第9話 夏の到来
七夕で私が浴衣を着ていたことも、ひなのさんと一緒だったことも、翌日に突っ込まれはしたものの、大きく深掘りされることはなかった。
一応極めつけの「浴衣をわざわざ着たのに1人だったら完全に事故じゃん」という私の発言がどうやらクリティカルだったようで、その結果私が浴衣を着たいという目的のための手段として寮で仲良くなったひなのさんを誘ったという感じに落ち着いたのである。
後は、単純にそろそろ1学期の期末試験が間近という目の前に迫った『大物』の存在によってかき消されたという面も大きかった。
碧霞台女学園はお嬢様学校であれど、学力面において著しく秀でた超進学校というわけではない。であるが全寮制という部分がテストに対しての意識をかなり緊迫したものに変質させている。
それは赤点を取った時の追試が楽に実施できる都合から、追々試、追々々試と夏休み期間中に時間が許す限り永遠に延長されかねない、という危機感だ。もっとも、それは進級不能という事態を発生させないための学校側の恩情だ。……が、それはそうとして夏休みが潰れるのは嫌なのは事実。
であれば、赤点を取らなければいいという根本的対策へと行きつく。勿論、この発想を全員が全員するわけでもないし、そもそも中間テストを鑑みるに勉強しても赤点を取ってしまう子が居るので、理想論でしかない。
しかし別に全員が猛勉強をしなくとも、風潮や空気というのは一部の人間の危機感によっても形成可能だ。だからこそ、七夕の一件の追及が途切れたのは、私の立ち振る舞いではなく。クラスの期末テストに焦っている一部の子の雰囲気に充てられたという面が強いのだ。
*
「――本当に英語が苦手だったんだね、ひなのさん」
「だーかーら、暗記は苦手って前に言ったじゃん!
他に手段が無いとかそういう『よっぽど』のことがない限りはやりたくないし、私は」
「楽譜はその『よっぽど』に入ったんだね……」
入学したての頃にちょっと探りを入れたことはあったが、ひなのさんの成績は上位層であり決して悪いものではない。ただ、中間テストの時もそうだったが学年で5本の指とかそういうクラスには及んでおらず、その理由の過半を占めるのが彼女の苦手科目である英語による失点である。唯一英語だけは平均点前後くらいの成績だ。
英語を除くと、特にこの銀髪少女が得意なのは数Aと国語表現……なんというか発想力とか表現力の方に適性がある感じだ。あと倫理も得意と言っていたが、多分これは趣味が実益を兼ねているパターンだろう。
逆に英語以外に不安要素を強いて挙げるならば化学基礎らしい。暗記のウェイトが大きいからだろうか。
「逆に明菜の成績って何か怖いよね。フルフラットというか得意不得意が無いってのは」
「中間テストでは音楽と美術は9割越えと満点だったけど?」
「……いや、確かに明菜っぽい2科目だけどさ。それ5教科の外じゃんね……」
教養と学力というのは必ずしも相関するわけではない、と嘆くべきか、あるいは偏差値フルフラットで平均やや上の成績を取っていることを喜ぶべきか、ちょっと悩む。
赤点ギリギリバトルを開催している生徒からすれば怒られるかもだが、しかし英語が足を引っ張っているひなのさんにも及ばず、こうして勉強会を開いても、基本的には私が教わる側になってしまうというのは難点だ。
30分くらい集中して勉強した後に一旦休憩に入る。お互い教え合いとかをしなくても2人で勉強をする意味はある。すぐ近くで真剣に勉強をしている人がいると、否応なしに自分も集中できる。お互いがある意味では監視役になって、それで相乗効果を生み出すのだ。
……ってか、七夕のときもちょっと思ったけどひなのさんって結構達筆で字が上手だから、そういう部分でも身が引き締まる。
ただ密度の濃い時間は、集中力が途切れた後はそれだけ反動で疲労感がくる。
「ふぃー……疲れたー明菜ー!
紅茶とコーヒーどっちが良い? あ、今日は清水寺のお水は無いけど」
今更だが、私たちが勉強していたのはひなのさんの寮の私室だ。……一応、自習用のスタディールームも寮内にあるんだけどね。そっちは飲食NGで図書室以上に私語厳禁だから、ちょっと堅苦しさはある。
どちらかと言えば受験生向け、と言えば分かりやすいかな?
