第28話 最初で最後のクリスマス(1)

 ――期末試験が終わった。

 今回のテスト範囲で、数学とか英語とか文理選択に関係無く先行できる科目については1年生分の教科書内容が終了したものも多い。文系でも数ⅡBまでは使うらしいからね。


 特に中間テストのときは文化祭準備期間と被っていたから、授業進捗も芳しくなかったようで、行事の終わった後からは授業ペースが速まったから、テスト範囲も結構広かった。

 そんな中で成績を維持するためには、テスト勉強の『質』を向上させるか、あるいは単純に勉強時間を増やすかが必須となっている状況だったわけだけれども、よりにもよってこのタイミングで私とひなのさんはお互いの恋心を理解してしまったわけで。


 テストと恋愛、どっちが大事!? とか問われそうだが、そんなのテストに決まっているじゃん。

 自分の好きな人が元々勉強できないならともかく、自分と関わったせいで相手がどんどん学力が落ちていくとか、そんなのあんまりでしょ。


 私自身のテストが大事というよりも、相手のテストのことを考えると恋愛優先とは、とてもじゃないけど言えない。



 そんなこんなでようやく終わった期末試験。正直、物凄い生殺し感のある期間だったけれども、その甲斐はあって……まあ、そこまで悪くはない結果になったとは思う。ひなのさんみたいな成績優良者ポジションに捻じ込むのは不可能だろうが、最低限はこれまでの順位を維持、平均点の下がり幅によっては何なら順位向上が見込めるくらいの手応えはあったのだ。


「おおー、良いね明菜っ。今回大分難しくなっていたから、それで自己採の合計点が中間のときとほぼ一緒はすごいよっ!」


 今は私の部屋で。ひなのさんと一緒に問題用紙に書き写していた自分の答えとひなのさんの答えを見比べつつ、テストの感想会とともに大まかに自己採点をやっている最中である。


「ひなのさんはどうだった?」


「まー、合計点だと多分下がっている感はあったけども。多分順位は据え置きかなあ。

 あ、でも今回。ケアレスミスが凄く起きそうと思って、明菜のアロマの香りに似ている練り香水をテスト中も付けていたんだけど……これめっちゃ正解だったかも!」


「寝るとき用に紹介したアロマだけじゃなく、いつの間に練り香水も買い足してたの……」


「まーまー、これも『効果的』なテスト対策だし?」


 つまり試験中も、ひなのさんの周りではベリー系のフレーバーがほんのり漂っていたわけね。練り香水は香りが薄くて飛びやすいし、何よりクラスが別だから全然気づかなかったなあ。


「……ってか、明菜。そういや、自分の部屋の匂いを元に戻したんだね」


「……。交換するってやつ一応、テスト期間だけって話だったから……」


「明菜、結構朝起きた瞬間とかは残り香があったもんね。寝るときいつも焚いてたでしょ、お香」


 顔を見なくても声で分かる。完全にからかっているときのひなのさんの調子だ。多分、ニヤニヤしているんだろうな。

 ただ私にも弁明できることはある。


「あのねえ、ひなのさん! そもそもひなのさんが悪いんだからね。

 夜に板書用のノートを貸してくれたのは感謝するよ。あれ、本当に助かったから。……でもさ!

 なんでノートに、ペーパーインセンスを挟んでおくのかな!? うすーく香り付けされたノートだけ渡されるって、私だって寂しくなるんだからね!」


 ペーパーインセンス……紙タイプのお香は、何も燻さなくても香りを挟んだものに移すことができる。まあ、大分薄くはなるけれど。

 そのせいで、寮の消灯時刻後にちょっと勉強を続けようとノートを自室で開いたときに、ひなのさんの香りで条件付けされたものがページをめくったりするたびにちょっとだけ流れてくるというわけで。


 それでも勉強はしなきゃいけないから、と終わらせた後に残るのは今日のノルマを終えた達成感と、薄い香りによって生み出された寂しさ。

 これのせいで、ノートを借りた日は寝る前にお香を焚いて香りでいっぱいにしないと寝付けないようになってしまっていたのだ。高頻度でお香を焚くのって、部屋の空気的にあんまり良くないから、学校に行っている間は大体換気をする羽目になった。



