第30話 最初で最後のクリスマス(3)

 ひなのさんを部屋に招き入れた瞬間は、ちょっとぎくしゃくしたけれども。ひなのさんを座卓周りの座布団に座らせて、飲み物を出したら大分落ち着いていた。

 ……あるいは、私の部屋の香りでリラックスしているだけなのかもしれないが。


「おぉー……。なんか、明菜の部屋にコーラの1.5リットルペットボトルが置かれてるの、新鮮……」


「1人暮らしだと、1.5リットルの炭酸とか飲み干す前に炭酸が抜けちゃうから。それもあってあんまり買わないんだよね……」


「あ、それは分かる」


 炭酸を一気飲みするのとかはあんまり得意じゃないので、買うにしても缶か小さめのペットボトルだ。


「はーい、じゃあ! 明菜、かんぱーい!」


「ええ、乾杯」


 コーラの入ったグラスでやっても雰囲気も何も無いが、でも逆にこういうのは友だちっぽいかも。


「あっ! そだそだ! お菓子持ってきたから食べようよ!」


「ひなのさん、お菓子担当でしたからね」


 私が掃除をしていたタイミングに、ひなのさんにはこの時間用のお菓子を買って来てもらっていた。最寄りのスーパーに行ったらしいが、女子高周りでかつイヴという客層を反映して、レジ前とかも全部お菓子のワゴンが並んでいたらしい。

 とはいっても、夕ご飯がクリスマスメニューで、チキンとかフライドポテトとかを食べてしまっている以上、お菓子を沢山開けても2人じゃ食べきれなさそうだ。



「まー、残ったら半分こしよっか! ……帰省前までに食べきれなさそうだったら談話室においておけば何とかなるでしょ」


「多分、同じ考えのクリスマスパーティ勢が無限にいると思うけど。……まあ、食べ切れない分は、別のパーティに持って行っておくよ」


「あ! 明菜は、まだクリパ2個残ってたもんね!」


「……1つは、寮主催なんだからひなのさんも申請さえ出せば、出れたやつだからね」


 とはいえ、ひなのさんは寮のイベントごとに出たのは七夕のときくらいなので、私から強く誘わない限りは出る気は無いんだろうな、とは思う。その理由も『人混みが苦手』という部分と関わることなのだろうね、きっと。


 ぱらぱらとお菓子を食べながら、他愛も無い話をひなのさんと続けるのは昼間と一緒。

 多分、そうやって話しているだけでも、私たちはずっと楽しいというのは偽りなくそう思えるけれども、しかしそればかりだと何も進まないので、お互いが目配せしたことで言葉を交わすこともなくそれが合図となった。


「……それじゃあ、やる?」


「まあ、良いんじゃない。ひなのさんも準備しているんでしょ」


「もち! じゃーあー!

 『あんまり良さ気じゃないプレゼント交換会』!!」


「……ネーミングからして、微妙だよねこれ」


 一体何をするのかと言うと、クリスマスにありがちなプレゼント交換会ではある。

 ただし、私たち2人の場合。来年以降のクリスマスは『友だち』ではないことがほぼ確定しているために、どう考えても本気のプレゼントを贈り合って愛を確かめ合うことになるとお互い考えていた。


 なので、いっそのこと逆に相手のことを慮らない微妙で、嬉しくなくて、リアクションを取り辛いアイテム――つまりは『あんまり良さ気じゃない』ものを交換し合うのは、むしろ今しか出来ないことなんじゃないか、となってお互いの悪乗りで成立してしまったものである。


 既に私もひなのさんも、各々『相手がいらなそう』なプレゼントを購入して、それを渡す。


「じゃあ私が先手必勝!

