第4話 京都市学校歴史博物館

 5月。


 ゴールデンウイークという長い休みは好きだけど。新学期かつ新しい生活にようやく慣れるかどうか、というタイミングでの連休は、それまでの順応をリセットするかのようで。

 でもそれをイヤと言って、休みを無くされてしまってはたまったものではないから、そうした内心を吐露することなんてできないのはちょっぴり不満な月初め。


 そんなゴールデンウイークの過ごし方は、一旦実家に帰る人もそれなりに居たけれど、私からすればまだ京都に上京・・してきてから1ヶ月かそこらしか経っていないから、別に無理して帰ることもないかな、って思って結局帰らなかった。それをお父さんに話したときは心底残念そうだったけれども、お母さんは「それはそう」的なリアクションだったので、お父さんは多数決という暴力に敗北したのであった。


 実際、帰るにしても名古屋だからそこまで時間がかかる訳でも無いしねえ。普通の休みのタイミングで帰っても良いわけだし。


 ということで、われらが碧霞台女学園は京都の高校なのに、意外と地元出身者の少ない全寮制なのだけれども、そんな数少ない京都出身者の友達を捕まえてグループで京都観光に何日か行ったりはした。

 ……まあ、その子が『ゴールデンウイーク中の京都市内観光なんて狂気の沙汰』って言い出して、結局行ったのは大阪との府境の大山崎にある『聴竹居ちょうちくきょ』と呼ばれる昭和期の著名な建築家の邸宅の見学などをした。彼女はこの場所がマイナーだからというよりも、予約必須で定員がガチガチに定められているために混雑しようがないという理由からの選定だったが、他の子はともかく私にとっては、かなり楽しめる内容であって結構感謝している。

 100年近くも昔の家だからこそ……な、着物で座ることを考慮したダイニングチェアから、徹底した暑さと湿気対策といった現代でも充分に通用する要素……うん、ちょっと玄人好み感のある観光地だけれども、私は気に入った。


 その他にも『ローズマリー』寮としての新入生歓迎会も兼ねたバーベキューパーティーも開かれて、任意参加ではあったけれども、実家に帰っていない子は体感7割くらい参加していたと思う。校庭で開催、先生も自分の家族を連れて参加していた辺り、どちらかと言えば学校行事という趣きが強いイベントだった。あんまり話したことのない別のクラスや上級生の同寮の子と会話することができた辺りも、いかにも学校主催って感じだった。


 なお、ちょっとだけ気がかりだったのが、その京都観光とバーベキューのどちらにもあの銀髪少女――東園ひなのさんの姿は無かった、ということ。ただし、実家に帰っていないことは、彼女宛ての大量の郵便物――恐らく在宅バイトの答案採点だろう――が届いていた事実からも裏付けされる。


 ……別のクラスだしね、私たち。彼女とあんまり接点が無いから、そもそものエンカウント率が低い。


 ひなのさんと初めて出会った旧校舎の第三音楽室。それにしたって、彼女は毎日ピアノを弾きに行っている訳じゃないし、早朝の清水寺詣で・・・・・も不定期。どちらも毎日継続してまで彼女を待ち伏せしようと思うほどじゃなかったし、別のクラスの彼女に急に話しかけるにも、彼女が私に見せた態度や行動は基本同じクラスメイトには明かしていないものばかりなようで、変に関わることで彼女の地雷を踏みかねないリスクがあった。


 だからこそゴールデンウイークが開けて。再び彼女に会うまでには少々、時間を要することとなる。




 *


「――そう言えば。結局、明菜さんって部活、どこにも入らなかったよね?」


 席替えをして斜め左前の席になった腕時計がトレードマークの子は、思い出したかのように昼放課中に私に話しかけてきた。この子は既に器械体操部に所属しているんだっけ。


「ちょっと……ね。レベルに付いていけなさそうなところばっかだったと言うか……」


「えー、でも指揮者出来て、他の楽器も一通り触れたことあるんでしょ? もったいなくない?

 ――あっ! 同好会とかもあったよね、そっちは緩いんじゃない?」



 私はその助言に対しては曖昧な笑みで応対する。演奏の実力に自信が無いことは即ち、緩い環境を求めていることではない……というのを言葉で言っても、果たしてどれだけ伝わるのだろうか。

 ましてや部活でも同好会ですらない完全な趣味で弾いていたひなのさんの演奏にすら私は口を出そうとするくらいだ。曲がりなりにも同好会という形で『ひなのさん』よりも楽器に真摯に向き合っている人を目の前にして実際に私はどれだけの『助言』を我慢することができるだろうか。……きっと、私が『助言』と考えていることは、万人が単なる好意のアドバイスだと受け取りはしない……それを私はひなのさんの一件で思い知らされている。