「ふふっ……効いてたんだ」


「……直接的なアプローチは仕掛けてこないくせに、こういう搦め手ばっかり上手いんだから――」



 ……ひなのさんのそういうところ……良くない。




 *


「……で、さ。明菜。

 ちょっと真面目な話をしよっか」


「……はい」


 今日の様子からも薄々分かっていたが、ひなのさんは前回祇園へお買い物に行ったときから比べて、明らかに落ち着いていた。……というか、これ。多分、覚悟決めたのかも。


 今のひなのさんの優しくも芯のある口調は、いつにも増して迫力があって。

 そして。いつにも増して、いつまでも聴き続けたいと思うような声であった。


 おそるおそる、その意志の宿った炎のような瞳を見れば。

 ……やっぱり、私は彼女の視線にどうしようもなく囚われてしまう。


「前に1回言っていたけど……。明菜、24日の予定ってまだ空けてる?」


「ええ、まあ。

 ……『たった1つの用事』を除いては、その日に予定を入れる気は一切無いので」


「……そっか。

 じゃあ、遠慮なく。……その日の明菜の時間を、私が貰うね?」


「……はい、喜んで」



 クリスマス・イヴの予定は埋まった……が。

 しかしまだ、これは話の前座に過ぎない。



「えっと……でね? 明菜が良かったら、で良いんだけどさ……。

 その……24日のイヴはさ――友だちで居よう? 色々考えたんだけど……『友だちとしての明菜』のこともやっぱり私の中で大事だからさ。


 私たちの最初のクリスマスは。

 ――最後の『友だちとしてのクリスマス』にしようよ?」



 ……。

 本当に……この子は。ひなのさんはいつでも私の想定を大きく超えてくる。


 相手のことが好きなことはもうお互いに隠していない。だからひなのさんが私のことを好きなのは自明だったけどさ。

 まさか『友だちとしての私』のことまで考えてくれているとは、思いもしなかった。


 もうここまで来てしまえば、恋人になることは簡単と言ってしまってもいいだろう。それはひなのさんも良く分かっている。だから彼女が望むのならば、私たちはいつでも恋人になることができた……けれど。


 ひなのさんは今までの関係も、決して軽視すべきじゃないと……。



「――ずるいよ。ひなのさんは……」


 ……そんなことを言われたら。もっと気持ちが溢れてしまいそうで。

 友だちとしての私も、想い人としての私も。どちらも大事にしてくれるなんてさ。


 そして私の表情から、きっと。そういう想いは全部、バレちゃってて。

 こういうときは、からかいの表情を一切出さずに、本当に優しい表情で。笑いかけるようにゆっくりと話してくれる。


「それで、いーい? ……明菜」


「……イヤって言うわけないじゃん」



「――よっし! それじゃあ。

 友だち同士だから、あんまり大それたことをするつもりは無いけども、クリスマスに何をするのか決めよっか!」


「うん……うんっ!

 ひなのさんは混雑しているところが苦手だから、どこかに行くならちゃんと調べた方が――」


「それを言ったら、明菜は寮のクリパにも顔を出すんでしょ?

 そっちと内容が被らないようにもしないとね――」



 そして。

 私たちの。最初で、そして最後のクリスマスがやってくる。


 ――友だちとしての最後のクリスマスだ。




 *


 12月24日。クリスマス・イヴ。天気予報は晴れ。気温も昨日と同じくらい冷え込む予定。

 既に碧霞台女学園は数日前から冬休みに入っている。夏のときと比べれば、ささやかと言えるものの、それでもちょっと量のある宿題。昨日までスケジュール通り進めていたので、机の上にはスケジュール表が放置されている。


