第12話 愚かな子豚は贄となりましたとさ。

敬欄高等学校、食堂————————


「進藤ッ!進藤ッ!進…ふぐっ……藤」


 おお、荒ぶっておられる荒ぶっておられる。


 一心不乱に目の前で食事を掻きこむ木村啓介、その対面には彼と対照的にゆったりと着実に食事を運ぶ影峰両助と原田淳也がいる。

 一限の一件から午前中の授業を終えた俺達は、昼食をとるため食堂に足を運んでいた。


 言わずもがな、一年八組の不満は表には出ていないが凄まじい。

 男子は言う必要がないとしても、女子にも問題が生じた。

 なぜなら進藤を狙っている子は多いということだ。

 あの場で事が起こらなかったのは幸運だった。


 一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ、一人の犬(邪な心を持った生徒)が異議を唱えれば、それにつられて複数の犬(邪な心を持った生徒達)が声を上げていたことだろう。

そうならなかったことの理由は単純だ。


「そんなに悔しいならあそこで立ち上がれば良かっただろ…」


 それだけあの二人のオーラが凄かったということだ。

 全く、見た目一つで反対意見を黙らせるとは、さぞや楽な生を送っていることだろう。

 そこにいるだけで自分の意見が通るのだ。話し合いの段階を飛ばせる人生とは如何なモノなのか。

 そんな正論を受けて、啓介の勢いは目に見えて減衰する。


「い、いや、あれと戦うのはちょっと…」

「だからクラス委員取られたんだぞ」


 両助は彼に事実を掲示するが、そんなことは言わずとも理解しているらしい。


「わかってるよ!そんなこと!でも無理なのは無理だ!」


 その完全な敗北に魚の塩焼き定職を綺麗に食べていた淳也が、ここに来て始めた口を開いた。


「部活みたいに立ち向かえば良かったのに、啓介、俺にもお構いなしで来るじゃないか」

「その勇気をなぜ発揮しなかったのか…」


 淳也の言葉を聞いた両助はさらに呆れる。

 こんな巨体に立ち向かう度胸があるのにどうしてだ。もったいない。


「部活と学園生活は全く別なんだよ!」


 その叫びに思春期の気難しさが垣間見え—————いや、がっつり見えている。

 確かに難しいよね、俺も一言もしゃべれなかったし。

 しかしそんな啓介に淳也は「そんなことないよ」と異議を唱えた。


「啓介はどんな逆境でも、頑張れば勝てる人間だ。実際に俺を投げてみせたじゃないか」

「……はあ⁉」


 その事実に両助は大声を出してしまった。

 その叫びに食堂にいる一同の視線が集まる。彼らは何事かと両助を見たが、気恥ずかしさから黙って座っている彼を見て、自身の食事へと戻る。

 食堂の空気が戻って、改めて会話を再開した両助は淳也に問う。


「啓介が?純也を?」


 淳也が冗談を言ったものかと思ったが、照れ臭そうにする啓介を見てそうではないことを理解する。

 本当に小兵の啓介が、この大柄な淳也を投げたのだ。

 啓介は「偶然だよ」とその時のことを話す。


「あの時はたまたま淳也の重心が浮いたんだよ。それに俺が相手だってわかったら淳也気を抜いただろ?」

「それでも開始数秒で投げられた時は現実を疑ったよ。あの後監督にこっぴどく怒られた」

「それは知らん」


 淳也が最後に言った不満に、我関せずとばかりに食事を口に運ぶ啓介。

 どうやら本当らしい。

 サッカーで言うところのジャイアントキリング、相撲で言う大金星、その大番狂わせは大会の場でやろうものなら会場が湧くこと間違いなしだろう。


 そんな漫画のような出来事が実際にあったのだ。

 何?柔道やってるけど普通あり得ない?…あったんだから、しょうがないだろ。

と、そこで話が脱線したため啓介によって戻される。


「俺のこと話してる場合じゃないって!」

「でも気持ちいだろ?」


 その差し言葉に啓介はニヤ付きながらも小さく頷く。

 やっぱりこいつチョロいな。褒められたらすぐにニヤつく。


「うん……て、おい!また戻そうとするな!進藤だよ進藤!」


 クソ、誤魔化して意識を逸らそうとしたのに…自力で戻しやがった。

 啓介は我慢できないという風に、机をベシベシ叩く。

 彼の反応も不思議ではない。むしろ自然と言っても良い。

 あの高嶺の花の傍らを取られたのだ。誰だって悔しいに決まっている。

 え?俺?………いや……そんなことないっすね、はい。…………ひん。


「どうするんだよ⁉このままじゃあ…」

「いいじゃん。むしろそれが自然な流れじゃね?あのペアだし」


 美男美女、なんとも絵になる光景ではないか。

 幸せの度合いも増すというもの。比例して周りは下がるが……。

 啓介は両助の投げやりな反応に、態勢を前のめりにして食らいつく。


「お前、なんでアイドルの恋愛報道が報じられないかわかるか?夢を売るためなんだよ!」


 啓介は足立をアイドルに例える。いや、足立は本当にアイドルだ。学園の。

 その上その容姿はそんじょそこらのアイドルよりも美しく可愛らしい。決して見劣りしない、というか優に超えている。

