第27話 脈絡変換

「ひなのさん、寒くないの?」


 12月に入ったけれども、ひなのさんは11月のときにも着ていたモコモコのボアブルゾンを防寒着として使っている。私はダッフルコートに格上げした上、既にマフラーを巻いているという有様なのに、ひなのさんの服装にはアップデートが入っていなかった。運営に不具合報告してやろうか。


「えっ? あー、もっと寒さが本格化したらちゃんとした防寒着を出そうかなって思っていたから――」


 北国出身ということもあって、まだこの程度の寒さではコートを着るに値しないということか。というか青森だと11月時点で雪が降るらしいから、それを考えればまだまだ寒くないというのも決してやせ我慢とかそういうのではないっぽい。それに屋外に居る時間って別にそんなに多くなくて、今もすぐバスに乗り込んじゃっているから車内は普通にあったかいし。


 けれど、私は名古屋から京都だからなあ。多分気温的にはそんなに変わらないはずなのだけれども、妙に底冷えするというか体感はこっちのが寒い気がしている。


 でも。


「ひなのさん、あんまり無茶しないでね。だって夏には夏季セミナーで体調崩していたでしょ?」


 この銀髪少女は、基本的にはアクティブなんだけども、若干環境の変化に強くなさそうと感じる面も節々とあって、それはちょっと不安要素だ。


「あはは、そんなに心配しないでよー。

 明菜は私のお母さんかい!」


「まー、この時期の風邪はシャレにならないから気を付けなよ。

 期末試験も近いんだし、それが終わったらすぐ冬休みだからねえ」


「それは明菜もでしょ?」


「まあね。

 あ、そう言えば年末年始はひなのさんは帰省するの?」


「……っ! あ、う、うん。

 28日の飛行機をもう取ってるよ。こっちに戻ってくるのは年明けの4日とか5日かなあ」


 ……最近、ちょっとひなのさんがヘンなときがある。

 今も、ちょっとリアクションが妙だったというか……。


 とはいえ、原因が何かは理解している。



「……って、ことは。ひなのさんは『クリスマス』は京都で過ごすんだねえ」


「ま、まあね! 帰るにはまだ早いしっ!」


「……ひなのさん。流石に空回りしすぎ」


 スルーし続ける方が可哀想かなと思って、いっそのこと指摘することにした。

 ひなのさんはクリスマスに反応する……というか、まあ。私とクリスマス過ごしたいんでしょ、多分。


「いやいや、そんなことないけど! ……って、そりゃバレるよねこれ」


「……落ち着いた?」


「ううん、全然。心臓飛び出そう。

 でも、ちょっと落ち着いたかも。……ど、どうする?」



 流石にこれは駄目かもなあ。溜め息を吐いて、ひなのさんに向き直れば、彼女は目に見えてビクっとした。


「ひなのさん」


「は、ひゅあい……」


「先の予定が分かっているのと、分かっていないの。

 ……どっちの方が安心できる?」


「えっ? そりゃあ、分かっている方だけど……」


「じゃあ、もう言っておくけど。

 今日以外、テスト期間が終わるまでは、私から何もアクションは起こさないし。

 友達とのクリスマスパーティは26日に入れて、寮の25日夜のパーティには参加予定出したけど、24日は空けてある。

 で、最後に。ひなのさんがクリスマスまでに恋人が欲しいのなら直接言って」


「はぇっ!? わっ!? 嘘、それって――」


「……はぁ。別に、もうほとんど暗黙の了解みたいになっているのだから、言っちゃっても良いでしょ。

 というか、それよりも私のせいでひなのさんの成績が爆下がりでもしたら、私多分罪悪感で普通に寝込むと思うから覚悟しておいてね」


 暗に今のテンパり具合をずっと持ちこしてテストに影響するようなら、12月の予定寝込んで全部キャンセルするぞ、と脅してみる。


 これでひなのさんサイドから見ても、私が12月中に告白してくるのが確定情報となったのだが、別にそれは良いでしょ。何か察してた感じだったし。



 そして、私に言われた言葉は結構ショックだったようで、ひなのさんはずーんと落ち込んだ。


「『恋愛に現を抜かして勉学を疎かにするな』みたいなことを、まさかその相手の張本人から言われるとは思わなかった……」


「だって、ひなのさん。いくらなんでも浮足立ちすぎなんだもん」


「はーい……、反省します……」


「というか成績は私の方が悪いんだから、ひなのさんが崩れると私の成績も自動的に下がるから――」


「わー! わー! それは責任重大じゃん!」


 あっ、私自体を引き合いに出した説得文句の方が効くのね。……ちょっと嬉しい。


「あれっ? 明菜、もしかして喜んでる? ……あっ。

 私が明菜のためを思っているのが……ぐっときたんだー、ふふふ」


「……あのねえ、ひなのさん。

 別に、ひなのさん側からアクションを起こしても、私は全然構わないんだからね?」


「ちょ、ちょっと! ……ごめん、それ無理かも」


「……へたれ」


「何も言い返せないです、はい」


 推しの押しが弱すぎる。情緒小学生男子レベルか。



「じゃーあー。今日のところは、まだお友だちだから……ね、ひなのさん?」


「……! うんっ! まだ・・友だち!」



 実際、これでも告白を断られる可能性をまだ考えている私は狂気なのかもしれない。というか、私のことを大切に想い過ぎてNGパターンの危険性がむしろ増加したような……。

 とはいえ、それは今考えてもしょうがない。成功するにしろ失敗するにしろ、どっちにしたって、今まで通りの『友だち』で居られる時間はもう僅かしかないのは確かなのだから。


