第3話 不思議少女と特別なコーヒー

 こんな早い時間帯からどこに行くのだろうと気にはなったものの、今から準備をしたところで東園ひなのさんに追いつけるはずもない。

 第一、自転車は家から持ってこなかったし。私物の自転車じゃなくても申請すれば借りることは簡単だが、流石にこの時間からその貸出はやっていないのでそれも使えない。


 でも、どこへ行ったのかは個人的に気になった。だからこそ、寮の談話室で帰りを待つことにした。


 勿論、こんな日の出前の時間から談話室に居る人なんかいないので、まず部屋に入ったら電気を付ける。そしてテレビの電源を入れて、ふかふかのソファーに膝を抱えて座る。


 今更だけど、私たちの学園――碧霞台女学園は、京都にある全寮制の女子高であることは周知の通りだが、寮と一口に言っても、1つの棟に全校生徒をぶち込んでいるわけではない。

 建物ごとに4つの寮に別れていて、識別のためにあくまで通称として、それぞれハーブの名前が付けられている。私たちの寮は『ローズマリー』寮といった感じ。まさか、ひなのさんも同じローズマリー寮だとは思わなかった。


 で、寮の区分はイベントごとで色々班分けなどに使われたりするらしい。しかし4つの寮に別れていて談話室があるとなると、どっかの魔法学校を思い浮かべてしまう。でも、変な帽子で寮を決めるわけではないし、談話室だって普通にラウンジとかプレイルーム的な感じで、テレビがあってちょっと駄弁れる場所ってだけだ。魔法学校みたいな歴史的建造物感はゼロ。

 それに寮同士で対立していたり時間割が違ったりすることも無いし、別の寮の生徒が他の寮に入っても全然問題ない。というか、寮の出自でその後の人生すらも左右しかねない魔法界が異常なのよ。普通の寮は、そんなに大した区分けでもない。



 テレビもこんな朝早くだとニュース番組くらいしかやっていない。飽きてきたので、それらはBGMとしながら談話室の本棚から適当な本を見繕って、そっちで時間潰しをすることにした。


 朝のホームルームの時間までは、この学園は自主学習時間という名の自由時間になっている。起床時刻の6時半まで食堂は開いていないので、本当にやることが無いのだ。部活の朝練とかも朝食後集合だと聞いている。

 その部活もそろそろ決めないとなあ、と思いを馳せている頃、にわかに寮内が人の気配で動き出す。


 時計を見れば間もなく6時半……つまり、碧霞台女学園が動き出す起床時刻だ。この静から動へと切り替わる瞬間を目の当たりにしたのは初めての経験だったけれども、何というかその雰囲気というか空気感を知れたのはちょっと得をした気分になる……これも、早起きは三文の徳のうちなのかもね。


 そうこうしていると、先輩方や同級生らも明かりのついている談話室にやってきて『あ、澄浦さん今朝は随分と早いのねえ』と言われたりする。しかし一向にひなのさんが帰ってくる気配が無かったので、先に朝食は済ませた方が良いかな、と彼女らと一緒に食堂へ朝食を食べに行くことにした。




 *


 朝食を食べて寮に戻ってきたのが大体6時50分くらい。未だに駐輪場を見る限りひなのさんの自転車が戻ってきた形跡は無かったので、流石にちょっと心配になってきた。殆ど2時間くらい外出している計算になるわけで。

 朝のホームルームまではまだまだ時間があるけれども……と思っていたら、ようやく一台の自転車が戻ってきた。ひなのさんであった。


「……朝から随分と遠出をしていたんだね」


「えっと――あ! 明菜だね、おはよー。もしかして出ていくとこ見てたり?

