第3話 お稲荷様の三叉路

 平安京から南東、深草の伏見稲荷大社は、宇迦之御魂神を祀る全国の稲荷神社の元締めであり、京都においても屈指の観光名所だ。


 言わずと知れた朱塗りの鳥居が連連と連なる華やかで、どこか異様な千本鳥居は人々の心を掴んで止まない。日本人だけでなく外国の人々もカメラを片手にこぞって訪れる。その珍奇で、温かな神秘を感じさせる光景をレンズに収めようと、所々で立ち止まって狭い山道を塞ぐ輩をとんでもなく邪魔に思っているのはここだけの話だ。伏見稲荷の御神体である稲荷山でそんなことをするとは無礼極まりないとも思う。せめて、余人の邪魔にならないようにやれ。


 さて、初めから愚痴っぽくなってしまったので、目直しに伏見稲荷大社の概要に触れておこう。お稲荷様は初め農耕の神として祀らていた。が、神様だって時代にアジャストする。人々が盛んに商いをするようになると、商売繁盛を請け負ってより多くの人々からの篤く信仰をされるようになった。


 歴史的に著名な書物では、清少納言が稲荷詣を『枕草子』に記したり、藤原道綱母も『蜻蛉日記』にお稲荷様について記している。中世に入ると、日本最大の説話集『今昔物語集』などにもしばしば登場するので、昔から知名度抜群というわけだ。


 細かいことは省くけれど、そのうち日の本の神社の最高位正一位のにもなった。藤原時平や源頼朝や足利義教ら歴史に名を残すビッグな人々から支援を受けて、ブイブイ言わせていたのだが、日本史上最もグダグダな戦乱こと、応仁の乱でお稲荷様の社殿は消し炭に。今に残るのは近世以降の面影だ。因みに、あの千本鳥居の奉納が始まったのも、だいたい江戸時代の初め頃だ。


 というところで、そろそろ私が伏見稲荷大社に行った時の話をしたい。振り返ると伏見の稲荷様には今までに六度訪れている。つい最近だと三月の頭に参拝してきた。しっかり一番高い一の峰の頂上まで登ったので、一緒に行った友人たちがヒーヒー言っていた。都会っ子はこれだから困る。おっと、また話が逸れてしまった。今回の話は二度目に訪れた時の話だ。


 二度目に訪れたのは高校に入って最初の夏休みだった。前年、中学校の修学旅行で意気揚々と伏見のお稲荷様を訪れた私は、お稲荷様の御神体が山で、しかも軽めとはいえ登山になるなどと露知らずに、大鳥居を潜って、立派な本殿だけをお参りするという、悔しい経験をしていた。意気揚々などという言葉は風に吹かれた砂城のように消え去った。だから、家族旅行で京都に行くことになった時は、鼻息を荒くして、稲荷山登頂を固く誓っていたわけだ。


 そして、いざ、伏見のお稲荷様に捲土重来。私は今度こそ真に意気揚々だった。立派な大鳥居を潜り、稲束と鍵を加えたお狐様に出迎えられる。本殿で一年ぶりのお参りを済ませると稲荷山登山スタート。


 本殿の左の道を抜けて参道という名の山道へ入る。早速、千本鳥居のお出迎え。胸の高まりをそのまま足へ送って軽い足取りで延々と続く鳥居の回廊を抜けていく。夏の木漏れ日が優しい色の鳥居を照らして、目にも優しい景色が流れていく。


 少し行くと開けた場所に出た。伏見のお稲荷様でも有名な不思議スポットに到着。その名も「おもかる石」。どんなものかというと、祠にバスケットボールより少し小さいくらいの石が置いてあり、それを持ち上げて、想像していたよりも軽ければ願いが叶い、重ければ残念。といったその名もずばりと言った感じのものだ。何をお願いしたのかは覚えていないが、気合十分の私には軽い軽いといった重さだったのは覚えている。


 「おもかる石」が軽かったので、私の身体はさらに軽くなった。まさに羽が生えたような気分だった。一緒に来ていた家族を置いて、鳥居を潜ってどんどん上へと進んでいく。鳥居が連なっているのは、基本的に木々が生えて直射日光の当たらない場所なので、やがて鳥居のない急な道に出る。


 岩肌に沿うような急階段を、降りてくる人と身体が当たらないように避けながら、登っていく。少し疲れたと感じるところに、丁度、茶店が現れた。が、まだまだ気合十分なのでスルーして登っていく。すると今度は開けた展望台のような場所が現れた。西北の方を見ると京都市街がギラギラとした夏の陽射しに輝いていた。熱気を孕んでいるけれど、風も吹いてきていい気分になって、再び足を動かしはじめた。


