第13話
パリ占領時にドイツ軍は市内の主だった病院を接収して軍病院とした。市民に通院が許されているのは極一部の小規模な病院と町医者しかない。しかし、フランス国内の医薬品や医療器具はドイツ軍がその殆どを接収して前線に送っているので、まともな医療サービスを受けられないのが実態だった。
移動中、煙草臭いパトカーの中でリヒャルトは自分がこれまでに調べた事柄をベルメール警部に説明した。警部はそれを聞いて唸った。
「シモーヌはメッツという奴に囲われていたのか。しかも嘘の求婚をされたと」
「メッツにはシモーヌを手にかける動機があった。しかし、会う前にこんなことに……」
「手詰まりになったな。ともあれ、メッツ中佐の遺体は見ておく必要がある」
ここで警部はリヒャルトに釘を刺す。
「いいか、あんたは俺が雇ったフランス人通訳のアンリ・スナイデルだ。俺はこの4年で多少ドイツ語を話せるようになったが、病院では一切使わない。だからあんたが全部通訳してくれ。ずっとフランス人のふりをするんだ」
メッツ中佐の遺体が保管されている軍病院に到着したリヒャルトとベルメール警部は、ロビーでシュペー軍医大佐と対面した。彼は40代のドイツ人で、医者というよりも山賊に向いてそうな筋骨隆々の大男だった。しかし、実際に話してみると粗暴さは微塵もなく、知性的な振る舞いをする紳士だった。少なくとも表面上は。
「待っていたよ。着いてきたまえ」
手早く挨拶と自己紹介を済ませると、シュペー軍医は先頭に立って歩き始めた。その後をベルメールとリヒャルトが続く。1階奥にある検屍室への廊下を歩く間、3人の靴音だけが大きく反響する。シュペー軍医は2人に話しかけた。
「随分静かだろう?近頃は軍病院も人手不足でね。この間、医者や看護兵がごっそり前線に送られたんだ。主に東部戦線だ。それだけ苦戦しているんだろう。かく言う私自身も来週には東部戦線行きだ。驚きだよ。私はここの院長なんだよ?」
シュペー軍医は天井を見上げて自虐的な笑いを浮かべた。
「本来なら私の年齢で病院長なんてなれる訳がないんだ。大佐の階級だって早すぎる。この数年で大勢のベテラン軍医が戦死している。だから私みたいな中堅が重要なポストに就かざるを得ないようになった。医者だけじゃない。実戦部隊の指揮官だって急速に数が減っている。軍は穴埋めのために国民を片っ端から兵士にして、経験不足の若い将校を佐官に昇進させている。それで喜ぶ者もいるだろうが、待っているのは最前線の戦場だ。彼らが戦死すれば更に若い者が大佐少佐に祭り上げられて同じことの繰り返し。もはや国内に残っているのは年寄りと女、年端のいかない子供だけ。これが栄光ある第三帝国の現実だ」
リヒャルトは思い出した。この間ティーゲル戦車に乗っていたのも少年だった。この状況が続く果てに一体何があるのだろうか。それを考えると不安しかない。同時に、あることに気づいた。この男は何故、そんな話を自分にするのか?
「軍医殿、そのようなことを私にお話ししても大丈夫なのですか?」
リヒャルトの問いにシュペー軍医は大きく笑った。
「問題ないよ。だって君、ドイツ人だろう?」
リヒャルトの足が止まった。ベルメールも同様だ。彼もシュペー軍医の話を全て理解していた。
「私はアンリ……」
リヒャルトの言葉をシュペー軍医が遮る。
「誤魔化しても無駄だ。君のドイツ語はきれいで上品過ぎる。おそらくは貴族だな。この20年以上の間、ずっとドイツを見下していたフランス人がどんなに勉強しても君のようなドイツ語は話せない」
盲点だった。自分としては極力フランス人の話すドイツ語を真似たつもりだったのだが、わかる者にはわかってしまうらしい。ここで逃げ出してもシュペー軍医は自分たちを簡単に捕まえてしまうだろう。リヒャルトは観念した。
「……それを知って何故受け入れたんですか?」
「安心したまえ。別に悪意はない。ただ仕事の手伝いをしてほしいんだ。さっきも言ったように人手不足で私一人では時間がかかる。助けてくれるならメッツ中佐たちの遺体を見せる。それが条件だ」
相手の意外な提案に、リヒャルトとベルメールは顔を見合わせた。ベルメールが頷く。リヒャルトはシュペー軍医に向き直った。
「わかりました。何をすればいいんですか?」
「それは後で教える。さあ、行こう」
3人は廊下を進み続け、検屍室の扉の前に立った。
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