一人にしない、させない 傍にいる
言葉を吐き出した後、イース=イーダは我に返ってバツの悪い思いをした。言うつもりはなかったのだ。隠し通す気すらあった。少なくともヘルミの前では言いたくなかったのに。口をついて出たのは、王と相対した心臓がまだ落ち着きを取り戻していないからかもしれなかった。ずりずりと腹から胸へ手を滑らせる。胸を押さえたが、鈍く痛んだのは触れられるよりずっと奥で、ちっとも痛みは取れなかった。
何度か逡巡してはやけになりを繰り返し、ようやく顔をあげたら、見たことのないヘルミの表情を見た。ヘルミはまるで怒っているように見えた。なんだよ、幻滅したか? 失望したかよ。拗ねた子供のような気持ちが湧いてきて、イース=イーダは結局ヘルミから目を逸らした。
「……この際、あなたがどう終わるかについての議論はしませんが」
沈黙を破ったのはアロイスだ。
「あなたには師が必要だ」
「……師、だって。いまさら? そんなものいらない。俺は充分に魔法を使える」
「いいえ、使えていないはずだ。あなたはおそらく魔力の扱いをわかっていない。独学で覚えたのでしょう。古い文献で、黎明期の魔法使いたちは蝋化が激しく短命であったという記述が残っています。魔法使いの寿命が延びたのは、子供が学校で、あるいは師事することで正しい魔力の使い方を学ぶようになったからです」
「……いまさら、いらない」
「……おばあちゃんに教わったことを、伝えればいいの?」
ヘルミが静かに言った。
「私が言うなら、聞いてくれる?」
「あなたは祖母から魔法を教わった?」
「祖母や、祖母のお友達から。幼かった頃、私たちはもう家族が少なかったから、母を亡くした私のことをみんなで育ててくれたんです。雲海の泳ぎ方も、一つ一つ教えてもらった」
「……泳ぎ方、なるほど」
「あれはきっと魔力の使い方を教えてくれてた。イースは私と同じ重力使いです。泳ぎ方を教えることならできます」
「なら、当面はその方が良いでしょう」
イース=イーダはふと、なぜか心細い気持ちになった。それは、頼るということに対する忌避感でもあった。それをすれば、ヘルミとの関係が大きく変わるのではないかという、本能的な気後れだった。
イース=イーダに母の記憶は少ししかない。その温かい記憶は、一人で生きるためのよすがにはならなかった。あの日々を思い出すとみじめになるから、イース=イーダは母に甘えた思い出を封じ込んでいる。イース=イーダにとって頼ると甘えるは同義になっていて、それは自分のやわらかいところをむき出しにするような行為でもある。それを、自己分析などしてはいないが、感覚的に知っている。
「いらない」
「知らない」
ヘルミの声は変わらず静かだったが、有無を言わせない響きもあった。
「あなたがどう生きようと知らない。どう死にたいかも否定しない。でも、最後まで絶対に傍にいる」
「は……」
「そのために、私は私のためにあなたに泳ぎ方を教えてあげる」
ヘルミの目はまっすぐにイース=イーダを捉える。
「覚悟して」
二の句が継げないままイース=イーダは思わず肩の子クジラに触れた。その手つきは子クジラを撫でるようであったが、本人にその自覚はない。子クジラは嬉しそうにイース=イーダの首元に頬ずりをする。アロイスは咳払いをした。
「当面はあなたが彼に魔力の扱い方を教えるといい。その後師もつけましょう。少し待ってください。私の知る、良い師に手紙を書きます。王も許可なさるでしょう。あの方は慈悲深いですから」
「クレフ王が? 笑わせること言うなよ」
イース=イーダが悪態をつくと、アロイスは眼鏡に触れながら首を振った。
「王の一側面しか知らぬ方にとやかく言われたくはありません。ですが、私が今申し上げているのは我が王ではなくカペラ王のことです」
「『カペラ』の王さま……」
「その方は『カペラ』の所有物ですから。ですが、あなたの良い師となるでしょう」
所有物と聞いて、イース=イーダは不快感に顔を歪めた。何のことかはだいたい想像がついた。
「古の王さまの末裔はみんな誰かの所有物だって?」
「権威となる者を王は傍に置きたがるものですよ。しかしあの方は望んで『カペラ』にいらっしゃいます。お察しの通りあなたと同じく古代王の末裔です。この国を出たら訪ねるように」
「やだよ」
「では問いますが、なぜいやなのです」
「知らないよ。世話にはならない」
「イースったら。今だって色んなこと教えてもらってるのに」
「これは世話になってるんじゃない。利用してやってるんだ」
「そんなこと思ってたの……?」
「幻滅でもしたか?」
鼻で笑えば、ヘルミは眉根を寄せて、イース=イーダを睨んだ。
「そんな話はしてないよ。ただそうなの?って聞いただけ」
「ふん」
「私は元々『カペラ』の出身です。この国には留学に来て……そのまま居ついていますが。これはカペラ人として一個人の私が彼の方に差し上げる手紙ですから、他の誰にも言わないように」
「……もしかして、言ったらあなたの立場が危ういんですか? どうして」
ヘルミが手紙を受け取る。
「乗り掛かった舟……ただの性分です。子供が搾取されるのを見るのは性に合わないので」
「そうですか」
ヘルミはなぜか微笑んだ。
「まさかアクリ=アダとかいうやつじゃないだろうな。絶対に嫌だから」
「その方を寡聞にして存じ上げない。古代王の末裔はそれなりの数いらっしゃいますから。ですが王族お抱えとなると限られてくる。『シリウス』ならばゴーシェ=ナダ様、『カペラ』ならばアンベル=ジーダ様。私が今言及しているのはこのアンベル=ジーダ様です」
イース=イーダは黙り込み、そして椅子に座りなおした。肩の上で子クジラが「キュ」と言って跳ねた。
「……よろしい」
一息ついて、アロイスは本のページを捲った。
「では勉強の続きです。深化について、でしたね」
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