 明菜へのプレゼントはこれ――」


 そう言ってひなのさんが取り出したのは、デコとか何もされていない無機質な長方形の茶封筒。


「おぉ……外装から、しっかりと期待値が低い……!」


 女子高生同士でプレゼントをし合うとなったときに、この茶封筒選択は中々ないだろう。

 そして手渡されて、持ってみると結構重量感と厚みがあって驚く。


「あ、開けるならハサミを使った方がいいかも」


「そう? ひなのさんの言う通りにするけどさ……」


 そして封筒の上端をハサミで切り取った中から出てきたのは――


「えっ、札束!? ……って。

 ……なにも書いていないんだけど」


「というわけで! 私から明菜へのプレゼントはー。

 100万円の札束……のレプリカでしたっ! お札と同じサイズのクリーム色の紙100枚!」


「これをするなら、少しでもお札に似せる努力しない、普通!?」


「え、だってお札と紛らわしいもの作ったら通貨及証券模造取締法違反だし」


「法律よりも気にすることが先にあるでしょ……と思わせる辺りは高得点だね」


「っしょ? ……でーも。

 実はサプライズプレゼントはこれだけじゃ……ないっ!」


 そう言ってひなのさんは更に2つの無地の札束を取り出した。


「……つまり?」


「100万円札束ではなく、300万円分っ!!」


 並べられる茶封筒と、無地の3つの札束。せめて札束の一番上だけでも1万円札なら、まだジョークとして成立するんだけどと思ったが『それをしたら3万円必要じゃん』とひなのさんは、正論兼『あんまり良さ気じゃない』的には高評価な返しをする。


 この暗に『不完全なジョークでやり過ごそう』という手抜き感と、『万が一にも3万円を取られる可能性』を考慮されている信頼感の低さ。

 そして、そもそも『この場一瞬のジョークに全てを懸ける』タイプのプレゼントだから、持ち帰ったところで使い道は札束っぽく飾って同じジョークを擦るくらいしかない。


「ちなみに、これ3つで1000円ね」


「思ったよりも微妙に高い……」


 このメモ帳とかで使い潰すには勿体ないと思わせる価格設定も見事。


「ひなのさん。正直、驚いた。

 ここまで『あんまり良さ気じゃない』プレゼントを用意できるとは……」


「ふふん、他には匂いが好みじゃない上に強いハンドクリームとかも考えたんだけどさ。

 でも、ハンドクリームって中々減らないし、意外とプレゼントで貰いがちだから、明菜が他のクリパでも貰ったら邪魔になると思って辞めたんだよね」


「心遣いが全力で方向音痴になってるじゃん。でも、それはホント助かる」


 このプレゼント交換会は、相手が地味にイヤで、良さ気じゃないラインを見極める必要があるが、実害を出したら不味いという自制心も必須である。だから意外と高度で奥深いのだ。



「さーて、明菜。

 この私のプレゼントを上回る……より『良さ気じゃない』プレゼントを繰り出せるかな?」


「ひなのさん、ノリノリだね……。

 まあ、元より厳しい戦いなのは分かってる。だから、私はひなのさんに……これで勝負」


「明菜も、大概テンション高いねえ」



 そして私は荷物の中から目当てのものを取り出し、そのままひなのさんに手渡し。


「……うわっ、まさかの包装なし! そして……うん。CDかぁー……。実家だったら聞けたかもだけど、私の部屋でCDに対応しているものってないよね……。

 これ、どうやったら聞けるの?」


「談話室にラジカセが置いてあった気がする。使っているの見たこと無いけど」


「動くの、それ?」


「知らない」


「……せめてそこはチェックして! って思わせるのこれは明菜も中々やるねえ」


 実家暮らしならまだワンチャンあるかもしれないが、しかし寮暮らしではCDは困るだろう。CD自体を知らない、ということは少ないと思うが、しかし触れる機会があまり無いのも確かなはず。

 しかし、CDはまだカセットテープレベルにはネタに振り切っていない。そういうところもあって、プレゼントで渡されると本気で困ると思う。


「……で、オーケストラっぽいのが書いてあるから多分クラシックだと思うんだけど……。何の曲なの?」


「現代音楽系の前衛的なクラシック曲……あ、でも。

 私もまだ学習中の分野だから深く聞かれても困るかも」


「せめて好きな曲とかを渡してほしかった!」


「ちなみに録音は1920年代らしいから音質は悪い」


「なんでマイナス情報を増やした!?」


「あと、再生時間は1時間58分ある」


「長すぎでしょ!」


 前衛音楽は前提知識が無いと、そもそも理解から難しいようなものだ。ちゃんと歴史的意義があり、緻密な理論に基づいているけれども、さりとて初心者に贈る曲としては不適格と言わざるを得ない。

