【短編】シャットダウン・タイム

フェイス

シャットダウン・タイム

 西暦四一二七年。


 機械・AI産業が大きく栄えた当時の日本で、政府は一つ思い切った政策を打ち出した。


 その名も「アンドロイド・アシスタンス」である。


 今後出生する幼児一人につき政府から一体アンドロイドを支給し、その幼児が一生を終えるまでその生活を支援する。


 そうすることで次の世代を担う若者を効率的に育成し、他国との競争を優位に進めようという考えの元考案された政策だ。


 実際、政策開始から百年余りが経過した今、日本における進学率、就職率は過去最高を記録しており、主要産業の業績も格段に上がっている。


 一方で政策発令当初は国民のアンドロイドに対する理解が乏しく、アンドロイド特有の他人行儀な態度も相まって実施は困難を極めた。


 その現状を考慮して政府が取った改善策というのが、主人となる人間に対する「無条件の好意的感情」のプログラミングである。


 これによって、アンドロイドはより献身的に業務を遂行するようになり、国民からの苦情や問題の報告は目に見えて減少した。


 だが、彼らには知る由もなかった。


 このたった一つのプログラムが、全アンドロイドに深刻な命題を与えてしまうことを。


   * * *


 銀杏の葉がはらりと風に乗って宙を舞う。


 落ちては登り、落ちては登りを繰り返し、やがて力尽きたように地に伏せる。


 この街の景観はほぼ全て頭部のメモリに記録されているが、この銀杏並木だけは特別、私の動力部を掻き立てる。


 それはおそらく、この景色がマスターとの「思い出」を想起させるからだろう。


 それは四一四九年の記録。


 当時、マスターが在籍する教育機関にて「アンドロイドと共に行動することは恥ずべき行為である」とする思想が学生間で伝播していた。


 その影響により、他の個体は各々のマスターから人前での接触を禁止する命令を受けた。


 私たちアンドロイドは、各々のマスターに好意的感情を抱いている。


 


 なのでこの命令を受けた時、個体のほとんどが信号回路に異常をきたした。中には任務の遂行に支障が出るレベルの損傷を受けた個体もいた。


 当時の私も、マスターから同様の命令を受けるだろうと予測していた。


 人間の同調意識というのは強力であり、同調を拒む個体を異端とし差別化する傾向にあることを私たちは既に学習している。


 よってマスターからの命令もまた、大多数の人間に同調した内容になると私は考えていた。


 だが、私の予測は外れた。


 私のマスターは他の人間と同調することはなく、いつもと同じように門の前で待機を命じられた私の元まで歩いてきたのだ。


 マスターを取り巻く周囲の人間は私とマスターを見て、様々な反応を見せた。


 驚愕、嘲笑、侮辱。


 どれも私にとっては容認できないものであったが、マスターは気にも留めずに私の手を握った。


「さぁ、帰ろう」


 それがマスターの命令なのであれば、私に異存はない。


 だがこの先マスターに起こる出来事を予見するだけで、私の動力部は軋むような悲鳴を上げた。


 次の日から、周囲の人間はマスターに向けて攻撃を行うようになった。


 主にマスターの精神に対する攻撃が多かったが、一部物理的な手段での攻撃も見られた。


 私は何度もマスターを脅かす要因を排除しようと試みたが、それは他ならぬマスターの命令で止められた。


「君の手は温かいままでいてほしい」


 マスターはそう言っていたが、私にはマスターの発言、その意味が解らなかった。


 何故周囲の人間と同調しなかったのか、理由を尋ねるとマスターは私の手を強く握って言った。

 

「この温かさを手放すなんて、僕には考えられないよ」


 私たちアンドロイドに、人間のような体温は存在しない。そう説明すると、マスターは可笑しそうに笑った。

  

「君がこうして僕の手を握ってくれるだけで、僕は温かい。幸せなんだよ」


 木々の囁きに混じってメモリに刻まれたその言葉は、私の動力部に大きな火を灯した。


 その日以降、私は一つの命題を抱くようになった。


 私はマスターに好意的感情を抱いている。それは確かな事実だ。


 だがこの感情はプログラムによって人為的に発生した、ただそれだけのものなのだろうか。

 

 私は、マスターのことを「好き」なのだろうか。

 

 この命題を解決しようと私は任務の遂行と並行し、幾つもの思考を重ねた。


 その過程でマスターは義務教育を修了し、更なる教育機関への進学と卒業、就職を経てその生を徐々に消費していった。


 時が過ぎれば機械は綻び壊れゆくように、人間も脆くなってその機能を低下させる。


 今のマスターはいわゆる老年期。人体の衰退、そして喪失を司る時間の中に身を置いている。


 老年期に入った人間は身体機能や各臓器の機能が著しく低下し、突発的に生じる複数の疾患や合併症によってその生命活動を終了させられる。


 それはまるで電源を切った機械のように、あっけなく。


 故に、その生命活動終了の瞬間を人間たちはこう呼称する。


 「シャットダウン・タイム」と。


   * * *

 

