第12話
リヒャルトが出勤すると、民政局のオフィスには何人かが固まって話をしていた。その中心にはジンネマンという職員がいる。彼はパリ占領時から民政局に勤めている古株で、占領軍にも知り合いが多い。喋り好きで休憩時間には色々な噂話を同僚たちに聞かせていた。何事かと思いリヒャルトは話を聞きに近寄る。
「どうしたんですか?」
リヒャルトが声をかけるとジンネマンは振り向き、興奮したように早口で言った。
「昨夜、ピガール広場の売春街で治安部隊の兵士たちが殺されたんだ」
「ピガールで?また?」
「そうだ。あそこで4日前に娼婦が殺されただろう?そうしたら今度は治安部隊だ。しかも6人。その内の2人は将校で、メッツ中佐とレント少尉だ」
「!メッツ中佐!」
リヒャルトは大声を上げた。その場の全員が驚いて彼を見る。
「知り合いかい?」
ジンネマンの問いにリヒャルトは言葉を濁す。
「いや、そういう訳では……。話を続けてください」
ジンネマンは頷くと、再び喋り出した。
「メッツ中佐はあの街に入り浸っていたが、先日贔屓の娼婦が殺された。彼は怒って犯人を捕まえようと、ピガール広場を中心に取り締まりをしていた。その最中に襲われたんだ。勿論皆、武装していた。にも関わらず、彼を含めた全員があっという間にやられちまった。夜中に悲鳴と銃声を聞いた俺の知り合いの兵士が現場に駆けつけたが、既に全員死んでいた。その殺され方があまりにも酷くて、発見者の兵士は卒倒しかけたとよ。血の海の中、全員八つ裂きにされて、手とか足とかが散らばっていた。犯人は見ていない。完全武装の兵士を6人も殺しておいて、そいつは現場からまんまと逃げおおせたんだ。不気味な話さ」
「やっぱりレジスタンスの仕業かな?」
同僚の言葉にジンネマンは渋い顔をした。
「レジスタンスがドイツ兵を襲う時は、必ず1人になったところを物陰から銃撃する。1度に6人も襲うなんて無茶過ぎる」
「じゃあ、誰がやったんだ?」
「それがわからないから不気味だと言うんだ。君らも気を付けろよ。当分の間はあそこに行かない方がいい。近頃のパリはどんどん物騒になっているからな」
ここで始業のベルが鳴った。職員たちは各々のデスクに戻り、仕事に取りかかる。リヒャルトも自分のデスクに着いたが、動揺のあまり何も手につかない。
よりによってメッツ中佐が殺されるとは……。しかも、シモーヌの時と同じ街で……。
容疑者の1人が早々にいなくなってしまった。
リヒャルトはこれからどうするか懸命に考えた。シモーヌが殺された直後に、彼女の常連客だったメッツ中佐が同じ街で殺された。現時点では予想に過ぎないが、2つの事件には関係がある。とにかく、メッツ中佐の遺体を確認する必要がある。あの男に連絡してみよう。
リヒャルトはデスクにある電話に手を伸ばした。一昨日受け取った名刺に記載されている番号にかける。発信音がしばらく続き、中年男の声が聞こえた。
「こちらベルメール」
リヒャルトは小声で囁くように話す。
「エルンバイストだ。昨日、ピガール広場で治安部隊が殺害されたというのは本当か?」
「ああ、本当だ。だが、遺体は見ていない。ドイツ軍人の殺害事件の捜査権はドイツ軍にある。俺たちは現場周辺を見張っていただけさ」
「遺体はどこにあるんだ?」
「こっちにはない。ドイツ軍病院だ」
「遺体を確認したい。協力してくれ。どうにかならないか?」
「シモーヌの件と関係あるのか?」
「殺された奴はシモーヌを贔屓にしていたんだ」
それを聞いたベルメールは電話の向こうでしばらく唸っていたが、決心して答えた。
「パリ警察としても形式上報告書を作成しなきゃならない。遺体の状態を確認したいと言ってみよう。その際、俺が雇った通訳として同行させてやる」
「ありがとう。助かる」
「しばらく待ってくれ」
電話が切れると、リヒャルトは取り敢えず仕事を始めた。幸い、本日の仕事量はそれほど多くはない。30分程経った頃に電話が鳴り、それを素早く取る。
「うまくいった。今日の午後2時に軍病院に来いと言われた。その30分前に迎えに行く。大丈夫か?」
「わかった。待っている」
リヒャルトは超人的な集中力を発揮して本日分の文書翻訳を午前中に終えると、昼食後の午後1時30分にマジェスティックホテルの前に立った。直ぐに一台のパトカーがやって来る。運転席にはベルメール警部がいた。
リヒャルトは助手席のドアを開けてシートに座る。パトカーはサイレンを鳴らさずに発車すると軍病院を目指した。
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