第59話 五山送り火
学園に到着する前に、私は『葵紐』を外す。その際に、ひなのさんがからかいを込めた表情で、
「あっ……取っちゃうんだー」
と言ってきたけれども、縁結びアイテムのペアルックとか匂わせどころでは済まされない確定情報なので、問答無用で外した。寮から『大文字』を見るという選択を、あのオムライス専門店でしたときのひなのさんがそこまで考えていたのかは分からないが、学園内に留まる選択をした時点でその瞬間の関係性は『友だち』同士になるに決まっていた。
確実に2人きりになれる場所で見れば恋人同士でもよかったけれど。自分たちの部屋の窓から眺めるのは、流石に風情が無さすぎるし、第3音楽室を夜の遅い時間に借りるのはそもそも認められないだろう。というか、飾城先生は自らの裁量を越える領域においては絶対に手を貸してくれないだろうし。
学園に着いた後は一旦解散して、お互い部屋に戻る。それからは特筆すべきことは特になく、そのまま夕食の時間に閑散とした食堂でひなのさんと再会した。
私もひなのさんも定食メニューを注文して、席に座る。
「……そういえば、ひなのさん。大文字って何時の点火だっけ?」
「朝に
他はちょっと見えるか分からないなあ。結構遠いし……」
『京都の大文字』と言うけれども、五山送り火のうち『大』の形をしているのは2つだ。別に優劣があるわけじゃないけれども『大文字』を見るって両親には言っているのに『大』じゃない文字のやつを見たって話したり、あるいは写真で送っても、疑問符を浮かべてしまうだろう。
ご飯を食べている間はひなのさんと、だらだらとりとめのない会話をしていたのだけれども、急に食堂の中が静かになる。
私たちも雰囲気の変化を察して、会話を止め、その変化の起点を探すために周囲をつぶさに観察する。
すると、存外その原因はあっさりと見つかった。食堂の出入口の近くに、先生が居た。確か3年生の学年主任の先生だったかな。職員室でちらっと見たことがあるくらいだけど多分そうだったはず。
私たち生徒の静寂を待ってから、声の通りやすい場所へ移動するさまを私たちを含めた学食に居る生徒たちはじっと見ていた。
席に座っている生徒の数はそこまで多くなく空席が目立っていたが、それでもこの時間に夕食を取らない生徒のが少ないから帰省せず寮に残っている子の過半はこの場に居るのだろう。
そして、その先生は簡潔に連絡事項を伝達して去って行く。
その内容は『今日の夜に各寮の屋上を開放する』というアナウンス。今まで……というか去年も含めて寮の屋上を使っていいって言われたことは一度として無かったんだけど、と一瞬思ったが気付く。
「……『大文字』の見学用か」
私がそう言えば、ひなのさんも苦笑しながら同意した。
「まー、部屋の窓からとかの方が、むしろ身を乗り出したりして危ないかもだしね。
それに、門限破ってまでうろうろされるくらいなら、最初から屋上に集めちゃった方が楽ってことでしょ」
この慣れた対応からして、毎年のことなんだろうなあ、とは思う。
けれども、そこには少なからずお盆に学校に残っている生徒へのサプライズという側面もあるのだろう。
私たちも、この流れに乗って屋上で『大文字』を見ることにした。
*
屋上は思ったよりも暗く、1人1本懐中電灯を持たされた。長めのストラップ付きだったので首からかける人も居た。
私の知り合いで今、ひなのさん以外に学校に残っているのは、例の吹部後輩2人組くらい。しかし、あの2人とはそもそも寮が違うので『ローズマリー寮』の生徒しかだけこの場には居なかった。
軽く挨拶したり、何度か会話したことがあるか……ってくらいの相手しか居ないし、そもそも屋上に来ていたのは10人ちょっとくらいの少数だったので、特に見知った相手も少ないとなれば、早々にひなのさんに引っ付く選択を私は取ることにした。
一方で、何故かリュックを背負ってきていたひなのさんは謎のネットワークを持っているので上級生にも下級生にも話しかけられる。それを綺麗にさばく様は、堂に入っていていつぞやの3年生のお別れパーティーを想起する立ち回りであった。
それでも10分もすれば段々思い思いのグループにまとまっていった。
「……ホントに、ひなのさんはいつの間に1年生と仲良くなったの?」
嫉妬心ゼロの純粋な疑問を口にする。寮のイベントとかに参加していないのに接点をどう作っているのかは、普通に好奇心で気になるよね。
