生き急がなくたっていい、さみしくたっていい

 自分が罪人でこれは贖罪の旅だと言い放つイース=イーダの姿に、ヘルミは胸を痛めた。投げやりな言い方だったが、その顔は苦しげに歪んでいたし、声には憎しみがこもっている気がした。

 こういう時、あなたはどんな罪を犯したのって、聞いてもいいものなのかしら。気にならないと言えば嘘になる。けれど本人が言いたがらないものを聞くのは違う気がした。つっけんどんな物言いをするが、ヘルミが着いてきているとわかってからは歩調を緩めてくれたり、時折振り返って待ってくれていた。確かにお金を払ったのは自分だが、元々空腹ですったはずのメロンをこうして半分も分け与えてくれる。名乗る必要もなかったはずの名前だって教えてくれた。ヘルミにはこの少年の為人ひととなりが悪人だとはどうしても思えなかった。それに何より、ヘルミが気になったからここまで着いてきてしまったのだ。この、儚くて孤独な、暗いところにいる少年を。

「あの、ついて、行くわ。イース=イーダ」

 それを口にすると、一気に血の巡りが戻ってきた。イース=イーダは眉根を寄せる。

「変な人だな。俺としてはここでさよならの方がありがたいんだけど?」

「そ、れでも、ついていくわ。私、孤児なの。だから私が私の行く先を決められるわ。それに……ひとりじゃきっとさみしいよ」

 ひとりがさみしいのは自分の方だ。口にしてしまってから、顔が赤くなった。ヘルミが俯いている間、イース=イーダはしばらく黙っていた。やがてメロンの咀嚼音が聞こえた。

「俺も孤児だ」

「そ、そうなんだ」

「うん。別にさみしくはない。生まれた時から独り身だったし、村の人たちはよく面倒をみてくれた。だから別に、俺はさみしいからという理由で君を連れていく必要はない」

「そっ……、ん……んん……」

「でも君がどうしてもついてきたいなら、面倒だし止めないでおくよ」

「い、行く!」

「そう、じゃあスリは大目に見てくれよな」

「それはだめ。ちゃんと二人でお金を稼ぐ。重力使いなんでしょ、ならできることいっぱいある」

「知ってるよ、それくらいさ」

 いつの間にか、イース=イーダはメロンをたいらげていた。

「ただ、この国のやつらに金をもらうのが癪だっただけだ」

「う、うーん……」

「俺はこの国の王様が嫌いだ。でも俺は王様の持ち物なんだとさ。さっさとこの国から出たい。君がそれを食べ終えたら早速出発する。夕方までには『レグルス』に着くといいんだけど」

「まっ……て、そんな早く着くわけないわ!? 『レグルス』までにクジラは二頭いるんだよ?」

「だから魔法で行くんだろ。かっ飛ばせば着くさ。君が同じ重力使いで都合がいい」

 ヘルミは唖然とした。

「だめだよ、そんなことしたら蝋化がどれだけ進むか」

 ヘルミの言葉に、イース=イーダが首を傾げる。ヘルミは絶句した。この人、もしかして蝋化のことを知らないの?

「あの、蝋化って、知らない……?」

「君が言っているものに心当たりはあるけど」

 イース=イーダが服の裾をめくる。脇腹が肌より白く硬化しているのが見えて、ヘルミは悲鳴を必死で飲み込んだ。

「どうしてその歳でそんなに進んじゃったの!?」

「え?」

「蝋化の話! そんなに広い範囲が蝋化してるなんて、おばあちゃんたちでしか見たことない。一体今までどれだけ魔法を使ったの、だめだよ、死んじゃうよ」

「胸にもある」

「胸にもある!」

 ヘルミは絶望した。イース=イーダがまるで聞き分けのない幼子に見えた。

 嵐のような感情をどうにか鎮めて、ヘルミはイース=イーダの目をしっかり見つめた。

「あのね、イース=イーダ。私たちは魔法を無尽蔵には使えないの。使いすぎると体に負担がかかる。用法用量を守って使えば、一日の睡眠で回復できる。でも使いすぎているとそうやって体が蝋になっていくの。もちろん歳をとっていけば回復が遅くなって誰でも多かれ少なかれ肌が蝋化するけど……。イース=イーダは蝋化が速いわ。そんな風に魔法を使い続けて、たどりつく先は蝋人形だよ」

「魔法使いが死んだら蝋燭になるのは知ってる」

 イース=イーダは静かに答えた。

「俺は別に長生きしたいわけじゃない。蝋燭になって火を灯したら、その煙がクジラたちの栄養になるんだろ。俺は故郷のためならそれでいいと思ってた」

「あなたが早く死んでしまうのは悲しい」

 ヘルミは首を横に振った。

「さっき会ったばかりで? 変なことを言うね」

「目の前の人が死んで欲しいなんて思わない。当たり前の感情だよ。ねぇ、やっぱりゆっくり行こう。今日中にこの国を出るのは協力する。次の『フォーマルハウト』で今夜は寝泊まりしよう。……ね? それから後でちゃんと体見せて」

「ええ……」

「だって背中とかにも広がっているかもしれないでしょう? それと……ねぇ、やっぱりこんなに食べられない。もう半分食べてくれない?」

「それはいいよ。面倒な人間を拾ったな……」

 イース=イーダはナイフで果肉をとる。カトラリーを持ってくればよかった!とヘルミは思った。絶対に後で調達しよう。

「面倒だなんて言わないで、お節介だと言って」

「あんまり意味変わらないだろ、お節介さん」

 初めてイース=イーダが笑ったので、ヘルミも嬉しくなった。

「あと、イースでいい。痒いから」

「痒い?」

「むず痒くなる」

「ふふ、それは恥ずかしいってことだね。わかったよ、イース。ねぇ、クジラの赤ちゃんに会いに行くんだよね」

「うん」

「楽しみだね。赤ちゃんきっと可愛いだろうなあ」

 イース=イーダは何か思うところがあるのか、曖昧に頷きながらメロンを口に運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る