 というか多分、普通に有名どころの交響曲の音源を渡したところで、全部聞くのは大変だろう。


「最後のアピールポイントとして。

 ただでさえ曲を渡すという行為は、相手の音楽の好みと一致するか分からない割には相手に聞くことを強要させる『圧』があるし。

 クラシックピアノ経験者の私が、未経験のひなのさんに渡すと、これで『勉強』してって感じの上から目線っぽさも加味されるよ」


「説明を聞くと、プレゼントではなくパワハラを受けているみたいな気持ちになってきた……」


 だから音楽プレゼントって結構な地雷選択肢なのだ。相手が新しい音楽に触れたいとか、好みを把握している場合にはアリにもなるが、しかしそういう『場』を無視するとあんまり好まれないプレゼントへ変貌してしまう。

 ……あ、その最たるものが自作ラブソングの生演奏ね。基本、メジャーデビューアーティストの楽曲で耳を慣らしている相手に、自分の力量で立ち向かうのは中々に無謀な行為だ。成功したら『ロック』だけども。



 というわけで。出揃ったのは300万円のレプリカと1時間58分の謎のCD音源。


「なんというか……お互いのことを分かっているからこそ。全力で要らないものを持ってきた感があるよね、明菜?」


「300万円の保管は真面目に考えるね」


 折角のジョークグッズを手抜きで出してきたから微妙になっただけで、これ自体は可能性は秘めている。嬉しいか嬉しくないかで言われたら、嬉しくないプレゼントなのだけども。


「良いって、別に。

 でも、しょうもないけどさ……確かにもう私たちの中ではこういうプレゼントを贈り合うことは無いだろうね」


「うん、絶対に」


 二度はごめんだが、一度だけならまあ……許せなくもないかな、と思いたい悪ふざけ。

 こういう馬鹿なことばっかりをやっていく青春の姿もあったのかな、と考えるとちょっと感慨深いかも……しれないね。




 *


 なんだかプレゼント交換会で最近では稀な感じで疲弊したので、チョコとかポテトチップスを摘まみつつ、コーラを飲むことで一旦脳に栄養を行き渡らせる。


「今まで明菜と、こういう馬鹿騒ぎというか悪ふざけみたいな感じで遊んだことは無かったから、最後にこういうことを友だちとして出来たのは良かったと思うよ?」


「こういうところの感性は私とひなのさんって似ているけれども、でも若干貴方の方がポジティブだよね」


「そ、そう? 明菜に似てるって言われるとなんかちょっと嬉しいな……えへへ」


「そのあざとさは全く似ていないけど」


「うわっ!? 急に辛辣!」


 ……まあ、友だちなんで。今はこういう扱いになる。なお、あざといひなのさんは、ここ最近頻発してきている新キャラクターだ。



「あ、そうだ。どうせだから、聞きたいことがあったんだけど良い?」


「おおー突然だなあ。でも、今の関係のうちに聞かないといけないことはどんどん聞いて?

 明日になったら答えが変わる質問も多分あると思うし」


「――ひなのさんの。将来の夢ってさ、何かある?

 ……『世界征服』以外で」



 この瞬間。ひなのさんのワインレッドの瞳は真剣みを帯び私の目を一直線に見据える。この視線は、私のことをひなのさんに囚われさせるもの。

 そして、彼女の視線に私以外が今映っていないことが確信できるもの。


「……『世界征服』って七夕のやつ?」


「そ。そう言えばそこからひなのさんの夢について、具体的に聞いたことがなかったなあ……って」


 飾城先生のアドバイスを念頭に置いた質問ではある。けれども、先生自身が他者の助言に囚われ過ぎないよう忠告していたので参考程度……というか、もう今の私はひなのさんの視線に囚われてしまったし。


 ひなのさんは、ゆっくりと……しかしいつもよりは尖った口調で語る。


「あんまりこういうことを言うと角が立ちそうだけれども……ま、明菜なら良っか。

 私は、小さい頃から割と何でも出来た方だと思う。もちろん、コミュニティが広くない漁村で育ったというのもあるんだけども、数えるのも飽きちゃうくらいには色々な道を薦められた」


「……英語とか苦手なものもあるのにね、ひなのさん」


「そーなんだけどね、私が出来ないことは結構ある。でも……出来ることには才能みたいなのがあったみたい。だから一杯言われたんだ。『後は基礎さえ覚えれば』とか『理論さえ暗記しちゃえば』とか。