後は……私もひなのさんも帰宅部だからね。まだ部活停止期間に入る前だから、多くの生徒は部活に行っているわけで、どっちかの教室でやるって感じにもならなかったし、私たち2人だけならということでひなのさんの部屋となった。
というか共通の友達は居ないしな、私たち。
「あ、紅茶で――って、ひなのさん私も手伝うよ」
「おっサンキュー明菜! じゃあさ、食器棚からコーヒーカップとティーカップを出してー」
「ほいほいー」
私は慣れた手つきで食器棚の左側の上から2番目のスペース――彼女がコップとかを置いている場所から、すぐ取り出せる位置にある2種類のカップを取り出した。
定期的に清水寺のお水のおすそ分けで貰うことも多くなったので、紅茶の茶葉は私が彼女にプレゼント……というか、自分で飲む用も兼ねてひなのさんの部屋に置いてもらっているものだ。
ちなみにひなのさんは相変わらずふらっと早朝に清水寺に行くけれども、そういう日は私は前日にメッセージアプリとか口頭で教えてもらい、一緒に朝の『お茶会』をしている。またその都合で彼女は清水寺に行くときには水筒を2つ持って行くようになった。
――閑話休題。
お湯――今日は普通の水道水だけど――が沸くまでの間、ちょっと手持ち無沙汰になったので、ふと気になっていたことを聞く。
「……そういえば。以前、実家に電子キーボードがあるって話だったけど、どうして持ってこなかったの?」
「あーそのこと? 単純に荷物になるし引っ越しのときに邪魔になるかなーって思ったからね。あと、その頃は寮のサイズ感もいまいち分かっていなかったしねえ。
……というか、ふうん。明菜、もしかして私に興味出てきた?」
私の質問に対しての回答をしたのちに、嬉しそうににやにやしながら言ってくる。それにジト目だけ返して、言葉の上では無反応を貫けば――『ちょっとちょっとかるい冗談じゃん』って感じで、ちょっと焦った感じでひなのさんが言ってきたので、それを受けて初めて私は笑う。
するとからかおうとして、逆に自分がからかわれたことに気付いたひなのさんは、
「もー!」
と、こちらに対してぷんすか怒っていることを露わにしてきた。
そうこうしていると、お湯も沸いたため、『自動ドリップメーカー』を使って2分間待っているひなのさんを尻目に私も自分の分の紅茶を作っておく。
「――あ、そうそう。明菜は?」
「……? ひなのさん、質問の脈絡が――」
「ほら! 私はキーボード持ってきてないけど、明菜もピアノ持ってきていないんでしょ! ……なんで?」
ああ、そういうことか、と私は納得し、紅茶を冷ましつつ答える。
「我が家にあるのはアップライトピアノだからねえ。しかも消音ユニットとかついていないから防音の問題もあったし、そうでなくとも易々と動かしたくないもの」
「アップライトピアノ? って言うと……あれだよね。前に私が外で弾いたやつみたいなの?」
「まあ、うん。そうだけど、ただヤマハ製で私が小さい頃に買ってもらったものだから、あんなにアンティークな感じじゃないけどねー。
って、そろそろひなのさんのコーヒーも良いんじゃない?」
「おっと、いつの間にかドリップ終わってた。危ない危ない……」
紅茶とコーヒーの香りが交錯する放課後の昼下がり。
それは、テスト勉強の合間という休憩時間だったけれど、その時間はどこまでも穏やかに、そして緩やかに続いていた。
*
期末テストの答案が採点されて全部返ってきた。
赤点は無し。良くも悪くも中間テストのときと似たような順位だった。ただ全体的にどの教科も平均点が若干下がっていて、私も合計点数では中間時を下回っているが、とはいえ全体から見た順位では変動なし、と言っていいだろう。
「明菜さんはどうだったー?」
「まー、可もなく不可もなく……って感じだねえこれ」
「それならまだマシじゃん、私なんて――」
2組のクラスメイトのグループの友達と返ってきたテストの結果で、一喜一憂をする。
全部のテストの返却が終わった日のホームルームにて個票……個人成績票も配られた。碧霞台女学園では、成績優良者の発表は行われず、この個票でしか自分の順位は分からない。平均点くらいなら教科ごとの先生が教えてくれたりするんだけどね。
私の順位は43位。今年の1年生の合計が4クラスの112人だから、案の定の平均ちょっと上である。平均順位の算出には入試で使う5教科の科目しか考慮していないため、ともに9割オーバーだった音楽と美術をもし入れることができれば私の順位は大きく上がるだろうが、とはいえそれを言ってもどうにもならない話である。
あ、ちなみにこの2教科についてはどっちも私が学年最高点らしいです、はい。
高校に入っての初めての期末テスト。とはいえ入学して1週間くらいで行われた新入生テストと中間テストの2回のテストもあったので、これが初、というわけではないけれど、何というか最初の山を乗り越えたような達成感がある。
