第57話 法音寺

 お盆期間に入ったこともあって、寮からは一気に人気ひとけが無くなった。

 とはいえ、私たちみたいに帰省しない生徒もいれば、京都住みで家と寮とを往復できる生徒もいるため、学校の食堂が閉まったりすることはない。

 もっとも、そこの空席は今はかなり目立つようになっている。


 京都の大文字の送り火は8月16日というお盆シーズンの終盤にある。だから、それまではひなのさんとのお出かけはお休み。今年の夏はひなのさん尽くしだったからね。


 海……じゃないけど湖水浴には行って。

 夏祭り……じゃないけど、古本まつりには行った。いや、お祭りには違いないんだけど、『夏祭り』という言葉が連想するところに古本市というのは存在しないと思うので別物の認識だ。


 なので、今の私たちは別行動。ひなのさんはその古本まつりにもう何度か顔を出しているみたい。私と一緒に見て回るのも良かったけれども、1人でも見て回りたいとのこと。まあ趣味の面では私とひなのさんって、ピアノくらいしか接点無いしなあ。

 どちらかと言えば私が無趣味すぎるかもしれん。というか、今じゃもう完全に『趣味・ひなのさん』だ。


 そう思えるくらいには私はひなのさんに染められて、囚われてしまっているが、だけど一方で、今みたいに自分の時間はまるで恋人が居なかったときと同じくらい普通に確保できているのは正直意外だ。


 想像よりも、私は恋愛に熱を上げているのに。

 想像よりも、私は恋愛に束縛されていない。


 この二律背反は、ひなのさんだから与えられたものなのだろう、きっと。

 例えば、ひなのさんは私に対して嫉妬心を露わにしたことが、今まで一度もない気がする。女の子同士というイレギュラーだからこそ、同じ女子の友達相手の関わり方が多少変質するのが普通ならあり得そうだが、しかしひなのさんはそういう部分への頓着は無かった。


 これは彼女の嫉妬心が希薄というのもあるだろうが……。それ以上に『明菜はもう私以外に靡かない』という確信をひなのさんが持っているのが支配的だろうね。というか、クリスマスの私の告白を鑑みれば当然か。


 そういう私だって。告白するように仕向けたのはひなのさんだし、その理由は容易には引き裂けないように『私の感情を育てるため』だった。そこまで熟成して告白させられた・・・・・のだから、私ももうひなのさんの愛情は疑っていない。だから、人間相手に嫉妬したことは無い。

 ……まあ、その代わり私は猫に対して対抗心を抱いているわけだけどさ。ひなのさんは人間以外が相手だと愛情を注ぐ不安が私の中にある。ひなのさんの全部の愛を寄越せ、とまでは言わないが、貰える分は貰えるだけ貰いたいし、そして目の前でその愛を注がれる別の対象が居るのはちょっとイヤ。猫はたまたまその対象内だったということだ。



 それはともかく。

 8ヶ月という決して短くはない期間、ひなのさんと恋人として関係を築き上げて分かったこと。

 ――それは、正直めちゃくちゃ彼女は性格的な相性が良い、ということであった。



 適度にフリーの時間があるからこそ、その間に更に私は愛を熟成しているような気がする。だからこそ。

 そうしてひなのさんと関わることが偶然の遭遇以外では無かった8月16日までの日々も、私にとって空虚な日常ではなくそれもまた充足感のある日々のままであり。

 第3音楽室のピアノを借りて練習をしたり。帰省とか関係の無い例の混雑大嫌いの京都住みの友達と、適当に買い物をしに行ったり。

 ちょっと意外なところだと、前に水着を買いに行ったときに吹部ピアノ奏者の連れてきた後輩2人が、私に連絡を再び取ってきて会うことになったり、とかそんなことをして大文字の日を待つことになったのであった。




 *


「……お、目がいた。

 明菜、おはよっ」


「……ふぇ? ひなのさん……?