 部屋の暖房はタイマー設定で入るようにしていたので、起きたときには既に温かい。けれどもベッドから出るにあたって、1枚上着を羽織ることにした。



 ――現在の時刻は、午前4時45分。

 日の出もしておらずカーテンを開けても周囲には街灯以外の明かりはほぼ照らされていない。この辺りはイルミネーションも24時間付けっぱなしってわけじゃない。


 そんな数少ない光源の中の1つに――駐輪場があって。

 そこには既に自転車用ヘルメットを被ったひなのさんの姿があった。


 私は窓を開ける。すると結構距離はあったが、ひなのさんはずっと私の部屋を気にしていたようで、私の姿をすぐに見つけて、自転車のハンドルを右手に持ちながら左手を大きく振ってきた。

 まだ朝早い時間なので、お互いに声を出すことはなく。私はそんなひなのさんに軽く手を振り返すと、彼女はそれに応えるかのように親指を上に突き立てて、左手を伸ばす。


 そんな所作の後に、ひなのさんは自転車に乗って、そのまま寮の敷地から外に出て走り去っていく。



 ……と思いきや。

 ひなのさんの姿が見えなくなったとほぼ同時にスマートフォンでメッセージアプリの通知音が鳴った……ひなのさんからだ。


『やっぱり明菜は起きてくると思った!』


 そのメッセージと、ゆるーい感じの謎生物のスタンプが貼られていた。私もスタンプで返事をすると、すぐに既読が付いた後には、そこからメッセージが届くことはなかった。



 早起きは三文の徳、とは言うが、私はお金を払っても遅くまで寝ていたい派だ。でも今日という日はお金では買えない時間なので、二度寝をすることはなく。

 しかしさりとて、こんな早い時間では学園の食堂もまだ開いていないので、取り敢えず机の上の宿題の予定表を確認する。夏休みにも作っていたやつだ。


 そして私は今日にもちゃんと宿題の予定を入れていた。今日の予定は1コマ30分が3つの3コマ分。……ちょうど、今から初めて学食が開くまでくらいの時間だ。

 最初からこの時間に宿題をやる予定でスケジュールを組んでいた。


 そして1時間半しっかり勉強して、学食に行ける時間になったら、取り敢えず1人で朝食を食べに向かい、そして偶然早い時間に起きている寮の知り合いグループが固まっている場所で、流れで朝食を取った。



 ――そう。私とひなのさんは。

 今日という友だち最後の日を、日常の延長線上の1日にすることにしたのである。




 *


 ひなのさんが外出から帰宅したのは、私が朝食を終えてから15分くらいしてからだったようだ。曖昧なのは、ひなのさんは特に私にそれを連絡することなくそのまま朝食を食べに行っていたからであり。そして私はそんなひなのさんのことを彼女の部屋で待っていたため、あの銀髪少女が食べ終わるまでの時間も加算して正味30分くらいを彼女の部屋で待っていたからである。


 30分待つだけ、というのは言葉にすると苦痛に感じるかもしれないが、しかしそこが自身の好きな子の部屋なのだから、私にとってはとても充実した時間であった。

 部屋に入ったときに真っ先に気付いたのは座卓に何か置かれていること。それは近付けば1つはメモだとすぐに分かり、内容を確認したら――


『寒くてごめんね>< 窓、閉めておいてお願い!』


 と書かれていた。それと同時に気付いたのは微かな私の普段使いのアロマの香りの残滓。そしてひなのさんの枕元にはしっかりと蓋が閉められた精油の瓶とラップに包まれた状態で保管されているスティックの姿があった。

 ……多分、今日という日に緊張して、テスト以来保管していたアロマを取り出して寝たんだろうなあ、これ。ひなのさんにとって、私の部屋の香りがすっかりと安らぎを意味するものになっていたらしい。


 更に、メモの下にももう1つ座卓に置かれている布状のものがあった。それを広げてみると……ひざ掛け。きっと、換気中の部屋の寒さを気にして、私に暖房が効いてくるまではこれを使って、という気遣いのものだろう。