 ……まあ、そうはいっても。ひなのさん自身の考えは大分異質寄りだとは思うけどね。



 そういうことを考えていたら私は結局ゴールデンウイークが終わっても部活動に入ることはなく、その機を完全に逸していた。


 というわけで、私は晴れて『帰宅部』ということになったわけだけれども、全寮制でもあることから碧霞台女学園の生徒の概ね8割くらいは部活動に所属していることを鑑みれば、少数派であることには違いないだろう。けれども、逆に言えば2割程度は部活に入らない子も居るのでマイノリティではあれど、異質に見られることはあまりない……こういうところは素直に『進んでいる』と思う。

 勉強的な意味ではなく文化レベルとしての進学校・・・というわけだ。


 あと、加えて言えば、実のところ寮が主体となるイベントは先のゴールデンウイークのバーベキューパーティだけではなく、他にも色々開催されているようで、そちらの実行委員に注力する人とかの理由で、部活に入らない先輩もちょくちょくいるみたい。

 だからこそ、部活という形ではなくとも、放課後のアクティビティ自体は学校で用意もしてくれているし、あるいはそれに囚われなくても良い。





 *


 ――ということで。

 帰宅部になった私が、放課後どんなことをしているのかと言えば……。


 京都市内のバスを利用してやってきました四条河原。大きな百貨店やショッピングモールが何軒も立ち並ぶエリアで大都市である京都の中でも特に中心的な繁華街である。

 大都市なのにも関わらず1車線の道路である反面、広々とした歩道には屋根が付いていて、晴れ渡っている今日は丁度良い日陰を形成している。


 とはいえ。今日はそうしたお買い物に来たわけではなく。ドラッグストアの隣にある細い路地に入っていく。そう言えば、京都はこういう路地1つ1つにもちゃんと名前が付いているんだよね、と詮無き事を考えながら時折立ち止まってスマートフォンの地図アプリで現在地を確認しながら進んでいく。



 ……すると、交差点で左から私と同じ制服を着た子が歩いてきた。向こうもほぼ同じタイミングで気付いたようで、相手の方が先に声を挙げる。


「――って、明菜じゃん!! こんな場所で会うなんて凄いねっ!」


 その元気な声と特徴的な銀色の髪をした少女は、ひなのさんであった。


「確かに、結構学校から離れた場所で偶然だけども……ひなのさんは何をしていたんです?」


 学校からバスで4,50分はかかる場所だ。いくら四条エリアが有名とは言っても正直奇跡的な遭遇率だと思う。だからこそひなのさんが何のためにここに来たのかは気になった。


 とはいえ、彼女の目的は出てきたセリフとともに掲げられた右手ですぐに分かった。


「わたあめ! 食べに来た!」


 彼女の手には彼女の髪と同じような色合いでかつふわふわそうな棒つきの綿菓子があった。既に食べている形跡があることも踏まえれば、元々のサイズはかなり大きかったと言えよう。小顔なひなのさんの顔よりも大きな綿菓子だったのだろうと思う。


「……随分と大きな綿菓子なんだね」


「でしょ? 面白そう! って思ったから――」


 聞けばそのお店は、今居る場所から徒歩数分くらいの場所にあるらしい。イートインスペースもあったようだが、ひなのさんは食べ歩きしたい気分になったそうで、適当に裏路地をぷらぷら歩いていたようだ。ちなみにお店の近くに自転車も置きっぱなしで、綿菓子の棒をお店に返却するついでに自転車も取りに戻るつもりだったとのこと。


 というか、この辺も彼女にとっては自転車の行動圏内なのかな……って、そりゃ早朝から清水寺に行くくらいだし当然か。


「清水寺のお水を使ったコーヒーしかり、今日の綿菓子しかり、ひなのさんって結構謎の目的で遠出するよね」


「おっ、明菜言ったなー? ――ってか、そういう明菜は何してんの?」



 そう、ひなのさんが聞いてきたので、私は別に隠すことでも無いかと思い、あっさりと今日の目的を口にする。


「ちょっと行きたい博物館があって……これから、行くとこ」


「マジ? ちょっと、私も一緒について行っていい?」


「――えっ? ……別に、良いけど……なんでさ」


「そりゃあね。明菜、おもしろそーだし!」


 『博物館』が面白そうではなく、私が面白そうと来たか。やっぱり、この子の考えていることは中々読み取りにくい。まあ、それだけで断るほどではないけどさ。

 でも、気になったことが1つあったので指摘する。


「自転車、どうするの?」


「……あっ!! 一旦、戻らなきゃじゃん! 明菜、明菜。場所だけ教えて! ダッシュでわたあめ屋さんに戻って自転車飛ばして追い付くから!!」


「まあ、良いですけど……」


 メッセージアプリで連絡先を交換して、行き先のURLを添付してメッセージで送る。そしたら、綿菓子をほおばりながらダッシュでひなのさんは来た道を引き返していった。


「……そこまで急ぐことなんだろうか……。やっぱり謎だあの子……」


 そして綿菓子を食べながら走り去っている姿に、ブレが無く体幹がしっかりとしていたことから、インドア派の楽器奏者などにたまにありがちな上半身の筋肉ばかり使い続けるバランスの悪さが全く見られないことからも、やっぱり彼女がピアノを専門でずっとやってきた訳ではないのだろう、と私は何となく思ったのである。