 おはようございます――」


「おっと、朝の挨拶しながら二度寝しないで」


 目を覚ましたら目の前にひなのさんの顔があったので、そのまま睡眠を継続しようとすると、ひなのさんに左頬の辺りを軽く撫でられて意識を覚醒させられる。

 ひなのさんの寝起き凸は、前にもあったことだけれども、最近は前日に口頭で『明日は明菜が起きる前に部屋に行くからっ!』みたいに言われることもたまにあった。今日――8月16日もまたその一環だった。


 こういう日だけ、寝る前に私はひなのさんに自分の部屋の鍵を手渡している。それでひなのさんは翌朝に私の部屋に鍵を返しに来るという建前だ。……もっとも十中八九私の寝顔を観察したいだけなのだろうが、こういう恋人のワガママは極力叶えることにしている。


 もしかしたら寝ている間に、ひなのさんがもっと私の身体をぺたぺた触ったりしているかもしれないけど、ウチの彼女へたれだしなあ……。別に寝ている私にキスするくらいなら全然してもらっても構わないけれども、あんまりそういう感じのことがあったことも無さそうだし。


 あとは鍵を渡すにあたって、1つだけひなのさんに厳命していることがあって。それは、朝になるまでは絶対に来るな、ということ。具体的には朝の5時台以降にしろ、とは言っている。

 というのも、夜に眠れないからとかで私が寝た12時過ぎくらいに来られて、それからそのままずっと私の部屋に居られてしまうと、それが発覚したときに色々まずいことになるからだ。どう考えても恋人バレは避けられないし。

 更に言えば発覚しなかったとしてもひなのさんが私のベッドに入る勇気は無さそうなため、1日中起きっぱなしとか床で寝るみたいなのは、彼女の睡眠環境にも悪すぎる。


 まあ、口で言っても守らない可能性はあるかもしれない。だけど、実はひなのさんが私の部屋の鍵を開ける瞬間、実はちょっと意識が覚醒していたりする。それで時計を見て朝の時間なら安心して二度寝しているわけだ。今のところ彼女が朝以外に来たことは無い。

 だから、さっき寝ようとしたのは実は三度寝だったりする。


「……ってか、寝ているときの私って歯ぎしりとかいびきってうるさくない?

 正直、自分じゃ分かんないから、観察しているひなのさんに聞きたいんだけど……」


 私は朝食を取るために最低限の朝の準備をしつつ、ひなのさんに語り掛ける。まだ眠い。


「ううん、大丈夫だよ! ……寝息、めっちゃ可愛いし。

 あ、でも。今日はなんか寝返りの回数がちょっと多かった気がしたけど、寝苦しかったりしたの?」


「へ? あー……あれかな。

 多分、夢の中で食べてたカツサンドが空を飛んで、それを追いかけていたからだと思う」


「どんな夢見てるの……」


「そう言われても。別に見たくて見ているわけじゃないし……」


 ちなみにカツサンドが飛んだ理由は、小さな妖精のひなのさんが飛行能力を与えたからだった。いや、恋人が夢に出てくるならもっとちゃんとしたシチュエーションで出てきて欲しい。なんで端役なのよ。


 とはいえ、こうやって朝からひなのさんと恋人として会話できるのはちょっとテンションが上がる……絶対、言わないけど。

 それともう1つ実利的なメリットを挙げるなら。今日みたいに出かける日だと、ひなのさんはちゃんと格好を整えてから私の部屋にくるので、その日のコーデを決めやすい。

 今日で言えば、ひなのさんは学校指定のアイボリーのふんわりとしたセーターと夏用の黒のボーダースカートだったので、制服で出歩く感じみたいだ。

 ……あ。地味に左手首に下鴨神社で買った葵紐を結んでいる。出かけるときには、私は右手首に付けなきゃってことだね。



 だから、私も制服に袖を……。


「……ひなのさん。もしかして……着替えも見たい?」


「みゃっ! ……そりゃ、えっと……あのー、まあ、うん。み、見たいけど――」


「……そっか。

 でも、だーめ。まだ、早いかな。そういうのは……」


「え、あ……もー!

