第39話 理性的な愛情

 女の子同士、というイレギュラーな恋愛をしていることを考えれば。私はきっと、びっくりするくらい不安に苛まれることなくこの愛を育んでいると断言して良いだろう。


 1つの要因として、私がひとまずは今後10年の指針を恋愛感情の外から決定したために、恋愛による趨勢によって一喜一憂を極端にしなくて良くなった。だから私のメンタル面は比較的安定しやすくなったということはあると思う。


 でも。

 それよりも遥かに大きなウエイトを恐らく占めているのは、ひなのさん。あの子は――人を不安にさせない言動が非常に上手い。巧みと言っても良い。多分、恋人だからという理由を抜きにしても、彼女はそこに存在しているだけで、人を安心させる。

 それも、オーラとか雰囲気みたいなあやふやなものではなく、彼女自身の有する思考能力と卓越した理解力によって。


 改めて、私の愛する人の化け物具合に恋慕に畏怖が重なりかねないが、しかし大事なことはひなのさんは確かに天才だし、本当に稀代の才覚を有しているが……完璧ではないということ。


 そんな思考に頭を巡らせていると、どこか聞き覚えのある楽し気な足音が聴こえてきたので、私は考えることをやめて、その足音の方へと顔を向ける。



「――おっ、今日は明菜が先だったかー。

 おはよー、明菜っ! ……今日、めっちゃ気合入ってるね、可愛いよ?」


「……まー、うん。ありがと。

 そしておはよう、ひなのさん」


「……むむっ。明菜、その靴初めて見るねー。

 もしかしておろしたて? 大丈夫、今日結構歩くんでしょ?」


「1週間くらい前から靴を慣らすために1日30分くらいウォーキングしてたから」


「思ったよりガチ準備してた!」


 お花見さんぽデートの当日、寮のエントランスで午前10時半ごろにのんびり落ち合った私たちは、挨拶もそこそこにバス停へと向かう。いつも使っている学園前のバス停からは今日行く場所はあいにく直通のものは無かったので、歩いて10分くらいのところにあるバス停まで移動することにした。


「……でもさー、明菜ー。そういうことなら、そのウォーキングに私を誘っても良かったじゃん」


「あ。その発想はなかった」


「いや、普通はあるでしょ……」


「だって、ウォーキングとかどちらかと言えば苦行というか試練ってイメージで。

 マイナスに感じているものを共有するって発想は出なかったし」


「なんというか、ここまで明菜が『インドア派』だったことを思い出させるセリフは無いかもね」


 裏事情を言うと、靴の慣らし作業とともに、私の体力づくりの側面もあった。ひなのさんが運動好きなのは温泉プールの一件でも明らかで、高々散歩とはいえ自分の体力面がひなのさんに付いていけないことは分かり切っていた。


 そして、そういうウォーキングが嫌なものって認識は、中学の吹奏楽部時代に獲得した悪癖だろう。

 吹部は文化部なのに、割と並の運動部くらいには体力づくりや筋トレを重視する。確かに楽器は重いし、そんなものを何時間も持って練習するとなるといくら座っているとはいっても、持っているだけで疲弊するのは確かなのだ。


 だから私も嫌ではあるが、それを不要と断ずるつもりはない。けれども、それにしたって吹部指導者に筋肉信奉者は多い。多すぎる。

 彼らからすれば『筋肉は裏切らない』のだろうけれども、そんなものはマッチョの詭弁だ。筋肉は普通に裏切る。裏切らないという言説が蔓延っている最大の要因は、彼等は裏切った筋肉は『鍛えが足りなかった』と自身の定義する筋肉から無意識的に除外し、より一層の努力を要求する点にある。つまり、筋トレに失敗した人間の発言権はほぼ与えられていないに等しく、成功者ばかりのバイアスがかかっているからこそ『筋肉は裏切らない』のである。


 あ、でも。この考え自体をひなのさんに伝えるつもりはない。

 だって、ひなのさんは身体が細くて綺麗だけれども、ちゃんと運動しているから健康的な感じで筋肉が付いているからだ。特に、ひなのさんの脚はすらっとしつつも、筋肉もちゃんと付いていて、めっちゃ好みなので。

