3.みつからない蒼い鳥

 アスファルトへ向けて、一直線に落ちていく。

 すべてを諦めたけれど後悔の涙は止まらない。顔を覆っている手に触れた涙はダイヤモンドへと変わり、小粒のダイヤモンドはキラキラと町明かりを反射して、俺よりもゆっくりと下へ落ちる。このダイヤモンドはアスファルトに叩きつけられて、粉々に砕けるのだろう。俺はダイヤモンドではないから粉々にはならないけれど、壊れたダイヤモンドと同じ無価値の肉塊になれる。ようやく俺は、この能力から解放されるんだ。

 そっと目を閉じ、俺は死を受け入れる準備をする。自ら選んだ死だが、やはり怖いのだろう。全身が動かなくなっていく。

 閉じた目が開かない。最期に見る景色がアスファルトじゃなくて、ダイヤモンドより綺麗に輝く町で終われるからよかった。

 顔に添えた手が動かない。涙で汚れた顔を晒さずに死ねるからよかった。

 腕が動かない。足が動かない。体が動かない。下手に動いて死に損なう心配がなくなってよかった。

 呼吸が苦しい。息ができない。いいさ、どうせ死ぬのだから。

 酸欠か、恐怖か。落ちていく中で俺の意識はぶつりと途切れた。


 固い地面に叩きつけられたような衝撃で、意識を戻した。これが死なのかと思いながら、痛みを訴える体を起き上がらせる。俺は地獄に落ちたのだろうか、地獄とはどんな景色なのだろうかと目を開ければ、見慣れた町が広がり、眼下には大量のダイヤモンドの破片が散らばっていた。

 「――は?」

 これはどういうことだ。

 現状への理解が追い付かず、呆然としながら俺を中心として広がるダイヤモンドの欠片を見る。ただ一つわかることは、俺はまだ死ねていないということだけだ。

 「死なないと」

 俺の救いは、もうこれしかないんだ。ビルの屋上から落ちたにしてはそれほど痛みがないことを疑問に持ちながら立ち上がる。もう一度屋上へ行こう。手袋をしていない手でビルのドアを触ったら、ドアノブがダイヤモンドになった。昔なら人にみつかる前に隠すことをしていたが、今となってはどうでもいいことだ。素手で触れてしまったのだから仕方のないことだし、俺はもう死ぬのだから、ダイヤモンドになったドアノブが誰かにみつかったところでどうだっていい。

 屋上へ向かう途中途中、触れた建物の壁や廊下の電気のスイッチがダイヤモンドへ変わっていく。俺の能力は、無作為とはいえここまで無差別だっただろうか。記憶にある限り、もう少しダイヤモンドにしてしまう頻度は少なかったはずだ。だけどそれがなんだと言うのだろう。死んだあとのことなんて知らないさ。誰かが勝手に持っていったりすればいい。

 二度目のビルの屋上へとたどり着く。乗り越えるために柵を掴んだら、それもダイヤモンドに変わった。この短時間で、このビルを構築するどれだけのものがダイヤモンドになったのだろうか。今までの俺ならそのようなことはないように絶対に手袋をつけていた。ダイヤモンドにしてしまったらどうにか隠蔽することを考えていた。でも今は、全部どうでもよかった。だって俺は、誰も殺していないじゃないか。この忌々しき能力で、仕方なくダイヤモンドにしてしまっているのだ。

 「そうだ、仕方がないんだ」

 今度こそちゃんと死ねるように、己の体を小さく丸めて自分の肩を抱く。そして頭から、倒れるように飛び降りる。

 そしてまた、俺の意識は落下途中で途切れた。


 再び全身を叩きつけられるような感覚で目を冷ます。すぐに死ねなかったことがわかった。呆然と地べたに座る俺の周りには、先程よりも大量のダイヤモンドが敷き詰めるように散らばっている。二度あることは三度あるとは言うけれど、三度目の正直という言葉もある。後者に賭けた俺は、もう一度ビルの屋上へと向かった。