 明菜、今絶対からかったでしょ!?」


 ほっぺたをぷくっと膨らませたまま、ひなのさんは洗面所……つまりは扉で隔てられた別の空間へと去って行った。いや……私がそっちに行こうと思っていたんだけど、まあいいか。


 ……どうせ朝食を食べた後、発汗対策グッズを仕込んだり、肌のケアもやる必要があるから、一旦脱ぎ直して準備する必要があるのだけども。

 だから、取り敢えず朝食を食べるときはさっとそのまま行ってしまおう。あんまり、ひなのさんを洗面所に閉じ込めておくのは可哀想だし。


 加えて言えばあそこ、私の昨日の夜に出た洗濯物をランドリーバッグの中に置きっぱなしで、ひなのさんにとって生殺し感凄そうだし……。




 *


「これで……一応終わりっぽいかな?」


「そうっぽいね。となると……あとは夜まで待つだけだねー」


 私たちの現在地は――法音寺。

 学校から歩いて15分くらいの場所にある……金閣寺に近めのお寺だ。京都では珍しいタイプの……観光地感の全くないお寺。

 とはいえ日本全国的には、法事とかそういう用もないのに見物のためだけにのこのこ入れるお寺の方が少数派であろう。

 これは寺社の問題ではなく、個人の意識の問題だと思う。だって立派な門構えがあって綺麗に整えられた前庭があるのに観光客っぽい姿が1人も見当たらなかったら、その重厚な空気感にビビって絶対入ろうとは思わないし。


 しかし、そんな地域密着型っぽい雰囲気のお寺が今日だけは、観光客から地元民まで朝から賑わっていた。

 なぜかと言えば、この場所は。大文字の送り火で使われる『護摩木ごまぎ』の受付をしている場所の1つだからだ。大文字のあの文字の形は何も山を燃やしているわけではなく、ああいう形になるように、いくつもキャンプファイヤーのような代物を積み上げて設置している。

 そのキャンプファイヤーの積み木に用いられるのが護摩木である。……本当はそれよりもサイズの大きい松割木なんてものもあるんだけど、これは大きいからこそ土台っぽく使われて、燃え残りもしやすく後日焼き直しをする羽目になったりするみたい。だから小さいサイズの護摩木の方を選んだ。



 とはいえ、私たちはここでの用事がもう終わってしまっている。というのも、その護摩木に自分の名前・性別・年齢と願い事を書いて預けるだけだからだ。誤解を恐れずに言えば『炎属性の七夕』である。

 で、願い事は一応なんでも書いていいみたいだけれども、健康に関することを書いている人ばかりで、治したい持病とかを書くらしいが、特段病気を患っているわけではない健康体の私たち――ひなのさんについては夏季セミナーのときの不安要素があるがあれも病名らしい病名が付かないので書きようがない――は、『無病息災』という無難なフレーズを採用したために大した時間もかからなかった。

 あとは、受付は金閣寺の方でもやっていてそっちに観光客はこれでも大分吸われているというのも時間短縮に繋がっているだろう。


 そんなことを思い返しつつも、私はひなのさんに告げる。


「……ヒマなら、残り4つもコンプリートする?」


 京都の大文字。これは『五山送り火』と言うように、合計5ヶ所の山でちょっとずつ時間をずらしてかがり火がくべられる行事だ。

 この法音寺で受付した護摩木は、その中でも『左大文字』に使われるものだ。まだ他に4種類あるけれども――


「えぇー、結構バラバラじゃなかった受付場所? 面倒だよー、一番近くで見られるやつだけに自分のがあれば良いでしょー」


 ――と、ひなのさんはにべもない回答。


「うーん……それなら……。

 折角、時間もあるしさ。このまま美術館デート……でもしてみる、ひなのさん?」


「おー、何と言うか明菜の色が全開な場所って久々だねえ……。出会って間もない頃に行った京都市学校歴史博物館くらいじゃない? そういう場所に行ったのって。

 でも、めっちゃ良いねっ! 涼しそうだし!」



 そりゃ、突発で行きたいところって言われたら、事前に調べているところになるから私の色が強いのは当然な気がする。

 とはいえ、行先は私が決めてよさそうな雰囲気になったので、夜の大文字までの時間は美術館デートと相成って。私たちはお互い繋いだ両手にお揃いの葵紐を揺らしつつ『金閣寺道』からバスに乗って移動することにした。

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