腹立たしかった。激情に涙で視界が滲む。それでもこの男の前で、両手で顔を覆い咽び泣くような、か弱い女になりたくなかった。


「あなたが、わたしの母と共にいたことを知っています!」


 睨みつけた双眸に、この男が目を見開く様が映る。


 この男は確かにすごいのだろう。悪い魔女によって、教会以外のほぼ全ての人がかかっている魔法に、この人はかかっていない。兄の呪いを、あんな小さな石で退けた力のある、偉大な魔法使いなのだろう。

 それほど大きな力がありながら、どうして。


 どうして?


「どうしてわたしのお母様を、救って下さらなかったの……!」


 わたしの部屋には、お母様の形見だというペンダントがある。繊細な装飾が施され、真ん中には、わたしの瞳と同じ海色の宝石が嵌め込まれてあった。

 最初に見た時、こんな高価な物をどうしたらと、戸惑った。あの綺麗な人がお母様だという実感も、お母様が死んだという理解も、あまりなかったから。

 けれどペンダントの裏側に、魔法が施されていたのだ。


 ペンダントの魔法に気がついた司教様が、隠された文字を浮かび上がらせてくれた。

 期待と緊張で胸を高鳴らせたわたしの目に飛び込んできたのは、“わたし”を証明するものだった。



 愛するエラ

 この先、多くの幸運を育む、よき女王となることを祈って

 リアリタ・シルダー



 真っ直ぐに、わたしに会いにきた魔法使いを見つめる。視界は滲んで頬は冷たくて、それでも顔を伏せたくなかった。

 きっと落ち窪んだ目は赤く腫れて、ますます醜い容姿になっているだろうけれど、この感情に負けてしまいたくなかった。

 乾燥し切れた唇を震わせるわたしの前で、その魔法使いは立ち上がる。そして片膝をついて胸に片手を置き、深く深く頭を下げた。


「……申し開きもございません。このパームキン、いくらでもお叱りを受けましょう。ですが王女殿下、どうか今は、怒りをお納めください。僕は貴女の力を借りたく、参上したのです」

「何を言っているの? わたしを馬鹿にしにきたの? わたしに力なんてない!」

「いいえ。貴女にはあるのです。どうか僕に力をお貸しください。貴女と、貴女の兄君から幸福を奪い取った、──あのクソみたいな魔女を殺す力を」


 突然、物騒な言葉遣いと声音になった魔法使いに、わたしは驚いて目を瞬かせる。


 先ほどあった柔和な雰囲気を捨て、魔法使いは膝をついたまま緩やかに顔を上げた。そして双眸を細め、胸に押しつけた片手を握りしめる。

 それはまるでそこが痛むかのように、指先が白くなるほどの力だった。


「エラ王女の言う通り、僕は師匠を救えなかった。それほどにメイデンスという魔女の呪いは厄介です。僕は小さな魔法を散りばめ、師匠の守ろうとした人々に害がないよう、少しずつ進めていくしかなかった。そうしなければ、エラ王女も、貴女の兄君も死んでしまうから」

「……っ」

「ただあの魔女を殺すだけではダメなんです。本当はそんなこと、いつだって出来ます。今だって、この距離からだって容易く殺せる。ですが魔法も呪いも、超常現象に見えますが、全ての物事と同じように順序がある。その順序を怠り解除しようとすれば必ず、大きな反動が起こるのです」


 わたしに魔法を説く姿は、どこか司教様に重なった。


「まだ小さな王女が、その順序を理解し立ち向かうには、身体的に持ちませんでした。だから僕と師匠は、少しでも貴女の呪いの進行が遅れるよう、教会に貴女を預けたのです。師匠は魔法学についても天才でしたから、解除の手順はすぐに分かりました。けれど、……メイデンスの呪いは本当に厄介で、貴女と家族の物理的な距離が近いほど、進行する呪いだった」


 声が耳の奥に触れ、解けていくような感覚がする。


「連動する呪いを解除するには、技術面もそうですが、体力も要ります。強い呪いと対抗するだけ、力は根こそぎ奪われていく。……おかげで師匠は道半ば、意志を断たれました」

「……、……」

「僕の目の前で師匠は、あの魔女に奪われた」


 魔法使いの表情が歪んで、唇を噛み締める。強く掴んだ布は、そのまま引きちぎれてしまいそうだった。それが痛ましく、わたしは思わず目を逸らす。


 息も出来ないほど苦しかった。


 この魔法使いが、師匠、とわたしたちのお母様を呼ぶ声に、誰よりも敬愛が込められている。

 この魔法使いは、わたしたちと同じく、──大事な人を奪われたのだ。

 それはきっと、何も知らなかったわたしたち兄妹よりもずっと深く、彼の心を傷つけている。


 そうだ、救えなかったなどと詰め寄るべきではない。

 彼こそ目の前で、母なる師を奪われたのだ。


「……申し訳、ありません、パームキン殿下……わたしは」

「どうかパームキンとお呼びください、エラ王女。いいんです、貴女は僕を糾弾するに相応しい資格がある。メイデンスを殺し、貴女に国がかしずいたら、斬首にしてもいい」

「そ、そんな怖いこと言わないで」

「本来の貴女には、それだけの地位があるんですよ。まぁ、確かに斬首は痛いですけどね」


 へら、と笑う彼の張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。それに合わせて、わたしの強張っていた体も少し力が抜ける。


 わたしはパームキンにソファーを勧め、膝の上に置いた両手を握り、数秒視線を落とした。

 正直に言ってしまえば、戸惑いの方が大きい。司教様に悪い魔女の話は聞いていたけれど、わたしに立ち向かう力などないのだと思っていた。


 静かにわたしを待つ彼を、しっかりと見据える。


 この魔法使いは、わたしには悪い魔女と対抗する力があるのだと言った。そんな実感などないし、わたしがいくらお母様の娘だと言っても、今まで日常的に魔法を扱った試しもない。

 けれど、お母様とお兄様が信じた偉大な魔法使いが、わたしを信じてくれるのだ。

 わたしのために長く戦い、傷ついた家族に、わたしは報いる義務がある。


「……どうしたらいいの、パームキン」


 ただ真っ直ぐに、魔法使いを見つめる。

 この胸の内に宿る力が、わたしの家族の救いとなるように。


 けれどもその意志は、パームキンが続けた次の言葉で脆くも崩れさった。


「貴女は今年、15歳になりますね。王女には成人を迎える祝賀会、デビュタントに参加してもらいます」




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