 ……ちょっと先、朝ご飯だけパパっと食べてきて良いかな? その後、どこ行っていたか教えるから、さ?」


 ひなのさんは銀髪を揺らしてヘルメットの下でぺしゃっとしていた髪をほぐしながら私にそう言う。確かに、彼女の朝ご飯を剥奪する権利は私にはない。談話室で待っていることを告げると、彼女は食堂へ真っ先に向かっていった。



 それから15分くらい更に待つことになるけれども私の中で支配的な考えは。ひなのさん……彼女視点で見れば、地雷をいきなり踏んだ相手が私になるのであんまりよくなかったであろう第一印象にも関わらず、全くそれを引きずらないで好意的に接してくれていたことと。もう1つ。



 ……私の名前。

 ちゃんと覚えていてくれたんだ、って。




 *


「……おまたせー明菜ー。じゃ、行きましょー」


 私の姿を視認するや否や、走ってやってきた銀髪少女はまだ朝早いのに笑顔で私に対面してどこかへ行こうとしている。

 行き先を聞けば。


「――あっ! そっかそっか、私が出て行ったところしか見ていなかったんだっけ。今日のヒミツを、明菜に教えるために……私の部屋にご招待!」


「ひなのさんの……自室?」


「まあまあ、着いてきて。悪いようにはしないから!」


 私の制服の袖を引っ張る彼女に半ば連れ去られる形で、私よりも1フロア上に案内される。そして廊下の突き当たりまで彼女はずいずいと進んでいく。


「……角部屋なんだ」


「えへへ、ラッキーってやつ? ま、入ってよ」


 そうして開け放たれた扉の向こうには、ほとんど私と同じ――だけど角部屋なので、窓が一方角分だけ多い――部屋が広がっていた。……よくよく考えてみれば、まだ1ヶ月程度で最低限の家具は備え付けだから、あんまりレイアウト的な差異は出にくいのである。色味の違いは、彼女の私物の桜色のカーペットくらいだろうか。


 しかし、大きな家具はそうだが、しかし細かいインテリアなどが彼女の部屋には私よりも多く、そして乱雑であった。そして特に不思議なのは隅に置かれたローテーブルの上には沢山の紙の束。100枚は優にあるだろうそのプリント群。


 ただそれを聞くよりも先に、ひなのさんは口を開いた。


「取り敢えずそんな扉の前で突っ立ってないで、入って、ね?

 ……あちゃー、友達入れるとかあんまり考えていなかったから、座布団1個しかないや。後で買わなきゃだね。まあ、座って座って――」


 彼女のテンションに私はそのまま流されるように、ローテーブルとは別の桜色のカーペットの中央にちょこんと鎮座する座卓……の横に1個だけ置いてあった座布団に座らせられる。そこまで来て、ようやく私が口を開くいとまを彼女は作った。


「……この紙束は?」


「あぁー……、これ?

 バイトっ!!」


「……うちの学園、アルバイトは禁止のはずでは?」


 そう言いながら上に置かれた1枚のプリントをぺらっと取ってみると、それは回答用紙のようであった。科目は多分、中学の数学かな。

 何やらキッチンの方で作業をしているひなのさんは、私の声自体は聴こえているようで、しかし作業は中断せずに声だけ返す。


「あれね。入試の面接のときに予め聞いておいたんだけど……。なんでも『外に』バイトしに行くのは駄目だけど、寮で在室で出来るバイトなら大丈夫なんだって!」


 更にひなのさんが続けて言うには、元々中学時代から通信講座の答案採点のバイトを趣味というか興味本位でしていたらしく、しかも教え子からは好評で、高校に上がっても惰性で続けることにしたとのこと。教え子は2、3学年ほど年下のようで、始めた頃は小学生相手のバイトだったみたい。


「え、もしかして。じゃあ今日朝早くから外に行っていたのも……?」


 となると、今朝の行動とそのアルバイトとを結び付ける私の考えは、そこまで突飛なものではないと思いたい……が。


 するとキッチンの方から顔をひょこっと出したひなのさんは、短い銀髪を揺らしてこう答える。


「うーん、残念! 今日のは完全に私の趣味!

