第55話 『情報』を聴く、ということ
早く帰省して戻ってきたのは、どうやらローズマリー寮では私とひなのさんだけだったようで、今の寮の談話室には私たちのお土産だけが隣り合って置かれている。
私はあずきあんが挟み込まれている名古屋名物のビスケットの個包装を、ひなのさんはいかせんべいをお土産として持ってきた。
「実家がイカ漁をやっているからイカのせんべいって、ちょっと安直じゃない?」
「青森って、手ごろなお土産が割と少ないんだよね……」
「りんごはダメなの?」
「なんかやだ。そもそも地元にりんご農家1人も居ないし――」
「あ、そうなんだ……」
青森だから全部りんごでまとめられるのは、どうも嫌らしい。
まあ私も名古屋出身だからと、延々に例のいちごパスタのことだけを言われたら多分キレる自信がある。もっと他に名古屋名物はいくらでもあるだろう、と。
*
「いや……これまた随分とクセが強い場所に連れてきたね……」
「……良いでしょ? SNSでも結構話題になっているお店なんだ」
「これで話題性ゼロだったら、人間の知的好奇心を疑うレベルだよ」
「主語が大きいなあ、明菜は……」
私が帰省して間もなくランチデートに誘われた。ひなのさんからこうしてお昼ご飯を一緒に食べようと言ってくるのは定期的にあったことなので、軽い気持ちで付いて行って、京都の古民家風の建物のお店に連れてこられたから『和食とかカフェなのかな?』などと思っていたのに、中に入ったら――そこは研究所であった。
壁全面が銀色のステンレスの光沢で光っており、床はコンクリートの打ちっぱなしで配管やネオンサインといった装飾が怪しげな研究所感を盛り立てる。
中央にあるオープンキッチンはガラスのハーフウォールで隔ててあるものの、そのキッチンに居る店員さんたちは全員理科の実験で使うような白衣を身に着けており、調理器具はところどころ理科の実験道具で見たことのあるものが混在している。
つまるところ、世界観の主張が強い。
「……あ、注文はこのタブレット端末でするっぽい」
「近未来的なコンセプトに沿っているというか、急に現代に戻ってきたというか、判断に悩むね」
ちなみに、この研究所っぽいお店は、サラダの専門店という触れ込みでひなのさんに誘われた。だから、タブレット内のメニューを見ればベーグルとかトルティーヤみたいなサイドメニューこそあるが、メインは間違いなくサラダである。
かなり豊富な種類があって、更には野菜をカスタマイズしてオリジナルのサラダを作ることもできるみたいだが、最終的には私はサニーレタスが、ひなのさんはほうれん草がメインのサラダを注文して、それぞれサイドメニューに私がドリンク、ひなのさんがデザートを注文する形でまとまった。
まあ、強いて言うことがあるなら。
ひなのさんの注文したデザートの名が『罪悪感』である辺り、やっぱりこのお店はクセが強い。
店内には壁際のカウンター席しか存在せず、メカニックな光沢を放っていることもあり、落ち着いて話をするのにはあまり向いていない。だから、私たちは調理過程を一緒に見ながら駄弁ることにした。
一応、ひなのさんからお昼に誘われた時点で用意していた話があったのだが、この場の雰囲気には全く合わないな、と内心苦笑しながらも、そのやや場違いな質問を紡ぐ。
「……実家への帰省はどうだった、ひなのさん?」
私の問いかけに、ひなのさんもちょっと笑いながら、彼女は銀色の髪を揺らしながら目線はキッチンの方に向けたまま答えた。
「んー? くっくっ……いや、ね?