 だが彼女は芸能人ならいざ知らず、ただの女学生だ。

 ここにいる三人はそれを重々承知している。


「足立さんはアイドルじゃない。何をしようがあの人の勝手だ」


 両者が幸せで周りも大っぴらに騒がなければ何もすることはないと思って安心したが、困ったな。

 もしも、啓介のような過激派が多く出てくるようなら、陰ながら動かなければならない。

 私情はございません。私は他人の幸福を願う者。妬みなど、まさかまさか……。


「ダメだ!あんなどこの馬の骨かもわからない奴を信用何て出来ん!」


 椅子の背もたれに身体を預けて腕を組む啓介、完全に彼らの関係を不満に思っていた。


「お前は保護者か!」

「お父さん認めませんよ!」


 そんな訳の分からないことをやっていると、その場に話の中心人物が現れた。

 どうやらヒートアップして声が大きくなったみたいだ。その証拠に少し簡単に見つかってしまった。


「あなた達、なにやってるの……ってまたあなた」


 そこにはトレイを持った足立の姿が、その真横に啓介含め男子の宿敵である進藤正人の姿もあった。見たところ一緒に昼食を取るようだ。


「ああ、話すのは久しぶり…ていうか一日ぶりだな」

「できればあなたとは話したくないわね。疲れるわ」


 そんなお前嫌い宣言に二人が哀れみの視線を向ける。やめろ、悲しくなるだろ。

 そんな新婚さんのような雰囲気の二人は、バカ騒ぎをする三名を諫めに来た。


「お願いだから、もう少し静かに食事してくれないかしら。周りの迷惑を考えて」

「悪い悪い、……ここで昼飯食ったらどう?監視もできて食事もできる、一石二鳥だ」


 両助の提案に啓介が首を縦に大きく振る。

 はて、こいつはただ一緒に食事をしたいだけなのか、それとも傍らの旦那に文句を言うつもりなのか。

 ……うん、間違いなく前者だな。見たところこいつにそんな鬱屈感を言う度胸はない。


「イヤよ、馬鹿が移るわ」


 だがその提案は断られた。

 その瞬間、「お前は何てことをやってくれたんだ⁉」のような啓介の視線が両助にぶつかる。お前、手のひらクルクルすぎん?


 そうして注意を終えた足立は、別の机に向かおうとしたところで意外な方から彼女を呼び止める声がした。


「良いじゃないか、未来。クラスメイトなんだ。仲良くしよう」


 意外や意外。なんと旦那様の方から食事のお誘いが来るとは。

 進藤は持っていたトレイを机に置いて椅子に座る。

 それにまあ、もう下の名前で……もしかしてそこまで発展した?


「正人⁉」


 パートナーの行動に驚愕した足立は動揺を隠せていなかった。

 そして数秒そこで思い悩む。このままパートナーの言う通り共に食事をとるか、逆らい別の場所で食べるか。

 彼女に否定権はもうない。いや自分の意思でなくしたのだ。

 つまりもう彼女の選択は実質一つしかない。


「正人に感謝しなさいよ。あなた達……」


 苦渋の決断の後に引き返す足立。両助は彼女に向けて言葉を吐き、淳也と共に立ち上がる。

 彼らの食器はもう空になっていた。


「悪いけどもう食べ終わったんだ。数学委員の用事もあるから、じゃあな」

「あなた何がしたいのよ⁉」


 いきなりのさよなら宣言に思わず突っ込んでしまった足立さん。だが進藤が見ている前だったことを一瞬忘れたのか口をつぐむ。

 声を荒げる姿を進藤に見せたくないようだ。


「用があるのは俺と淳也じゃないんだ。なあ、啓介?」


 そう言って啓介の肩に手を乗せ、話させるように促す。

 当の本人は「え?」と鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をしている。

 次の瞬間、啓介は鬼の形相で両助に迫る。

 両助の首に手を回した啓介は小声で彼に食って掛かる。


「おい!ふざけるなよ!無茶ぶりにも程があるだろ」

「言いたいことがあったんだろ?この際だ、ぶちまけちまえ」


 横から淳也も介入する。彼は啓介の火事場の馬鹿力を信じているのだろう。

 どこか期待の籠った目で啓介を見ていた。

 こいつ、実は楽しんでないか?


「頑張って啓介、俺は信じているよ」

「いや、無理無理無理!無理だね、言えるもんか!」


 淳也の応援に顔が高速に左右に動く。自身は皆無のようだ。


「やってみろよ、案外淡泊に終わるかもしれないだろ」


 無理だ無理だと思い悩むから無理なのだ。

 意外とやってみたらそこまで難しい事でもないかもしれない。

 そう言って彼の背中を押すが、すぐに否定してきた。


「改めてお前は相応しくないとか喧嘩売ったら問題になるに決まってるだろ!」

「まあ、頑張れよ。可能性は無きにしも非ず、だ」

「え?待ってよ。ねえ、待ってよ……あ」


 必死の抗議を振りほどき、両助と淳也は食堂を後にしたのであった。

 背後から聞こえる呼び止める声に後ろ髪引かれることなく。

 彼らは清々しく前に進んだのだ。

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