「え? なんか、困ってるとことかに話しかけたりしたら普通に仲良くなんない?」
「いや、普通は困っていそうだと思っても、あんまり親しくない相手に話しかけないんだって……」
実際パッと見た感じで考えていることまでは分からないものだが、ひなのさんに関して言うとそういうフォローに関するスキルがずば抜けているからなあ。本当に困っている相手をピンポイントで狙い撃ちできるのだろう。いざとなったら頼りになる先輩としてトップクラスの性能を誇っている。
「まあまあ。そういう明菜だって、他寮の吹部の後輩と買い物行ったりしているんでしょ?」
「……どうして知ってるの、って思ったけど。
同時に、ひなのさんなら、そりゃ知ってても不思議じゃないというか、むしろ解釈一致まである」
「いやいや……こればっかりは私のせいじゃないと思うよ?
だって、明菜ってどうも目立っているっぽいし」
「……えっ?」
「いや、私は分からない感覚なんだけどさ。去年ちょっと話したじゃん? 本物のお嬢様か否かってやつ。
あれから、ちょっと深堀りして他の人の意見も聞いてたんだけどさ、明菜は結構謎区分らしいよ――」
この学園の生徒に謎だと思われていたのか私。お爺様が執事っぽいことをしている影響で、教養を注ぎ込まれたタイプの『半お嬢様』だからなあ。
そりゃ、逆に本物のお嬢様からすれば謎個体であろう。ひなのさん以外に自身の出自のあれこれを話したことも無いから余計に。
そして、ひなのさんは更に続けて話す。
「まー良いんじゃない? ミステリアスな女性とかカッコ良さそうだし」
「適当だなあ……」
「ま、他人事だし」
『友だち』モードの私たちはなんか妙にさっぱりしている。でもこの距離感も、これはこれで好きではある。というか、恋人モードのときって大体からかいと不意打ちの応酬という全面戦争だからなあ。気軽にやり取りできるのはこっちの方かもしれない。
緩い会話を続けていたら、なんか景色の向こうで揺れ動く光があった。
「……あれ? もう点いてる?」
なんか『ノ』の形のような一直線状の光の点が見える。私は『大』の2画目の部分だけがてっきり点いたのかと思ったが、ひなのさんはそれを笑って否定した。
「あははっ! 明菜、違うよ!
あれは、松明を持って山を登っている人の明かりだよ。あの炎を使って『左大文字』は点火するんだ」
「へぇー。事前準備のこととか知らなかった」
よく写真とかで見る大文字は既に点いているやつだもんね。こういう部分はニュースとかには流れない。
「メインの方の『大文字』の点火方法はまた違うんだけどさ。
ああ、それと。今見えている松明の火は、朝に行った法音寺に元の火があるみたいだよ」
「それ本当?」
あのお寺、そんなに凄いところだったんだ。てっきり金閣寺だけでは護摩木がさばけないから委託されているものだと。
そうこうしていると松明の光が一旦、一塊に集まったのちに散開し始める。ひなのさんはスマートフォンの時計を見て『もうちょっとだねー』と間延びした口調で喋りながら、リュックから虫除けスプレーを取り出して自分の身体にかけていた。
「あ、ひなのさんずるい。私にもかけてよ」
「いいよー。とりゃ」
「わ。……いや、自分でやるから……」
何だかんだで30分くらい前から屋上でスタンバイしていたからね。部屋で虫除けスプレーは一度かけてきたけど、二度目をやるに越したことはない。
それにしても、ひなのさんの準備の手際は素晴らしい。私は懐中電灯と、あとは飲み物くらいしか持ってこなかった。
で、そこから松明の光が『大』の字状になって――
「……うーん、思ったよりもギリギリの角度だね、ここ」
「辛うじて『大文字』って分かるから良いでしょ、明菜」
『大』の文字を左斜め120度くらいのポジションから眺めているような感じだ。文字の識別は出来るが、真正面ではないから『思ってたのと違う』感がある。
『京都の大文字』で覚えているあの姿って結構ちゃんとした場所から撮影したものなんだ、という妙な感動があった。
それからもう数分経って。
「……そろそろ点火だよ、明菜」
「お、来たね」
ひなのさんがスマートフォンの時計を秒針表示にしてくれて、20時15分まで1分を切ったことを知らせてくれた。
「……ところでひなのさん」
「なあに?」
「……ひなのさんのスマホの時計って、秒単位で合ってるの?」
「……さあ?