 何にでもなれる……って言われていたのは、正直贅沢だと思うよ? でもさ、なんか何をやってもそう言われちゃうと……何者にもなりたくない、って思ってた」


「……贅沢であることには違いない」


「ホントにね」


 月並みな言葉で言えば『神童』。それだけなら割と少なくない数の子どもが幼少期に経験してきたもののはず。

 ただ……ひなのさんに関して言えば高校1年で初めて出会った私ですら『本物』だと思わせる才能の原石を有していて。それが音楽分野だけではなく、あらゆる場所で言われてきた言葉ならば、趣味に対して指摘されることすら嫌がるという精神性へと至る……のかもしれない。


「正直に言えば。ひなのさんの気持ちが理解できる側面と。持っている才能を活かさず何にもならないなんてふざけないで欲しい、という想いの2つが入り混じって、なんと言えばいいのか……」


「……そこでどっちの気持ちも言ってくれるのは、明菜の良さだよね。

 でも……これは過去の話。今、なりたいものはちゃんとあるよ――」


 そう話すひなのさんの表情は、夢を手にした少女にしては寂しそうだ。



「……聞こうか」


「何にもなりたくなかった私だけど……私は、明菜がなって欲しい姿になりたい、って思ってる。

 ……けど、明菜はそれを認めてはくれないよね」


 予想外の言葉であったけれども、即座に返答することができた。


「当然。私はひなのさんの可能性を閉ざしたくはないから。

 ひなのさんの将来像は、断じて私が決めるものではない」


「……もし、明菜が私の選択肢を狭めるものだ……ってなったら?」


「ああ、そこが不安だったんだねえ、ひなのさん。

 大丈夫。簡単に離れるくらいなら、私は死に物狂いでも、貴方のために自分を変えるよ。ひなのさんの隣に居るのに必要なら……ね」


 自分の存在が相手のためにならないのなら、もう自分が変わるしかない……そうだよね?


「……もしかして、それは明菜の夢?」


「どうでしょう。そうなのかもしれないけれども……いずれにせよ。

 私がひなのさんの将来を決めるつもりがない、ということは、ひなのさんの夢は……」


「――無いってことになる」


「そして、ひなのさんが何者にもならないのであれば。

 私もまた何かになることは……無いよね、きっと」



 そうすると。私たちの将来は『決定しないから』こそ、確定する。



「――進学か、結局」


「そうなるよね……」


 問題の先送り。『モラトリアム』の延長。

 下手に今から就職志望を出して、やっぱり進学したいです! となってもそれは過酷な道のりだ。であれば、取り敢えず大学進学希望にしておいて、後々何か見つかったら変更する。

 その可能性を潰さないための消極的な将来設計だ。


「……ってことは、明菜も理系志望?」


文転・・よりも理転・・の方が、遥かに難しいって言うしね……」


 で、そういう理由の進路選択であれば、文系か理系かという高校生究極の命題も、後々の方向変更可能性による決定となる。

 理科と社会科目は選択変更による不利がどちらの場合でも等価。しかし数ⅢCの存在によって理系への転向の難易度は跳ね上がる。だったら、最初から理系に行き、ギリギリまで文系進路の可能性も見据えながら動く。


 まだお互い何にもなるつもりが無いのなら、夢が無いのなら。

 その選択期間をギリギリまで引き延ばす選択をすることが、今の私たちの『夢』なのだろう。




 *


 時計を見ると完全消灯まで1時間を切っていた。お菓子たちはそろそろしまっていき、座卓の上にはコーラが注がれたコップのみが残る。


「今日もそろそろ終わりだねえ……」


「うん……明菜、いいや『友だち』の明菜。

 今まで、本当に楽しかったよ」


「ええ。『友だち』のひなのさん。私も同じ気持ち。

 だから最後に『友だち』として――1つ。質問をしても良い?」


「……もち」



 私は深呼吸をする。


「――『友だち』として、お互いの好きだったことを言い合いましょう」


「……踏み込むね」


「そりゃー、これが本当に最後だから。

 やっぱ、聞きたいよ。恋愛感情なしでの『好き』な場所」


「……恋愛感情抜きって急に難問になったじゃん」


「あ、じゃあ私から先に言いますね――」


「ちょ、ちょい! 流れが早い、早い!

