かなしくてもいい、ひとりじゃない

 魔法は、簡単に言えば、使いたいと願い意識するだけで使いこなせてしまう力のことだ。魔法を生まれながらに使える者たちが少数存在していて、雲海クジラの背に乗って生きる暮らしを支えている。魔法使いたちは死ぬ時蝋となり、燃やされて煙となることで雲海クジラの栄養となる。雲海クジラもまた、魔力で動いているからだ。植物にも動物の死骸にも微量の魔力は含まれていて、それらから小さな蝋燭たちは作られる。全ての町で、国で、至る所に蝋燭の灯りが見られる。それらの煙もまた、雲海クジラのえさになる。

 魔法使いは余程の突然変異でなければ血筋によって継承されていく。そして、そのほとんどが権力を持ち、富む側だ。であるから、ヘルミのような海女の家系が特殊だし、イース=イーダのようなはぐれ者はもっと珍しかった。しかも彼らは重力使いだ。重力使いは魔法使いの中でもひと握りで、自分の能力だけでクジラへの揚力、慣性力、そして推進力を操ることができる。しかし彼らのほとんどはそれを自覚はしていなくて、感覚的に空を飛ぶのだ。二人の子供たちもまたそうだった。特殊な二人が出会い、旅をすることになるだなんてどれほどの奇跡的確率だろうか。彼らはそんなこと知らないから、公共機関に頼らず移動できるのが便利だなあと思っているくらいのものだ。乗り物というのはいちいち金がかかる。

 その日ヘルミは初めて、住処から離れた路地で、出会ったばかりの男の子と寄り添って、丸まって寝たのだった。波止場もそうだったが、路地裏にはもっとたくさんのゴミが散らばっていた。芯の糸がだめになってしまった蝋燭もたくさん転がっていた。ヘルミはしばらく眠れなくて、表通りの賑やかな音をぼんやりと聴きながら、高く高く積み上がった建物たちが明かりでキラキラしているのを眺めていた。今日も至る所で蝋が燃えて、クジラがたくさん食べている。イース=イーダは深く眠っていた。自分を抱きしめるように縮こまって眠っていた。

 一緒に航行してみて、イース=イーダが実に飛び慣れているのを知った。彼は鳥のように軽やかに舞った。鳥と違うのは羽ばたかずに速く飛ぶことができるところだ。ヘルミは魚が泳ぐように飛んだ。その姿はイース=イーダにとって物珍しかったようで、「綺麗に飛ぶんだな」と感心していた。「海女だから……」と答えながら、どうして照れてしまうのかヘルミは自分でも混乱した。

 『アンタレス』に辿り着いて、そこからイース=イーダを説得しながら稼ぎ口を探す。子供がやれるような仕事は大体取られてしまっていて、ヘルミは思い切って雲海に飛び込んだ。雲海の中で、ヘルミは思わず声を上げた。この海にはまだそこかしこにトレジャーハンターが見逃しがちな細々としたお宝が眠っていたのだ。

 換金レートが『ポルックス』とはだいぶ違ったが、それでも豊富なお宝のおかげでかなりの資金が手に入った。なおも不満げにして足を組んでいるイース=イーダに満面の笑みでそれを見せれば、彼は「へえ、これだけあれば盗まなくていいな」と笑った。ここからは公共の交通機関を使って移動することにする。イース=イーダに魔法をなるべく使わせたくなかった。なんならもう一生使わないで欲しい。まだ彼の蝋化がどれほど進んでいるのか見せてもらえていない。不安しかない。

 ちょっと豪華なサンドイッチを買って、頬張りながら汽車に乗る。イース=イーダは幼子のように席で膝立ちになってきょろきょろと中を見渡していた。

「こんなのより俺の方がもっと速く飛べるぜ」

「すごいね〜! でも急いでないでしょ」

「どうだか。洞窟で赤ん坊クジラがめそめそ泣いてるかもな。早くここから出してって」

「もう、そんなこと言わないで! もっと急ぎたくなるでしょ」

「知ってる」

 まだヘルミのことをほとんど知りもしないくせに、そう言ってイース=イーダはくつくつと笑う。私、そんなにわかりやすくはないはずだ。たぶん、きっとそう。

 揺れが存外心地良かったのか、イース=イーダは間もなく隣でこてんと寝入ってしまった。やっぱり幼い子供みたいな人だと思いながら、ヘルミは彼を触って起こさないように気をつけた。乗客や駅員たちがそれを微笑ましそうに見て……イース=イーダの手足についた枷に気づき、ぎょっとして顔色を変えるのを見ていた。確かにこれでは、公共機関での移動は目立つのかもしれない。どうしたらいいのだろう。

 夜を何日か越えて、朝焼けの中次のクジラ『アルデバラン』に到着した。駅で降りて、朝市を探す彼の背中にヘルミは声をかけた。

「あの……やっぱり、私、早く子クジラに会いたくなっちゃったな」

 イース=イーダは振り返って、しばらく表情の読めない顔で黙っていた。ヘルミは苦しくて眉根が寄っていくのを堪えながら、何とか笑った。

「それは、正直助かるな」

「……うん」

 気づいていたのか、とかなしかった。焼きたてのパンを買って、ちゃんと飲み込んで、二人はすぐに出発した。『リゲル』の鯨洞げいどうにはあっという間についた。イース=イーダがヘルミの手を引いていたからだ。

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