琵琶湖に泳ぎに行ったって言って、写真とか見せたりしたら、お父さんがさ……ひっくり返るくらい驚いていて、面白かったよー」
漁師という海の男に、湖で泳いだことを報告する娘。シュールすぎる。
ひなのさんのお父さんも湖水浴未経験勢なようで、ひなのさんに色々根掘り葉掘り聞いたらしい。貝とか獲れるのかとか、魚釣りはどうなるとか。あれ? 全部漁関連だな……。
なお、湖水浴のとき水に入って遊ぶのは常に2人でやっていたせいで、写真は砂浜に居るときのものばかりだ。主になんでもない写真が多い。湖水浴に限定すると恋人としての雰囲気があるときにはスマホを気にする余裕が無かったからなあ。
そのおかげで別に写真を精査しなくても親に見せたりできるわけだけどさ。
で、こういう話の振り方をすると当然ひなのさんから『じゃあ明菜はどうだった?』と返されるので、私も『音楽』に関する話をしたことをひなのさんに話す。
――『転校』の示唆も踏まえて。
そうなると、流石にひなのさんも神妙な表情となり。内心、この研究所風のサラダ専門店で話す内容じゃないよなと思いながらも、一通り話した。
「……うん。
一応、私からも確認しておくけどさ。明菜は『音大』とかって興味無い感じなの?」
私が『音大』を本気で目指すとしたら、転校も視野に入ってくるのがお父さんの意見だが、とはいえ、ひなのさんの声色は私と離れ離れになることへの心配などよりも、もっと純粋な認識の摺り合わせといった趣きであった。
「まあ、興味が全くないって言ったら嘘になる。
けど技術の問題を一旦放置するにしても、行ってどうするんだってビジョンがあんまり明確じゃないからね。
まさかプロのピアニストになる……ってのもねえー」
「え? 意外と明菜には向いてそうだけど――って。
……サラダ出来たみたいだね」
「じゃ、ここから先は食べながら話そっか」
「そだねー」
一旦、私たちは実験室みたいなキッチンからサラダを受け取って、隅のカウンター席に2人でちょこんと座って仕切り直すことにする。
*
サラダは曇りガラスのような容器に盛られて透明なお盆に乗せられて。ドレッシングは注射器を模した容器に封入されていた。
現代ではないどこか異世界の食事風景である。……でも意外と注射器ドレッシングはありかもしれない、目盛りで可視化されてて量の繊細な調節もやりやすい。
内心感動しながら、食べ始めていたらひなのさんが物欲しそうな顔をしていたので、私は話の続きがてら彼女に構う。
「とは、言ってもそんなに難しい話じゃないよ?
ほら……ひなのさん。あーん?」
「……んっ。明菜のもドレッシングが良い感じじゃん。
それで?」
ひなのさんに直接話したことは無かったが、ボランティアコンサートの際の選曲時に考えていたことを私は繰り返す。
現代のプロのピアニストにとって、戦う相手は同じピアノ奏者ではなくもっと爆発的な人気があるポップスや、跳ねると世界とすら戦えるようなアニソンといった『音楽』――どころか、それに留まらずあらゆる娯楽に関するモノが敵となる。
ピアニストはそうした現代人の娯楽時間の奪い合いの熾烈な競争に勝利しないと、まず見向きもされない。
ひなのさんはちょっと味が薄かったのか、ドレッシング――彼女のはプラスチックの試験管のようなものに入っていた――を継ぎ足しながら返答する。
「ひゃー……。それだけ狭き門を通るってことは、やっぱりプロって実力は相当あるんだね」
「そうとも言えるし、それだけじゃ足りない。
純粋な実力だけで何とかなる人間なんて、天才だったとしても本当に僅か。だから、大体のピアノ奏者は付加価値を付けて戦うんだ」
例えば、別の舞台で活躍している著名人であれば、少なくともその固定のファン層には演奏を聴いてもらえる。
それとは逆に、お笑いにクラシックの精神を見出して、バラエティ番組に積極的に出演するプロのピアニストも居る。
絵画や芸術写真と共に演奏したり、あるいはリアルタイムで絵を描いている中で演奏するタイプのピアノコンサートだって存在する。
動画投稿サイトやSNSなどを駆使して、ヒットチャートを弾き水面下から知名度を押し上げようとするピアノ奏者……なんて、それはもう現代においてはありふれた手法になりつつある。
そこまで話すと、ひなのさんは妙に困った表情を顔に浮かべつつこう言い放った。
「あー……よく見るかも。コスプレとかファッションとかで気を引いてピアノを演奏する人……」
ひなのさんは言い回しからして、あまり好印象を抱いていないような雰囲気だったが、しかし私としてはそれを決してマイナスに捉えてはいない。
――というか、むしろ。
「……逆に言えば。ひなのさんみたいなクラシックに全然興味の無い人でも、それを知っているってことを考えれば、滅茶苦茶有効な手段ってことなんだよ?
