第36話 麟子鳳雛

 意外かもしれないが、別に私とひなのさんは四六時中一緒に居る訳ではない。年末年始のときは毎日通話をねだってきたひなのさんであったが、むしろあの時が特例であったというか。

 ひなのさんは結構寂しがり屋……だとは思うけれども、そうは言っても毎日具体的にどこかのタイミングで会おうとか、決めているわけではないので、偶然が重なって平日の数日顔を合わせないくらいはままある。そういうときはメッセージアプリでのやり取りはしているけどね。……あとは、ひなのさんが本気で私に会って話がしたいと思ったら、私に会う手段はいくらでも取り得るわけだしそこはあんまり心配していない。


 ひなのさんは第3音楽室でピアノを弾くとき、多くの場合は私を伴わず、聞いて欲しいときだけ呼びつける形になった。

 私は理由が無ければ遅寝をしたい派な一方で、ひなのさんは早起きが別に苦ではないので、朝食の時間が噛み合うことも少なく。

 そして、バレンタイン以降は日程が迫っていた3学期の期末試験に対するテスト対策もまた、ひなのさん1人だけに助けを求めているわけじゃない。


 勿論、個人で見ればひなのさんと一緒に居る時間が一番長いのは当然の摂理ではあるが、しかし友人として見ても、極端に不自然なほど接触を重ねているわけでもなかった。もっとも、会っている時間の長さは然程ではなくとも、そこでの関係の濃密さは恋人としての距離感であることが多いので、希薄になったというわけでもない。



 というところで、ちょっと話題にも出たので、テストについてさらっと流してしまおう。

 3月の初旬に行われた期末試験の結果は、私もひなのさんも大幅に点数自体は上げる結果となった……が、しかし平均点もそこそこ上がっていたので、これは単純にテスト自体が易しくなっていただけである。

 しかし3学期と言っても1月と2月分の授業範囲からの出題だし、2月はそもそも日数が少ないので量が今までよりも少なかったという側面が一番大きいだろう。


 個票個人成績票の返却後に、ひなのさんと成績の見せ合いをしたが。


「……明菜の点数、2学期の期末のときより合計で100点近く上がっているけど、これでも現状維持なんだ」


「ひなのさんは点数上昇はそれほどじゃないけども、英語の点数が全体で上がった結果、上との差が縮まってむしろ順位は結構上がってるね」


「英語が簡単になれば簡単になるほど、私は有利になるからねえ」


 そう易々と成績は上がらない。しかし担任の先生が言っていたけれども、まともに偏差値とかが上がっていくのは高校2年までとのこと。比較的ストレートに努力が結果に直結するのは勉強面では来年までらしい。

 今以上の時間を割くのは大変だ。それよりかは手法を変えることで何とかできればベストではある。


 だから成績が落ちなかったことには安堵しつつも、同時に成績を上げた方が良いのか、上げるとしてもどこまで上げ、そしてその学力向上のために時間をどれだけ使って良いのかを漠然と夢想していたら、いつの間にやら真面目な表情をしたひなのさんが改まって私に問いかけてきた。


「どうせだから、今のうちに聞いちゃおうと思うんだけどさ……。

 テスト返しも終わったし、そろそろ進路希望調査を出さなきゃじゃん?」


「そうだね。確かアナウンスだけは夏休み前からされてたっけ……?」


 ひなのさんにあんまり紐付かない記憶だし、当時の私は高校1年の段階で進路云々とか決められるか、と軽視していた気がするので割とあやふやだ。それでも、ひなのさんは軽く頷いたことで私の朧気な記憶が誤っていなかったことが保証される。


「クリスマスのときには自分で決めるように明菜は言ってたけどさ。

 そうは言っても、私の将来のことは明菜にとっても大事なのは間違いないから、相談くらいはしておこうと思って。

 ……まず、一応確認なんだけども、提出が迫っている進路希望調査は『進学』で出す予定だけど、そこは変わらないよね?」


 この時点で就職志望を出してしまうと、進学組とは授業の編成自体が変わってしまう。選択肢を潰さないための消極的な進学希望。ここは、クリスマスのときからそのままだ。


「まあ、そうだね。ちなみに国公立と私立、どっち志望?」


「まー、国公立かなあ。言うだけならタダだし。明菜は」


「私も国公立狙いにはしようと思ってはいるけれども、模試の偏差値的には今のままじゃちょっとギリって感じかも」


 だからこそ、先ほど成績をもう少し上げるか悩んでいたわけで。

 でも最初に『まず』と言っていたし、これが本題ではないだろうと思い、ひなのさんに続きを促せば、しばらく考えていたのだろう言葉を彼女は紡いだ。



「今の進路は別に『進学』で良いとは思っているんだけどさ……。明菜とか他の友達にも勉強を教えているときに、誰かに何かを教えることは結構楽しいって思うことがちょくちょくあってねっ! 考えてみりゃ中学のときも似たようなことはしていたし……明菜以外は基本1体多だったけどさ。

