今日の天気はダイヤモンド
ヤドカリは言った。
ここは今借りているだけ。
出ていこうと思えばすぐだと。
寄生虫は言った。
俺がいるんだから苦しむのは当たり前。
危なくなったらすぐにまた新しい宿主を探すさと。
警備員は言った。
私はここを守っている。
この扉を開けてどんな脅威が訪れるかわからないからと。
しかし彼らが出ることはない。
自己を肯定し、正当化し、しがみつき、固くかたく扉を閉め、ここに居る。
違う言葉。けれど共通。
アタシは思うんだ。
――嗚呼、アタシと同じじゃん
と。
動かない銀のドアノブ、垂れ下がる金の電灯のコード。色とりどりのノート、ぬいぐるみ。空色のベッドカバー。
今日も世界は美しく灰色だ。
◇
アタシの世界を変えたのは、たった一日。
約一週間のよく聞く珍しくもない病気。最高三十九・八度の、死にやしない高熱。立てたけど、歩けなかった。這えたけど、見えなかった。座って倒れて、書けやしなかった。だから隠して行くこともできなかった。
どこに? わかるでしょ?
その一日で、アタシはその後の四年間を失った。
一年? 違う。四年。
だって来年そこに立っても、教室にはアノ子も、アノ人も、アイツも、居ないもの。
空いた一年の空白は、それから四年埋まらない。
みんな優しかった。家族は楽じゃないのにこれからの事を胸を張って保証し、アノ人は電話で優しく励ましてくれた。アノ子たちは一緒に泣いてくれた。
アイツは「ドンマイ」って一言だけだったけど。
アタシの周りは騒がしかった。うるさかった。
だから、ドアを閉めたんだ。
◇
あれからどれくらい経ったのか、よく分からない。
ただ、毎日扉の前に置かれる食事。
食べ続ける自分が滑稽で、そう冷めた日にはそのままにした。でもアタシは図々しくも生きている。もう、何も聞こえなくなった。家族の励ましも、アノ人の電話も、アノ子の泣き声も、励ましも。
しぶとくも残ったのは、アイツ。
聞こえる着信。一回、二回……七回目に取らなければ、切れる。
七回目。…今日は取る。
そういう日。
「お、ちゃんと生きてる」
「…うるさい」
いつもこれから始まって、すぐに終わる会話。アタシを繋ぎ止める、外の天敵。
「なぁ、出てこんの?」
「いや、無理」
素っ気なく返事するのはいつも。短い会話。もう終わる。
けど今日は、違った。
「あんさ、さっきまで雨降ってたんだけど、今の天気わかる?」
「は? なんで?」
「いいじゃん。まぁいいや、いまどこにいる?」
「……部屋」
アイツの質問の意味が分からずアタシは顔をしかめる。表情を動かすことも久しぶりな気がした。
「あー、いや、窓際?」
「なにそれ? キモチワルイ」
「いいから、窓際にはいないか?」
「違うけど」
アタシは今、ベッドに腰かけている。
窓の前には何もない。
「なら大丈夫。今日の天気な、ダイヤモンド」
「え?」
「ちょっと電話下に置くな?」
「え?」
返事を聞く前に、コトっと耳に音が届く。そして外から。
「おばさーん! いまからやりまーす!」
大きな、アイツの声。
どうぞーと、下から声がした。
――瞬間、アタシの部屋の窓が割れ、破片がはじけ飛んだ。もの凄い音が響く。
キャアっという声はアタシだった。アタシにこんな高い声が出るのかと疑うほどの悲鳴。すぐに耳鳴りのようにシンと静まり、そこに、
「おーい」
アイツの声。足元に気をつけて、恐る恐る窓の外を覗く。
「おっ、出てきた。大丈夫かー? おーい」
「…なにしてんの?」
あまりのことに信じられず、怒りもわかない。
「ケガしてないか? すまーん! 思ったより粉々なってビックリした。バイトして修理代稼いだから、窓ぶっ壊しにきたー」
「いや、そうじゃなくて」
「おばさんには許可とってあるー」
「いやそうじゃなくて!」
「外! ダイヤモンドだろー?!」
「いや? なに?」
空を見ると、雨上がりの青空。
「ただの晴れてるだけじゃないの!」
「違う違う! 下した! 外はキラキラだぞー」
そう笑うアイツの足元のアスファルトは、雨に濡れ、光を反射して輝いていた。
息を呑む。黒く続く道路が光っている、ただそれだけ。それだけだ。あの日からあんなに灰色だった世界なのに。
「ごめんなー! 掃除手伝うからさ、終わったら散歩くらいしよーぜー!」
アイツはアタシに呼びかける。アタシの世界で、一番優しくなかったアイツが、アタシの今の世界を粉々にした。
「……あ! アタシ着替えてなーい!」
外にアタシの声が、また響く。
「気にすんなー」
そう手を振り、アイツは笑ってアタシの家に歩き始めた。慌てて、ドアを振り返る。まだ来ないけれど。
そこには、割れた窓から差し込んだ光が、ガラスの破片をダイヤモンドのように照らし、アタシの部屋一面を輝かせていた。
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