 友人としてのひなのさんに向き合える時間を大切にしよう。




 *


 さて。ひなのさんを引き連れやってきたのは祇園四条。

 2人では初めて来たエリアだが、今までに何度か行ったことのある四条河原から鴨川を挟んだ向かい側だ。

 ここから八坂神社までの参道は『祇園商店街』と呼ばれる歩道に屋根付きの商店街になっている。


「じゃ、ひなのさんついてきてください」


「いや、迷いないねっ!?」


 ひなのさんと来たことがないだけで、他の友達と来たことはあるので。迷う要素はそんなに無いので、ずんずんと進んでいく。

 それでも私の横を確保して一緒に歩みを進めてくれる辺りは優しさ……なのかなあ。


「あ、ここです」


「急っ!!」


 遠慮なくいった方が、ひなのさんのレスポンスのキレが良いので、ちょっと狙ってやっているのは内緒。

 入ったお店はコスメ系のアイテムや雑貨などが多く置いてあるところで、一角にエッセンシャルオイルの売り場もある。一直線にそこへと向かうと、いつも通りの品を手に取る。


「はい、これ」


「……明菜、その油がアロマに使うやつ?」


「そうだね。……私の部屋の香りとして使っているのがこれです。

 ひなのさんも同じ香りので良いですよね?」


「今日、誘ってくれたとき選んでくれるって言ってたけど、同じ香りのことだったの!?」


「ええ。

 だって、私の部屋の香りのアロマが欲しいんでしょう?」


「……まー、はい。

 ……そーだけどさ。そんな直接的に……」


 自分の分は詰め替え用のリフィルだけ手に取り、ひなのさんにはスティックもセットになっているリードディフューザーを持たせる。


「さっきまで、あれだけテンパって居たのですから、どうせ夜も寝不足気味でしょ?

 私の部屋の香りに近くすれば、夜も少しは眠りやすくなるんじゃない?」


「ぐぬぬ……なんか全部明菜の手玉に取られている気がする……。

 でも、実際マジで寝不足に効果ありそうだから何も言えない――」


「えと、ちゃんと寝てよ? 本当に」




 *


 取り敢えず目当ての買い物は終わったが、まだここに来て10分くらいしか経っていない。


「一応、私の目標はこれで終わりだけど、ひなのさんはどうする?」


「爆速だねー。うーん、と。

 それじゃあ、ここの商店街って八坂神社の参道なんでしょ? そのまま進んで神社まで行ってみる?」


「私は別に良いけども、だけど八坂神社のご利益の1つは『縁結び』だよ?」


「……」


「ちなみにハート型の絵馬とかもあるけど……」


「今の私には荷が重い!!

 ……喫茶店! 喫茶店にでも行こう!」


 正直、ひなのさんは八坂神社に行かないと思ってた。あと、まあ今日は土曜日に来ているから基本的に混んでいるしね、無理強いはしない方向で。


 そうしてひなのさんチョイスで選んだ喫茶店は、建物の2階部分にあるらしく、狭い階段を昇った先であった。急勾配の階段はどこかレトロ感を漂わせつつも、店内に入ってみると、そこは広々とした白を基調としたシックな空間が広がっていたのである。


「……ひなのさんって、お店選びのセンスは凄いよね」


「えへへ、まーかせて!」


 今だって、急に思いつきで選んだ風にしか見えなかったけども、たまたま偶然で良いお店を見つけた訳ではなさそうである。これが計算だったらちょっと畏怖が入るが、実際ひなのさんだと本当に計算ずくの可能性もあるんだよねえ。


 時間も時間だし、ランチも兼ねてしまおうと私がパスタメニューを頼めばひなのさんはチキンカレーを注文。そして、パフェは1つだけ。


「流石にガッツリ食べちゃうとパフェ丸々1個はキツいから、一緒に食べよーね、明菜!」


「……そうだね」


 注文をした後にも関わらず、メニュー表を持って頼まなかった料理を見続けているひなのさんの手をぼーっと見ながら私はそう答えた。



「そいえば、明菜?