 そんな彼女の心遣いを受け入れて。ひなのさんの部屋の窓を閉め、暖房を付け、ひざ掛けにくるまって、最初の頃には無かった『2つ目の座布団』に座る。

 ひなのさんの部屋にはやっぱりプリント類が多くて。これから分かるのは、年末年始での採点のアルバイトはやっているという気真面目さ。

 しかし打って変わって、収納棚には見せる収納として、さり気なくではあるが黒い正方形型のケース――私が文化祭でつけたモノクルが保管されていて。それをこうして気付く場所に置いている程度には……あの銀髪少女はあざとくて。

 しかし結構この部屋に入り浸っていると自負しているが、未だにひなのさんが丸暗記しているという『楽譜』の存在を、一度も目にしたことがない――そういうところは計算高さが垣間見えた。


 この部屋にある『私』の要素を1つ見つける度に、心は高揚して。そして『思い出』を自覚するたびに、私は……東園ひなのという少女のことを好きになったことに誇りが持て――



「――ごめん、ごめーん! 明菜、遅かったよねっ?

 結構、待たせちゃった?」


「ううん、全然」


 ……ほら、30分なんてあっという間だ。




 *


「さーすがに、いくらイヴの清水寺と言っても、開店凸ならいつも通りだねえ」


「そうなんだ……って、でもそりゃそうか。

 逆に旅行で朝の6時前とか動きたくないよね。ホテルの朝ご飯ですらやってなさそう」


 なにかのイベントとかで早く行かなきゃいけない! みたいなのならまだしも、お寺の観光とかの理由で朝早いのは私、無理かも。三文払っても遅寝したい派閥だから。

 それと、ひなのさんはいつも通りに清水寺に行っていました。もちろん、『音羽の滝』の水を手に入れに。


 そしてその水筒に貯まった清水を、ヤカンに移して暖める。


「そう言えば。清水寺に行く時間が早すぎてお守り売ってるとことかが全然開いてないから知らなかったんだけどさー。

 この水、普通に清水寺内で売っているらしいね、瓶で」


 調べてみれば『音羽霊水』として売っていると書かれていた。普通に知らなかった。


「じゃあ、別にひなのさんみたいに朝に大変な思いをしなくても買えるってこと?」


「まー、そうみたい。

 でも早起きには慣れてるから私は今のままのが良いかも。でも明菜は早起きしたくない派だもんねー?」


「出来ないわけじゃないけどね。したくないだけでさ。

 というか今更だけど外、寒くなかった?」


 私の視線がちらっと手にいったことをひなのさんは見逃さない。


「寒いけど、別に耐えられないほどヤバい! って感じでもないし?

 ……手袋もしてたから。あと、寒かったとしても朝ご飯を食べて身体を暖めた後だからね。

 あ、紅茶で良いんだよね、明菜は」


「あ、茶葉取ろっか?」


「ううん、平気。それより、砂糖入れる? 入れるならそっちに持っていくけど」


「……今日は貰おうかな」


「なんか意味深だなあ……りょーかい」


 多分、きっとこれも私が来るようになってから購入したのであろう丸いお盆に、コーヒーカップとティーセット、そして自動のドリップメーカーと砂糖、ミニスプーンを乗せて、ひなのさんはキッチンから座卓までやってきた。


 そしてひなのさんはドリップにかかる時間、私は蒸らしの時間を待つ。その間に――


「やっぱり、今日は砂糖有りの日だねえ……」


「明菜ー、どうして?」


「ほら。ひなのさんはこの砂糖の瓶を見て。

 何も思い出しませんか?」


「あぁー、そういうこと! 砂糖本体に意識が向いていたから気が付かなかったよ。

 ……そうだね。この『ボトル』も私たちの友だちとしての思い出――」


 この砂糖入れとなっているインクボトル風の容器は元々は、ひなのさんと私が一緒に飲んだ抹茶ラテの容器。

 ひなのさんの部屋には、こんなにも私たちの思い出が詰まっている……。



 そして、紅茶とコーヒー。

 私たちは違う種類のカップと、飲み物を前にして。それを口にする前に、お互いが同時にこう言った。



「――メリークリスマス、明菜」

「メリークリスマス、ひなのさん」



 ……その日の紅茶も、やっぱり水の違いは分からなかった。

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