初めての邂逅から、約10年。アイツは本当にすごかった。


 何が凄いって、その怠惰ぶりだ。

 外から来た第三王子という立場を良いことに、王族の一員ということなど忘れて、毎日毎日遊び尽くす。

 いや、食べ尽くすと言うべきだろう。

 ヤツは食事に貪欲な上に大食漢で、古今東西、あらゆる料理のレシピを仕入れてきては、シェフに頼んで作らせ、余すとこなく味わい尽くした。自分で買い付けに赴くこともあり、珍しい食材を厨房に囲い込むことも数知れず、シェフが遠い目をしていたのを思い出す。

 城のパーティがあれば勇んで参加し、パーティ用に作られた料理だってヤツの餌食だ。食べ方だけは綺麗なのが幸いだが、普通、社交の場で食事目当てに参加する王族貴族なんぞ、ほぼ居ない。


 俺だって、初めからパームキンの食事に苦言をこぼしていた訳ではない。魔法を行使するのに、体力や気力が必要なのは事実だ。初めのうちは素直にそう思っていた。

 だがヤツの体重は増えに増え、明らかにそんなことなど飛び越えて、無駄に肥えているのは丸わかりだった。

 おかげで城内でのヤツのあだ名は、歩く豚だの喋るカボチャだの、それはもう酷い有様である。


 けれど。


 パームキンの扱う魔法が、“導き”の魔女の弟子たるに相応しいことは、事実だった。




 感激すら覚えたのは、国を守る為に張っている防御壁魔法だ。


 今でこそ国同士の争いがなく安定しているが、昔はいざこざが絶えず、防御壁魔法はその時代から、国土を守る目的で張り続けられている。数年に一度張り替えの時期があり、パームキンが10歳を過ぎた頃、その時期が差し掛かったのだ。


 防御壁魔法は通常、宮廷魔法士連中が集まり、数日かけて仰々しい呪文を唱え続け張り替えられる。しかしその年は皇后陛下がパームキンを呼びつけ、“導き”の魔女の弟子であるならこれくらい造作もない事だろうと、一人での張り替えを命じたのだ。


 こんなもの嫌がらせに他ならない。だが、防御壁魔法の大変さを知っている宮廷魔法士達は、両手を上げて賛成した。

 この国の魔法使いにとって、国を守る防御壁魔法の張り替えに関わることは、大変な名誉だと言われている。だが、その名誉に見合うだけの報酬もなく、ただ数日拘束され、身を削るような魔法を行使し続ける大変さは、魔法を使えない人間にも周知の事実だった。

 だから、やらずに済むならこんな良いことはないと、大人達揃って子供に押し付けたのだ。


「断ればいいじゃねーか、こんなもん!」


 憤る俺を尻目に、パームキンは自分の身長以上ある杖で、ゆっくりと大理石の床を突いた。


「そう言わないでくれよ、ジャネット。僕にも立場があるし」


 普段の貴族らしい服装と違い、纏う白地に金縁の衣裳は、教会の司教のようにも見える。

 と言うより実際、司教服というべきなのだろう。

 世界的に人口の少ない魔法使いや魔女は、特別な力を持った存在だ。それだけで謂れの無い迫害にあう事も、けして少なくない。


 そんな彼らを守るべく設立された機関が、世界魔法教会だ。


 世界魔法教会は、教皇をリーダーとし、どこの国にも属さない自治組織だ。魔法使いや魔女達は教会に所属することで、いざという時の安全保護を約束されている。所属する教会員はバッチを身につけていて、パームキンにも見せてもらったことがあった。

 なので司教服姿は、ある意味で彼らの正装なのだろう。


「……それにしても、お城の中に面白い部屋を作ったね」


 関心した様子で、パームキンが部屋を見渡す。

 大理石で出来たこの白く静謐な部屋は、魔法の効果を助長する目的で作られたのだという。この部屋で魔法を行使すれば、通常の何倍もの威力になり、国土全てを覆う防御壁魔法を展開しやすくする効果があるとのことだ。