 ――だから、何かを教える系の職業ってのも将来的にはアリなのかな……って」


 普通に恋人という色眼鏡抜きだとしても、ひなのさんは教えるのが上手だ。なんというか『呼吸』の取り方が、すごく心地良い。熟考してシャーペンが進んでいないときにはあまり話しかけてこないように、助けが欲しい場面で的確に動ける人という印象なのである。

 そして、あんまり出しゃばらない。説明するときとかも、こっちが内容を分かっている部分についてはサラっと流したり、とにかく『臨機応変』が高レベルでまとまっている感じなのだ。


「……ってことは、先生とか?」


「うーん。明菜がそう言うとは思ったけど、でもしっくりこれだ! って感じでもないんだよねえ……」


 そして、ひなのさん自身が教師にしっくり来ていない、というのもちょっと納得である。勿論、出来ないことはないだろうが、リーダーシップを持って引っ張っていくというタイプよりかは、言葉巧みに誘導する方が得意そうで、教え導くよりもむしろ聞き上手であるからこそ教え上手、みたいな部分もある。

 ……特に、ひなのさんは私の話を楽しそうに聞いてくれるので私もついつい話し過ぎてしまう。そういう空気づくりが本当にすごい。


 だから先生でも良いのだけども、どちらかと言えばカウンセラーとかでも行けそうな感じ。ああでも、ひなのさんは本質的には臆病で、相手に踏み込まないことで良好な人間関係を構築する側面もあるから、カウンセラーもちょっと違うのかも。


「まあ、でも良いんじゃない? このまま大学に行くなら、何になるかを決める猶予はあと6年はあるってことでしょ。まだ付き合ってから3ヶ月なんだから、スゴい進歩だと思うよ」


「あ……明菜の中では、私は大学ストレート合格前提なんだ」


「いや、浪人前提の方が無くない?」


「まーそうだけどさー」



 浪人とか言い出したら、それこそ高校だって留年の可能性はゼロではないわけだしねえ。ひなのさんなら大丈夫……とまでは言わないが、不確定要素を逐一気にしていたら予定が立たないと私は思います。




 *


 日を追うごとに段々と暖かくなっていき、ひなのさんの部屋のこたつは僅か1ヶ月足らずで撤去され部屋のレイアウトは元に戻り。

 私も冬用コートをそろそろクローゼットの奥に仕舞ってしまおうかな、と思いつつある今日この頃。


 クラスメイトは、少しばかり先に待っている春休みを待ちわびている中、最上級生の卒業式が執り行われた。

 部活動に入部しなかった私は、先輩との関わりは寮での暮らし程度であったが、それでも丸々1年間の共同生活の中で育んだ絆はある。その数は決して多くないけれども、彼女たちにお別れの挨拶をした。もっとも、寮から引っ越すタイミングはまだ少し先だから、すぐにすぐ離別というわけではない。


 そしてローズマリー寮としての3年生へのお別れパーティーは卒業式の翌日には執り行われ。

 当日になってみれば寮イベントに欠席を出し続けているひなのさんも参加していた。彼女は彼女で私よりも交友関係が広いから、どこで関わりを持ったのか知らないが、結構な先輩から別れを惜しまれていた。


 ……嫉妬? いえ、自分の彼女が人気者で鼻が高いです。

 こんな可愛くて人懐っこい子を独り占めしているのだから、ちょっと背徳感すらある。



「おっ、明菜ー。……私のことずっと見てたでしょ?