 *


「……ねえ、明菜。一言だけ言って良い?」


「なに?」


「さっき、私のわたあめのことを『謎の目的』って言ったけど。明菜も人のこと言えないってこれ」


 私が先に目的地に到着したけれども、それほど待たずしてひなのさんは自転車を飛ばしてやってきた。そして開口一番に放ってきた言葉がこれだ。


「……つまり?」


「明菜、博物館に行くって言ってたじゃん。なのに、これ……どう見ても『学校』なんだけど!」


「そりゃそうだけど。だって、ここ――『京都市学校歴史博物館』ですし」



 ――京都市学校歴史博物館。

 それは日本で唯一の『学校』を専門とした歴史博物館と言われている。元々小学校であった建物を改装して作られたもので、正門は100年以上の歴史があり、この入口からして既に文化財の宝庫となっている。


 京都の町では、江戸時代が終わるや否や、すぐに町衆の間で小学校を作る運動が起きて、全国的な教育制度の確立以前に学区制の学校を全国あらゆる地域に先んじて作っていた。小学校1つ取っても京都という場所は、日本国内で異彩を放っている。


 そんなことを軽く説明しながら、受付で入館料をひなのさんと一緒に払っていると、彼女は呆れたように呟いた。


「……何というか、明菜ってさ。かなり変わってる・・・・・よね?」


「……それ、ひなのさんが言う?」


 ここには明治時代から現代に通じる様々な小学校の資料が置かれていて、その数は1万を超えるくらいと調べたときには書いてあった。しかも校舎の半分くらいが展示スペースとして開放されているので、見ようと思えば結構時間をかけて見ることも出来るだろう。もっとも、私はちょっとした地元の資料館でも一生時間を潰せる気しかしないので、あまり参考にならないと思う。


 ただし、ここで問題となるのがこの京都市学校歴史博物館の閉館時間は午後5時と少々早めなことである。放課後にふらっと訪れてじっくり鑑賞することは難しいかもしれない。まあ入館料150円だから、何度か来れば良いと割り切っているけどね。



「……でも。今更なんだけど、今日私が見に来たものを考えるとひなのさんが付いてきて良かったのかな、ってちょっと思っているんだけど」


「ああ、良いよ。気にしないで。私が付いてきたいって言ったんだから、明菜が見たいものを見なよ?」


 そう言われた以上は変に意識するのもあれか。そう思い早速お目当てのものを見に行く。



「……やっぱり、ピアノか」


「スタインウェイのグランドピアノ。多分、ニューヨークの方だねこれ。

 明治の初期には京都にあったって言うんだから、まあ100年は下らない年代物でしょ」


 スタインウェイはピアノを作っているメーカーのことで、原材料となる木材から凄くこだわっている。世界のピアノメーカーの3本の指に入ると言われたりもするね。


「それって、凄いの?」


「うーん……。なんて伝えれば分かるだろう。

 ニューヨーク・スタインウェイで、一番価値のあるのが1920年代のものなんだけど、それよりも古いってことだから……」


 実際、展示の説明を見ても、このグランドピアノの値段は京都に10軒くらいは物件を建てられるくらいだったらしい。当時の小学校の先生が感動しすぎて、グランドピアノの下で寝泊まりしたとかいう逸話付きである。


「ひゃー……」


「ま、音楽ホールとか音大とかなら、それなりに価値あるスタインウェイのピアノは置いてあると思うよ。やっぱり音が通るから、広い場所向きなピアノだしね。

 ……あ、そうそう。たしかウチらの学園でも講堂のピアノは確かスタインウェイだったよ」


 確か、新品だと型番にもよるけど、1000万円から2000万円くらいだったっけ。お父さんの時代から見れば値上がりはしているみたいだけども、でも楽器でこのくらい・・・・・の値段なら、自分の家に置こうとする人も居る。

 実際、同じスタインウェイのピアノで、喩えモデルが一緒でも結構弾き心地は違うから専門店や代理店とかで気に入ったピアノを見つけてしまえば、買う人も居るだろう。ピアノ奏者界隈ではメジャーなので、思いがけない場所にも案外普通に置いてあったりする、カフェとかね。


「はへー、第三音楽室のとは違うんだ」


「あそこのは、普通にヤマハ製だった……というか、型番はともかくとしてもメーカー名は大体鍵盤蓋にあるんだから分かるでしょ」


「あはは、いやー……気にしたこと無かったから……」



 なんというか。ホントにこの子、ピアノに興味があまり無いんだなあ……ってのが改めて分かった。


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