 俺にはさっぱりよく分からないが、パームキンは気になったようだった。


「つーかお前は、“導き”の魔女様と一緒に行動していたんだろ? この部屋にも入った事があるんじゃないのか?」

「なぜだい?」

「え?」


 疑問に疑問で返され、返答に詰まる。


 ナゼって魔女は城に居たし、宮廷魔法士として行動していたのなら、城の構造は知っていても不思議ではないはずだ。

 そう言えば、アイツは眉を下げてゆっくりと瞬く。


「師匠は宮廷魔法士じゃないよ」

「え……いやでも、城で……見て、いたような」


 否定されて、思考がぐにゃりと滲んだ。

 魔女を見た記憶はある。だが確かに言われてみれば、偏屈な宮廷魔法士ではないような気がしてくる。では城に召喚されたのだろうか。


 俺の様子に微かに笑ったアイツは、何かを言う前に、扉へ視線を向けた。マウエラとラトリアが両脇に控えるそこから、控えめなノックの音が聞こえる。

 パームキンが入室を許可すると、侍女二人がゆっくりと扉を引き開けた。


「キルジット義兄上」


 突然の第一王子の登場に、俺は慌てて膝を折る。パームキンにはすっかり気安く話しかけてしまっているが、正真正銘の王族は話が別だった。

 第一王子はゆっくりと近寄り、俺のことを一瞥した後、穏やかな表情をパームキンに戻す。


「私も居ていいか、パーム」

「もちろんですよ。まぁでも、側近やデイル義兄上がうるさくないようにお願いしますね」

「ちゃんと撒いてきた。問題ないだろう」


 この第一王子は城内では珍しく、パームキンに対して好意的だ。陰険蛇メガネこと、第二王子とは雲泥の差である。


 第一王子と第二王子は、同じ兄弟とは思えないほど似ていない。しかし、長兄は国王陛下に、次兄は皇后陛下に似ていて、兄弟間も仲が良いことで有名だった。

 だがパームキンがやってきてから、兄弟に亀裂が入っているらしい。

 周囲の人間からは、第一王子の態度が急に冷たくなったので、パームキンが何か魔法をかけているのではないか、と根も歯もない噂になっている。


「……ジャネット・トゥーベル。お前はパームの味方だ。私に対してもかしこまらなくて良い」

「そっ? ……そ、うは、申されましても」

「そうだよジャネット、楽にしなよ」

「お前は黙ってろ」


 正直に言うと、俺はこの第一王子も苦手だった。


 悪いヤツではないことは分かる。俺と同じ歳でありながら、第一王位継承者として品格も知性も十分にある。だが、パームキンが来るまでは人形のように無表情、無感動な人間だった。国民の前に出てもニコリとも笑わず、ただ事務的に手を振る人形のような人だったのだ。

 だから今の第一王子が、どういう心変わりでこんなにパームキンに懐いているのか、よく分からず気味が悪かった。


 危険がないようにと、マウエラとラトリアが待機する扉付近まで、俺たち二人を下がらせたパームキンは、背を向けて大理石を杖で打ち鳴らす。


 改めて見るとアイツは入城した頃に比べて、肥満体型まで後一歩で完成されそうだった。このままぶくぶく太っては、いずれ病気を患わずらうのではないかと、親友として心配である。背丈もそれほど高くないので、ずんぐりむっくり、なんて言葉が的を射た容姿だった。


「……パームはまた、一段と太ったな」


 隣で見つめていた第一王子が、小さく呟いた。生真面目さすら滲むその声音に、俺は思わず吹き出してしまう。


「す、すみません、失礼を」

「畏まらず良いと言っている」

「うぐ、……あの、……キルジット殿下、発言の許可を頂いてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 相変わらず前を向いたままの第一王子に、思案してから声をかける。彼はパームキンに対してと同様、穏やかな調子で返答した。