――って! もう点火してるっぽいじゃん!!」
「どうやらずれていたようだね」
「ぐぬぬ……」
――結局、残りカウント30秒くらいを残して始まってしまったことから、期せずしてひなのさんのスマートフォンの時計のずれが分かる結果となってしまった。
*
ひなのさん情報によると。この点火は大体30分くらい続くらしい。
今は松明の光ではなく、ちゃんとキャンプファイヤー的に組まれた護摩木等が燃えている炎によって『大』の文字が描かれていた。
とりあえず、私たちはスマートフォンで写真をカシャカシャ撮ってみる。一応、点火前のやつも何枚か撮ってたけどさ。
そして、ひなのさんは再びリュックを漁って、今度は自撮り棒が出てくる。
「明菜も一緒に写ろう!」
「良いけど……正直、イヤな予感しかしない……」
そうして撮ったひなのさんとの自撮りツーショットの中には。大文字は写っていたけれども、案の定、遠くにあって豆粒のようなサイズ感になっていた。
「……自撮りだとズームで撮りにくいからねえ、そうなるよ」
「明菜、分かってたなら言ってよ!
でも……まあ、この写真でもなんとかギリギリ判別できないことも……ない?」
「いやー、ちょっと厳しくない?」
私たちは、ひなのさんのスマートフォンの画面を2人で眺めつつ、『大文字』自撮りの難易度の高さに四苦八苦していた。
「……でさ。ひなのさん、1つ言いたいことがあるんだけど」
「うん」
「なんか、『左大文字』の火力ヤバくない?」
「あ、それ私も思った」
私たちが知っているメインの方の『大文字』と比べて、どうもこの左大文字は燃えている感が凄く強い。だってもはや火柱だもん、あれ。
極太フォントの『大』になっていた。
*
時間が経つにつれて中火くらいの火力になった『大文字』を前に。ひなのさんは更にリュックからアイテムを取り出した。
私がひなのさんの手に持っているアイテムを懐中電灯で照らす。それは食器とかを運ぶ『お盆』のようであった。ひなのさんの部屋で見たことあるものだ。
お盆期間中だからお盆、みたいなしょうもないダジャレのために持ってきたわけじゃないだろう。
「ひなのさん。それ何に使うの?」
「実は京都のローカルルール的なやつで、大文字をお盆とかを使って水に映して飲むと、健康になれるらしいよ!
ちょうど屋上なら障害物とかも無いしやりやすいかなと思って、持ってきてみた!」
「護摩木で既に無病息災を願っているのに、重ね掛けするんだ」
「『重複を許す』ってやつだねっ!」
「それは数Aじゃん……、期末テストはベクトルだったでしょ」
場合の数は習ったときは割と楽って感じたのに、模試とかで出てくると急に難しく感じる……って、今はそっちの話は良いか。
お盆は屋上に来る前……というか、美術館デートから帰宅して夕食までの時間のときにしっかりと洗っていたらしく、隅に口を付けるくらいなら大丈夫とのこと。
そのお盆に豪快にもひなのさんはペットボトルの水をたぷたぷ注ぐ。
「水面に映る……って、大分主観的だ。
つまりは全反射させれば良いってことでしょ……?」
そう言いながらひなのさんはお盆を顔の高さまで持ち上げる。
「ひなのさんの目からの入射角が、ほぼ直角じゃん」
「このくらいの角度にしないと見えないの!