 心の準備とかさせてー!」


 ひなのさんからタイムがかかったので、少し時間を取る。勢いで聞いた方が恥ずかしくない気もしないでもないが、まあ彼女がそう言ってきたのだから従おう。


「よ……よし。ど、どうぞ……?」


「陽キャで銀髪可愛いとこ」


「……思った以上に浅いっ! 初対面か!?」


「――自分が楽しいと思っていることばかりしたいって考えている一方で、周囲を蔑ろにすることは無くて、案外自分の楽しさよりも相手への配慮が先行しちゃうとこ、だね」


「みゃっ……! か、解像度の温度差が……っ」


 一旦期待値を大きく下回ってから、普通に好きだと思っていたことをぶつけたら、なんだか大ダメージを受けたひなのさんが居た。


「……『みゃっ』とは、随分と可愛い鳴き声が出たね。『みゃっ』て――」


「――私は。

 明菜が私のことをからかうときとかでも。ちょっとでも照れがあったら全然目が合わなくなるところとか、良いよ?」


「……なんでそれを今言うの」


 意識した途端、もっとひなのさんの顔が見れなくて、彼女の指先を見つめるにとどまってしまう。

 意趣返しとしてひなのさんのワインレッドの瞳をじっと見据えた方が、カウンターになるとは思ったので、恐る恐る彼女の目に視線を向けるが、完璧に待ち構えられていたように笑顔でウインクされたので、無意識で視線を外してしまった。


「まー、真剣な場面だと絶対目線が合わないってことは無いからさ。

 どっちの明菜も良いなあ、って思ってるよ」


「……というか、ひなのさん。

 恋愛感情抜きって言ったのに、これはルール違反じゃない?」


「そうかな? じゃあさっきのノーカンで」


「……あれ? もしかして、ひなのさん2つ目を言うつもりじゃ――」


「友だち感あるやつで言ったらこれかなあ。

 雰囲気落ち着いたところはあるのに、クールキャラってほどじゃなくて。けれども、何だかんだでかなりノリが良くて色々乗ってくれるとことか、明菜のいいところだよね」


「……」


 何も言えずにベッドの上のクッションを取って、そこに顔を突っ伏した私の行動は正当なものだと主張したい。




 *


「あーきーなー? もう『友だち』として言い残したことはないのかなー?」


「……ええ。むしろひなのさんの方こそ何かあったりする?」


「おー、立ち直り早っ。

 ただ……色々聞いちゃったら、多分喜んじゃうと思うから先に言っておく。

 ……明菜、遅すぎ。もっと早く気付いて欲しかった」


「……まあ、好かれているなあ、とは正直思っていたけれど。女の子同士だから疑念は持っても確信は抱けなかったし……。

 それに、ひなのさんから言われても、多分私は拒まなかったと思うよ?」


「……そこは、ごめんね。

 どうしても、私は明菜から――告白されたかったの」


「……まったく。しょうがない子ですね」


「へへっ、ワガママで悪いね」


 こうして考え直してみると、ひなのさんの好意は随分と早い段階からだったとは思う。

 七夕のときに自発的に手を繋ごうとしたあの時点では、ほぼ間違いなく私に恋心を抱いていそうで。

 それより前だと……19世紀ホールのSLのとき? はたまた、もっと前とか?


 ――でも、きっと。それくらいの時期にひなのさんから告白されたら。

 拒みはしなかっただろうとは思う。ただ……今ほどにはひなのさんのことを、こんなにも――真剣に考えてもいなかっただろうとも思う。


 だから、そういう意味では、彼女の『告白されたかった』というのは私の気持ちを熟成するのには必要な時間であったし――それに対して『遅すぎ』ということであれば、私も待たせすぎたなと思っている。


 ……ならば、応えようか。



「ひなのさん……『機会的同性愛』って知ってます?」


「……まさかここで、その話をするとは全く思ってなかったよ。

 うん。知ってはいる――それは今の私たちが避けては通れない命題だ」


 機会的同性愛。

 それは、喩え元々異性愛者であったとしても、同性と触れ合う機会がほとんどである環境下においては、環境によって一時的かつ後天的に同性を好意の対象とすることがままある。


 つまり。


「――女子高の寮暮らし。これは言い逃れもなく男性と接する機会が私たちは限定されている。

 つまり、私たちがどう足掻いたって、どんなに愛し合ったとしても。必ず、私たちの関係は一時的なもの、少なくともこの学校を卒業してしまえば、普通にお互い男性を好きになるだろう――って言う人は出てくる」