ある意味、真っ当な『現代音楽』とすら言ってもいいかもしれない――」
「明菜はすごい評価するんだね?」
「だって……小綺麗にしてて普通のクラシックを弾いている動画なんて、ひなのさん見ないでしょ?」
「……まあね」
結局、これに尽きるのだ。
現代において『音楽』が『音』だけで評価されることはほぼ皆無と言って良い。
私の良く知る『お嬢様』は安い料理は不味い、みたいな価値観は情報を食べているのと一緒だと言っていたが……しかし、現代社会においては『情報』こそがメインディッシュとなることが多い。
どういうわけだか、私たちは『音楽』を聴くときに、その演奏している人や歌っている人、作曲家などの来歴や背景、曲の由来を求めたがる。その曲がどういう『音』かよりも、その曲に込められた『情報』の方を重用するときがある。
1つの曲として完結している楽曲を、同じ作者の別の楽曲と関連付けたりしてみたりする。曲単体の評価よりも、1人の人間やグループの構成する世界観であったり音楽観にこそ共鳴したりする。
……『音』の向こう側に何があるかを、私たちはどういうわけだか異様に、執拗に、神経質に、知りたがる。『音』だけではなく『情報』にも価値があるのだ……そう思い込んでいるときがある。
それは例えば。
――海の家で食べる何の変哲もない焼きそばが、いつもの焼きそばよりもなぜか美味しく感じるように。
あるいは、サラダを食べているだけなのに、わざわざ研究室っぽい場所を用意するように。
人間の五感というのは……雰囲気に、情報に、他者評価に――容易く流されてしまう。
それが良いとか悪いとかって話じゃない。
少なくとも音楽の世界においては。そうした風潮に迎合するのも『音楽』だし。逆に反発するのもまた『音楽』だ。
普段ピアノなんて聴かない人に、届いた旋律があるのであれば、その『音楽』は称賛されてしかるべきだと思う。『ピアノ奏者とは正装でクラシックを弾く人間のこと』という固定観念を一般レベルで破壊し、ピアノの領域・可能性を拡張したという点において、そうした働きは、万人が望んだ方向性ではないかもしれないが、まず間違いなく『現代のパイオニア』と称して良いものだと私は考えている。
加えて言えば。こうしたピアノ奏者が、動画映えするタイプの超絶技巧や精密性よりも、むしろ素人には直感的に伝わりにくい表現力の方に比重を置いている奏者も居るってのもポイントだ。
そして前言を全て翻すようだが。
こうした諸々の努力を全部、実力で悠々と叩き潰せるだけの技量を持ったピアニストが、この世界には無数に居る――というのも重要な点である。
「うーん……分かったような、分からないような……?
広く取れば『作家論』とか『作家主義』的な考えを社会一般としている感じだけど、明菜も明菜で独自の世界観を持っているなあ……」
ひなのさんが『作家論』を知っていたのはちょっと驚いたけれども、そういえば哲学に詳しかったから、そっちからのアプローチかな。『作家論』とは、簡単に言えば1人の作者の作品群から作者の思想やら内面を推察すること。
確かに、似ている部分はあるかもしれないけれども、そこを考える前にひなのさんは言葉を続けたために、一旦そちらに意識を集中させる。
「つまり、明菜がピアニストやら音大やらの道にいまいち乗り気じゃない理由って――」
「ピアノの技術だけで叩き潰せるような力は私にはまかり間違っても無いし。
だから、付加価値をつける方向にはなるんだろうけれども……まあ、さっぱり。ってとこだね」
実は1つだけ、上手くいきそうなルートはあるんだけどさ。それは、ひなのさんに話す気は無い。
……現役女子高生でお嬢様学園通い。それでいて女の子同士の恋人という要素を全面に押し出す場合においては、私は有名人になれる可能性を内包している。
『音』とともに演奏者の『情報』こそが大事ならば、そういう在り方も当然、考え付くわけで。
……でも。これを私が選択することは決してない。
何故なら、私たちの『10年』でひなのさんを何者かにする構想において、リスクや障害になる可能性が高いからだ。であれば、これは私にとっては不適切な方法である。
*
「……明菜って、ホント色々考えてるよね。そこは、パートナーとして誇れるとこだねっ!」
カウンター席ということもあって、ひなのさんは申し訳程度にいつもなら『恋人』と言っていただろう部分を『パートナー』と言い換えている。それに意味があるかは分からない。
「でも、考えに雁字搦めになって動けなくなったりするかもだから、そういうときにはひなのさんが連れ出してよね?」
「もち! そういうのは得意だから任せな!
……というか、じゃあせっかくだし! ふっふっ……早速のご提案なんだけど、明菜サマ?」
「……?」
「大文字の送り火のためにお盆はこっちに残るって話だったけどさ。
あれ、16日だけだから。その前に行きたい場所あるんだけどいーい?」
「えっ? あ、うん。
別に良いけど……どこ行くの?」
ひなのさんは、『
「――下鴨神社の古本まつりっ! なーんか面白そうじゃない?」
ちょうどお盆の期間に京都で開かれる催し事で、ひなのさん曰く実は場所を変えて年3回ほど京都での古本市というのは開かれるっぽいが、しかし古本市などというものに行ったことは無いので、単純に興味もある。
だから、断ることは当然しないけれども。
「……良いの? 完全にイメージだけど、混みそうだし……。
何より、下鴨神社は――『縁結び』の神社でもあるんだけど?」
付き合う前は、ひなのさんは恥ずかしがって同じく縁結びがご利益の八坂神社に行くのを拒絶した。
だから、ひなのさんは当然知らないと私は思った。六孫王神社には行ったが、あそこはまだハードルが比較的低めな縁結び神社であり、下鴨神社は恋愛色を押し出すところはしっかりと押し出しているから。
――が。
「明菜……。私もそれくらい、分かってるもん……」
……どうやら、私の彼女は想定を超えるくらいいじらしいようであった。
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