 ダメだよ。ここは人前、なんだから」


 紙コップとジュースのペットボトルを持って先輩たちのところを巡回していたひなのさんが私の近くに寄ってきて、小声で伝える。

 恋人としての思考は一瞬だったはずなのに、即座に看破してくる辺りはひなのさんの凄味を感じるが、この場においては『友だち』として話しかける。


「いや、ひなのさんも帰宅部なのによく先輩と関わりがそんなにあるな、と思って」


「……そうかな? ま、褒め言葉として受け取っておこう! ……ってか、明菜のコップも空じゃん。お客さんにも注いじゃいましょうかー?」


 そう言うと、ひなのさんはジュースの蓋を開けようとしつつも、他の飲み物が良いか聞くためにちょっと間をあける。

 ……この気の遣い方は、ひなのさんの外面をとても感じる。傷つかない距離感のまま友人としてやっていたら、この雰囲気のひなのさんしか私は知らなかったのだろう。


 一瞬――ひなのさんの飲みかけのコップを奪い私のコップを押し付けて、『私の分の飲み物は大丈夫』とか言って、間接キスをしようかと脳裏によぎった。

 が、しかしそれはこの場ですることでもないと思い直し、こう応対する。


「……いや、私は先輩じゃないのに注いでもらうとか悪いね」


「……ぐすっ、ぐすっ! まさか、明菜も卒業だなんてー! 私は悲しいよ、しくしく」


「そのあからさまなウソ泣きはやめな、ひなのさん」


「はいはーい」


 そんな演技をしながらもひなのさんは器用に紙コップにジュースを注ぎ、私に渡してくれた。


 親しき中にも礼儀あり、ではあるが、しかしひなのさんのこういう場での立ち回りは本当に出来る人の『それ』である。短い時間で様々な人に話しかけ、各々に合った形で楽しませるトークをする。そういう人が1人でもいると、パーティに行って良かったなという気持ちになる。

 ……ちょっとだけ、恋人の顔を見せてひなのさんに小声で問いかける。


「……ひょっとして。ひなのさんが寮のイベントに出たがらなかったのって、これが理由?」


 声色だけで、しっかりと言わんとすることを理解したひなのさんは、今までの話し声よりも僅かに低めの声でこう囁いた。


「……他の子には、内緒だよ?

 私、こういう場所自体は好きだけど、でも楽しんでいない知り合いとかがどうしても気になっちゃって。気を遣わないと逆に居ても立っても居られないタイプなんだよねえ。

 ……でも、ちょっとだけ疲れちゃうから、あんまり『人混み』は苦手なんだ」



 ……まさか、ここでひなのさんが人混みを嫌がる理由が分かることになるとは思わなかった。

 人が集まる場所は好き。だけど、人が多いとそれを楽しんでいない人のことを目敏くひなのさんは見つけてしまう。そして知人なら楽しんでほしいと思って積極的に絡みに行く。

 それはまず間違いなく、ひなのさんの美点であり、中々に類まれな性質であった。けれども、ここまで人が多いと、それだけで彼女は目が回るくらい忙しくなってしまい……疲れてしまう。でも、だからといって性格的につまらなそうな人を放置もできない。

 その結果、イベントに参加しなかったり、『人混み』が苦手と私に言うようになった、と。


 そうなると去年の『七夕』という例外において、彼女は常に私の側に居続けたのが逆に気になってくるが……まあ。優先順位を付けられない程に融通が利かないわけでもないのだろう。多分、今も私がひなのさんのことを離そうとしなければ、彼女はずっと私に付き合ってくれる気がする。予想だけども。



「……また、難儀な性格なことで」


「『友だち』に対してなんてこと言うのー、明菜」


 そして私たちはすぐに『友だち』同士のちょっかいの掛け合いに戻る。

 それから二言三言、居心地の良い会話をした後に、ひなのさんが去る間際になって、こう言ってきた。


「あ、最後に1つだけ。

 明菜の誕生日って今月の終業式前だったよね?」


「うん、そうだよ」


「……良かったー! 当たってた!

 でさでさ、誕生日当日は、もう他の友達と予定を入れちゃってる? もしまだ、空いてるよーって感じなら私からもお祝いしたいんだけど良いかな?」


「……良いけど」



 ……この子は。

 私がひなのさんよりも優先してスケジュールを埋める相手なんて居ないのを分かっている癖に。

 『他の友達』への配慮を口にしつつも、一方で大体の私たちの友人は部活に入っているので放課後の時間なんて空いている。だから必然的に2人きりのデートなのに、それを会話を聞いただけでは感じさせない言い回し。


 それをまったくの『友だち』としての言い回しだけで、誕生日デートの約束の取り付けを行うのだから、照れとかよりも感心の方が勝ってしまった。

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