「そう……だね」


 この際、問題になるのは外野がどうこうじゃない、身内だ。

 親が。ひなのさんにとっては姉が。親戚が。あるいは中学時代までの友達が。


 私たちの『愛』と呼称するものを、一過性のものと見做してくるだろう。

 正直……『許容』はされる可能性は高い。時限付きの恋だと、大学に進学するまでの寄り道・・・だと、そう考えるのなら。この学園に在学中ならばなし崩し的に妥結に至れるとは思っている。


 ただ……。


「……先が無い。私とひなのさんの道筋は、一度高3の卒業で途絶える」


「……」


「多分。私が考えていることくらいは、ひなのさんもきっと考えていると思う。決して貴方はこの恋を楽観視していない……だからこそ、私から告白させることを望んだ――違う?」


「……合ってる」


 容易に引き裂かれる恋だからこそ。ひなのさんは、私の感情を簡単には引き裂けないようにするように育てた。

 『遅すぎ』ではあったけれども、しかしこれはひなのさんにとっても必要な期間だったのだ。


 そして、同時にこのことは。彼女が最終的な解決手段を思い描けなかったことも意味している。だからこそ、決定権のボールをひなのさんは私に託した。


「……正直に言えば。どうしようもない。

 きっと、この3年間は――恋に溺れても、それを一生涯の恋愛だと認めない人間は幾らでもいる。……それも、ひなのさんは分かってるんだよね」


「……うん」


 私もひなのさんも、盲目的に恋し続けることを許されてはいなかった。

 やがてくる『終わり』に向けて、それをどう打破するかを考え、足掻く方策を見出さなければならない。


 本気である覚悟を見せなければいけない。ひなのさん自身も信じ切れるような。

 気持ちも、誠意も、言葉も、行動も、どんな形で愛を示したとしてもひなのさんではない他者が認めるかは微妙だ。だって、それは前提条件に過ぎないのだから。


 ――で、あれば。必要なものはもう……恋愛の外から持ってくるしかない。

 ただ漫然と女性同士で愛し合うことが難色を示されるのなら。どこかの男性とひなのさんが付き合って、普通に結婚して普通に家庭を持つことを上回るメリットを彼女の家族に提示しなければいけない。


 だから。

 一度だけ最終確認をする。


「ひなのさん。……多分、私はひなのさんが思っているよりも――本気だよ。

 告白はする。それは決定事項だもん。だけど……最後の確認。

 ……この恋愛を一過性のものではなく。一生のものにする――つまり人生を懸ける覚悟が貴方にありますか?」


 ひなのさんは即答だった。


「――当たり前じゃん」



 それは思い付きで言ったわけでは決して無かった。ずっと考えていたのだろう。

 ならば……私も腹をくくろうか。


「……じゃあ。ひなのさんのこれから先の10年。

 まずはそれを貰う。そして私のこれから先の10年を貴方に捧げる」


「一生ではなく10年なの?」



「うん。

 その10年を使って私は。ひなのさんのことを……何者かに仕立て上げる。


 ――そう。

 これまで、家族も含めたひなのさんの周りを含めたあらゆる人間が出来なかったこと。それを、ひなのさんが成し遂げるんだ。

 私がひなのさんになって欲しいものではなく、ひなのさん自身がなりたいものにね。


 そして、その成果をもって私は初めて問いかけられる。

 ――私以外にひなのさんに相応しい人物が他に居ますか……ってね」



 ひなのさんは『天才』だ。

 だが、彼女自身はその天才性を活かして何かになろうとはしてこなかった。


 ここを私が与えた影響力で……変える。ひなのさんは私がなって欲しい姿になる、と言ってくれていたけれどもそれじゃダメだ。

 『本物』の世界は、そんな受動的な姿勢で生き残れるほど甘くない。『天才』ですらも貪欲に夢を追い続けて初めて手に入る世界だ。そんな世界の住人に、ひなのさんを仕立て上げるためには、やはり彼女自身が私と恋仲になるために示した覚悟と同等以上のものが必要だ。それは決して私への愛の依存だけで辿り着ける境地じゃない。


 私は更に続ける。


「『ピアノ』じゃなくていい。『音楽』でなくていい。というか今までひなのさんが薦められてきたものでなくても良いけれど。

 ひなのさん自身がなりたいものになるんだ。社会的名声だとか、地位や、権力は関係無い。とにかく貴方が本気でなりたいと思った立場を見つけて、それを成し遂げたとき……その隣にもし私が居たのならば。

