第10話 春先の柔らかい第一HR
用を足した両助はホームルーム開始直前で教室に戻った。
教卓の前では初日のスーツよりかはラフな格好となった眼鏡をかけた沢野先生の姿が、彼は今日の業務を確認している。時間になれば開始を告げるという感じだ。
席に戻り、背後ではどこかほっこりした啓介の姿が、よかったね褒めて貰えて。
「はい、ホームルーム始めま~す。出席からね」
そうして沢野先生が一人ずつ名前を呼び、両助が返事をした後…。
川のせせらぎさえ聞き逃すことのない空間に、なんとも間の抜けた声が響く。
「は~い」
その声の主は木村啓介、彼はふにゃふにゃした表情からふにゃふにゃした音を繰り出した。
こいつチョロいぞ。
教室に微笑が生まれる。特にその理由を知る者は笑いを堪えるのに必死だ。
良かったな、啓介。君のファーストコンタクトは最高の形で終えているぞ。
窓から漏れ聞こえる雀のさえずりとよく似合う声にホームルームの場は和んだのであった。
そうしてクラス全員の出席を確認し、今日の大まかな流れを説明した沢野先生は、「一限まで休憩ね」ということで生徒達は静かに談笑を再開していた。
背後では会話ではなく食事を再開した啓介が両助に対して言葉を並べる。
「いやぁ~、やっぱり俺行きたいよ。校外学習」
さっきのアホな表情と打って変わって苦虫を嚙み潰したような顔になる。
無理もない。あそこまで誉めそやされた後だ。輪に入りたいと思うのは当然だ。
それに可哀そうでもある。なんとかしたいものだが…。
両助は他人事であるが、その気落とした様子から気持ちが伝播する。その事実に直面した彼は肩を落としていた。
「なんとかならないの?」
両助は本当に打つ手がないのかと疑問に思い、啓介に問いかけた。
「無理だよ。誰も練習より遊びたいですなんて言えないだろ?」
「まあ、確かに」
柔道部からすればまたとない機会だ。
強豪との経験は必ずやいい方向に働くだろう。
その中で、やりたくないなどと言えば、やる気を疑われる。
啓介は「どうしよ~」と菓子パンと余ったサラダを頬張る。組み合わせは特に気にしないようだ。あと貰ったのね、それ。
新入生の立場から、声を大にして叫ぶこととは躊躇われる。上級生が抗議しない限りは事の変化は起きはしない。
何かいい案がないだろうか…。
「周りに期待してみる?」
「え…」
その提案に啓介は怪訝な表情をする。
両助はそれに疑問を憶えた。先程の好感度であれば不可能ではないと思われるが…。
「そんな…皆に悪いよ…」
「ああ、そういう…」
それで納得できた。こいつは皆を信用していないわけではない。むしろもう完全に信じ切っている。
信じているからこそ申し訳なさが、その恩義への返し方がわからないのだ。
貰ったものをどのような形で還元するのか、それは難しい話だ。終わりがないとさえ言える。
だがそれを問題に思うことはない。
だってそこまで彼らの間に距離はないと思えたのだ。
「そんな気にすんなよ。皆だって啓介に一緒に来てほしいからこそ言うんだし。淳也だってそうだ」
まあ、あいつは特に気にした様子はない。むしろ落ち込みそうではある。
啓介のお願いに尽力すれば淳也が悲しむ。
逆に淳也の願いに尽力すれば啓介が寂しくて死ぬ。
なんともうまくいかないものだ。
相反した二人の立場に頭を悩ませる両助、彼の励ましに啓介に少し笑みが戻る。
「そうかな…そうだといいな」
へへ、と苦笑する啓介、お前は好かれているぞ、と言われればこの反応も当たり前か。
そこで始業を知らせるチャイムが鳴る。休憩は終わりだ。
沢野先生が脇から教卓の前に立ち、一限の開始を知らせる。
「じゃあ、予定通り委員会決めしよう~」
彼はそう言うと、慣れた手つきでホワイトボードにペンを走らせる。
綴られているのは各委員会の名前だ。
そしてすべての委員会を書き終えたところでこちらに振り返り、委員決めを始める。
「んじゃ、まずはクラス委員長から決めようか。まあ、クラス委員って言っても出番はそうそうないから気軽に立候補するように、むしろして。なりたい人いる?」
教室が一時静寂に包まれる。
まるで時が止まったかのようだ。お互いの出方を伺っている。
まだ教室内での立場、序列が決定していないのだ。様子見は賢明だろう。
沢野先生が、手を上げるようにジャスチャーするが、当然誰もやりたがるわけ…。
「はい」
いましたわ。立候補者が。
なんと手を上げたのは、初日に両助と学校に来たポニーテールちゃんだった。
うわあ、いかにもらしいー。
元々彼女はきつい性格の上に、気が強い。真面目そうな彼女が立ち上がるのは必然だった。
沢野先生も他に手を上げる者がいないので、先ずは片方の代表決定に喜ぶ。
選ばれたのはバラのような見た目の
「じゃあ、足立さんが女子のクラス委員ね。じゃあ男子のクラス委員決め、お願いね?」
そう言って、教室の傍らに退場した沢野教員。明確にその場所を足立さんに明け渡した。
ていうかあの人、足立さんって言うんだ。初めて知った。
シュシュで結われた尾が揺れる。
その姿はまるで玉座に向かう女帝のようになんと凛々しい事か。
教室内の空気をその姿から凍てつかせた彼女は、教卓という支配域に足を踏み入れた。
だがそれは今のこの場ではよろしくないのではないか?
確かにカリスマ性も必要だ。だがこの空気は重い。
これでは立候補者を出すことに足枷が出来てしまう。
「ん?」
しかし、それは杞憂だった。
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