 流石に息を少し切らして、休憩したくなってくる。すると、今までで一番急な階段を昇り切ると、三叉路が現れて、今度は先ほどよりも大きめの茶店があって、多くの人で賑わっていた。地図を見ると「四つ辻」と書いてある。


 「三叉路なのに、どうして四つ辻なんて言うんだろう?」そんなことを考えながら、ラムネを買ってベンチに座って飲みはじめた。「四つ辻」という場所は、稲荷山にある社、一峰、二峰、三峰に登っていく分かれ道で、右の道へ進めば、三峰、二峰、一峰の順で参拝。真ん中の道を進めば、一峰、二峰、三峰と参拝できるルートで、どちらに行っても輪のようになっていて繋がっている道だ。


 が、三叉路といったように、私の前には道が三つある。左にもう一本道があるのだ。明らかに人が少ないその道はラムネの炭酸にシュワシュワと喉を刺激されている私の興味を強烈に誘った。


 「三人もまだ、昇ってこないし……暇つぶしに行ってみようか」、父と母、妹とはどんなに先に進んでも、「四つ辻」で待ち合わせると約束していたので、ラムネの瓶を店に返すと、興味の赴くままに左の道に足を踏み入れた。


 少し進むと、不思議なくらい人がいなかった。そこにはたくさんの小さな鳥居や幾つかの祠、お狐様の像が纏まってあった。伏見のお稲荷様の鳥居は参拝客が奉納したものだが、その金額によってサイズが異なる。「ここは小さい鳥居を置く場所なのかなー。あ、四つ辻って、来た道も合わせて四つ辻か」なんて、独り言ちながら、祠を見て回ると、もう少し先に進めそうだったので行ってみることにした。


 進んで行くと、そこには鳥居は一つもなく、傾き出した夏の陽射しに緑に茂った草木が少し黄色味を帯びて映る山中の景色があった。額から垂れた汗を拭いながら歩いていたその時だった。


 ふと、それまで何とも感じなかった周囲の空気が変わったように感じた。耳に入ってくるのは風に吹かれて木々の葉が擦れ合うざわざわという音だけ。遠くはなっていたけれど、数秒前まで確かに聞こえていた茶店で休憩する人たちの賑やかな声が全く聞こえない。本当に、何が起こったのか分からない。立ち止まって、耳を澄ませても、聞こえてくるのはやっぱり風と木々の音だけ。


 明らかにおかしかった。そのうち、腕が痺れて、暑さのせいではない変な汗が出てきた。「なんかダメだっっっ!!!離れなきゃ!ここから!」。私はぎゅっと両目を閉じて、踵を返すと思いっきり走り出した。登りはじめた時の軽い足取りとは比べ物にならないくらい、上手く足が動かない。けれど、必死に走って、走った。


 何分くらい走ったか分からない。着ていた真っ赤なTシャツが汗でぐっしょり濡れた頃には小さな鳥居とお狐様があった所まで戻ってきていた。そして、気づくと身体が普通に動き、休憩所の人たちの声も聞こえるようになっていた。


 恐怖と気疲れのせいで、歩幅が狭くなったまま茶店に戻ると父と母が妹にきなこ味のソフトクリームを食べさせていた。「どこ行ってたの?」、そう聞いてきた母によると二十分くらい私を待っていたらしい。私としては、五分くらいの気持ちだったのに、実際はもっと長い時間が経っていた。


 なんだか、すっかり肝を冷やしてしまった私は、「四つ辻」から先は先に進まずに、家族と一緒に何とか初の稲荷山を踏破した。下山の時に買ってもらった冷やし飴は全然甘く感じられなかった。それ以来、伏見のお稲荷様を訪れた四回の登山では、一度も「四つ辻」の左の道は見ないようにしている。


 あの時の妙な経験は、お稲荷様の悪戯だったのか。だけれど、稲荷山のお狐様は神様の使いで、良い狐だからそんなことはしないと思う。だとしたら、山にいたナニカから、お狐様が私を助けてくれたのか。全部気のせいと言われてしまうと、そうなのかもしれない。けれど、私はあの夏に体験した、怖くて不思議な経験が気のせいだったとはどうしても思えないのだ。


 そんな不思議な稲荷山探訪。





 因みに、伏見のお稲荷様は参道に観光客向けの食べ歩きのグルメスポットやお土産屋さんがたくさんあってとっても楽しいところです。冬に行くと、鶉の半身焼きとか雀の丸焼きとか、珍味もあるのでご賞味あれ!特に雀ね!ヴィジュアル百点です!稲荷山にも登ろうと思う方は、それなりの覚悟を持っていった方がいいです!少なくとも夏場はお勧めしません!(私は行ったけどー!)

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