え、え、このまま飲むって……むずくない?」
「いや、そこからは割とフィーリングでいくやつじゃない?
飲んでいる最中も『大文字』を浮かべ続けるのは無理でしょ」
私がそう言えばひなのさんは妥協してか、そのままお盆を斜めにして水を飲み干した。完全にお盆で『大』の字を遮っていたけど、仕方がない気がする。
「……じゃあ、明菜もやってみなよっ! 飲み物も持ってきているんでしょ?」
「あ、これ水じゃなくてスポーツドリンクだから、注いだらお盆がベタベタになると思うよ?」
「それはイヤだなあ……。私の水でよければそっち入れるから」
「まあ、伝統的なものっぽいしやってみるけど……」
で、ひなのさんは私にお盆を持たせてから水をゆっくりと注ぐ。そして、ひなのさんの見よう見まねで高く持って、水面に『大』を映してからそのまま飲む。
……うん。まさかお盆で間接キスをすることになるとは思わなかった。
お盆をひなのさんに返して。いつの間にか弱火……というかメインのよく見る方の『大文字』に近い感じの炎の勢いになっていた。
ひなのさんが、少しだけ言葉に艶を乗せて話す。
「……もうそろそろ30分経つから、このまま消えちゃうのかもね」
「でも、なんだかんだでひなのさんが言ってくれなきゃ、きっと今頃私は地元に居たから、『京都の大文字』を見れたことには感謝だね」
なるべく恋人っぽい言い回しにならないように注意しながら本心を吐露する。実際、高校を卒業して以降も京都に住むとは限らない。
お盆期間と重なっているのだから、この3年間で『京都の大文字』を見に行かない可能性のが高かった。そうすると、下手したら一生、直で見る機会というのは無いかもしれなかったのだから。
でも、こうして。
……消えゆく炎を見つめていると。どうしても、思ってしまうことがある。
その気持ちは、ほとんど無意識で私の口から小さく呟くような声で零れた。
「……はぁ。
ひなのさんと『花火』も行きたかったなあ……」
言ってしまった後に私は我に返る。……まずい。今のは完全に恋人のときのトーンだ。真隣に居るひなのさん以外の誰かに聞こえるような声量ではなかったけど、この場では言うつもりの無かった言葉であった。
ひなのさんは、完全に想定しなかったであろう私の無意識の囁きに、一瞬ひるむように『……ひゅっ』と息をのんでいたが、結構なフリーズの時間を経て再起動したのちに、彼女もまた周りに聞こえないように小さく告げる。
「……私も全く同じ気持ちだよ、明菜」
けれども。それは事実上不可能と言っていいくらいには無理難題である。
近場で花火をするには、京都市の条例が枷となるし。花火大会も近隣ではやっていない。
じゃあ遠くまで花火をしに行ったり、見に行くとしたら、今度は夜遅くなってしまって寮の門限に引っかかってしまう。
だから。
そのまま私たちは……完全に『大文字』が消える前にその場を後にした。
――その炎が
*
こうして、私たちが夏の始まりから計画していた『京都の大文字』は終わった。
けれども。
それは、私たちの夏の終わりを意味してはいない。
それから1週間くらい経って、私が夏休みの宿題をちょうど終えたくらいのタイミングで入ったひなのさんからメッセージアプリに入った1つの通知。
『――花火についてだけど。ちょっと思いついたことがあるから。
明菜の好きな日で良いんだけど、夜……私の部屋で、会えない?
できれば、七夕のときの浴衣を着てきてくれると私が嬉しい』
そして、今年の夏の最後の思い出へ……続く。
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