第10話

 そこはドイツ軍専用の売春街で、同じ目的で使われる建物が幾つも並んでいた。まだ夜まで時間があるので、通りにはほとんど人はいない。シモーヌが生活していた古いアパートの前に立つリヒャルトは悲しげな瞳でそれを見つめた。

 シモーヌはこんな粗末なところで……。

 1階に管理人の部屋があったので、リヒャルトはそこのロビーで話を聞くことにした。

 ドアをノックすると、中から50台の髭面男が出てきた。顔を真っ赤にして、明らかに酔っぱらっている。左手にはワインの瓶を握っていた。

 こんな状態でまともな話ができるのか?リヒャルトは不安を感じたが、こちらの身分を明かしてシモーヌのことを訊ねる。

「あの娘は2年前からここを使っていた。若くて綺麗な女の子だったから、ドイツ兵からの評判は良かったな。もっとも、こういう商売だから本当の歳は聞かなかった。警察署で知らされた時は驚いたよ。まさか、そんなに若かったなんて……」

「事件当日のことを教えてくれ。彼女はどうしていた?」

「あの日はシモーヌは仕事休みだったから、1日中部屋に居たな。でも夕方になると来客があった。客と言ってもドイツ兵じゃない。女だった」

「女?どんな女だった?背丈は?髪や瞳の色は?」

「シモーヌ程じゃないが、若い女だ。結構な美人で、初めて見る顔だ。姉かと思ったが、顔立ちは似ていなかった。背丈はシモーヌより少し高い。170センチあるかないか。頭にスカーフを巻いていたからどんな髪かはわからない。瞳もわからないな。そんなに注意深く見ていない。シモーヌと女はここで会うとすぐに外へ出ていった。それっきりさ。どこで何をやっていたかはわからない。シモーヌはここに戻ることなく、あんな目に遭った」

 犯行時間は真夜中の0時だ。シモーヌとその女は7時間位一緒にいたことになる。

「2人は親しげだった?」

「そうだな。シモーヌは女を見た瞬間は驚いていたが、すぐに2人で笑い合っていた。あんなシモーヌは初めて見たよ」

「事件が起こった場所はここから近いのかい?」

「そんなに近くはない。歩いて5分はあるな。そこで何をやっていたかも知らない」

「シモーヌの人間関係は?他に親しい人は?」

「彼女がここにいた2年の間、休みの日に客とは別の男が何人か訪ねて来たが、只の知り合いって感じだったな。親しい人間なんて、それこそ一昨日来た女くらいだったよ。そういえば誰かが訪ねてきた日は、いつも外出して帰りは遅かったな。他には……。親しいというのとは違うが、馴染みのドイツ軍人がいたな」

 つまりはシモーヌを買っていた奴か。

 リヒャルトは腹の中に嫌なものが渦巻くのを覚えた。

「メッツという中佐がシモーヌにぞっこんだった。治安部隊の将校で、ここ半年間シモーヌはメッツ中佐専属だった。相手は中佐だからな、平の兵隊じゃ太刀打ちできないよ」

「シモーヌはメッツ中佐について何か言っていた?」

「悪くは言ってなかったな。メッツ中佐は他の客よりも遥かにカネ払いが良かったからだろうな。本人も30台で中々のハンサムだし」

 聞いた話を隈無く鉛筆で手帳に書き込んでいるリヒャルトを見つめて、管理人は不思議そうに訊ねた。

「あんた、ドイツ人なんだろう?どうしてシモーヌのことを調べているんだ?」

「俺は彼女の友達だ。だから、犯人を捕まえる」

 ここで男は悲しげに笑った。

「シモーヌはドイツ人を憎んでいた。それなのに友達だって?」

 リヒャルトの鉛筆を持つ手が止まる。

「ドイツ人を憎んでいた……。それなのにこんな仕事を……」

 管理人は吐き捨てるように言う。

「ドイツ人は憎い、だけど生きていかなきゃならない。シモーヌのような女だけじゃない。あんたの目の前で言うのもなんだが、今のフランス人は皆そうさ!」

 男はここで手にしたワインの瓶口を髭に埋もれた口に押し当てると、逆さに上げて中身をラッパ飲みした。

「シモーヌは本当に良い娘だった。俺みたいな奴にも時々差し入れをくれた。この酒だってそうさ!ドイツ兵相手に自分を売って稼いだカネで、俺に酒を恵んでくれたんだ!飲まなきゃいられないよ!」

 リヒャルトは居心地の悪さを感じた。もうじき日が沈む。この街に多くのドイツ軍人が現れる頃だ。そろそろここを出よう。

 リヒャルトは最後の質問をした。

「他に何か思い出せることは?」

 管理人の男はしばらく腕組みをして考え込んでいたが、やがて赤ら顔を上げた。

「シモーヌと女が出ていってから30分くらい後に、フランス人の少年が訪ねて来たな」

「フランス人の少年?どんな少年だ?外見は?」

「どんなって?そこら辺にいる普通の少年さ。どんな顔かは覚えていない。さっきも言ったが注意深く見ている訳じゃないからな。帽子をかぶっていたから髪のこともわからない。シモーヌの友達で、会いに来たと言っていた。彼女は外出して、いつ帰るかはわからないと伝えると、残念がっていた。このアパートの前でしばらく待っていたが、諦めて帰っていったよ。このことは警察にも話したが、大して気にはしていなかった。シモーヌと会っていないから無関係だと思ったんだろう」

「他にシモーヌを訪ねてきた者はいないか?」

「いない。この2人だけだ」

 この男が知っている話しは全て聞いたと判断して、リヒャルトは礼を告げてアパートを出ようとした。その背中に管理人が声をかける。

「あんた、犯人を捕まえると言ったが、そいつがドイツ軍人だったらどうする?」

「ドイツ軍人……」

 振り向いたリヒャルトが呟く。

「あんたもわかっただろうが、この街に居るのは殆どがドイツ軍人だ。そこで殺しが起きたとすれば、その犯人は間違いなくドイツ軍人だ。それでもあんたは捕まえられるのか?」

 リヒャルトは何も答えられず、足早に立ち去った。

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