 お店で流れてるこのBGMもクラシックなんだよね。何か聴いたことある気がする」


「『G線上のアリア』だね」


「これがそうだったんだ!! 曲名とフレーズが全然一致しないんだよなあ、クラシックって」


「まあ単純に、BGMで流れていても曲名が見えるケースの方が少ないからしょうがないとは思うけども」


 パフェを食べている頃に気付いた話を先にしてしまうが、このお店は妙に親切で、店内BGMで何が流れているかを音響機材が置いてある場所のモニターに表示しているという極めて珍しい形態をとっていた。が、普通はそう易々と表示していることはない。

 で、印象に残ったらもうそれは『バックグラウンド』の音楽ではなくなってしまうから、普通は頭に残りすらしないとも思う。


 ただ、名前と曲調が一致しなかったとしても流石に『G線上のアリア』の演奏や音源を人生で一度も聴いたことのない人間は恐らく皆無であろう。そして名前自体もどこかで見るものなんじゃないかなあ。


「この曲ってあれ? 入学式とか卒業式で入退場するときに流れているやつで良いんだっけ?」


「うん。そういう場面でも使われてる」


「……でも、変な話だよね。

 クラシックの曲なのに、音楽ホールで聞くような曲って認識ないもん。元々は多分そういう用途で作られた曲なんでしょ? なのに『入学式のアレ』みたいな感じで覚えているのって凄くヘンな話というか……」


 確かに『G線上のアリア』はバッハが、公演のために作曲したものだと今では言われている。昔はパトロンに向けて書いたものだとも言われてはいたらしいが。

 でも、それよりひなのさんの疑問点は無視してはいけないものだ。


「ひなのさん。

 それは音楽では『脈絡変換』と言ってね――」



 脈絡変換。

 曲というのは、基本的には需要があり作成されるものだ。

 教会のミサで厳かな曲が欲しい。君主を讃えるための荘厳な曲が欲しい。

 国家や民族を高揚させる曲が欲しい。ドラマやアニメの主題歌となる曲が欲しい。

 アニメキャラのキャラソンが欲しい。


 そんな需要があって、往々にして曲が作られるとしたとき。基本的にはその曲には、その曲が演奏されるに相応しいシチュエーションが存在する。

 ミサという『場』。宮廷という『場』。あるいはそれはアイドルや声優の『コンサート』かもしれない。


 しかし社会においては、そのように本来用意された場から逸脱して曲が使用されることがある。


 どこかで作られたクラシックの大作が、テレビ番組の調理シーンで使われたことから『料理の曲』と認識されたり。

 インターネット上で公開されているフリーBGMを聴いただけで、何故か特定の動画投稿者を連想したり。

 あるいはテンポ感の良いアニメソングのフレーズが、SNS上でダンス動画用のBGMとしてバズったら、それが『ダンスで流行ったやつ』となったり。


 そうやって本来その曲の基底にあったはずのシチュエーションから切り離されて、全く異なる場所でその曲が持つ『音』だけが切り離されて新しい意味や概念が付与される現象のことを脈絡変換と言う。


「『G線上のアリア』は脈絡変換の典型例とも言えるね。

 ある人が聞けばクラシック音楽。

 ある人が聞けば、映画の曲。あるいは、ドラマの曲。アニメの曲。

 はたまた、ひなのさんのように入学式や卒業式の曲。

 この喫茶店でよく聞く人ならカフェの曲って思うかもしれない。

 結婚式で使ったかと思えば、戦争映画や戦闘シーンで流れる曲という認識だってある。

 果てには、仏教であるはずのお葬式とか法事にだってこの曲は使われる。


 ――社会では『G線上のアリア』という曲にこれだけの『場』と『意味』を与えているんだ」


「はぁー……。それって凄いことだよね……。

 本来の意図からして絶対想定されていない場所で使われているのに、でも、私はそれに大きな疑問を抱かずに生活してきた」



 ……念のために言うならば。

 『脈絡変換』は、それらの『解釈』を否定するためのものではない。むしろその『曲の拡張性』に新たな言葉を定義付けただけに過ぎない。


 そして、この概念がクラシック音楽と結びつきやすいのは……単に。有名曲がことごとく著作権フリーとなっているから、というのも大きいだろう。



 話し込んでいる内に、いつの間にか届いていたパスタを食べている今。私の中ではもう『G線上のアリア』には『ひなのさんとの思い出』という新たな『脈絡変換』が行われ。


 ――そして。



「結構長く駄弁っていた気がするけど……。ひなのさんはこのあと行くところ思いついたりした?」


「もち! そう言えばこの辺りにお香の専門店がある、って聞いたことがあるから、ちょっと行ってみようよ!

 そしたら、私が部屋で使っている匂いに似ているお香をさ。明菜も部屋に置いたら良いよっ!」


「……良いですね、それ」


「でしょでしょ!?」


 結局、一番香りが近そうだったのはコーン型のものだったので、それをまとめて購入し。


 ――このお出かけが終わって。私たちが部屋に戻った時。

 私の部屋の香りとして定義付けされていた香りは、ひなのさんの部屋に新しく置かれたアロマの香りとなり。


 同時に、ひなのさんの部屋の香りとして定義付けされていたお香は、私の部屋のものへと――『脈絡変換』されたのであった。


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