 万が一にも、変に私に同調して今のバランスが崩れるのは困る。やっぱり筋肉って裏切らないかもしれないな。



「――え、ちょ。明菜、めっちゃ私の足を見てくるじゃん。

 な、なんか変だった?」


 私はひなのさんの質問に答える前に辺りを見渡した。もう学園からはそれなりに離れていて、周囲に人影はまばらであった。


「……ひなのさん。私が貴方を見ているときに『変だな』と思って見てたことって、そんなにあったと本気で思ってる?」


「……無いけど」


 もうこの時点でひなのさんは顔を自身の瞳くらい真っ赤にしていた。……私に褒めてもらいがための呼び水か。ひなのさんは、結構こういうことを意識的にする。

 そういうことなら……と、私はいつ繋いだか分からない手を一旦外して。私はひなのさんの正面で膝を曲げ、そしてひなのさんの膝を指でちょこんとつつく。


「……まず、話が出てたから脚」


「ひゃっ!」


「私がひなのさんの脚好きなのは、もう貴方も知ってるじゃん? そーゆーとこ分かって、わざわざ脚が見える服着てくれるとこ。あざといね、ひなのさん?」


「……口に出ひゃないで……いくら、恋人でも面と向かって言われると恥ずかしいってそれ……」


「ううん、やめない。次は髪」


 私はひなのさんの膝をつつくのを止め立ち上がり、今度は指を彼女の銀色の髪先へと向ける。


「……はひゅ」


「ちょっと毛先が普段より整ってる。……昨日、美容室行ったでしょ?

 ……嬉しいな、ひなのさんもそんなに私とのデートを楽しみにしてたって思うと」


「も、もう良いからー……」


「だーめ」


 彼女が私に褒めてもらおうと誘ってきた、ということは私がひなのさんのことを褒め足りていなかったということ。

 だから……そう簡単には辞めてあげない。


「次は、唇」


「ゆ、ゆびで私の口触っちゃ……」


「これは別に今日に限った話じゃないけど、ひなのさん。デートのときはグロス替えているよね?」


「……分かってたの」


「そりゃ、まあ。普段と光沢が違うし。

 じゃ、次は――」



 バス停に到着するまでの数分と、バスが来るまでの10分くらい。

 そして、バスに乗った後は、直接触りこそしなかったが、ずっとひなのさんの見た目について褒め続けた。


「もうかんべんして……」


「……ひなのさんが私のことを分かっているほどじゃないけども。私も大体ひなのさんのことは分かっているつもりだからね?

 服装は全体的にスポーティに揃えつつも、派手めな赤いスニーカーで私の視線を足元に寄せようと狙ってるひなのさん?」


「……も、もー、それも分かっちゃうのー!?」



 もっとも。これは裏を返すと、ひなのさんも同程度以上は私の変化を把握しているわけで。ウォーキングのことは知らなかった……もしくは見逃されたが、絶対にひなのさんが把握しているけれども言わないことの1つとして。ひなのさんは私の肩フェチなので、私は肩を出さざるを得ない場面が増えて、下着のストラップレス率が徐々に増えているということは間違いなく知られている。

 つまり、私はひなのさんの好みによって下着の趣味すら染め替えられているのだから、ちょっとくらい彼女の外見の変化を突っ込む権利くらいはあると思う。




 *


「……思ったよりも、人が多いね明菜」


「まあ、ここって銀閣寺の近くだし。

 少し歩けば多少は空くとは思うよ――」


 私がお花見に選んだのは――哲学の道。大体全長1.5km程度らしいので、ゆっくり駄弁りながら歩いたとしても40分程度だろう。


 今居る場所は『銀閣寺橋』とそのままなネーミング。銀閣寺の参道であり同時に哲学の道との結節点、ということもあり、いかに平日昼間と言えど2つの観光地の観光客がブッキングするエリアなので多少の混雑はやむを得ない。


 ちょっとだけ待って、銀閣寺橋の橋脚と、哲学の道であることを示す和風の立て看板をバックに、ひなのさんの自撮り棒で撮影だけして、移動を開始した。



 桜並木と風情ある水路。それだけ聞くと、着物デートでちょっとだけ歩いた木屋町通きやまちどおりを想起するが、哲学の道は水路の真隣が歩道となっていて、土の地面に敷石が並べられている。夜の街であった木屋町とは異なり、昼間の散策コースとしてしっかりと整備された場所が、哲学の道だ。


「桜、きれいだねー、明菜っ!」


 赤いスニーカーを弾むように動かしながら進むひなのさんに対して、流石に『ひなのさんの方が綺麗だよ』みたいな台詞を言うのはあまりにも陳腐かな、と思ってしまって。


「そうだねー。

 ……このくらいの混雑なら大丈夫そう?」


 数メートルおきにちらほらって感じで観光客が居る。もちろん、水族館とか京都駅地下街のときの方がもっと混雑はしていたけど、場所によってパーソナルスペースというのは変わるし。