 ――初めて、私は今まで貴方が出会ってきたあらゆる人間よりも『優位』に立てるんだ……ひなのさんのことを大切に想っている相手であればあるほどね」


 そして、私はその第一歩は既に踏み出している。


「……期末テストのとき。私との関係よりも勉強を優先させるような態度を取ったのも――」


「そういうこと。

 少なくとも客観的に見て、ひなのさんに社会的に有益となっている間は、私の存在は中々排斥されることはない。私のせいでひなのさんの成績が下がったら、心証は悪くなるけど、その逆だったら中々付き合いを辞めろとは言われないからね。教師も親も」


 善良な大人がこれを『一過性の恋』だと思っているからこそ、社会的に有益でさえあれば易々と見逃してくれる。そこを徹底的に利用する。



「社会や世界を、敵に回してまで恋愛をする必要なんてどこにもない。

 ……他ならぬひなのさんだからこそ出来るかもしれないんだ。全部、全部、味方にしてしまおうよ。


 そのためには、まず。帰省したときに私のことをひなのさんの家族に話して。

 『2学期の期末試験で順位を維持出来たのは明菜のおかげ』とか『勉強に集中できなかったり寝付けなかった私を助けてくれた』とかそういう感じで。


 ……その上で、高校に来てからの一番の友だちだ、とかなんとか言っておけば、そうそう悪い印象にはならないでしょ。私も同じような感じで家族に話すからさ」



「……そこは『友だち』なんだ」


「今の段階で全部話す必要はないじゃん。それに別に嘘をついているわけじゃないしねえ。

 ――それに。別に恋人になったところで恋人兼友だちって関係性は維持できると思うけども」


「それは、そうなんだけど……」


「――というか、ひなのさん自身が、あれだけ『友だちとしての私』のことも大切に想っていたら、それを易々と捨てて恋人にはなれないよ。

 ……私たちは、友だちであり恋人。別に友情と恋愛は、上位互換でも下位互換でもなく両立できるんじゃない?」


 家族に対しては友だち。

 学園の周囲の人たちに対しては、友だちでも恋人でもどちらの立場で通すかは自由。

 2人きりのときは、恋人でありながら友だち。


 それくらいの仮面の使い分けは、ひなのさんにとって余裕だろう。だって、ひなのさんの他の友達ですら、ピアノのことも知らないのだから。



「……ぐずっ……うんっ! うん、そうだねっ、明菜っ……」


「もう、ひなのさん。泣いているなら目を擦っちゃダメだって。

 ほら、ティッシュで取り敢えず拭きな。タオル持ってくるから――」


 私が洗面台にストックしているタオルを持ってこようとすると、ひなのさんは私の服を咄嗟に掴んだ。


「……ダメ。今は、私の視界から居なくならないでよ……明菜」


「……別に外に行くわけじゃなくて、洗面所に行くだけだったんだけどね。

 じゃあ残るよ」


 一度立ち上がろうとした私は座り直す。ただし、座る場所は座卓を挟んだ対面ではなく……ひなのさんの真隣だ。

 そして、私は泣いている彼女を落ち着かせるために、頭を少し撫でる。さらさらとした手触りとともに、シャンプーの香りが漂う。


 ……そう言えばここに来る前にひなのさんもお風呂に入っていたんだっけ。というか私はひなのさんに髪を触らせたことはあったけど、ひなのさんの髪は初めて触った気がする。



「……大好きな私の髪の触り心地は、どうかな明菜?」


「ここで、からかうのも凄いね……ひなのさん」


「もう、友だちってだけじゃなくなるんだから、そういうのよりも……褒め言葉が欲しいかな」


「……それは、告白の催促?」


「……そうとも言う」



 私は一度ひなのさんのワインレッドの瞳をしっかりと見据えて。

 彼女もそれに応えてしっかりと見つめ直してくる。


「明菜の目、綺麗だよね。吸い込まれるような黒色で――」


「……ひなのさん、今。好きって言おうとしたでしょ。ここまで私に告白要求しておいて先に言わないでよ」


「えへへ……ごめん」



 本当に幸せそうな表情で目元にまだ涙が残しつつも笑うひなのさんの笑顔は本当に綺麗で。


 私は、彼女の銀色の髪に優しく口付けをしてから――こう告げた。



「ひなのさん――大好きですよ。愛しています。

 私と恋人になって……くれませんか?」


「……うん。私も明菜のことが好き――」



 ――こうして、私たちの『最初で最後のクリスマス』は終わった。

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