 「もう一度。今度こそ大丈夫。きっと死ねる」

 足の痛みのせいで途中で躓いたときに床に触れてしまったら、床もダイヤモンドになった。ドアノブはもうすべてダイヤモンドになっている。少しだけ能力が強くなったことは疑問だったが、制御できないなら結局のところこんなものはゴミでしかない。それならいっそ最初から触れたものがすべてダイヤモンドに変えしまう能力がよかった。すべて変えてしまうのなら、仕方がないと思うことすらなくさっさと人生を諦めて死ぬことを選べただろう。

 死ね、死ね。

 「死ね」とうわごとのように呟いて、指を組んで祈りながら飛び降りた。


 何度繰り返しただろう。

 山積みになったダイヤモンドの破片に囲まれた俺は、高い夜空を見上げる。

 何度飛び降りても、落ちている最中で気を失うのに、叩きつけられるような衝撃で意識は戻る。つまり、俺はビルの屋上から何度も落ちているのに死ねていないのだ。そして繰り返すたびに、地面に広がるダイヤモンドの破片は増えていく。

 「なんで」

 人は殺してしまうくせに、なぜ自分は死ぬことができないのか。生きていても、もういいことなんて何もないのに。このダイヤモンドで財を築こうとも、大切なものは戻ってこないというのに。生きていても、仕方がないんだ。

 「死なせてくれ」

 涙が止まらない。顔を覆えば、また涙はダイヤモンドへと変わる。忌々しい宝石に苛立ちを覚え、俺はヒステリックに叫びながら頭をかきむしった。

 「なんで! なんで俺ばっかり! 死んだっていいじゃないか、生きてる意味なんてないじゃないか!」

 何もかもが嫌になって、今度は自分の頭を殴ろうとしたときだった。人間の頭より固い何かが、俺の手に触れた。固い何かは軽く叩いても砕ける気配はない。塊になっているそれをゆっくりと髪の毛から離そうとすると、髪に引っ掛かるということはなくするりと抜けた。

 「…………は?」

 『それ』は町明かりを反射し光輝くとともに、怒りで震える俺の顔を映した。そしてまた、涙が出た。

 「ふざけんな!」

 それをダイヤモンドの破片の山へ投げ捨てれば、粉々に砕けて地面に散らばる有象無象のダイヤモンドの一部へと成り代わる。怒りという感情が、火山の噴火のごとく舞い上がる。

 「死ね! 死ね! 死ね! 死ねよ!! 死ね、この人殺し!」

 怒りに身を任せて地面を叩けば、今度は地面がダイヤモンドに変わっていく。

唸り声をあげて頭をかきむしれば、髪の一部がダイヤモンドになる。引きちぎるようにダイヤモンドを取り、投げ捨てる。怒りを発散させる場所がほしくて太ももを殴れば、今度はそこがダイヤモンドになる。殴り続けていると、ダイヤモンドは砕け、怪我など微塵もしていない俺の太ももがその下から現れる。

 あぁ、俺はこうやって生き延びていたのだ。飛び降りるときにいつも体に手が触れていた。それは顔であったり、肩であったり、手であったり。そして落下しているときに全身の側だけがダイヤモンドになり、地面に衝突した際に砕けて、俺はもとに戻る。そうに違いない。だから飛び降りるたびにダイヤモンドの破片が増えていったんだ。

 空が白み始めるまで、俺は自分の体の一部をダイヤモンドにしては、砕いて、またダイヤモンドにして、また砕いて、と泣きながら無意味な行為を繰り返していた。

 「もう、死なせてくれ……」

 登り始めた太陽に懇願する。

 死ねば幸せになれるんだ。それに俺が死んだほうが、皆だって幸せになれる。俺に殺される心配がなくなるんだ。

 「どうして駄目なんだよ」

 俺には幸せになる資格はないのか?

 涙を拭えば、滲んだ視界が剥がれるように鮮明になる。指先についたダイヤモンドを振り捨てる。ダイヤモンドも破片の山が、また増える。

 「幸せになりたいだけなんだ……」

 太陽の光を反射して輝くダイヤモンドは、ぽろりぽろりと積み重なっていった。

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