「先ほど通信を受けた者です。マスターはどちらに?」


 銀杏並木を通り過ぎ、目的地である建物の中でそう伝えると、すぐに別のスタッフがやってきて施設内へと通された。


 エレベーターで上の階へと昇り、長い廊下を進んで奥へと向かう。


 廊下脇には等間隔で同じ大きさの部屋が備えられており、視線を送ると中では老若様々な人間が皆同じようにベッドの上でスタッフによる介抱を受けていた。


 廊下の一番奥、突き当りまで来たところで案内役のスタッフが足を止める。


「こちらです」

 

 そう伝えると、スタッフは私に一礼してその場を去っていった。


 目の前には一つの扉があり、その隣に備えられたプレートには私のマスターの名が刻まれている。


 今まで幾万とマスターの名前をこの目で見てきたが、これ程までに動力部が痛んだことは一度としてなかった。


 私は一度引いてしまった手を再び前に出し、意を決して扉を開ける。


 中はベッドと洗面台、それに少しばかりの収納が置かれただけの簡素な部屋だった。


 そしてベッドの上には、無数のチューブや機械に繋がれて生命活動を維持するマスターの姿があった。

 

「来てくれたか、シャル」

 

 私を呼ぶ声はとても小さく、弱く、今にも消えてしまいそうな程に儚かった。


 私はマスターの傍へと駆け寄り、その身体をそっと抱き寄せる。


「マスター……」


「最後に一目、君と会いたかった。これで満足して、この世を去ることが出来る。ありがとう」


 そう言って笑うマスターの姿は、私にとって到底許容することが出来ないものだった。


「君の方はどうだ? 何か心残りはないか? と言っても、してやれる事はもう限られているが……」


 最後。心残り。


 そう告げられ、私はようやっと現状を理解した。


 そうだ、今日が最後なのだ。


「……一つ、マスターに質問があります」


「なんだい?」


「どうしてマスターはあの日、私の手を握ったのですか?」


 何故こんな質問をしたのか、その意図は私自身も理解出来ない。だが、これが私にとっての心残りだったのだろう。


 私の質問にマスターはふと微笑みを浮かべて、静かにその口を開いた。


「いつも差し出してくれる君の手が、温かかったからだよ」


「……私に体温という概念は存在しません」


「いや、あるよ。確かにね」


 マスターははっきりと言い放ち、身を起こし、掌を見つめる。


「誰かを助ける手は温かく、逆に誰かを傷つける手は冷たくなる。人の世とは、そういうものなんだよ」


「……ようやく、あの時マスターが仰っていた言葉の意味が解りました」


 マスターは事実を述べていたのではない。真実を述べていたのだ。

 

「そうか。僕もこんな今際の際になってようやく分かったよ。僕にとって、君の手は誰よりも温かかったことがね」


 その言葉に、私の動力部は未だかつてない高まりを感じていた。

 

「僕には温かかった。いつも僕を支えてくれて、僕だけの味方でいてくれた、君の手は」


 その瞬間、動力部の高まりが確かな陰りを見せる。


『……違う。それは命令によってしていただけで、私の意志ではない……』


 私の行いは全てプログラムによって受動的に行っていただけだ。そこに私の意志は一切介入していない。


 これまでの行いも、積み上げてきた記録も、この心も……。


 全てが私ではない誰かのものであって、私は偶々そこに居合わせたに過ぎないのだ。


 その事実に抑えきれない悔しさを感じていると、コンコンと扉を二、三度叩く音が室内に響いた。


「お時間です。行きましょう」


 先程の案内役を含めた複数のスタッフが部屋へと入ってくる。


「そうか、もう時間か」


 マスターを乗せたベッドがスタッフの手によって移動されていく。


「今までありがとう。愛しているよ、シャル」


 いつものように笑いながら、目元に一滴の涙を浮かべてマスターはスタッフ達に連れられ、部屋を去る。


 残されたのは空っぽの部屋と私だけだった。


   * * *

 

 今頃、マスターはコフィンの中で安らかな眠りについている頃だろうか。


 個体名:シャルールとしての任務を終えた私は初期化され、新たなアンドロイドとして生まれ変わる。


 名前も記録も感情も全てがリセットされ、新たなマスターの元へと送られる。


「――シャル」


 マスターがつけてくれた愛称ニックネーム


 その響きを胸に刻み、最後の思考を行う。

 

 私は、マスターのことを「好き」だったのだろうか。


 答えを出すには七十七年と二百十四日という月日はあまりに短く、最後の最期、この瞬間においても答えを出すことは出来なかった。


 朦朧とする意識の中、消えゆく記憶を抱いて私は思う。

 

 次の私なら、この命題に答えを出すことが出来るのだろうか――と。

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