 でも、それを言ったらひなのさんの目は私をしっかりと見据えて。びっくりするくらい優しい口調でこう告げられた。


「……明菜、ありがとね」


「え、えっ!? なにが?」


 その声色に動揺した私だったけれども、次の瞬間にはひなのさんは元通りで。


「……ふっふっ、ひーみつ!」


「もー、なにそれー」


 やっぱり、ひなのさんには謎が多い。その感想は『友だち』だった頃も、恋人となった今でも変わらない。



「……そう言えば、ひなのさんの実家には桜の名所ってあったりした?」


「うんっ! 自転車でいけるとこにダムがあってさ、そこの手前が公園になっててね。桜が沢山植えられているから、よく行ったなー」


 そんな話をすれば、私にも名古屋の桜の名所を聞かれて。話を聞いているとお互い相手の地元の桜も見てみたいとなっていくが。



「……お互い一緒に行けるのは、10年後かな?」


「そうなりそうだよね。名古屋はまだひなのさんをホテルに泊めてとかで何とかなりそうだけど……」


「まー、こっちはバレるよ。観光客が私と一緒に遊んでいたら絶対変だし。

 でも開き直って、友だちとして実家に泊まるくらいなら。もうちょっと早く出来そうじゃない?」


 そりゃ、必ずしも『友だち』の関係性で桜を見ちゃいけないわけじゃないけどさ。


「……少なくとも、今みたいにこんなに密着して手を握りながらお散歩は、地元じゃ無理かな」


 ただの『友だち』で言い逃れができるか微妙なライン。もうデート中の私たちの距離感はそこまで近づいている。



 その言葉を皮切りに、ひなのさんはちょうど交差点で敷石の歩道から逸れて。名前も知らない小さな橋の上に移動して立ち止まる。

 私はそんな彼女の手にただ引かれる形で――ただ惹かれる形で――同じく立ち止まった。


「明菜ってさ。やっぱり――不安? 誰かに、私たちの関係がバレるのは――」


「……本当に、ひなのさんは……。見透かすよね、私の心を」


「……まーね。

 でも……聴かせてほしいな?」


 私が漠然に感じている不安。


「確かに――怖いよ。誰かが私たちが恋人だと気付くのは。だって、私たちの『10年間』は、この関係がバレないことが大前提だ」


「――そうだね」


「……でも。ひなのさんは、それを隠さないよね。

 寮のエントランスでも、私のことを恋人として褒めるし、髪にも触る」


「それを『友だち』同士でも仲が良かったらする……って、言葉は明菜は求めてないだろうね」


「当然」


 ひなのさんらしくもなく、彼女は学校での私の扱いが……軽率だ。軽挙妄動と言って良い。秘匿しなきゃいけないのであれば、そういう振る舞いはすべきじゃない。

 私も自制しようとして出来ていないときがあるのは認めるが、ひなのさんは明らかに『意識的』に大きくは隠さずに踏み込んで来ている。


 だから……『不安』だ。

 この関係がバレることも。


 ……何より。

 私は、ひなのさんの愛に対して……ちゃんと応えられているか、が。



「ね、明菜さ――」


 そして、やっぱりひなのさんは私の心を見透かしてしまう。

 だからこの場で、彼女は繋いだ手を振り払ってまで私を抱きしめようと手が動いていた……にも関わらず。



 理性で、こんな公衆の面前で抱きしめたりはしなかった。


「やっぱり、明菜には見落としがあるよ。

 私は確かに、明菜への好意を学園内で隠していない。それはそうだ。


 ――だけどさ。

 私と明菜が友人だと周囲に露呈したのは……客観的に、いつ?」



 それは自明だ。


「――『七夕』のときでしょ?」


「そ。……分からない?

 私はその時にはもう、明菜のこと……好きだったんだけど? それは、薄々気付いているでしょ明菜も」



 ――そこまで言われてようやく気付いた。


「……周囲は最初から。

 私のことが大好きなひなのさんのことしか……知らない?」


「……そういうこと。

 ここで不自然に、明菜への好意を急に隠したりする方が『何かあった』って語っているようなものでしょ?」



 ……ひなのさんは。

 自分の恋心が乗っている状態が周囲の私たちの人間関係のデフォルトだと理解しているからこそ。彼女は極端に隠さないのだ。

 自らの恋愛感情すら手玉にとって人間関係を構築している。



 本当――この子には敵わない。


 愕然としている私に、銀髪少女はウインクをしながら告げる。


「だからさ、明菜が学園の誰かが居る場面で私への好意を返せなくても……大丈夫だよ。それくらい、分かってるから。……それに。

 明菜はちゃんと、私の『サイン』を読み取ってくれるじゃん?」



 確かに、ひなのさんは完璧じゃない。

 けれども、彼女は。その不完全さすらも計算に入れて動いている。



 私は――東園ひなのという人物に。

 感情的にも、そして極めて理性的にも愛されているのだ。



「……じゃ、行こっか」


 そう言われて差し出された彼女の左手に。私は右手を重ねて――『散歩』は続く。


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