恵方巻を捨ててコオロギ食べる国

 ようやく昆虫食の養殖が軌道に乗った。

 これまでの課題が解決したからだ。

 そのうちを占めていた餌の確保に目途がついた。

 食用昆虫の多くを人間の食べ物の廃棄物を利用することで解決した。

 まず最初は節分の風物詩の恵方巻。

 関西圏ではさほど廃棄されないが、東日本では知られるようになって30年になってもスーパーで売っていたら買いましょうかな程度。

 店側も毎年多めに用意して売り上げ増を狙うが毎回届いていないので、売った量より捨てる量のほうが多い。

 他にもホテルなどのバイキング料理の廃棄も相当になる。

 売れ残ったから捨てる、食べられるのに捨てる。

 高級ブランドがやっているように価値の保全なのだろうか。

 値引きシールや半額でも売れ残るほどの廃棄。 

 捨てるのにお金がかかるのはどこの自治体も同じ。燃やすのだって生ごみは余計にエネルギーを使う。

 昆虫食は食糧危機の切り札として国や企業が後押しをしてくてる。

 僕が起業したのも補助金がでるし宣伝もメディアがかってにしてくれるからだ。

 学校給食に取り入れたり、お菓子などにも使われれ始めている。

 日本は一部の地域だが昆虫食が一般的だし、アジアや世界の国で常食されているところも少なくない。

 むしろ日本のゴボウのほうが「木材」食とされて不思議がられている。

 世界的な食糧危機で自給率が半分以下の我が国では早急な対応が望まれている中の昆虫食。

 そう、気づいている人も少なからずいると思うが、廃棄食料をわざわざ昆虫の餌にするの?だろう。

 食糧危機なら食べ物を無駄にしないところから始めて、それでも足りないのなら虫を食べて糊口をしのごうとならないのか、ということ。

 これには国の思惑が隠れている。

 将来的にはっきりとした階級社会をつくるための下地をつくっているのだ。

 増税やインボイス、各種料金の値上げで弱い民と富む民との格差が広がっている。

 当然ながら食べ物を捨てているのは富む民だ。

 既存の一般的な食べ物を富裕層、昆虫食を貧民層と区別をつけるためにだ。

 なぜそんな面倒なことをしてまでやるのか。

 食文化は差別につながるからにほかならない。

 昆虫食しか食べられない民は反抗心など生まれない。

 富裕層はその特権のような意識で貧民を使い尽くす。

 これは少子化国になった国が考えた政策だ。

 少数で優秀な富裕層が貧民を隷属させて生き残る。

 少ない食料は富裕層にだけ食べさせるだけしかないからだ。

 そういう僕も昆虫など一切食べない。

 食べたら貧民と思われるから、子供にも食べさせない。

 美味しかったらいいのでは、と思うかもしれない。

 実際はさほど不味くはない。見た目はあれだ、黒いエビだと思えばね。

 でも貧民の食い物を食べるほど僕は落ちていない。

 今日は節分だ。

 富裕層のなかで流行っている、恵方巻をどれだけ山積みに用意した画像をSNSにアップさせ、どれだけ捨てるかが富のアピールとなっている。

 だいたい巻きずしなど好みじゃない。

 一口だけかじって焼肉にしよう。

 残りは自社の昆虫養殖場に持っていってもらうだけなのだから。

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