 ……もうそろそろ種明かし、なんだけど……じゃあ、ヒントを出しちゃおう!」


 そう言って彼女はそのままの姿勢で、更に左手を見せる。そこには筒状のものが握られていた。


「……水筒?」


「明菜、せいかーい! じゃあ、水筒ってヒントで何か分かるかなー?」


 そう言われて考える。しかし、朝早く起きてどこかに自転車で行った意味が水筒……? 何か、結びつくような結びつかないような……。


「……ひなのさん。中身は何が入っているの?」


「えっとねー、今は空っぽだよ!」



 えぇ……。余計に分からなくなった。水筒がヒントだが中身は空。ってことは水筒本体ってこと……いや。もう中身は既にどこかで使ったのかもしれない。


 そんな私の回答のタイムアップを知らせるように『ぴー』とヤカンの沸騰音が部屋に響く。


「じゃあ、正解発表かなー」


 ニコニコしたひなのさんは、恐らくキッチンで準備していたであろうコーヒーカップの上に不思議な機械が乗せられた装置みたいなものを座卓へ持ってきた。それを私の目の前に置くと、今度はヤカンからお湯をその機械の上にある注ぎ口に投入していく。


「えっと……随分変わったコーヒーメーカーですね……」


「カップの上にちょこんと乗ってるけど、これね、自動でドリップもしてくれるコーヒーメーカーなんだよっ! じゃあ、早速蓋をして……スイッチを――」


 ひなのさんがスイッチを押すとお湯が溜まっていた場所がぐるぐると回って少しずつ下に落ちているようだ。


「へえ……なんか面白いというか変というか……」


「……難点は蒸らしの工程も兼ねてるから淹れるのに2分くらいかかるんだけどね」


 それは……何というか、どうなんだろう。自動だからそれくらい待て、ってことなのか、忙しい朝には不向きと言うべきなのか。


 でも、それよりも気付いたことがあった。これは推理というよりも状況証拠的なのだけれども。


「……でも。ひなのさんが朝早くからどこかへ行っていたのは、このコーヒーを飲むため……なのですよね、きっと」


「おお! 大正解だよ、明菜!!」


「まあ、こんな装置見せられたら分かるって……。で、先ほど水筒を見せて頂いたので、こだわりポイントはもしかしてこのお湯ですか?」


 私は別にコーヒー党というわけではないのだけれども、お父さんがちょっと凝っていたな、と思い返す。まあ、こだわる人はとことんこだわるものってくらいの知識はある。


「……そ。このお湯はね、さっき私が清水寺の音羽の滝の水を水筒に入れてきたやつなんだよ。あ、音羽の滝ってのは、あの清水寺で有名な3本で垂れてて、普段は超混んでいるやつ!」


「それは存じ上げていますが――」


 その音羽の滝は、普通に観光客が来る時間に水筒なんて持ち込んだら、行列に並ぶ人間から絶対零度の視線を浴びること間違いなしだが、しかし開店凸すれば来ているのは地元民と修行僧くらいらしく、ガラガラなのでゆっくり入れる暇があるっぽい。

 ……清水寺に開店凸勢って居るんだね、知らなかった。


 そんなことを話しつつ、ひなのさんのひょこひょこ揺れる銀髪とくるくる変わる表情を見ていたら2分間なんてあっという間で、コーヒーが淹れ終わったようだ。

 こうして、飲めるタイミングがすぐ分かるのは自動ドリップの良いところかもしれない。


「清水寺の清水せいすいで作ったコーヒーだよー」


「では、お先に失礼しますね……」


 そう言ってカップに口を付ける。



 ……。


 …………。



 ……うん。



「……水の違い、って普通分かるものなんですかね、これ」


「あはは! やっぱ、分かんないよねえ。私もぶっちゃけあんまり分かんないもん!!」


「分かってないのに2時間かけてお水取りに行っているんですか!?」


「いやー、こういうのって気分が大事でしょ! 一応ネットの記事とかにはこの水を使った飲み物を出すお店もあるとかあったし、何よりこれをやろう! って思い立った日は私早起きできるしねえ――」



 ――東園ひなの。

 この日の出来事で彼女とぐっと近づいた気はした。

 けれども、ピアノの一件でこの銀髪の不思議ちゃんのことを『天才』か『狂人』かで甲乙つけがたい状態であったが、私生活部分でも同様の謎が増えかえって分からなくなってしまったのである。


 でも。1つだけ言えることがあるのであれば。

 私は第一印象から癖が強いとずっと感じていたが、それはきっと正しくて。しかし彼女の周囲には、その癖の強さを理解しているクラスメイトはどうやら居ないのかもしれない……ということであった。


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