「不躾な質問をお許しください。……殿下はパームキンと、何事かあったのですか?」


 周囲が抱いている疑問をぶつければ、第一王子は微かに息を吸い込んだ後、口を閉ざす。しかし直ぐに目を瞬かせ、パームキンを見つめたまま、僅かに双眸を細めた。


「……約束してくれたんだ」

「約束、ですか?」

「そうだ。我々を必ず、救ってくれると」

「……? ……いったい何から──」


 ですか、と声になるはずだった言葉は、強く打ち鳴らされた杖の音で掻き消される。

 驚いてパームキンに視線を戻せば、アイツの足元から天井に伸びる光の筋が、幾重にも重なった。それは床を杖が打つ度に眩くなり、目を焼くほどの光彩を放つ。


 息を呑んだ。ただひたすらに、一つの澱みもない綺麗な光だった。


 隣で第一王子が同じく目を見張る。第一王子は魔法の才はなくとも、教養として魔法学を身につけていると聞くから、俺が感じるよりずっと驚く何かがあるのだろう。

 パームキンはただ床を打ち鳴らすだけで、なんの呪文も呟いていない。だが光は確かに筋となって、天井まで突き抜け空を渡り、国土全域に広がっていく感覚がした。

 大人が数人がかり、数日がかりで行う防御壁魔法を、10歳そこらの子供が一人、汗ひとつかかずに行っている。


 異様な光景だった。


「……うん、これでいいかな」


 10回、大理石を杖で打ちつけた後、眩い光の筋が緩やかに消え失せる。パームキンは指先で頬を掻き、そう小さく呟いた。

 驚きすぎて言葉も出ない俺たちの横から、マウエラとラトリアが一歩進み出る。そしてアイツから杖を受け取ると、柔和な笑みを浮かべた。


「お疲れ様でした、パームキン殿下。ささ、どうぞこちらへ」

「ええ、殿下。ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」


 隣の部屋に用意されているのは、アイツがリクエストした食事だ。防御壁魔法を貼り直す役割を任命された時、アイツは燃費が悪くて腹が減ると訴え、長テーブルの上に所狭しと料理を運ばせたのだ。

 これにも魔法がかけられていて、いつでも新鮮で温かいままと言うから、ちょっとどころではなく舌を巻く。


「っおい、え? ちょ、ちょっと待て、これで終わりか?」

「うん」

「は!? おま、えっ!? 床叩いていただけだよな、つーか呪文は!?」

「いらないよそんなの。でも今の僕だとやっぱり10回だなぁ。師匠なら5回で終わるのに。さぁキルジット義兄上、こちらにどうぞ」


 小難しい様相で自らの実力に不満を言いつつ、アイツはパッと顔を綻ばせ第一王子に椅子をすすめた。未だ理解が追いつかずポカンとした顔の王子は、俺の怒号に少し意識を戻され、視線を迷わせる。


「……ほ、本当にこれで終わりなのか、パーム?」

「え? はい」

「本当にか!? って、それなら、めちゃくちゃすげぇじゃねーかお前!?」


 興奮に息巻く俺に、パームキンは肩を竦めつつ苦笑した。


「ありがとう、ジャネット。でも、もっと師匠は素晴らしかったからね。僕なんて喋る根菜だから」

「馬鹿かお前、卑下する実力じゃねーだろこんな! こんな……こんなすげぇ魔法使い、俺は知らない」


 それは紛れもない本心だった。


 パームキンの師匠、“導き”の魔女が本当に凄く、魔女として群を抜いて強かった話は知っている。本当に“導き”の魔女が5回で終えるなら、それこそ神がかった所業だ。

 だが、この目でしかと見たパームキンの実力は、そんな彼女に引けを取らないものだった。

 第一、無詠唱で国土全てを覆う防御壁魔法を発動させるなど、規格外にも程がある。


「君と義兄上が僕を認めてくれるなら、今はそれ以上のことは何もいらないよ。僕の評価が変化する訳じゃないんだしね」

「んなわけあるか! 宮廷魔法士の奴らだって、きっと気がついてる。だから……」

。せっかく一週間近く、部屋に籠もってのんびり好きな物を食べられるのに、もう終わったって気がつかれたら、もったいないでしょ」

「はぁ?」


 パームキンの言い分に、俺は心底意味が分からず声を上げる。けれどヤツは早く食事にしようと、俺と第一王子に笑みを向けた。






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