先生は、大学進学のことや就職のこととかを話していて、2年生に上がる前にアンケートを取るから準備するように言っていたけれども、正直な感想で言えば私にとってそれはまだまだ先の話って印象だ。まだ入学したばかり、というか高校生活もスタートしたてなのだから、大事な話ってことは分かるけれども全然実感が湧かないって感じ。高校入学してやっと一息つけるか、ってところで大学やら仕事の話をされても困る。
そして放課後。第3音楽室でひなのさんと落ち合った際に、彼女からテストの話を切り出される。どうやら1組でも個票が渡されていたようだ。
成績について隠すことでもないか、ということで銀髪の彼女とあっさり交換する……まあ、多分彼女の方が成績は良いと思っているが。
「……ふむふむ、明菜の成績は、っと。
やったー! 私の勝ちー!」
「いや、お互い中間のときとあんまり順位変わっていないんだから、そりゃそうでしょ」
そんなひなのさんの成績は22位。英語が平均点を下回っているので完全に足を引っ張っているが、それ以外の4科目については私の成績を優に上回る。
「でも、明菜って突如覚醒しそうなイメージあるし……。というか、あんまり私の方が頭いいって実感ないんだよね……教養の差?」
「覚醒って……。というか、勉強に関係無いものの知識ならひなのさんだって十二分に備えていると思うけど」
「私って完全に趣味・興味で調べたりしているだけだから、知っていてもその範囲が狭いんだよねえ。ほら、ドイツ紋章学なんてその最たる例でしょ?」
どうせなので、彼女の個票だけではなくテストの答案用紙も見せてもらいながら彼女の話を聞く。まあ確かに、ひなのさんの知識には偏りがあるのは事実だろう。広く浅く……ではなく狭く深い穴をいくつも掘っている感じだ。
その分野にぴったりハマれば強いが、少しでも外れれば彼女は全くの素人。
「でも、それで勉強は私よりも出来ているじゃん、ひなのさんは――」
「あー……うん。
あのね、明菜。私にとって勉強はどっちかと言えば『作業』……なんだよ。だから、出来てもあんまり好きじゃないって言うか……」
「……『作業』、ねえ」
久しぶりにそのフレーズをひなのさんの口から聞いた。
思えば、私が初めてこの銀髪少女に出会ったとき、演奏に口を出そうとして止められた際に言われた言葉も同じものであった。
趣味を『作業』にしたくない。
彼女はそれを強く恐れている。
しかし、ひなのさんの中で既に勉強は『作業』なのだ。これで1つ新しく分かった彼女のことは、別に『作業』であったとしても、その才覚を発揮できないわけじゃないということ。
だから、きっとピアノの演奏についても――それを彼女の言う『作業』に貶めたところで彼女の持つ潜在的な才能が損なわれることには多分ならないんじゃ、という推測が私の中で生じた。
「ひなのさんは……『作業』は嫌い?」
私は迷いながら少しだけ踏み込むを選択する。すると彼女はそれに即答した。
「――好きでも嫌いでもないけど、増やしたくない。
『作業』の領域が広がって、『好き』の領域が狭まるのは嫌」
「……やっぱり色んな意味で、大分癖が強いよね。ひなのさんって」
そう言うと彼女は銀に包まれた前下がりショートボブを横に揺らし、そのワインレッドの瞳をぱちくりとさせる。
そんな彼女の様子を見届けた後に、私は改めて彼女の答案用紙に目を落とす。それは数Aのテストのもので、私よりも良い成績を修めているものであったが、しかし特に確率の問題で何でもかんでも樹形図による総当たりで解決しようとするパワープレイが目立っていた。
勉強の手法すら癖が強いのだ、この子は。でも楽譜の暗譜も丸暗記でやっているからパワープレイを好むというのは正直納得感しかないけども。
ひなのさんにそのことを指摘すれば彼女は苦笑いをしながら私にこう告げる。
「あはは……、でも数百通りくらいならさ。全部数えちゃった方が早くない?
複雑な応用問題とかをいちいち数式で場合分けして解く方が私にとっては面倒くさいけどなー」
「そういうところが変わり者なんだよね……。
でも、それで成績自体はちゃんとしているから、間違ってはいないのでしょうけど」
「……明菜も明菜で、相当変人だと思うのに私だけそう言われるのはなんか納得いかない」
……自分で言うのもアレだが、学業成績だけでは計り知れない部分があるという点では、私とひなのさんは似通っているのかもしれない。
しかし、それはともかくとして期末テストは終わり、1学期はまもなく修了する。
それは即ち。
――夏休みの到来を意味していた。
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